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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【前編 / 04】 『時よ止まれ』

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26

 週末の土曜日。

 俺はふたたび病院の、総合内科の椅子に座っていた。


 あの、宗像の家で死骸を見つけた夕方から、頭痛やだるさが急激に悪化していたからだ。


 勉強に身が入らない。ただそれは体調不良のせいだけじゃなくて、ともすればすぐ俺の頭を専有する、さまざまな記憶の想起とか、あの情動への渇望みたいなものとか、そういう理由もひそかに含まれていた。


 先生は俺の再訪を歓迎してくれた。丁寧に話を聞こうとしてくれた。


 身体のことだけじゃなく、日常のことや、思ったことも話してくれていい。それも大事な診断材料だから。


 やわらかくそう言われて、なのに俺は体調不良を相談はできても、例のどうしようもなく俺を突き動かす情動とか、宗像とのこととかを、ひとつも話すことができなかった。理由の判然としない、後ろめたいためらいが、俺の口を妙に重くした。


 ひととおり話し終わると、先生はぱちぱちとタイピング音を鳴らし、そしてキイ、と椅子を回して俺に向き直った。


「そうだね。診断としては前と変わらないけど……もし君さえよかったら、別の科を紹介するのは、どうかな」


 言葉を選ぶような、慎重な口調だった。

 うっすらと、どこを紹介されるのか察する。俺は少し詰まったような早口で、いいです、と言った。


「大丈夫なんです。ちょっとその、……薬だけ、もらえれば」


 先生はそう、とやさしく言うと、ゆっくりと俺に尋ねる。


「栄養剤を続けて出しておこう。他の薬はどうしたい? 眠れるようになるものとか、不安を取るようなもの」

「……」


 俺は少し黙り込んで、迷った。

 あれこれと思考が、頭の中で回っている。


 睡眠薬や抗不安剤なんて飲みたくない。そんなの俺には必要ない。

 俺は普通だし、まだ大丈夫だし、どうしようもなく堪えているなんて、まだ、思いたくない。


 ちょっと体調が悪いだけ。眠れてないから。

 頭が痛くてだるいのは、睡眠不足のせい。食事が雑なのがいけなかったのかもしれない。

 生活リズムだって、生研部と勉強があって乱れてる自覚はある。不摂生が悪かった。


 そう、ちゃんと食べて、夜きちんと眠れば、きっと。眠れさえすれば。


 たくさんの弁明と帳尻合わせと言い訳をして、小さく頷く。

 蚊の鳴くような声で、言った。


「眠れるのだけ、ください……普通の、なんか、ぜったい強くないやつ……」

「……わかったよ」


 先生はくるりと椅子を回し、マウスを操作する。かち、かち、とクリック音。


「栄養剤……はまだあるみたいだね。眠れる薬を出しておこう。きっとよく眠れるはずだよ」

「はい……」


 処方を終えると、先生は椅子をくるりと回転させ、少しだけ真面目な顔をした。


「とても軽い薬だけど、慣れないうちは次の日も眠いかもしれない。自転車やバイクなんかは控えたほうがいいかもね。あと、体育とかも気を付けて。それから、飲んで眠れないなと思っても、自己判断で量を加減するとかは、絶対にしないように」

「……はい」

「じゃあ、二週間分出しておくから、なくなったらもう一度来てくれるかな。予約を入れておこう」

「え……」


 俺はおずおずと顔を上げる。

 たしか前は、栄養剤を一ヶ月分もらえたはずだ。なんで半分なんだろう。

 あんまりしょっちゅうここまで来るとなると、勉強に差し支えが出てしまう。交通費だって安くない。


 たどたどしく問いかけると、先生はああ、とだけ言って、少し言葉を止めた。困ったようなやさしい笑み。


「今回からの薬は、一回の処方が二週間分で上限と決まってるんだ。法律でね」

「……そう、なんですか」

「何度も来る手間をかけてしまって申し訳ないけど」

「いえ……その……大丈夫です」

「ありがとう。じゃあ、診察はこれでおしまい。次もまた会えるのを待ってるからね」

「えっと……ありがとう、ございました……」


 処方箋を挟んだファイルを渡され、俺は立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。

 荷物を持ってドアを開け、最後にもう一度お辞儀をして、診察室を出る。

 先生はきちんと椅子をこちらに向けて、最後まで俺を見送っていた。


 もう用のなくなった総合内科を歩き、会計に向かう。

 廊下を歩きながら、俺はそっと胸元に抱いたファイルを見下ろした。


 先生の言葉が蘇る。何度も来る手間をかけてしまって。

 ということは、二週間経ったらまたこの薬が出て、その次の二週間後も、同じ薬をもらうんだろうか。


(いつまで? ……ずっと?)


 じわじわと、なんとも言えない気持ちがこみ上げる。

 法律で二週間分しか出せない薬。次の日は自転車に乗るなとも言われた。体育にも気を付けろとか、絶対にたくさん飲むなとも。


(なんか……)


 眠れさえすればそれでいいと、一回頷いただけなのに。なんだか、ずるずると事が大きくなっていっているような気がする。


 腹の底がそわそわして、怖いような、不安なような、なんとも言えない心許なさ。

 ぎゅう、とファイルを抱きしめた。足を早める。


 違う、と何度も心の中で唱えた。

 俺はまだ普通だし、大丈夫だし、なんともない。


 頭が痛いのも身体がだるいのも熱っぽいのも、味があんまりわからないのも、なんだか世界がぼんやりしているのも、ぜんぶ睡眠不足のせいだ。寝たら治る。眠れさえすれば。あの薬は、それだけの。


 右、左、と前に送る爪先がどんどん早くなって、ほとんど小走り、くらいの速度まで上がっていく。

 通り過ぎる人たちが、不躾にも院内で走る俺を迷惑そうに眺めている。ごめんなさいと思うのに、速度をゆるめることができない。


 とうとう、どんっ、と肩の端が誰かにぶつかった。あっ、と振り返る。


「ご、ごめんなさ──」

「……三島?」

「え……──あ、うわあ!」


 走りながら振り返ったせいで、脚がもつれた。ひっくり返りそうになる。あわあわと腕を振り回す俺に、ぶつかった相手が慌てる気配。


「──っと」


 ぱしっ、と二の腕を掴まれ、引っ張り上げられる。

 礼を言おうとして、真正面からその人を見て──ようやくそれが、宗像なのだと気が付いた。

 え、の形で口が固まる。宗像が呆れる。


「おまえ、ほんっとすぐその顔するな」

「む、む、宗像」


 どうして、と口が動いた。

 宗像はそれには答えずに、気が付けば落ちてしまったファイルを床から拾い上げる。胸元にほい、と押し付けられ、俺は慌てて落とさないよう抱き止めた。


「なんで……」


 反射的に尋ねて、なんでも何もない、とすぐ思い至る。

 宗像は母親に会いに来たのだ。今日は着替えの類は持っていなさそうだけど、普通に考えたらそうだろう。


 宗像は俺の思考を読んだのか、かすかに顔をしかめた。ちら、と胸元のファイルに視線が落とされて、俺は慌ててそれを背後に隠そうとする。


「……体調、悪いの」

「す、少し。不摂生で、栄養不足だって」


 そう言いながら、心臓がどくどく言うのを感じる。

 だってこのファイルには処方箋が挟まっている。中を見られたら宗像のことだ、書かれている薬がどんなものかなんて、きっとすぐに気付いてしまうに違いない。


 だが、宗像はかすかに目を細めて、そう、と言うだけだった。俺がなにかを隠したがるのに気付いたからだと、わかっていた。この完璧で出来た男は、他人の秘密を勝手に暴き出したりなんて絶対しない。


 俺はかすかに安堵して、背後に隠したファイルをそっと胸元に戻した。


「宗像は、お母さんのお見舞い?」

「お見舞い……お見舞い、ね」


 かすかに宗像が笑う。俺は首をかしげた。

 宗像の瞳が、なんともいえない笑みの形になって、彼はだったら、と言う。


「一緒に来るか?」

「え──でも」


 いいんだろうか。だって家族のお見舞いに、いきなり部外者の俺がついていって、宗像の母親だってびっくりするだろう。宗像からすれば俺は友達らしいが、それでも多少は憚られる。


 俺の「いいの?」の視線を正しく拾ったのだろう、宗像はいいんだよ、と言った。


「おまえ、会計するだろ。付き合うよ。それ終わったら、今度は俺に付き合って」

「わ、わかった……」





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