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欠けた月の夢を見る  作者: 秋野
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8.すなねこの記憶-2-

 わたしは、ぱちん、と白い石を打った。向かいに座る晃ちゃんは少し悩み、ぱちん、と黒い石を打った。わたしは悩むことなく、ぱちん、と白い石を打ち返した。わたしはにんまりして白に挟まれた黒い石のいくつかをくるくると返した。わたしたちはオセロをしていた。今のところ、黒よりも白の方が多かった。だから、わたしは機嫌がよかった。


 盤が半分以上石で埋まったところで、わたしは形勢が逆転したのを知った。白よりも黒の方が多い。わたしはこのままでは負けることを悟った。


「オセロってつまんない」


 わたしは文句を言い始めた。ポテチを口に運びつつ、寝転がっている。膝を折って上に向けた足をぶらぶらさせている。お母さんが見たら、「紫苑、もう少し行儀よくしなさい」と呆れて注意しただろう。そして

「晃太朗くん、いつもごめんなさいね」と晃ちゃんに気を使っただろう。でも、今ここに、お母さんはいない。だから、わがままし放題だ。


晃ちゃんは、わたしのように寝っ転がったりせず、床の上に足を組んで座っている。


「そう?」と言いながら、晃ちゃんは、ぱちん、と黒い石を打った。白い石がたくさんひっくり返された。わたしはむっとした顔をした。


 晃ちゃんがそんなわたしの顔を見て、少し笑った。わたしはきっとした口調で、「なに」ときいた。晃ちゃんは笑いを引っ込めた。


「これって、最初にじゃんけんで買った方が勝つようにできてるんだよ。だってその方が絶対有利だもん」とわたしは適当に思いついたいちゃもんをつけた。


「そうかもね」と晃ちゃんは涼しい顔でわたしのいちゃもんを聞き流した。


わたしは、盤をにらんで、どうやったら形成を逆転できるだろうかと考えていた。考えつつ、右手を伸ばし、がさこそとポテチの袋の中を探っていた。どう頑張っても、今から逆転はできそうになかった。でも負けるのは嫌だった。


盤を睨んで固まっているわたしを見て「紫苑、飽きた?」と晃ちゃんがきいた。わたしは、ポテチの最後の一枚を頬張っていた。ごっくんと飲み込むと、「うん、なんか飽きちゃった」と答えた。晃ちゃんは仕方なさそうに苦笑した。


「じゃあ、トランプでもやろっか」と晃ちゃんが言う。わたしは「うん」と頷いた。少しだけ晃ちゃんに申し訳なく思った。でも、まあいっか、と思った。それで、オセロは中途半端なまま放り出され、代わりにトランプをやることになった。わたしのお気に入りはトランプの戦争というゲームだった。何をやろうか、という相談もなく、『戦争』を始める準備を晃ちゃんはしてくれた。


わたしは晃ちゃんの白くて細い指が、トランプを上手に切るのを眺めていた。晃ちゃんのそのすらりとした手を見る度に、わたしは羨ましく思った。自分のぷっくりした手の平と指を見ては、なんだか子供っぽいなあという気持になった。成長したら、わたしの手もああいうふうにすらっと大人っぽくなるのかな。


わたしが「晃ちゃん、あれやって」と言うと、晃ちゃんは「また?」と少し笑い、それから、束を二つに分けて持つと、宙でばらばらと交互に落とす切り方をした。わたしは晃ちゃんのその華麗な手つきが好きで「マジックみたいだね」と言った。「紫苑も練習すればできるって。全然難しくないよ」と晃ちゃんが笑いながら言った。何度も練習したけれど、一向にうまくできるようにならなかったことは黙っていた。


晃ちゃんはわたしがいうことにはたいてい何でも付き合ってくれた。六畳に満たないわたしの部屋でよく、トランプをしたりボードゲームをしたりした。部屋の窓くらいに大きなパズルを両親から買ってもらった時は、二週間くらいずっとそのパズルを完成させることにつき合わせた。「ピースが足りない」とわたしがぐずついた時は、辛抱強く、最後のピースを探すのを手伝ってくれた。完成したそれは今でも本棚の横の白い壁に飾ってある。晃ちゃんは、不思議なくらい辛抱強くて、誰よりもわたしの取り扱い方を心得ていた。


小学校の学年が上がっていくにつれて、晃ちゃんと一緒にいると、小学校の同級生が時々からかってきた。「なあ、お前らって付き合ってんの」とにやにや笑いながら言われることがあった。わたしはそう言われると、少し得意な気持になった。晃ちゃんは、他の男子たちに比べて少し大人びていて、格好良くて、清潔感というか清涼感みたいなものを持っていて、だからそんな晃ちゃんと「付き合ってんの」とからかわれることは、わたしをなかなか得意な気持にさせるのだった。


そう言う時、晃ちゃんは、「そんなんじゃねーよ、バーカ」とぶっきらぼうに答えた。そう言うときの耳は少しだけ赤くなる。晃ちゃんは、二人きりの時に比べて、周りに男子生徒がいると、少し口調がぶっきらぼうになる。


「今度ね、クラスで劇をやるんだよ。今度の授業参観でお父さんとお母さんに見てもらうの」


 わたしは学校からの帰り道、うきうきとした口調で晃ちゃんに話した。


「へえ、劇? 準備大変だね」


「うん。晃ちゃんのとこは、何やるの」


「おれのとこは、ただの合唱だよ。合唱の後、笛吹くって」


 そう言う晃ちゃんは、別に楽しみでもなんともない、どちらかというと面倒くさい、と言いたげな表情をしていた。わたしはそんなしかめ面にお構いなく、


「わたしは、お姫様役やるんだよ」


 うきうきしながら説明をつづけた。お姫様は、諸事情でクラスの女子から三人選ばれていた。一人のお姫様を三人の女子で演じ分けるという形だった。


「紫苑、台詞ちゃんと覚えられる?」


「覚えられるよ! 練習するもん。晃ちゃんも付き合ってね」


「それって、おれが付き合う必要あるかな」


 晃ちゃんが少し困った表情をする。


「あるよ。ちゃんと台本も持って帰ってきたんだよ。明日学校ないからいっぱい練習しようと思って」


 わたしは、いつもの強引な調子で晃ちゃんをお芝居へと引き込もうとした。


「分かった。じゃあ、紫苑が台詞の暗記をちゃんとするのか見張ってる」


「違うよ、ちゃんと練習するの。晃ちゃんはわたしの相手役をやるんだよ」


 そんなことを言いながら帰った。結局、次の日、晃ちゃんは、ぶつくさ文句を言いながらも劇の練習に付き合ってくれた。晃ちゃんには、王子様役をやってもらった。ひどい棒読みだった。歯の浮くような台詞が何回かあった。晃ちゃんは涼しい顔で、棒読みをつづけた。時々、耳が少し赤くなるのにわたしは気づいていた。晃ちゃんが耳を赤くする台詞がある場面を狙って「ねえねえ、ここもっと練習しよう」と何度もお願いしたら、さすがに少し睨まれた。お昼前から一緒に練習をして、お昼を食べて、夕方になるまで晃ちゃんは付き合ってくれた。晃ちゃんは、辛抱強くて、優しくて、少し照れやすい男の子だった。


そういえば、晃ちゃんとわたしは遠い親戚なのだということを書き忘れていた。はとことか、また従妹とかいう遠い親戚だった。わたしの母の従兄弟が晃ちゃんのお父さんであるらしかった。それで、わたしたちは歩いて一〇分もかからない距離に住んでいたから、幼いころからよく遊ぶ仲だった。晃ちゃんのお父さんは、国の重要な機関――名前は忘れた。たしか、なんとか省とかいう機関――で働いていて、お金持ちだった。屋敷、と言うと少し大げさかもしれないけれど、このあたりでは一番立派な家に住んでいた。広さは少なくとも、わたしが住む家の二倍はあったし、玄関に入ると、まず金色の額に入れられた大きな滝の絵が目に入り、その横には怖い顔をした大きな鷲の剥製が飾ってあった。時々遊びに行くと、その家の雰囲気に何となく落ち着かないものを感じたことを覚えている。


晃ちゃんには、昔からどこか大人びたところがあった。例えば、みんながはまった妖怪キャラクターのシールを夢中で集めたりしなかったし、注射がいやだとダダをこねる姿も見たことがない。怒ったり、泣いたりの感情を外に出すことの少ない子供だった。子供らしくない、とも言えたかもしれない。何を考えているのか分からない、と考える大人がいたかもしれない。でも、いつも一緒にいるわたしは知っていた。晃ちゃんは、優しくて、いろいろなことを考えている。わたしみたいな、考えるより、口や手が先に動くような子供より、いつも多くのことをあれこれ考えている。おもちゃ屋に行って、あれがほしいこれがほしい、とおねだりしないのも、注射がいやだと駄々をこねたりしないのも、それが大人に迷惑をかけると考えてしまうからなのだと思う。


晃ちゃんの家庭はちょっと複雑だった。晃ちゃんのお母さんは、晃ちゃんがものごころつく前に病気で亡くなった。そして、晃ちゃんが八才の時に、家に新しいお母さんがやって来た。綺麗な人だったけれど、いつも疲れているような表情をした人だった。美行さんという名前だった。


美行さんには二人の息子がいた。晃ちゃんと同い年の光弘くんと、二つ年下の佑人くんだ。晃ちゃんとは血のつながりがないから、義理の兄弟ということになるらしい。


だからお父さんが美行さんと再婚することで晃ちゃんの家庭は、いきなり五人家族になった。それまでお父さんと二人暮らしだった晃ちゃんの家はいきなり賑やかになった。


晃ちゃんがわたしの家に来ることの方が多かったけれど、時々わたしが晃ちゃんの家にいくこともあった。玄関で出迎えてくれる美行さんは、わたしを見るといつも笑みを浮かべた。頬に無理やりしわを刻み込んだような笑みだった。頑張って作っているようなどこかひきつった笑みだった。別にわたしが嫌われているとかそういう訳ではなかったと思う。ただ、そういう笑い方をする人だったのだ。


美行さんは、遊びに行くと、いつも紅茶とか甘いお菓子とかをたくさん出してくれた。晃ちゃんの兄弟、光弘くんや佑人くんがいるときは彼らと一緒に遊んだこともある。たいていは四人でテレビゲームをしたりした。光弘くんは、ゲームで負けが続くと、「何だこのゲームつまんねえの」と一人ゲームを抜けて部屋を出ていってしまうことがよくあった。佑人くんは年も四つ離れていたし、大人しい子で、あまり喋らなかった。


一度光弘くんが酷い癇癪を起して、ゲームのコントローラーを思いきり壁に放り投げたことがあった。壁が少しへこんだのを覚えている。その音を聞いた美行さんは急いで、階段を駆け上がり、部屋に入って来た。青い顔をした美行さんは「何が起きたのか説明しなさい」と怒った口調で言った。壁には、へこんだあとがあって、その下にコントローラーが落ちていた。光弘くんはそっぽを向いていた。誰も何も喋らないでいると、美行さんは「晃太朗、あなたが一番お兄ちゃんなんだから」と言った。「あなたが一番お兄ちゃんなんだから、もっとしっかりしなきゃだめでしょう」と美行さんは、なぜか晃ちゃんに説教を始めた。


この台詞は、わたしたち四人で遊んでいるときに、何か問題が起きると美行さんがよく口にする台詞だった。わたしは、聞く度に変だなと思っていた。一度だけ言ったことがある。「晃ちゃんと、光弘くんは同い年だから、晃ちゃんが一番お兄ちゃんっていうのは変だよ」と美行さんに言った。


ただ変だなと思ったから言っただけのことだった。「あのねえ、紫苑ちゃん」そう言う美行さんに、いつもの引きつった笑みはなく、眉を吊り上げた怖い顔をしていた。これは、うちの問題だから、あなたが口を出していいことじゃないでしょう、というようなことをぴしゃりと言われた。なぜ、晃ちゃんが一番上のお兄ちゃんというのかの理由は教えてくれなかった。そうして、美行さんはまた晃ちゃんに説教を始めた。一方的な、おしつけるようなお説教で、晃ちゃんが口をはさむような暇はなかった。ひどいときは、そんなことが一時間近く続いた。光弘くんも佑人くんも部屋を出ていった。晃ちゃんは、表情に乏しい顔で黙って聞いていた。


うちまで歩いて帰る時に、晃ちゃんに「光弘くんも同い年じゃん」と不満そうに言うと、晃ちゃんは「いや、おれの方が、生まれが半年早いから」と何でもないことのように答えた。晃ちゃんは別にたいしたことだと考えていないようだった。わたしはそんなものかな、と思った。光弘くんは、わたしと晃ちゃんとは違う特別支援の学級に通っていることも関係があるかもしれなかった。


美行さんの眉を吊り上げた顔が怖く、わたしは晃ちゃんの家に行くのがあまり好きじゃなかった。晃ちゃんには言わなかったけれど、内心、怒った美行さんの顔は般若のようだと思っていた。般若とは、大きな神社にいくと、時々お出迎えしてくれる鬼の怒った顔のことだ。わたしが美行さんの顔を思い浮かべようとすると、いつも、引きつった笑顔か、般若かのどちらかになってしまう。


わたしはあの家に行くといつも居心地の悪さを覚えた。だからわたしが晃ちゃんの家に行くことはそれほど多くなく、たいてい二人で時間を過ごす時はわたしの家で過ごした。あの家は、晃ちゃんにとっても居心地が悪いんじゃないだろうかと時々思った。


それでも、晃ちゃんはその家族のことを、晃ちゃんなりに好いていたのかもしれない。晃ちゃんは、夏休みに家族五人でキャンプに行ったらしく、その時のことを話してくれたりした。「父さんがみんなに釣りを教えてくれてさ」と晃ちゃんは少し得意げに言った。「鮎の塩焼きがすごくおいしかった。みんなで取り合いになって」と言うその表情は本当に楽しかった思い出を話すみたいだった。「そのうち紫苑も一緒に行きたいね」とわたしに笑いかけた。わたしは、美行さんの般若のような顔を思い出すと、遠慮したくなるのだけど、晃ちゃんには、もちろんそんなことは言えなかった。


思い返してみると、晃ちゃんがその新しい家族について愚痴を言うのを、わたしは一度も聞いたことがない。


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