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欠けた月の夢を見る  作者: 秋野
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3.正義という名前

 正義が自分の名前を嫌いになったのはいつからだろう。なんてださくて冴えない名前なのだろうと思い始めたのはいつからだろう。


  昔はこの名前が好きだった。ださいだなんて思っていなかった。格好いいとさえ思っていた。戦隊もののヒーローが変身するときのポーズは、鏡の前で何度も練習して、少なくとも一〇通りは覚えた。おもちゃ屋で、手裏剣や光線銃を見ると、きまって、「買って買って」と駄々をこねた。買ってもらってしばらくは、肌身離さず持ち歩いた。お盆に集まった親戚には「あら、セイギちゃんは今日は誰を退治しに行くの」と笑われた。たぶん小学校低学年くらいの頃の話だ。


  小学校高学年くらいになると、視力がぐんと落ちてきたのが原因で――おそらくゲームのやりすぎで――分厚いレンズのメガネをつけることになった。そして、運動嫌いがたたって、体重が増えて顔が丸くなった。鏡を見れば、眼鏡をかけた、ぽっちゃり気味の冴えない少年が見返していた。それでも、まだ正義という名前が好きだった。格好いいと思っていた。


小学校五年生の時だっただろうか。正義は今でも覚えている。英会話の授業の一環で、クラスの皆で、小さなテレビを囲んでアメリカの映画を見ていた。ヒーロー映画で、超人的な能力を持った主人公が悪者を倒す映画だ。正義はもちろん、自分と主人公を重ね合わせて見ていた。格好の好い主人公が、美女を救い出すために悪と戦う物語はお決まりだけれど、見ていて心が躍った。物語の中盤で、女子の誰かが小さな声で「これ、田中に似てない?」と言った。その「似てない?」と言われた時、画面には、主人公ではなく、その親友の太っちょのキャラクターが映っていた。「ああ、似てる似てる」と賛同の声が上がった。クスクスという笑い声が大きくなった。クラスの大人しい女子さえもこちらをちらちら見て、笑っていた。


  正義が似てると言われたのは、主人公のヒーローではなくて、その親友役の太っちょで眼鏡でオタクでドジの冴えないキャラクターだった。いつもヘマばかりして、主人公たちをピンチに陥れる。唯一誇れるのはコンピューターのハッキングスキルのみ。敵のアジトを突き止めるため、物語の終盤で一瞬だけ活躍した。

悪役に似ていると言われる方がまだましだった。


正義はそれ以来、なぜだか女子が少し怖くなった。男子になら普通に話せるのに、女子が相手となると途端に無口になってしまった。自分を見てクスクスと笑う女子の顔を思い出すのだ。そうして、自分の名前が呼ばれるたびに嫌な気持になった。自分の名前が好きじゃなくなった。どうして正義なんて言う名前を付けたんだろう、と親を恨んだ。


中学校に入ってからは、部活の練習に休まず参加していることもあってか、少し体重も落ちた。何か不思議な力で上に引っ張られたかのように背もうんと伸びた。体重は減って、背は伸びたから、ちょうどいい感じのバランスになった。鏡を見ることがそれほど苦ではなくなった。ただ分厚いレンズのメガネだけはどうしても野暮ったい。


そして、相変わらず軽い女子恐怖症だった。あたりまえだけれど、女子と手をつないだこともないし、デートもない。中学に入ってからは、女子と会話した回数なんて、きっと片手で数えられるくらいだった。


「ねえ、田中くんは、自分の名前好き?」


 駅のホームで、電車を待っている時、隣に立つかなめがふいにそんな質問を投げかけた。それは、あの放課後、「ちょっと元気出たかも」と言ってかなめが笑顔を見せてから、一週間ほどあとのことだった。


「え? いや、正直あんまり。田中ってありふれてるし」


「そっちじゃなくて、下の名前」


「正義?」


 正義は顔をしかめて、首を振った。


「ぜんぜん」と言った。


「好きじゃないの?」


「好きじゃないよ。正義なんて……ださいよ。もっと普通の名前が良かったなって思う」


「普通の名前って例えば?」


 正義は首をひねった。


「何だろう。……タケルとか、ハヤトとか」


 適当に友人の名を上げた。かなめはおかしそうに声を上げて笑った。


「そんな名前、似合わないよ。あたしは正義って言う名前の方が好きだな」


「そう?」


 正義は目を丸くして聞き返す。


「うん。似合ってるよ。ぴったり」


 かなめはそう言ってにっこり笑った。その頬が少し赤くなっていた。

正義はこの瞬間から自分の名前に新しい意味を見出したような気持になった。正義という名前が急にぴかぴかと光り始めたように思えた。


 そんなかなめが――学校をまた休むようになった。借りた少女漫画は、返そうと思って鞄に入れたまま四日が過ぎた。それに、正義の方からも、漫画を貸そうという約束をしていたから、そっちの漫画も入れたままだ。「それ持ってるから、貸すよ」と正義が言った時、かなめは嬉しそうに目を輝かせていた。その目の輝きが偽りだったとは思えない。


 青田の言葉を思い出す。『不登校気味だったし、またか、っていう感じなんじゃねえの』と彼は言った。正義はやるせない気持ちでいっぱいになる。自分では、やはり役不足だったのだろうか。かなめの話し相手になることで、少しでも、心の支えになれているのではないかという自惚れを抱いていたことを恥ずかしく感じた。もし、自分がもっとイケメンだったら、かなめを救い出す騎士になれたのかもしれなかったのに、と思った。



 三〇分ほど揺られて、正義は電車を降りた。改札を抜けた。足早に通り過ぎていく人たちが皆、ひどく呑気で平凡な人たちのように感じられた。少女が一人失踪したことなど自分以外の誰も気づいていない。気にしていない。


日は傾き、空はオレンジ色に染まっていた。空気はひんやりと冷たい。手をこすり合わせる。心臓が不思議とどきどきと高鳴っているのを感じた。歩き始めた。


正義には、一つ気がかりなことがあった。それを確かめようと思っていた。青田に対していった部活を休む口実「今日はやることがあってさ」というのは、何も出まかせと言うわけではない。――そう、心当たりはないわけではない。


 正義は、ちょうど日向かなめに似た人影を何度か見かけたのだ。日向かなめが学校に来なくなった、ちょうど二日前から。


続く。

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