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欠けた月の夢を見る  作者: 秋野
11/13

11.恋をしたから死んだの

 

 千里眼のお時は、日向かなめの居場所を教えてくれた後にこんな話をしてくれた。


「あるお客様の依頼を聞いている時に、知ったことですけれど。扇骨木という木をご存知ですか? こう書いて、カナメと読みます」


 お時は手元の紙に『扇骨木』と書いて、正義に見せた。お時の頬は、相変わらず可愛らしくぽっと火照っていた。お時にとっては、火照っている状態が普通なのかもしれなかった。


「扇骨木という木は、緑ではなく赤い葉を持つ珍しい木です。春から夏に変わる頃、生い茂った赤い葉のうちから、白い花がぱっと散るように咲くんです。とても美しい木です」


 正義はその木を、花を知らなかった。そもそも花に興味を持ったことがなかった。


「なぜ扇骨木と書いて、カナメと読めるのかと言うと、この木が扇子のかなめ――かなめというのは、持ち手の部分についた、小さいけれど、扇子の全てのパーツを繋ぎとめている部分のことです――そのかなめという部位に使われているんです。だから扇骨木と書いて、カナメと読めるんです」


 小さいけれど、全てのパーツを繋ぎとめる――その言葉は正義の耳に不思議な余韻を持って響いた。ぱっと開かれた扇子と、赤い葉の中に白い花々が散った様子を想像した。


「とても素敵な名前ですね」


 お時は赤い頬をしたまま、にこりと微笑んでそう言った。


 ふと横を見れば、その話を隣で聞いている『すなねこ』の表情はどこか寂しそうに見えた。『すなねこ』は、正義が見ていることに気づくと、ごまかすように笑みを見せた。それから「時ちゃんって、物知りだよな。その花って、もしかして、あの無花果屋のあたりに生えている木のこと?」と平然と話し出したから、一瞬の陰りは気のせいだったかなとも思った。



 地下から地上に出て、城下街の方へと歩いている間、『すなねこ』は正義に教えてくれた。


「罪穢れがあるというのは悪いことじゃない」


「でも……牢屋に入れられているって」


「ああ。都の連中は、罪穢れを呪いと見なしているから、罪穢れが落ちるまでは牢屋にとじこめるんだ。でも、別にあれは、本来は呪いなんかじゃない。なんていえばいいかな。罪穢れはうつし世に対する――未練なんだよ。つまり罪穢れがあるっていうことは」


 『すなねこ』は言葉をきって、正義の目を見つめた。


「その子はまだうつし世に帰りたいと思っているってことだよ。つまりこの土地の空気に染まっていないってことさ」


 それはすごく重要なことなんだ、というような熱を帯びた声で『すなねこ』は言った。


「でももちろんいいことばかりじゃないけどな。罪穢れが広がったりすることがあれば、どんなことをされるか分からない。おれもそこまで詳しくないけど、回復の見込みがないと判断された人は、処分されることになるって聞いたことがある」


「処分?」と言って、正義は眉をひそめた。


「でも……ここはあの世の一歩手前なんだよね?」


「ああ、だから死ぬことがないはずだって? ここで死んだらその時こそ、本当にあの世いきになるんじゃないかな」


 言葉を失う正義に対して、『すなねこ』は肩をすくめた。


「昨日、言っただろう。その子を見つけられる保証もないし、それ以上にひどいことになるかもしれないって。どうする? 行く?」


 『すなねこ』は、大きな黒い瞳で、正義の表情を探るように見ている。


 正義は昨日寝る前に感じたあの感情を思い出した。あの時、プラットホームでかなめに手を差し伸べた時、本当に助けられたのは正義自身だったのだという奇妙な感覚。


「僕は、会いに行きたい。日向さんに。伝えたいことがあるから」


「そう言うと思った」


 正義の表情を見て、『すなねこ』はにやりと笑った。


「そうと決まれば、実行は早い方がいい。なんせ彼女は牢屋に入れられていて、これからどんな扱いを受けるか分からないわけだし」


 そこで『すなねこ』の声が少し低くなる。


「都の連中は、きっとその子に名前を忘れるよう強要するよ。名前だけじゃなくて、記憶も。だから取り返しがつかなくなる前に、早く会いに行かなきゃいけないな」


 正義はごくりと唾をのんだ。


「もし……もし、日向さんが記憶を、失っていたら?」


 そんなことあるわけはないと思ってはいても、『すなねこ』の様子があまりに深刻だから、正義の口からはついそんな質問がこぼれた。


「記憶を失っていたら、か」


『すなねこ』はどこか遠くを見るような目をして呟いた。


「残念だけれど、その時は諦めるしかないかもしれない。あるいは、そうだな。もう一回おれに会いに来るんだな。おれがなんとかしれやれるかもしれない」


「君が?」


 正義が眉をひそめて問うと、『すなねこ』はごまかすように笑った。


「まあそんな悲観的に考えても仕方ない。大丈夫だよ、日向さんはきっと覚えてるって」

 

 そう言う『すなねこ』の声はなぜか空元気のような調子を帯びていた。


 正義の胸の内で疑問がくすぶる。この短い髪の、少年のような話し方をする少女は、どうしてここにいるのだろう。何者なのだろう。ここは、自殺したものしか来ることのできない土地だ、と『すなねこ』は言った。だから、『すなねこ』にもそういう暗い過去があったのだろうと考えて、正義はその話題を無意識に避けていた。口下手な自分はどうやったって、そんな暗い過去をほじくりだすような質問を投げかけることはできそうにない。


 けれど、もしかしたら、そうではないのだろうか。



 日は暮れた。正義と『すなねこ』は、宿に戻っていた。『すなねこ』は、正義の部屋のベッドに腰かけて、先ほどからずっとあるものを読みふけっている。


「それ、そんなに面白い?」


 苦笑して訊ねる。なぜだか『すなねこ』は、正義がお時に見せた少女漫画に異常なほどの興味を持って、読みふけっているのだった。顔をうずめるようにして、読みふけっている。正義の今の問いかけも無視するくらいに、漫画の世界に浸っているらしい。


 正義が上からひょいと覗き込むと、ちょうど『すなねこ』がページをめくった。そうして現れたのは、紙面一杯に描かれたヒロインの悲痛な顔だった。目に涙をいっぱいにためたヒロインが「どうして『好き』の二文字がいえないの?」と涙を飛ばしながら叫んでいた。


 『すなねこ』が「うわ」と声を上げて、漫画を落とした。なぜか顔が赤くなっている。正義はおかしくて笑った。『すなねこ』は、むっとした表情で「なにがおかしいんだよ」と言った。


「だって、そんな夢中になってるから。そういう漫画、読んだことないわけじゃないだろ?」


「ないわけじゃない。でも、もう忘れた。初めて読むような気がする」


「…………え?」


 要領を得ない答えに眉をひそめた。『すなねこ』もまた、「なんだよ」というように眉をひそめて正義を見返した。やがて『すなねこ』は、「あ、そっか」と呟いて、漫画、を開いたまま裏返しにして隣に置き、また正義に向き直った。


「大切なこと言うの忘れてた。この土地では、恋愛はじゅうざいだ」


「ジュウザイ?」


「そう、じゅうざい。最も重い犯罪の一つだ」


 ああ重罪か。


「…………は?」


 漫画の話をしていただけなのに、いきなり話が訳の分からないところに飛んでいった。


「犯罪? 恋愛が? なんで?」


「何でかって言われても、田中正義にはあんまり関係ないかな。重罪ってことだけ知っていれば大丈夫だ。で、この漫画の女の子みたいな変なこと、『好きって言ってよ』みたいな変なことを口走らないようにしておけばいい」


 そう言うと『すなねこ』は、取り落とした床から漫画を拾い上げると、また黙々と読みだした。説明は以上だ、と言うことらしい。正義は、『すなねこ』から漫画を取り上げた。


「なにすんだよ」


「その説明じゃ、なんも分からない」


「分からなくていいんだって。返せ。今、いいとこだったから」


「いや、もとはといえばこれは僕のだし」


 正義が漫画を背に隠してじっと動じないでいると、『すなねこ』が、観念したようにため息をついた。


「田中正義のためを思って、言わなくてもいいと思ったんだよ。そんなに聞きたい?」


「うん」


「別に楽しい話じゃない」


「うん」


 『すなねこ』はまたため息をひとつ吐くと、話し始めた。


「つまり、ここの都の連中はさ、恋愛とか、そういうので生まれる激しい感情を嫌うんだよ。恋愛すると、嫉妬とか恨みとかいろいろ激しい感情が生まれるだろ」


 その可愛らしい容姿に不釣り合いな、嫉妬とか恨みとか単語が出てきたから正義は少し面食らった。


「都の奴らの理論では、そういう感情は、人を殺す凶器なんだ。だから、恋愛そのものが悪だっていうことにして、この土地の平和を保ってるんだよ」


「人を殺す……凶器?」


「そう。例えば、ある人が恋愛して、上手くいかなかったら、感情が暴走して、相手を殺すかもしれないし、でなきゃ自分を殺すかもしれない。気が狂って、ふらっと通りかかった全然関係ない誰かを殺すことだってありうる」


 なんだかあまりに極端すぎる発想だった。『すなねこ』も、極端だということは分かっているらしく、言いながら顔をしかめていた。けれど、ふと思いついたように「でも、その理屈も別に間違っちゃいないよな。ほら、だってこのヒロインだって相手が『好き』って言葉を言ってくれない、というだけの下らない理由でこんなに苦しんでるんだろ」と言って、ヒロインの泣き顔の見開きを正義に見せた。

正義は狐につままれたような気分で、その漫画の見開きを見た。『すなねこ』はつづけた。


「知ってるよ。うつし世じゃ、人を好きになることはむしろいいことみたいに言われてた。だから、今言ったことがおかしいのは分かってるんだけど。おれがこんなふうに考えるようになったのはさ、この土地に来てから徐々にだよ。掟として決まってるだけじゃなくて、都の連中はおれたちにそういう考えを刷り込むんだ。芝居でも読み物でも、一人の人間に執着するような人間は、たいてい狂人か化物として描かれる。そういうやつは、皆から嫌われるし、最後には自滅するんだ」


正義は黙って聞いていた。言い返したいような気持ちが胸の内でもやもやした。でも言い返せるほど、正義には恋愛というものがよく分からない。映画や漫画の世界の恋愛しか知らない。だから、自信をもって、おれはこう思う、と言い返すことができない。


 じゃあ、と思った。じゃあ、『すなねこ』は恋愛を知っているというのだろうか。今の理屈を理解できるような苦しみを経験したとでもいうのだろうか。


「『すなねこ』はどう考えてるの?」


「おれ? さあ、おれは馬鹿だから分かんないよ。ここの上の連中が、そういうものだから従え、っていえば、そうなのかなって思うし」


 『すなねこ』は窓の外に目を向けた。窓の外には特に何もない。それから正義を見て、例のごまかすような笑みを浮かべた。


「おれの考えなんて聞いてもなんの参考にもならないよ。おれ頭良くないから」


 そう言って、彼は伸びをした。欠伸をした。目を擦った。


「おれのことはいいよ。それより」


 『すなねこ』は漫画を閉じて傍らに置いた。擦った目を何度か瞬きして、正義のことを見るその顔つきは真面目なものに変わっていた。


「日向かなめさんに会いに行く手段だけど、やっぱり一番早く行けるのは――」


夜は刻々と更けていく――。


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