10.恋文と三千金
禰木は、薄暗い城の地下牢から、いくつも階段を上り、その階段が尽きたところで、立ち止まった。目の前には、黄金の間に続く、黄金の扉がある。
扉の向こうで誰かがすすり泣いている。どうやら罰を受けている最中らしい。禰木は困ったなと思った。出直してこようかと思った。すすり泣く声は止みそうにない。時間をずらしてまた来よう、と踵を返そうとしたところで、「入れ」という声が扉の向こうからかけられた。扉越しに気配を感じ取られていたらしい。禰木は諦めて、黄金の扉を開けた。
《金色に燦き渡る太陽の君》は――少女の姿をした城の主は、部屋の奥の方に座っている。少女は、禰木の方をちらと見ると、待てというような合図を手で示した。少女の前には一人の若い女性がいて、めそめそと泣いている。
禰木が足を踏み入れたその部屋は、城の一番高いところに位置している。二十畳ほどのその一室は、黄金の間と呼ばれ、嫌味なくらいに豪奢な空間だった。足元には黄金の絨毯があり、壁には金粉が散りばめられている。東西南北全ての方角に大きな窓があり、そこから日の光が燦々と降り注いでいる。日の光を受けて、絨毯と壁がきらきらと輝き、うっとうしいくらいだった。しかし、何よりも目を引くのは、一際輝きを放っている、部屋の奥の壁、《金色に燦き渡る太陽の君》が座っている場所の頭上に飾られた大きな太陽の顔だった。目の部分はくりぬかれ、鼻は奇妙に折れ曲がり、表情のない唇がついている。その目と鼻と口のついた太陽は、部屋中の光を一身に集めているかのように、また、集めた光を全て放散しているかのように、少女の頭上で異様な輝きを見せていた。
太陽のお面。それは、この土地を自在に作り替えることができるほどの強力な力を持っていると言われている。その対となる、月のお面というものも存在しているらしい。ある人から聞いた話によれば、太陽のお面が大地を創造するのに対し、月のお面は時空を操る力を持っている。けれど、月のお面は、太陽のお面と相性が悪く、ゆえに《金色に燦き渡る太陽の君》が葬ったとかなんとか。あまり詳しいことは知らない。
禰木は、この奇妙な部屋に入ると、いつも気が滅入るのを感じていた。できることなら足を踏み入れたくない場所だった。
少女は金色で縁取られた肘掛椅子に座り、頬杖をついている。
神と称されることもあるその少女――《金色に燦き渡る太陽の君》は、たいてい幼い子供の姿をしている。黄金の髪は、腰まで伸び、肘掛椅子から零れ落ち、日の光を吸って輝いている。きめの細かい白い肌に、頬と唇だけが異様に赤い。
都の者たちの多くは、彼女のことを創造主であると考えていた。つまり彼女が、この土地、うつし世ともあの世とも隔絶された、かくり世と呼ばれるこの奇妙な土地をつくった人物なのだと考えていた。だから、彼女のことを神として崇める者もいる。
そんな少女の姿をした主の前に、質素な身なりをした一人の若い娘が立って、涙を流している。
「それは、恋文などでは、ありません」
娘が小さな、震える声でそう言った。
「ほう」
愛らしい少女が娘の言葉に眉を八の字に寄せる。そうして手にした数枚の紙きれを不愉快そうな顔で眺めた。
「恋文ではないと? これが?」
「はい。それはただの……ただの友人に宛てたものです」
「なるほど」
少女は、今部屋に入って来たばかりの、部屋の隅の方に立っている禰木をちらりと見た。出来る限り存在感を消していた禰木は嫌な予感に身体を硬くした。
「では、禰木にこの手紙を読んでもらおう。余はこんなもの、読みとうない。寒気がする」
少女がそう言って、指をパチンと鳴らした。途端に、少女が手にしていた紙はくるくると宙を舞って、禰木の目の前でぴたりと止まった。仕方なく、禰木はそれを受け取る。
「禰木、それを読み上げろ」
まったく損な役回りだと腹の中で思いつつも、眉一つ動かさず、無表情に、禰木はその手紙の言葉を読み上げる。
「拝啓、はなまる肉屋の店主、公磨さま」
ただ淡々と、感情を乗せずに禰木は読み上げる。
「あなたは、わたくしのことを覚えていらっしゃるでしょうか。わたくしは、頭が二つある犬から襲われそうになっているところを、あなたに助けられたものです」
顔を上げると、読めと指図した少女は聞いているのかいないのか、金色の髪の毛をくるくると指先に巻き付けて遊んでいる。禰木は続ける。
「その時、わたしを助けてくれたあなたのたくましい腕をわたくしは忘れることもできず、夢にまで見るのです。肉屋の硝子越しにあなたの見た時の、わたくしの心がどんなものか、きっとあなたには想像さえつかないでしょう。あなたのそのたくましい腕が、鳥をさばき、豚をさばき、牛をさばく、その姿――わたくしはその姿を見る度に、胸が高鳴り、喉から心臓が飛び出しそうなほど、切なくてたまらなくなるのです」
禰木は、全く意味の分からない文章だな、と内心呆れたように思いつつも、読み続ける。
「わたしの身体も心もあなたに捧げたいのです。どうか新鮮なうちに、あなたのその見事な腕でさばいてください。あなたの腕が私の胸をさき、心臓さえもその手に握りしめてくれたら――それは、わたしにとってこの上なく幸せなことなのです」
禰木は読み終わって、顔を上げた。自らの髪の毛で遊んでいた少女は、禰木が読み終わったことに気が付いたらしい。娘に向かって、詰問した。
「もう一度聞こう。これが、恋文ではないと?」
問われた娘は黙ってうつ向いた。その肩が震えている。
「禰木、恋とは何だ」
矛先がまた禰木に向かった。
「わたしには、恋の何たるかなどわかりません」
「馬鹿め。お前の考えなど聞いてない」
少女は片方の眉を吊り上げ、とんとんと苛立たし気に指で肘掛をたたいた。
「余の教えが記された『教典』を暗記しているだろう。それをこの愚かな娘に聞かせてみよ」
「承知しました」
禰木は確かに『教典』を全て暗記している。地下牢に捕らえられた罪人に説いてきかせる必要があるためだ。促された通り、暗記しているものをただ無感情に口にする。
「恋とは、天使を装った悪魔に惑わされ、錯乱した状態のこと。恋を煩ったものは、相手の本来の姿を歪め、自己に都合のよい美しい像をつくりだす。そしてその像を打ち破られた時、悪魔のごとき憎悪を生み出す」
禰木は一度言葉を切った。少女は続けろ、と目で促している。
「その憎悪は、自らだけでなく、周囲の者まで破滅に導く凶器となる。いかなる賢人も、一度、恋に囚われると、狂人と化す。――ゆえに恋とは、この世で最も業の深い罪悪の一つ」
禰木が言い終えると、少女は満足げに目を細めた。
「さよう。恋とは人を殺める狂気。余はそれを見過ごすわけにはいかぬ」
そう言いながら、再び、金色の髪の毛先をくるくると指に巻き付けて遊んでいる。
「この土地を平和に収めるのが、余の務め」
「しかし、わたくしは誰にも迷惑など……」
娘が口を開いた。
「愚かな娘よ」
少女は指先から視線をはなし、娘の方を見た。その目に、先ほどまでには見られなかった怒りの色がある。少女はおもむろに、指に巻き付けていた髪をぷつんと抜いた。その髪を黄金色の絨毯の上に放る。瞬きする間に、落ちた一本の髪の毛はふくれあがり、生命を持っているかのように、うねうねと動き始めた。
うねうねと動く髪の毛が娘の足元まで来る。見れば、その髪の毛の先端には蛇の頭がついている。恐怖に身を硬くした娘の喉の奥から、喘ぐような声が漏れた。
「どうか……どうか、それだけは」
哀願するように娘が言った。蛇は今や、人の腕ほどの太さまで膨れ上がり、娘の足元でとぐろを巻いている。壁にひっそりと並んで立っていた小鬼たちは、その様子を見て、なぜかくすくすと笑っている。
「その蛇にかまれたものがどうなるかお前は知っているか」
娘は蒼白な顔で首を振る。
「禰木、お前は知っているか」
「いえ」
「知りたいか?」
「……いえ」
先程から、相変わらず周りの小鬼たちがおかしそうに肩を震わせて笑っている。禰木はなんとも居心地の悪いものを感じた。
「まあよい。蛇の毒でじわじわ苦しむか、蛇に丸呑みにされて一気に終わらせるか、どちらかだ。特別にお前に選ばせてやろう。愚かな娘よ」
娘はただ蒼白な顔で、目を見開いて固まっている。足元の蛇の口からするすると出たり入ったりする赤い舌が娘の足首をなめている。少女は楽しそうにくすくすと笑った。
「愚かな娘は口のきき方を忘れたらしい。禰木、お前はどちらがいいと思う」
「わたしは、どちらでもかまいません」
禰木は目を伏せたままこたえた。少女は、その答えに「なんだ。つまらん」と不愉快そうに言った。少しの間、三者とも口を利かない時が過ぎた。やがて、少女が口を開く。
「どうも面白くなくなった。今回限りは再教育で許してやろう」
それから脇に仕えている小鬼たちに指図をした。
「教育の間へ連れていけ」
その言葉に、娘の目がぱっと輝いた。蒼白だった顔に生気が戻り始める。足元の蛇はするすると、娘を離れ、主の方へと戻っていく。
小鬼の一人が、娘の手に手錠をかけた。それから小鬼に連れられて、娘は扉の方へと歩き始めた。
「そうだ。愚かな娘よ。お前に言い忘れていたことがあった」
呼び止められて、娘は立ち止まり、振り向く。
「余にこのことを通報してきたのは、誰だと思う」
娘はこたえず、戸惑ったような瞳で、少女の言葉の続きを待っている。
「お前の送った恋文を受け取った、肉屋の店主だ」
そう言う、少女の顔にはおかしくて仕方がないというような笑みが浮かんでいた。
「嘘、です」
娘の声が震える。生気が戻った顔から、一気に表情がなくなる。
「まったくめでたい頭だ。他に誰がいる?」
「嘘です。嘘です、嘘です」
「余から報酬の三千金を受け取った時の、満足げな顔と言ったら、なかなか見ものだったぞ」
表情を失った娘の顔に深い絶望が浮かんだかと思うと、その場で、わっと泣き崩れた。禰木はその娘の、あまりの感情の大きさに驚き、思わず一歩後ずさった。
「醜い感情の奴隷よ。あれが恋でなくて何だというのか。なあ、禰木?」
泣きじゃくる娘を、小鬼たちが引っ張るようにして連れていく。後の部屋には、数人の小鬼と《金色に燦き渡る太陽の君》と禰木だけが残された。禰木は彼女の問いかけには答えず、伏し目がちに黙っていた。
「そういえば、お前はこっちの方が好きだったかな」
瞬きをする間に、肘掛椅子から愛らしい子供の姿が消えた。代わりに肘掛椅子に座っているのは、豊満な胸の熟女だった。艶のある黒髪をかきあげ、禰木の方を物憂げに見やった。その口元には妖艶な笑みが浮かんでいる。すらりとした足を組み替え、禰木がどう反応するか見ている。
禰木は瞬きを一度したきり、眉一つ動かさない。熟女の姿をした《金色に燦き渡る太陽の君》は笑った。
「相変わらずお前は不愛想だなあ」
不愛想と言われても全く動じない。愛嬌を見せるような気づかいは全くない。
「お前が笑ったところを見た記憶がない。今度小鬼にくすぐらせてみようか」
禰木はただ目を伏せ、自分が口を開くべき時を待っている。
熟女は、「全く取り付く島もないやつだ」と言って、髪をかきあげていた手を下ろすと、「たいして興味はないが、この前の襲撃の報告でも聞こう」と急につっけんどんな調子になり、言った。
禰木はそこで初めて口を開いた。伏せていた眼を上げた。《金色に燦き渡る太陽の君》の姿は、豊満な胸の美女から、金髪の少女に戻っていた。
「はい。一昨日の、襲撃の件ですが、犯人の一人は拘束しています。他に首謀者がいるはずですが――」
月に数回は発生するような小規模の襲撃事件に関する報告を淡々と続けた。犯人の動機も共犯者もおおよそ見当がついている。都を追われ堕落したものたちが、権力にたてついただけの深い意味のない暴動だ。被害は、城下街のいくつかの商店の戸口が破損したことと、金目のものがいくらか盗まれていたということくらいだった。犯行は夜だったため、負傷者は出ていない。
「対策はちゃんととっているだろうな」
少女の問いに、禰木は答えを用意していたかのようにすらすらと答えた。
「はい。そこの区画は今まで警備が手薄でしたので、夜の見回りとしてしばらくの間小鬼を派遣します。彼らの警備能力には疑問がありますが――」
少女は、興味があるのかないのか、再び髪の毛をくるくると指に巻き付けて遊んでいる。禰木は気にせず続ける。
「被害にあった商店に対しては修繕の手配も済んでいます。盗られた金品に対する相応の賠償をこちらで立て替えていますので、首謀者が見つかり次第、徴収します。また明日は、砂糖の配給をする予定でしたが――」
少女は、相変わらず報告に興味はないようで、金色の髪をぷちんと抜いては床に放っている。禰木は言うべきことを一通り、言い終えると口を閉じた。少女は、報告が終わったことに気が付くと、ふうんと気のない返事をして、自らの金髪で遊ぶのをやめた。
「まあ、お前が好きなようにやるといい。お前は愛想がない代わりに、仕事は嫌味なくらい正確にこなすからな。愛嬌しかないものよりはよっぽど使い勝手がいい」
少女はそう言うと、口元に笑みを浮かべた。可愛らしさよりも毒々しさの勝る笑みだった。禰木は首筋が強張るのを感じた。
少女の頭上では、太陽のお面が依然として異様な輝きを見せている。長い間このお面と対峙していると、魂を吸い取られそうな錯覚を覚える。
そろそろ立ち去っていい頃合いだろうか、と思いつつ、しかしそんな表情は決して出さずに、禰木は口を閉じていた。そうして、用は済んだという言葉を少女が述べるのを待っていた。
少女は、ふいに思い出したように言った。
「そうだ、あの罪穢れのものの様子はどうだ。もうここの牢屋に入れてから三日ほど経つだろう」
禰木は目をしばたいた。もう用は済んだと思っていたから、その問いは予想外だった。
「今日であれが来てから、四日目になります」
「天狗たちをてこずらせていると聞いたが」
「はい、確かに初めの三日間はこちらの食べ物を口に入れることに抵抗していました。……ですが、昨晩から食事をとるようになりましたので、心配はいらないかと。先程も様子を見てきましたが、罪穢れは順調に小さくなっています。あと十日もしないうちに落ちるかと」
「まあ、落ちなければ、蛇の餌にするまでかな」
そう言って、少女は足元でとぐろを巻いている蛇をなでながら、からからと笑った。相変わらず禰木の表情は動かない。黙って目を伏せている。
「これはお前に対する忠告だが」
少女の声が、一段低くなる。その表情には先ほど前のようなふざけた様子はなく、ただ冷ややかな目で禰木を見ていた、。
「罪穢れのものに対しては重々の用心をするように。害のない若い娘に見えるだろうが、うつし世の呪いに憑かれておるのだ。いつ何時おかしなことをしでかすかわからない」
「承知しております」
「お前がここに来る前の話だが、ある囚人の罪穢れが大きくなったために、周りの囚人にも感染して地下牢にいたもの全員処分するような事態になったことがある。そのようなことにならないようにくれぐれも注意するように」
部屋の空気がかすかに緊張する。
「もう行け」と少女に言われて、禰木は一礼すると背を向けた。黄金色の部屋から薄暗い廊下に出ると、緊張が解け、安堵するのを感じた。
禰木は薄暗い廊下をうつむきがちに歩き、地下へと向かっていた。時折すれ違ったものたちが、身体をさっとひいたり、黙礼することに気が付いていたがあまり気にとめなかった。地下牢へと続く階段を急いだ。
た。地下牢へと続く階段を急いだ。
先程までの、《金色に燦き渡る太陽の君》との会話を思い返し、やるべき仕事を頭の中で瞬時に整理する。そして彼自身の中の空虚さと向き合わずに済むように、ただ仕事のことだけを考えた。
「なにか急ぐようなことが、あるのかしら」
声をかけられて、禰木は立ち止まった。見れば、柱に身をもたせた一人の女と、二匹の小鬼が立っていた。女は、顔を大きな獣の頭骨で覆っている。禰木が持っているものと似ているが、それよりも口が大きく、牙が鋭い。
「いえ、特に急いでいるわけではありませんが」
禰木は無表情に答えた。
「あらそう」
「月見さまは、こちらで何を?」
「これから、主のもとに行くところよ。禁書がこれだけ見つかったものだから」
月見と呼ばれた女は頭骨を顔から取り外した。現れたのは、つり目が強い輝きを帯びた美しい顔立ち。
彼女は紐で縛られた十冊ほどの古びた書物を、目線で示した。二匹の小鬼たちが、それらを頭の上に抱えてここまで持ち運んで来たらしい。禰木はそれらの書物――一番上の書物の表紙には、猥褻な裸体が描かれていた――と小鬼たちをちらと見ると、すぐに視線を戻した。
禰木はただでさえ醜い小鬼たちを見るのが嫌いだが、特にこの月見に仕える小鬼たちほど見ていて虫唾が走るものはなかった。以前、城の給仕係から噂を聞いたことがある。この小鬼たちが小鬼になる前に、いったい誰であったのかを。
嫌悪感を表情には出さずに、禰木は涼しい顔を月見に向けた。
「月見さま自ら、地下市場に出向かれたのですか?」
「ええ。時々は、出向いて検閲をするのがわたしたちの仕事でしょう」
月見の瞳がすっと細められる。言外に『あなたがやらないから、わたしがやってあげたのよ』という意味が含まれているのを感じ取る。
「最近、地下市場が少し荒れていることに、あなたは気づきていて?」
「荒れている? 闇市がですか?」
「ええ。今日だけでこれだけ検閲にひっかかる書物が見つかったもの。うつし世のものが以前よりも多く出回っているみたい。当然あなたも気づいているでしょうけれど」
「話には聞いていますが」
実を言うと、禰木はとある理由から地下市場に行くことを控えていた。あの独特な空気を吸うと、近頃妙な気持になる。その気持ちがどういうものなのか、自分でもよく分からないため、とりあえず地下市場に行くことそのものを辞めていた。
禰木は、小鬼の抱える書物を再びちらりと見た。猥褻な裸体が描かれた書物と、もう一つの見えている表紙には『すばらしい新世界』という見出しが見えた。――すばらしい新世界? うつし世の小説か何かだろうか。どうしてだろう。それらの書物を見て、ぱっと心に浮かんだのは、うつし世に対する嫌悪感でもなく、排除しなければという義務感でもなかった。ただ興味が湧いた。――ああいった書物を開けば、うつし世が醜く、恐ろしい場所であったということを思い出せるだろうか。
月見はいぶかしげな眼で禰木を見ている。
「この小鬼たちは驚くほど鼻がきくの。うつし世の匂いはすぐ分る。あなたが地下の市場を見廻りに行くときは、一匹貸してあげましょうか」
「そうですね。――考えておきます」
禰木は、月見の視線にまだ自分を疑っている居心地の悪いものを感じていたが、それには全く気が付いていないふりをして、友好的に微笑んだ。
月見は面白くなさそうに鼻を鳴らすと、小鬼たちに合図をして、禰木に背を向けた。そうして、黄金の間へと続く階段を上っていく。禰木は、ため息を吐くと、月見たちとは逆の方向、地下へと降りていった。




