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白銀の果てに散った星  作者: じろう


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第6話 笑顔の猟犬

安宿の薄い毛布にくるまり、隙間風の音を聞いていた夜のことだ。


Cランクに上がってから、左脇腹の奥に居座る熱は、まるで勝手に広がる根のように感覚を鋭くしていた。

ドクン、ドクン、と不規則に響く、見知らぬ誰かの脈動。この冷たい世界のどこかで、僕たちと同じように重い荷車を引き、泥を掻き出している勇者の共鳴。


目を閉じても、その波長は毛布の下まで届く。

その中の一つ、ひときわ弱々しく波打っていた遠くの脈動が――ふっと、消えた。


蝋燭の火を指先でつまんで消したような、唐突な無音。

左脇腹を押さえる。気のせいじゃない。さっきまで確実にそこにあった熱が、世界の底へ滑り落ちるように消失した。

冷たい汗が背中を伝う。僕は毛布を頭まで被り、ひたすらに朝を待った。


翌朝。ギルドの酒場は、安いエールと濡れた獣皮の匂いが充満していた。


「東の尾根で、また一人死んでたらしいぜ」


パンをかじる僕の耳に、隣のテーブルの男たちの声が飛び込んできた。

ジンは無言で干し肉のスープをすすっている。


「勇者だろ。器にヒビが入って、血を吐いて倒れてたってよ。馬鹿な奴だ、大人しく教会で『抜き管』を穿ってもらえば、あんな苦しまずに済んだのによ」

「これで今月三人目か。吹雪が続くとこれだから嫌んなる」


木の実の入ったパンが、砂のようにパサパサと口の中で崩れた。

左脇腹が微かに粟立つ。

昨夜の、あのふっと消えた感覚。あれは、遠くの誰かの『死』そのものだった。


飲み込めないパンをエールで流し込み、僕は自分の左脇腹をきつく押さえた。

Cランクになって広がった感度。それは遠くの仲間を見つけるためのものじゃない。いつ誰の命の灯火が消えるか、そのカウントダウンを強制的に聞かされるための呪いだ。


それから数日後。

僕たちは、石炭の煙と鉄の匂いが立ち込める中規模の街にいた。


高い防壁に囲まれ、教会の立派な尖塔がそびえ立つ街。

地下水路の氷割りを終え、泥とヘドロにまみれた体で、細い路地裏を歩いていた時だ。


ドンッ、と強い力で肩を引かれた。


「――っ」


声を出しかけた僕の口を、ジンの分厚い手で塞がれる。

そのまま強引に、陽の当たらない路地と建物の隙間へ引きずり込まれた。腐りかけた生ゴミと、澱んだ水たまりのひどい悪臭が鼻を突く。


『息を止めろ』


ジンの隻眼が、そう鋭く語っていた。

彼の体は岩のように硬直している。左脇腹を分厚い外套ごと抱え込むように押さえ、壁の陰に完全に身を潜めていた。


路地の向こうから、足音が近づいてくる。

泥を踏む底辺労働者の足音じゃない。硬い石畳を正確に叩く、上等な革靴の音だ。

同時に、この悪臭の路地には似つかわしくない、甘ったるい香の匂いが漂ってきた。ギルドではなく、教会で嗅ぐあの匂い。


「困りましたね。この辺りで、強い共鳴の反応があったはずなのですが」


柔らかな、とても親切そうな声だった。

壁の隙間からそっと視線を向ける。純白の外套を着た教会の神官が二人、路地を歩いていた。

彼らの手には、かすかに青白い光を放つ、銀色の振り子のような魔導具が握られている。


「ええ。反応の強さからして、内なる器はもう限界(Sランク)に近いはずです。放置すれば、破裂して魔力が暴走してしまう」

「哀れな勇者だ。どこかで痛みに耐えて震えているのでしょう」


神官の振り子が、ゆっくりと僕たちの隠れている路地の入り口へ向いた。

青白い光が、少しだけ強くなる。


――その瞬間、ジンの巨体がビクリと跳ねた。

振り子の光に呼応するように、ジンの左脇腹の奥で魔力が暴れ狂い、皮膚の内側からボコボコと異様な音を立てて外へ出ようと蠢き始めたのだ。

ジンが僕の口を塞ぐ手に、ギリッと血の滲むような力がこもった。


限界に近い器。暴走。それは、ジンのことだ。

教会は、限界を迎える勇者をただ待っているわけじゃない。この街中を、魔導具を使って探し回っているんだ。


「早く見つけて差し上げないと」


神官の一人が、路地の奥へ向かって慈愛に満ちた笑顔を向けた。


「神の恩寵である『聖痕』をお授けすれば、我々があの耐え難い痛みから、すぐにでも楽にして差し上げますよ」


笑顔だった。

本気で、それが救済だと信じ切っている、善意100%の笑顔。


ジンが僕の口を塞ぐ手は、今や小刻みに震えていた。

体内に溜まった魔力を無理やり外へ逃がす、不自然な管。それを自分の肉体に穿たれ、自分という人間の蓄積ごと奪い取られることを、何よりも拒絶するように。


振り子の光が明滅し――やがて、すっと弱まった。


「……おかしいですね。反応が消えました。移動したのでしょうか」

「他を探しましょう。早く救って差し上げなければ」


足音と甘ったるい匂いが、遠ざかっていく。


完全に気配が消えるまで、ジンは動かなかった。

ようやく手が離された時、僕は崩れ落ちそうになる膝を必死に堪えた。背中は冷や汗でぐっしょりと濡れている。


「ジン先輩……あれ……」


かすれた声で尋ねると、ジンは額の脂汗を乱暴に拭い、吐き捨てた。


「……猟犬だ」


路地の出口を睨みつけるジンの隻眼には、かつてないほどの濃い疲労と、焦りがあった。


「あいつらは、器が限界に近い奴から順に『救い』に来る。……長居はできねぇ。街を出るぞ」


その言葉で、僕はこの世界の本当の恐怖を理解した。


大きな街に行けば、あいつらがいる。

だからジンは、常に辺境の小さな集落を回り、吹雪の雪原を歩き続けていたのだ。

でも、逃げ続けるためには、日銭を稼がなければならない。稼ぐためには、ランクに関係なく泥を掻き出し続けなければならない。

そして、仕事をこなせばこなすほど、器には魔力が溜まり、限界が近づき、猟犬たちの標的になる。


その夜。

街を逃げ出した僕たちは、再び雪原の小さな洞穴で身を寄せ合っていた。


ジンは壁に背を預けたまま、浅い呼吸を繰り返している。

僕は毛布を握りしめ、暗闇の中で目を見開いていた。


ドクン、ドクン。

遠くで鳴る誰かの脈動。いつ消えるかもわからない命の音。


――ピキッ。


不意に、微かな音が耳を打った。

遠くの脈動じゃない。すぐ隣の暗闇から聞こえた、分厚いガラスにひびが入るような、硬くて冷たい音。


息を呑んで隣を見る。

ジンは壁に背を預けたまま、浅い呼吸を繰り返している。だが、外套の上から左脇腹を押さえる指の隙間から、氷のような青白い光が、脈打つようにチカチカと漏れ出していた。

今日の昼間、振り子の光に引きずられて魔力が暴れ出したことで、彼の器はいよいよ致命的な限界を超えようとしていたのだ。


雪は音を吸う。でも、この狭い雪洞の中では、その残酷な音がはっきりと聞こえてしまった。


あの柔和な笑顔と、青白い振り子の光が脳裏に焼き付いて離れない。

左脇腹の熱が、今日はずっと重く、鈍く感じた。

長い、眠れない夜だった。

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