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白銀の果てに散った星  作者: じろう


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第2話 凍てつく世界

視界の端から、世界が真っ白に塗りつぶされていく。

雪の重みに沈みゆく意識の中で、ふと、左の脇腹の奥がドクンと跳ねた。


熱い。

幼い頃からたまに感じる、血管の中に炭火を放り込まれたような、ざわざわとした奇妙な熱。それが今、かつてないほどの強さで脈打っている。


これが何なのか、僕にはわからない。

ただ、「誰かがすぐ近くにいる」という確信だけが、凍りついた脳髄にこびりついていた。


雪に埋もれゆく体をわずかに捻る。

猛吹雪の向こう側。見えない誰かに向かって、感覚の消え失せた小さな手を伸ばし――僕の意識は、そこで完全に途切れた。


「チッ……こんな辺境で」


舌打ちの音と、火薬の匂い。

カチ、カチ、と乾いた音が何度か響き、パチッと弾けた小さな火花が、暗闇に赤黄色の輪郭を浮かび上がらせた。


まぶたを持ち上げる。

肺に流れ込んでくる空気が、さっきまでの刃物のような冷気から、土と煙の匂いが混じった微かな温気に変わっている。


「起きたか」


声の主は、分厚い獣皮の外套に身を包んだ大柄な男だった。

見回すと、そこは雪を固めて作られた小さなドーム状の空間だった。魔法の痕跡はない。スコップ一本、己の腕力と極め抜かれた技術だけで、猛吹雪の中にこの完璧な雪洞を掘り抜いたのだ。


男が無骨な木彫りの椀を差し出してくる。

受け取った両手から、煮え滾るような熱が伝わってきた。干し肉の脂が浮いた、塩気のある熱いスープ。

喉の奥へ流し込むと、胃袋が痙攣するように震え、内側から全身の血が解け出す感覚に目の前が滲んだ。


「後で聞くが――」

男が焚き火に薪をくべながら、外套のフードの奥から鋭い隻眼を向けてきた。

「お前、俺が来るの、分かってただろ」


両手で椀を包み込んだまま、僕は目を丸くした。

男は短く鼻を鳴らす。


「まあいい。なんで装備もないガキが、こんな雪原で倒れてたんだ」


空になった椀を置き、僕は震える手で懐を探った。

取り出したのは、体温と雪でしわくちゃになった一通の手紙。


宛先は隣の街。吹雪の中を越えれば、ギルドのDランクスタンプがもらえる。もうすぐ台紙がいっぱいになる。誰かの役に立ちたくて、郵便の仕事を引き受けた。

凍りついた声帯を必死に動かし、掠れた声でそう伝えた。


男の視線が、手紙の宛名と、蝋の半分欠けた雑な封印に落ちる。

わずかに、雪洞の空気が張り詰めた。


焚き火の爆ぜる音が、やけに大きく聞こえる。

男の分厚く傷だらけの指が手紙に伸びかけ――ふと、空中で止まった。

僕が、そのしわくちゃの紙切れを、両手で大事そうに胸に抱え込んでいたからだ。


「……ああ、大事な手紙みたいだな。俺が一緒に届けてやるよ」


外套の奥で、男の口元が微かに歪んだ。


「本当、ですか……? よかった……これで、ちゃんと、届けられます……」

震える声で、僕は何度も小さく頷いた。


不器用な嘘が、白い息と一緒に雪洞の中へ溶けていく。

大人たちが「どうせ雪で行き倒れるだろうが、安いスタンプで引き受けるならいいや」とガキに押し付けた、届かなくても誰も困らない無価値な紙切れ。

その真実を、彼は決して口にしなかった。


外では未だ、狂ったように風が唸っている。


「勇者は、魔力を外に放出する回路を持たねえ」


火の粉を見つめながら、男がぽつりとこぼした。

「教会で『神授の原本』に触れるたび、器の容量だけがバカみたいに広がり、魔力が流れ込んでくる。だが、出口がない。腹の丹田で練られた魔力は、左脇腹の回路に溜まり続けるだけだ。だから俺たちにできる仕事は、底なしの体力に任せたドブさらいか、荷物運びだけだ」


膝を抱える僕の耳に、男の低い声が染み込んでいく。


「溜まりすぎた魔力は、定期的に教会で抜いてもらう必要がある。抜いた魔力は、特権階級の魔法使いや市民の暖炉に注がれる」

「それじゃあ、僕たちはみんなのために――」

「勘のいいやつは気づく」


男の声が、鋭く空気を切った。


「教会は、勇者に長生きしてほしくねえんだよ。高ランクの勇者ほど、一度に大量の魔力を持ってる。さっさと限界までランクを上げて、回収した方が効率がいいからな」


薪がパチンと弾けた。


「容量が広がるほど、器の壁は薄くなる。頑張るほど、早く壊れる」


男の左手が、外套の上から自身の左脇腹を強く押さえていた。

彼は教会へ行かない。搾取されることを拒み、限界まで膨れ上がった魔力をその身に抱え込んだまま、たった一人でこの氷河期を歩き続けている。

その意味の重さを、僕はまだ、半分も理解できていなかった。


翌朝。

吹雪の止んだ真っ白な雪原は、目を刺すような陽光に満ちていた。


「おい、どうすんだよこれ! 魔法使いたちの指が動かねえぞ!」

「荷を捨てろ! このままじゃ凍え死ぬ!」


雪原のくぼ地で、豪華な装飾の馬車が立ち往生していた。

車輪は泥と氷に完全に埋まり、護衛らしきローブ姿の男たちは寒さに唇を紫色にして震えている。商人の怒号が空しく響く。


男が状況を把握しようと目を細めた、その時。


僕はすでに、雪崩れ込むように馬車の車輪に取り付いていた。

素手で雪を掻き分け、ガチガチに凍りついた泥の塊に指を突き立てる。爪の間から血が滲んでも、構わず泥を掻き出した。

後方で、男が息を呑む気配がした。振り返らずともわかる。彼は何も言わずに、僕の横へ歩み寄ってきた。


泥臭い労働。底なしの体力。


「――引くぞ」


男の掛け声とともに、肩に食い込んだ太い麻縄を全力で引く。

左脇腹の奥で、ざわざわとした熱がドクンと跳ねた。けれど、馬車を動かすのはそんな得体の知れない熱などではない。

ただ歯の根を噛み割りそうなほどの意地と、雪を蹴り破る己の腕力だけで、重い車輪を泥濘から引き摺り出した。


馬車が硬い雪原の上に乗り上げる。

商人たちが安堵の息を吐き、へなへなと座り込んだ。


「あー、助かった。ほら、駄賃だ」


商人は懐から適当に掴んだ銅貨を数枚、雪の上に放り投げようとした。

薄汚れた浮浪者と子供に対する、見下したような視線。


ドンッ、と。

空気が重く沈んだ。


男が一歩前に出ただけだった。胸ぐらを掴むわけでも、武器を抜くわけでもない。ただ、長年の雪中行軍で研ぎ澄まされた、獣のような鋭い眼光が商人を射抜いた。

放り投げられそうになった銅貨を持ったまま、商人の顔から血の気が引く。


「俺たちは底辺だ。……だから、約束だけは守る」


地の底から響くような声。

「対価はきっちり払ってもらうぜ」


商人は慌てて銀貨を取り出し、震える手で男に押し付けた。

泥だらけの手をズボンで拭いながら、僕はその横顔をじっと見つめていた。ただの一言で、誰にも媚びず、誰にも舐められない。その揺るがない生き様が、真っ白な雪原よりも鮮烈に、僕の胸に焼き付いていた。


「お前みたいな危なっかしいチビ、放っておいたら三日でまた雪に埋もれるぞ」


受け取った銀貨を放り投げながら、男が背を向けたまま言った。

それは、同行を許す不器用な合図だった。


「あの」

駆け寄りながら、気になっていたことを口にする。

「さっきの、ざわざわした感じ。それが勇者の共鳴だ。同じ器を持つやつが近づくと、鳴る」


男は前を向いたまま、淡々と答えた。


「じゃあ、昨日の夜……僕が倒れた時、あなたも感じてたんですか?」


立ち止まった男の背中。

凍てつく風が、二人の間を吹き抜ける。


「……ああ」


短くそれだけを言うと、男は再び歩き出した。

数歩進んで――背中越しに、ぶっきらぼうに声が落ちてきた。


「……ジンだ」


それだけだった。


「はいっ! 僕はルカです!」


嬉しくなって、僕は雪を蹴り上げながら彼の少し前へ駆け出した。

冷たい風も、泥だらけの指の痛みも、今は不思議と気にならなかった。


――僕が前を向いて歩き出した、その後ろで。


先輩が足を止め、深く息を吐き出したことなど、僕は知らなかった。

分厚い外套の下。限界まで魔力を溜め込んだ彼の左脇腹――肋骨の際あたりが、ほんの一瞬、氷のような青白い光を放ったことを。

誰にも見えないその光は、眩しい雪原の白さに溶け込むように、すぐに消えた。


重い息が白く散る。

大きさの違う二つの足跡が、どこまでも続く真っ白な雪原へと並んで伸びていった。

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