02 異世界で料理した
俺は約束通り漁師の家に来て、今は素朴な木のテーブルの上に並んだ魚をじっと見つめていた。
今朝、漁師の旦那が引き上げてきたばかりの鮮魚だ。
銀色に輝く鱗はまだ瑞々しく、瞳には生気が残っている。
異世界の海で獲れる魚は、地球のそれと似てるものが多い。
なので基本的に火を通して味付けすれば美味しくなるはず。問題は、どう美味しくするかだった。
「……リオ……君? 本当にいいのかい? そんなに無理せんでも」
心配そうに声をかけてくるのは、この家のおかみさんだ。
日焼けした顔の二十代くらいの女性で手は海仕事で荒れ気味である。
それでも、家から勘当され、海で死にかけていた自分を家に呼んでくれた温かい人だ。
「大丈夫。……少し、恩返しをさせてほしい」
「そ、そうかい?」
シルクのシャツなんか着てる貴族だったから、料理なんか無理だと思ってるんだろう。さもありなん。
貴族らしい攻撃魔法のスキルも持たぬがゆえに、家族から「無能」と烙印を押され、追放された。絶望のあまり海に身を投げ……そして、死の淵で前世の記憶が蘇った。
だが、今の俺には『スキル・仕入れ』があった。
麻袋に入れてきたのは塩、醤油、みりん、料理酒、砂糖、酢……。
「これで……よしっと」
俺は袋から必要な調味料を次々と取り出した。
小さなガラス瓶が素朴な木製のテーブルの上に並べられた。
見慣れぬラベルの文字におかみさんが目を丸くする。
「なんなのそれは……?」
「ただの調味料だけど、地球……いえ、異国のものだから」
俺は説明を適当に濁した。恩人とはいえスキルの全てを今の段階で開示するのはリスキーだと思った。見た目はまだ十二歳の少年でも、中身は三十八歳で死んだ元ホストだ。
多少は人間というものを警戒する。
そしてこの家の台所設備は、中世ヨーロッパのそれと大差ない。石造りのかまど。薪をくべて火を熾す。
鍋は鋳鉄製で重い。まな板は木の一枚板。年季の入った包丁。
俺は袖をまくり上げた。
「まず、魚を三枚に下ろします」
手が動く。前世で料理番組を見漁り、休日に一人で作っていた経験が、意外なほど体に染みついていた。
うろこを丁寧に引き、腹を開いて内臓を出す。血合いを流水で洗い流す。骨を丁寧に外し、綺麗なフィレにする。
「へえ……貴族の坊っちゃんが、こんなに手慣れたもんかね」
旦那が後ろから覗き込んで感心した声を上げる。
「実はうちは元貴族とはいえ、没落気味で使用人も少なく、料理は趣味な事もあり、少し得意だったんです」
「お貴族様も大変なんだねえ」
すまん。没落気味の貴族だったから料理してたってのは嘘である。実は料理スキルは前世の記憶由来のものだ。
俺はアフターで女性客に手料理を振る舞って胃袋から掴んでいた一風変わったホストをやってたんだ。
──まあ、それはさておき、俺は次にかまどの火を調節する。
薪を足し、炎を安定させる。鍋に少量の油——この家にあった獣脂を使い、まず魚の皮目をカリッと焼く。ジュウッ、といういい音が狭い台所に響いた。
「あ、いい匂い……」
おかみさんが思わず呟く。
俺はここで『スキル仕入れ』から取り出した醤油を少し垂らす。続いてみりん、砂糖をごく少量。塩で味を整え、最後にほんの一滴、酢を加えてキレを出す。
地球産の調味料は、この異世界では規格外の破壊力を持っていた。
鍋の中で醤油が照りを帯び、魚の表面が艶やかな飴色に変わる。香ばしい甘辛い匂いが、家中に充満する。
「……っ」
おかみさんの喉が鳴ったのが聞こえた。
俺は魚を一度取り出し、同じ鍋で余熱を利用して簡単なタレを煮詰める。焦げ付かないよう、木べらで丁寧にかき混ぜる。
「あとは、少しだけ蒸らす……」
魚を再度鍋に戻し、蓋をして弱火で数分。
薪の燃え方を見ながら、火加減を微調整する。中世の設備では温度計などない。全ては勘と経験だ。だが、俺の手は止まらなかった。
やがて、蓋を開ける。
湯気が立ち上り、濃厚な照り焼きの香りが爆発した。
「できた……と思う」
俺は取り出した魚を、木の皿に丁寧に盛り付ける。皮はパリッと、中はふっくら。表面には醤油の照りが美しく光り、俺的にはいかにも食欲をそそる見た目になってる。
「どうぞ」
旦那とおかみさんが、恐る恐るナイフと木の匙とフォークを手に取る。
一口。
次の瞬間、二人の動きが止まった。
「……これは……」
おかみさんの目が潤む。
「何? この味は……甘く、深く、濃くて、魚の旨みが……全部出てる!」
旦那は言葉を失ったまま、無言で二口目、三口目と運び続ける。
普段は塩を振って焼くか、煮込むだけの魚が、こんなに劇的に変わるなど、想像だにしなかったのだろう。
俺は口角を上げた。
女を落とす為に磨いた料理の腕、ジゴロの才能が異世界の粗末な漁師小屋で、命の恩人のために炸裂するとはな。
「お味は?」
俺が聞くと、おかみさんは何度も頷いた。
「おいしい……こんなにおいしいもの、初めて……。リオ君、あんた実は貴族に仕えていた料理人の倅じゃないの?」
「いいや、今はただの……リオ」
そう答えて、俺は自分の分も少しだけ口に運んだ。
醤油の香りが鼻をくすぐり、甘みと塩気が舌の上で溶け合う。魚の脂がまろやかに広がり、最後にみりんのほのかな香りが残る。
——ああ、生きててよかった。
地球産の調味料と料理の腕だけで、小さな恩返しを果たせたし。
そしてその夜、漁師夫婦は初めて知る「本当に美味しい魚料理」の味に、何度も舌鼓を打ったのだった。




