11 元日本人の魂
山中の細道は、両側を切り立った岩壁と深い緑に挟まれ、馬の蹄や荷馬車の車輪が立てる音さえも、湿った空気に吸い込まれていくようだった。
俺含む旅芸人一座は、貴族の輿入れ行列の後方を、適度な距離を保って進んでいた。前方では、子爵令嬢エレノア・ステレーノ・エルメリンスの輿を中心に、約二十名の騎士たちが護衛の陣を敷いている。
不意に、馬で先行していた騎士の一人が、突然手を挙げて叫んだ。
「止まれ! 抜剣!」
にわかに周囲が騒がしくなる。
騎士たちが次々と剣を抜き、馬を寄せて令嬢の馬車を囲む。
荷馬車の中で大きな麻袋を覗き込み、こっそりスキルで舞茸などの便利キノコを仕入れていた俺も、顔を出して前方を見た。
岩陰から、ゆっくりと姿を現したのは、巨大な甲羅を持つ魔獣だった。
背中は灰色がかった硬い殻で覆われ、四肢は太く短い。まるでアルマジロを大きくしたような姿。しかも一匹ではない。三匹、四匹と、続いて姿を現し、行列を取り囲むように動き始めた。
「なんだ、こいつ! 硬い!」
最初に斬りかかった騎士の剣が、甲羅に弾かれて火花を散らす。
「こんな魔獣、うちの子爵領にはいなかったぞ!」
別の騎士が盾で体当たりを試みるが、殻の重みに押し返されるばかりだった。
俺は、十二歳まで貴族の屋敷で過ごした日々を思い出した。十歳の誕生日に貰った魔物図鑑を、繰り返し読んだ記憶が蘇る。他所のエルメリンス子爵領から輿入れに向かう一行なら、ロドルフォース伯爵領に棲む魔獣を知らなくても仕方ない。
「マジーロは腹が柔いです! ひっくり返すか、土魔法で大地の槍を!!」
荷馬車から顔を出したライの声が、山中に響いた。
先頭に立っていたフリュデン・イエールロが、その言葉に即座に反応する。
「聞け! 腹を狙え! 土魔法使い、大地の槍を使え!」
ベンジャミン・シーグヴァルドが馬を駆けさせ、味方に号令を飛ばす。
「後ろから突け! 転がせ!」
騎士たちが動きを変える。
数名が同時に盾で押し、別の者が足元を狙い、甲羅の隙間から力を加えてひっくり返す。
重い体が仰向けになると、マジーロは短い四肢をバタバタと動かすばかりで、腹部の柔らかい部分が露わになった。
「そこだ!」
剣が腹に深く刺さる。同時に、土魔法を使える騎士が地面に杖を突き立て、鋭い岩の槍を大地から突き上げた。槍は防御の薄い腹部を貫き、魔獣の動きを止める。
残るマジーロも次々と同じ方法で制圧されていった。硬い背中側の殻は確かに脅威だったが、一度仕組みを理解すれば、騎士たちの連携の前に長くは持たなかった。
最後の一体が倒れたとき、山中に一瞬の静寂が訪れた。
フリュデンが剣を振り払い、俺の方を振り返る。
「……助かった。お前の知識がなければ、無駄に傷を負っていたところだ」
俺は軽く頭を下げた。平民は高価な本を読む機会はないので適当に嘘をつく。
「昔この地の傭兵に聞いた事があるだけです」
「そうか」
エレノアが輿のカーテンを少し開け、心配そうな顔を覗かせると、侍女のリースラが
「ご安心ください、もう安全です」と声をかけた。
倒したマジーロは四体。騎士達はマジーロの死体を道の端に避けて捨ておこうとしていた。もったいない精神と美味い食材に目がない元日本人の魂がそれを見過ごせなかった。俺は荷馬車を降り、騎士に声をかけた。
「騎士様! その魔獣、食べられます! 要らないならください!」
「お、おお、こんなものが欲しいのか、かまわないぞ」
「ありがとうございます!」
「じゃあ肉を取り出してやろう」
騎士たちが甲羅を割り、肉を取り出す作業を始めた。俺は一座の仲間と共に荷馬車から調理道具を下ろし、近くの水場で手を清める。
「魔獣とて野生のものです。寄生虫のいる危険性が……いえ、生食は危険ですので魔獣肉はしっかり火を通します」
俺がそう言うと、ベンジャミンが頷いた。
「その通りだ。生で食うなど論外。十分に加熱する」
騎士たちが切り取ったマジーロの肉は、脂肪が驚くほど少なかった。色は淡い赤みを帯び、臭みはほとんど感じられない。
俺はそれを細かく切り分け、千切った舞茸と料理酒を加えて、しばらく漬け込んだ。
舞茸には肉を柔らかくする作用があるし、その上美味いからちょうどいい。
水と山で採った香草、わずかな塩を加えてじっくりと煮込んだ。別の鍋では、大きめの塊を串に刺し、焚き火の上でゆっくりとローストする。
表面がこんがりと焼き色を帯びるまで、何度も返しながら火を通した。
煮込み始めてから小一時間が経った頃、鍋から芳醇な香りが立ち上る。
マジーロの肉は、煮込むうちに柔らかくなり、しっかりとした旨味とほのかな甘みをスープに溶かし出していた。騎士の一人が慎重に一口食べ、目を見開いた。
「……これは。淡白な鶏肉と、ウサギ肉の中間のような……」
ベンジャミンも味見をして頷く。
「クセがない。豚肉のコクと鶏肉の軽さを併せ持っているな。煮込みもローストも、どちらも美味しい」
フリュデンが肉をほぐしながら言った。
「脂肪が少ないのに、しっかりした味だ。腹が膨れる」
俺は自分の取り分を口に運び、静かに咀嚼した。火を十分に通したおかげで、食感は柔らかく、噛むたびに甘みのある旨味が広がる。
臭みは皆無で、山中の簡易的な調味だけでも十分に美味しかった。
エレノアにも、侍女のリースラを通じて少しばかり取り分けられた。令嬢は慎重に口をつけ、驚いたように目を細めた。
「こんな山中で、珍しいものが食べられるなんて……しかも美味しい……」
騎士たちも、残った肉を残さず食べ尽くした。
二十名近くの騎士と、旅芸人一座の面々が、焚き火の周りに座って温かい煮込みとローストを分け合う光景は、つい先ほどの緊張を忘れさせるほど穏やかだった。
「マジーロの肉は、こうして火を通せば安全で、しかも旨いのです」
俺が小さく呟くと、フリュデンが杯を掲げた。と言っても令嬢警護中の彼らの杯の中身はぶどうジュースだった。
「今日はお前のおかげで、飯まで美味しくなった。礼を言う」
夜風が山を渡り、焚き火の炎が揺れる。倒した魔獣の甲羅は、後で何かに使えるかと一座の者が拾い集め、荷馬車に積まれた。
一行は、腹を満たした後、再び道を進み始めた。山越えの道はまだ続くが、少なくとも今夜は、温かく美味い食事で活力を得て、先へ向かうことができた。




