第24話 遏制
最初の配送を終えてからの二日間、林瓶は比較的平穏に過ごしていた。誰にも難癖をつけられることもなく、行く手を阻まれることもない。宋明遠ですら、外門の食堂の近くには姿を見せなかった。
二日後、林瓶は輔薬を受け取りに丹霞峰へ向かった。蘇晴は丹房の奥で待っていた。以前より、いくらか表情が柔らいでいる。完全に安心したわけではないのだろう。それでも少なくとも、悪い知らせはまだ届いていない。そんな束の間の安堵が見て取れた。
蘇晴は薬包を渡しながら、声を潜めて言った。
「宗主が、顧長老に化霊丹の薬材の出入りを自ら監視させるよう命じられたわ。宋明遠はもう『丹薬の状況を確認する』なんて名目で、記録を覗き見ることはできない」
林瓶の手が一瞬止まる。顧青煙――丹器長老であり、蘇晴の師でもある。長老議事では常に沈黙を守り、淡々と丹薬と薬材だけを扱ってきた、あの冷ややかな長老だ。その人物が宗門の内情に踏み込む。しかも、化霊丹の薬材監視を自ら引き受けるという。それは、この件が最優先事項として扱われた証でもあった。
蘇晴の声には、抑えきれない喜びが、声の端に滲んでいた。
「あなたの言った通りね。宗主が動いてくださったわ」
林瓶は頷き、薬包を布袋にしまって紐を結ぶ。だが、蘇晴ほど楽観はできない。
宗主が宋明遠の薬材記録への接触を断ったのは、たしかに有効な抑え込みだ。伝功長老・李承道の配下は、もはや記録を漁って化霊丹の調合や使用量を探ることはできない。「状況確認」という口実で丹霞峰に入り込むことも難しくなった。その一手は的確で、無駄がない。
けれど、伝功長老・李承道がこのまま引き下がるとは思えない。
あの性格と一派のやり口を思えば、宗主が一つ道を塞げば、必ず別の抜け道を探してくる。そして、もっとも手をつけやすい「穴」はどこか。新任の配送役――林瓶自身にほかならない。
林瓶は布袋を腰に結び、蘇晴に別れを告げて丹房を後にした。
――
二日後、その予感は当たった。
その日の夕刻、林瓶が外門の食堂を出るころには、空はすでに闇に呑まれかけていた。深秋の日暮れは早い。西の空には、暗紅色の残光が細長い傷跡のように横たわっているだけだった。太陽はとっくに山の稜線の向こうへ沈んでいる。食堂前の広場にも人影はまばらで、大半の弟子はもう寮へ戻っていた。
林瓶が院門をくぐったとき、正面に二人の男が立っていた。
執法弟子だ。秦岳でも柳絮でもない。見覚えのない顔だった。一人は背が高く、もう一人は小柄。どちらも濃藍色の執法短袍をまとい、腰には執法令牌を下げている。長身の男は院門の左脇に、小柄な男は右脇に立っていた。まるで林瓶が出てくる時刻を見計らい、先回りして待っていたかのようだ。
林瓶の姿を認めると、長身の執法弟子が一歩前に出た。口調は丁寧だが、声には感情がまるでない。
「林師弟。すまないが、同行願いたい。いくつか確認したいことがある」
「協力してほしい」ではない。「同行願いたい」。
断りを許さない響きだった。
鼓動が一瞬、鋭く脈打つ。それでも林瓶は表情を変えず、静かに頷いた。
「分かりました」
用向きは尋ねなかった。聞いたところで答えは返ってこない。林瓶はただ二人の後について、薄暗い広場を横切り、鎮獄峰へ足を向けた。道行く人影は少ない。たまに誰かとすれ違っても、こちらをひと目見るなり、すぐに視線を逸らして足早に去っていった。
鎮獄峰は、林瓶が想像していたよりずっと質素だった。弘武峰の蔵経楼のような品格もなければ、丹霞峰のような薬の匂いもない。ただ灰色の煉瓦造りの建物がいくつか、山腹に整然と並んでいるだけだ。まるで規律そのものを積み上げたような場所だった。庭の地面は青煉瓦で敷き詰められ、清潔ではあるがどこか古びている。隙間からは枯れ草の根がのぞいていた。廊下にはすでに灯籠がともり、橙色の光が夕風に揺れて、人影を長く引き延ばしている。
二人の執法弟子は、林瓶を廊下の突き当たりにある小部屋へ連れていった。部屋は狭い。机が一つ、椅子が二つ、小さな窓があるだけだ。窓の外では夜の帳が下りかけ、室内にはかすかな灰色の光が差し込んでいる。壁には飾りひとつなく、机の上も空だった。まるで「待たせること」だけを目的にしたような空間だった。
長身の執法弟子が椅子を指した。
「座れ」
林瓶は言われた通り腰を下ろす。
逃げ道をふさぐ配置だった。林瓶は、その立ち位置が実によく計算されていることに気づく。入口と机を結ぶ線をぴたりと押さえていて、もし椅子から飛び出そうとしても、立ち上がった瞬間に相手を回り込まなければならない。
長身の執法弟子は、すぐには口を開かなかった。まず腰の令牌を外して机に置く。次に袖から短い炭筆と一枚の紙を取り出し、ゆっくりと広げた。その一つ一つの動きが、やけに遅い。取り調べの支度をわざと細かく見せつけ、圧をかけているのだ。
準備を終えると、男は顔を上げた。林瓶を射抜くように見据え、口を開く。
「最近、玄女峰に薬を届けているそうだな」
「はい。内務長老の指示で、薬材を配送しております」
「配送令牌は誰から受け取った」
「内務の倉庫です」
「いつからだ」
「二日前からです」
執法弟子は、その答えを一字ずつ紙に書きつけていった。筆の動きは遅い。書き終えると再び顔を上げ、次の問いを投げる。
「以前は聚霊谷の雑役だったな」
「はい」
「今年、外門に昇格したばかりか」
「はい」
「昇格の前――謝長老に推薦された理由は何だ」
林瓶の答えは変わらず簡潔だった。余計な言葉は添えない。
「仕入れの鑑定と、器物の修繕です」
執法弟子は書き終えると、紙を持ち上げて軽く息を吹きかけた。ざっと目を通し、それを机に置く。それから林瓶をひと目見た。表情のわずかな揺らぎを探っているのだろう。だが、林瓶の顔に浮かんでいるのは静かな平静だけだった。
しかし執法弟子は、まだ次の問いを残していた。最後の確認とばかりに、顔を上げ、声を一段落として言う。
「それからもう一つ。唐執事以外の者と接触した覚えはあるか」
その瞬間、林瓶の動きが止まった。
わずかに背筋を正し、ゆっくりと顔を上げる。
そして、ほんの一拍置いてから口を開いた。
「私は何者でしょうか」
静かな声だった。
「ただ、玄女峰へ薬を届けるだけの者です。唐執事に渡し、それで終わりです」
口元に、わずかな弧が浮かぶ。
だが、それは笑みというよりも、境界を引く線のようだった。
執法弟子はそれ以上、追及しなかった。林瓶が答えないことを悟ったのだろう。
男は紙を折りたたんで懐にしまい、立ち上がった。
「以上だ」
林瓶も立ち上がり、背を向けて出口へ向かう。入口まで来ると、小柄な執法弟子が脇へ一歩退き、道を空けた。
だが林瓶は、すぐには出ていかなかった。
入口で足を止め、振り返って長身の執法弟子を見る。男はすでに炭筆と紙を袖にしまい、机の上の令牌を腰に掛け直しているところだった。室内には、小窓から差し込むわずかな残光しかない。橙色の光が、何もない机の上をひっそり照らしていた。
男は顔を上げ、林瓶がまだ入口に立っているのを見て、短く言った。
「行け」
林瓶は余計なことは聞かず、背を向けて廊下へ出た。
――
外門の宿舎へ続く道を歩く。空はほとんど闇に覆われ、西の地平に暗紫色の光がかすかににじんでいるだけだった。道端の灯籠が一つ、また一つと灯り、曲がりくねった山道に沿って、夜の中へぼんやりと光の輪を落としている。
さっきの尋問を頭の中でなぞる。聞かれたのは、どれも事実確認にすぎない。いつから、誰の指示で、何を運んでいるのか。誘導もなければ、罠めいた問いもなかった。表向きには、ごく日常的な調査に見える。
だが、ただの調査で済むはずがない。
あの二人は見知らぬ顔だった。時刻は夕暮れ。わざわざ鎮獄峰の小部屋まで連れていき、尋問が終わると何の説明もなく解放した。これは鎮獄峰の威を借りた牽制だ。
誰かがお前を見ている。
そう無言で告げるための。
寮に戻るころには、空はすっかり暮れていた。張遠の姿はなく、部屋にも灯りはない。林瓶は寝台の端に腰を下ろし、今夜の一件を静かに思い返す。やがて立ち上がり、扉を押して外へ出た。弘武峰の方へ向かうつもりだった。ここ数日、夜になると決まってある場所まで足を運んでいる。そこまで行けば、宋明遠がいるかどうかを確かめられる。
だが、途中で足を止めることになった。
弘武峰の麓にある分岐点――ここ数日、林瓶が夜ごと様子を見に来ていた場所に、真新しい立て札が立っていた。小ぶりな木札には、白地に黒々とこう記されている。
「夜間通行禁止――執法峰の命により」
脇には一人の執法弟子が腕を組んで立っていた。そばの枝に掛けられた灯籠の火が、夜風に揺れている。
立て札の端の糊は、まだ乾ききっていなかった。月の光を受けて、濡れたように光っている。
林瓶は暗がりに立ったまま、それ以上進まなかった。執法弟子はまだこちらに気づいていない。道から十数歩離れた、老いた槐の木の陰に身を潜めていたからだ。林瓶は札の文字をしっかり確認し、見張りの弟子を一度だけ見た。そして踵を返し、来た道を戻る。
寮に戻って扉を閉めると、林瓶は暗闇の中で長いこと座り続けた。
すでに自分は、盤上の誰の目にも明らかな「駒」になっていた。
林瓶は立ち上がり、窓辺に寄って、窓を少しだけ開けた。隙間から吹き込む夜風は冷たく、乾いていて、頬を刺す。玄女峰の方角を見やっても、そこには重たく沈んだ闇が広がるばかりだ。
だが、林瓶は知っている。彼女はあそこにいる。
次の配送のとき、玄霜の窓辺にあの花がまだ残っているか。
それを確かめよう。




