第22話 配送人
林瓶は雲霞峰を下りると、寮には戻らず、そのまま聚霊谷へ向かった。
謝臨平は煉瓦造りの部屋で、古い帳簿をめくっていた。手元では、淹れたての茶が湯気を立てている。林瓶が入ってくるのを見ると、帳簿を閉じ、視線を林瓶の袖口に落とした。そこは令牌の形にふくらんでいた。
「手続きは済んだか」
林瓶は袖から令牌を取り出し、机の上に置いた。
謝臨平はそれを手に取り、一目見てうなずいた。余計なことは尋ねない。机の引き出しから、白紙の記録簿を一冊と、小さな印を取り出し、林瓶の前へ差し出した。
「配送はすべて記録しろ。どこへ、何を、誰が受け取ったか――月末の照合に使う」
林瓶は記録簿と印を受け取った。印は木製で、底には林瓶の名が刻まれていた。外門弟子の番号ではなく、名前だ。つまり、聚霊峰の帳簿に独立した口座を持ったということになる。もう臨時の使い走りではない。
「令牌の印はどの峰でも通る。鎮獄峰へ行く必要はない。玄女峰の配送に、鎮獄峰の承認はいらんからな。丹霞峰へ行って蘇晴と話をつけてこい。最初の配送リストは、午後に寮へ届けさせる」
林瓶はうなずいた。記録帳と印をしまい、令牌を袖の内側に戻す。立ち上がって出口へ向かいかけたとき、背後から謝臨平の声が飛んだ。
「玄女峰に上がったら、唐執事の様子を見ておけ」
「十年だ」
謝臨平は帳簿をめくったまま言った。
「人は十年も同じ場所にいれば、少しずつ変わる」
林瓶はその言葉を胸にとどめ、部屋を後にした。
――
食堂で昼食を取っていると、何度か視線が自分をかすめるのに気づいた。敵意ではない。好奇心だ。配送令牌を手に入れたという話が、もう聚霊峰に広まっているらしい。外門弟子が単独で配送の権限を持つのは珍しい。いつもより長く視線を向けてくる者が何人もいた。
林瓶は気にしなかった。飯をよそい、壁際の席に座ると、黙々と箸を動かした。
食べている途中で、向かいに誰かが腰を下ろした。
林瓶は顔を上げる。
宋明遠だった。椀を手にし、あの柔らかな笑みを浮かべている。月白色の長袍が食堂の灯りを受けてやわらかく光り、周囲の粗末な法袍をまとった外門弟子たちとは、はっきり対照をなしていた。
「林師弟。玄女峰の配送を引き受けたそうだな。おめでとう。いい役目だ」
林瓶はおかずをひと口運んだ。「謝臨平長老の手配です。私はただの使い走りにすぎません」
「使い走りでも、機会は機会だ」宋明遠の笑みは崩れない。「玄女峰はずっと配送の手が足りなかった。お前が選ばれたのは、内務長老に信頼されている証だよ」
林瓶は答えず、汁をひと口すすった。
宋明遠は間を置きすぎなかった。自分の椀を口元へ運び、それを置くと、何気ない調子で尋ねる。
「峰に上がったとき、玄祈使には会ったか?」
林瓶の箸が、碗の縁でほんの一瞬止まった。あまりにも短く、誰にも気づかれないほどの間だった。
「まだ上がっていません。今日、令牌を受け取ったばかりです。配送は明日から始めます」
「なら、そのうち慣れるだろう」宋明遠は笑って椀を持ち上げ、そのまま立ち上がった。「頑張れよ」
長居はしなかった。椀を手にしたまま、食堂の人波の中へ消えていく。
林瓶はその背中を見送った。
あの問いだけが、胸の内に残る。
――峰に上がったとき、玄祈使には会ったか。
林瓶は残りの飯を食べ終え、箸を置いた。受け答えに綻びはなかったはずだ。
――まだ上がっていません。
それは事実だ。宋明遠はその答えを聞くと、「なら、そのうち慣れるだろう」とだけ言って去った。それ以上は追及せず、探りも入れてこなかった。だが、あの笑顔の下に何が隠れているのか。林瓶にははっきり感じ取れていた。
――
林瓶は食堂を出ると、丹霞峰へ向かった。
午後の丹霞峰は、朝より薬の匂いが薄い。陽の光が薬草畑を照らし、地を這うように広がる青い葉が鈍く光っている。蘇晴の姿は丹房の入口にはなかった。建物の脇へ回ると、陶器の壺の前にしゃがみ込み、小さな鏝で何かを掘り返していた。
「蘇晴」
蘇晴は顔を上げた。鏝を置いて立ち上がり、手についた土を払う。
「また来たのか。昨日も来たばかりだろう」
「これからは、もっと頻繁に来ることになりそうだ」
林瓶は袖から令牌を取り出し、蘇晴に見せた。
蘇晴の視線が令牌に落ち、そこでぴたりと止まる。それから顔を上げ、林瓶を見た。もう一度、目の前の相手を見定めるような眼差しだった。
「お前……玄女峰の配送令牌を取ったのか?」
「ああ」
蘇晴はしばらく黙っていた。どうやって手に入れたのか。誰が与えたのか。なぜなのか。何も聞かない。もう察しているのだろう。蘇晴は鏝を壁に立てかけ、手の泥を落とすと、丹房の中へ入った。林瓶もその後に続く。
蘇晴は棚から陶器の壺を二つ下ろし、机の上に置いて蓋を開けた。中身を確かめ、それから筆を取って紙に数行書きつける。
「初回の配送分だ。化霊丹十八顆――これが今月の量だ。明日届けろ。それから静気散の補助材料を一包。絞股藍と茯苓だ。唐執事が前から欲しがってた」
書き終えると、その紙を差し出した。
「このリストを持って聚霊峰の倉庫へ行け。薬材はこっちで出す。でも炭火と食材は、聚霊峰の倉庫から回してもらえ」
林瓶はリストを受け取り、折って懐にしまった。
蘇晴は机の端にもたれ、林瓶がそれをしまうのを見ながら、ふいに言った。
「林瓶。お前、ここ数日で少し変わったな」
「どこがだ?」
「うまく言えないけどさ」蘇晴は首をかしげ、言葉を探すように続けた。「前は、何かあればまず考えて、納得してから動いてた。今は、やることを先に決めて、それから考えてる感じがする」
そして小声でつぶやく。
「玄祈使って、そんなに魅力的なのかい?」
その言葉に、林瓶は一瞬だけ意表を突かれた。答えなかった。自分でも分からなかったからだ。
蘇晴も深追いはしなかった。振り返って鏝を手に取ると、丹房の外へ出ていく。そしてまた、陶器の壺を掘り返し始めた。
林瓶は丹房の中に立ったまま、しばらく動かなかった。手にはまだリストがある。蘇晴の言葉が頭の中で繰り返される。
林瓶は丹房を出た。秋の陽が薬草畑を照らしている。そこで一度足を止め、懐からリストを取り出して、もう一度目を通した。
化霊丹十八顆。明日、届ける。
林瓶は紙を折りたたみ、懐へ戻した。
玄女峰へ続く石橋が、脳裏に浮かぶ。
明日からは、あの橋を堂々と渡れる。
林瓶は歩き出した。




