第20話 呼出
二日が過ぎても、宗主からは何の音沙汰もなかった。林瓶は焦らなかった。考える時間が必要なのだろう。
だがその一方で、猶予の一週間のあいだにも、伝功長老の側は着々と動いている。宋明遠は毎朝決まった時刻に玄女峰へ向かい、一刻ほどすると軽い足取りで戻ってくる。化霊丹の献上数も、いまだ増え続けていた。
林瓶は、ただ待つのをやめた。
――
四日目の朝。林瓶は弘武峰の交差点には向かわず、食堂へ足を運んだ。
入口に近く、それでいて目立ちすぎない、ちょうどいい位置の席を取る。
食堂には、すでに人が増え始めていた。外門の弟子たちが次々と入ってきては、思い思いの席に着いていく。林瓶は粥をすすりながら、さりげなく周囲を見渡した。
食事に来る弟子たちは、いくつかの集まりに分かれている。小蔡たち聚霊谷の雑役は、うつむいたまま飯をかき込み、食べ終えると早々に出ていく。窓際の席を占めているのは薬園の者たちだ。今日は張遠の姿は見えない。
そして厨房の入口近くには、薄灰色の法袍をまとった弟子が数人座っていた。腰帯には、弘武峰の証である銅色の雲紋。彼らは声を潜めて談笑している。
林瓶は粥を飲み干すと、碗を持って厨房へ向かい、おかわりを頼んだ。
それから元の席には戻らず、ごく自然な動きで弘武峰の弟子たちの隣に腰を下ろす。碗を置き、何気ない調子で声をかけた。
「おはようございます」
三人がいっせいに顔を上げた。
そのうちの一人、三十前後の、四角い顔で肩幅の広い男が林瓶をじっと見る。見覚えのない顔だったが、露骨に追い払おうという気配はない。
「お前、どこの峰の者だ」
「聚霊谷です。つい先日、外門に上がったばかりでして」
林瓶は漬物を箸でつまみ、気さくに答えた。
「前は聚霊谷で雑役をしていました。こっちには来たばかりなんです」
「聚霊谷出身か」
痩せた弟子が口を挟む。
「なら、どうしてここに座った?」
「ここが一番出入りしやすそうでしたので」
林瓶はそう言い、さらに何気なく続けた。
「それに席もだいぶ埋まっていますし、少し詰めさせてもらえればと」
四角い顔の男は答えず、黙々と飯を食べ続けた。
林瓶は焦らない。ゆっくり粥をすすりながら、三人の会話に耳を傾ける。
――
三人が話していたのは、蔵経楼のことだった。
四角い顔の男によれば、三階に新しい功法の注釈書が収められたものの、貸し出しは順番待ちになっているらしい。痩せた弟子が「二階の目録すらまだ読み切れていないのに」とぼやくと、三人目の丸顔の若い弟子――二十五、六ほどだろうか――が口を開いた。
「蔵経楼の蔵書が増えたところで、どうにもならんさ。伝功長老が好きに閲覧させてくれるわけじゃない。この前も宋師兄が言っていた。本を借りるなら、まず自分に一声かけろってな」
林瓶は軽くうなずいた。
「それはもっともですね。弘武峰の管理が厳しいのは、悪いことではありません。書棚が乱れたら困りますから」
林瓶は漬物をもう一つ口に運び、何でもないような顔で続ける。
「ですが、宋師兄は最近かなりお忙しそうですね。先日、蔵経楼の一階でお見かけしたのですが、ずいぶん急いでおられるようでしたので」
丸顔の弟子が顔を上げた。
「宋師兄に会ったことがあるのか?」
「一度だけ、書棚の近くで」
林瓶はそれ以上は語らず、視線を粥へ落とした。取るに足らないことだと言わんばかりに。
四角い顔の男が顔を上げ、林瓶をひと目見る。
その目にあったのは疑いよりも、「こいつ、宋師兄と面識があるのか?」というわずかな探りだった。そこへ痩せた弟子が言葉を継ぐ。
「宋師兄は近頃、本当に忙しいらしい。毎日玄女峰へ通っているからな。先日、修練の進み具合を報告しに行ったときも不在だった」
林瓶の箸は止まらない。
林瓶は黙って粥を飲み込んだ。弘武峰の弟子たちですら、宋明遠の動きを詳しく知っているわけではないらしい。
――
林瓶は粥を飲み干すと立ち上がり、碗を返却口へ戻した。
食堂の入口で足を止め、ふと振り返る。あの三人はすでに別の話題に移り、功法の昇級について淡々と語り合っていた。
林瓶は食堂の入口で立ち止まった。秋の朝の冷気が頬を撫でる。青い法袍の襟を立て、数息ぶんだけ動かずにいる。
宋明遠。
やはり鍵はあいつだ。だが、どうやって。
自分は執法弟子でも長老でもない。宋明遠に近づくことすら難しい立場だ。
林瓶は食堂の入口に立ち、遠く霞む玄女峰を見上げた。
峰は深い朝霧に包まれ、全容を隠している。
両手を袖に収めると、林瓶は自室へ向かって歩き出した。




