第17話 布陣
翌朝。林瓶は再び、弘武峰の老槐樹の下に立っていた。
宋明遠が山門から姿を現し、一瞬だけこちらを見ると、かすかに頷いた。そのまま石橋の方へ歩いていく。
林瓶は、宋明遠が石橋を渡り、玄女峰へ続く山道の向こうに消えるまで待った。
それから、今日の仕事に取りかかる。
まずは、石橋から弘武峰の正門までの地形を、あらためて頭に入れ直す。
玄女峰は三方を山に囲まれ、正面には一本の石橋が架かっている。橋は二十丈ほどの長さで、下には深い谷が口を開けている。橋のたもとには執法弟子が二人。灰色の執法服に短棍を帯び、微動だにせず持ち場に立っていた。
林瓶は弘武峰の裏手へ回った。
昨日見つけた人目につきにくい小径は、まだ手つかずのままだ。
入口の落ち葉にも、新しい足跡は見当たらない。
さらに進み、大きな岩の裏へ。
ここからなら石橋全体を見渡せる。だが、橋の側からはちょうど死角になる。
足元には落ち葉が厚く積もっていて、踏んでもほとんど音がしない。
林瓶はしばらく岩陰にしゃがみ込み、見張りの交代の間隔を測った。
最初の執法弟子が交代するまで、約半刻。
二人まとめて交代するのではなく、一人ずつ入れ替わる。
つまり、橋の上には常に最低一人は残る計算だ。
さらに、山道の中腹にも見張りが一人いる。
橋を渡った者は、そこで二重に改められる。
実に隙のない配置だった。
――
正午が近づいたころ、林瓶は食堂で小蔡と鉢合わせた。
「林哥」
小蔡は飯を頬張りながら言った。
「あの石橋、夜も見張りがいるらしいぜ。鎮獄峰の奴が言ってた。昼は二人だけど、夜は減るかもしれない。……とにかく、昼夜問わず人がいるらしい」
林瓶は箸を止めず、静かに頷いた。
小蔡の言葉をそのまま頭に刻みつける。
「それとな」
小蔡は声を潜めた。
「宋師兄が玄女峰で玄祈使に修煉を教えてるって話、聞いたか?」
林瓶の手が止まった。
「教えている?」
「ああ。『育成を補佐する』って話じゃなくて、『教える』側らしい。伝功長老の李承道がそう言ったってよ」
林瓶は箸を置いた。
その言葉の重みを、胸の内でゆっくり反芻する。
「補佐」から「教授」へ。
それは、侵入の歩みが予想以上に早いということだ。
――
午後。林瓶は弘武峰の麓を歩いていた。
一か所に長く留まらず、ときおりしゃがみ込んでは靴紐を直すふりをする。
あるいは足を止め、遠くの景色を眺めているように見せる。
そのとき――
「林瓶」
呼びかけた声に、ためらいはなかった。
名を呼び、足を止めさせる声音だった。
林瓶が振り返ると、そこに秦岳が立っていた。
背には鉄棍。灰色の執法服の裾が風に揺れている。
鋭い眼差しが、林瓶の顔と、歩いてきた方角とを交互に見た。
「ここで何をしている」
「荷運びの経路を確認しています、秦師兄」
秦岳はしばらく黙っていた。
値踏みするような沈黙だった。
林瓶の顔をじっと見据え、言葉や態度のほころびを探っている。
やがて口を開いた。
「荷運びの経路……内務長老の指示か」
「はい」
秦岳は視線を外した。
だが、その口調は冷たく、はっきりしていた。
「玄女峰には、このところ近づくな」
林瓶は頭を下げる。
「かしこまりました、秦師兄」
そのまま振り返らず、その場を離れた。
背中に秦岳の視線が刺さっているのを、はっきり感じながら。
――
寮に戻ると、林瓶は寝台の端に腰を下ろした。
今日一日で得た情報を整理する。
石橋――二人が常駐し、二十四時間交代。
山道の中腹にも、もう一人。
裏手の小径――まだ使われた形跡はない。
秦岳――こちらへの警戒を強め始めている。
林瓶は窓の外に目をやった。
玄女峰のある方角は、もう闇に沈んでいる。
だが、秦岳に目をつけられた以上、これまでのように表立って動くことはできない。
別の角度から、新しい手がかりを探る必要がある。
林瓶は掌を開き、そして握った。
秦岳に目をつけられた。ならば道を変える。
明日は丹霞峰だ。




