第12話 来客
知らせを持ってきたのは小蔡だった。
その朝、林瓶が外門の食堂で朝食を済ませ、練功場へ向かおうとしたときだった。遠くから、小蔡がこちらへ走ってくるのが見えた。聚霊谷の方角から、息を切らせて駆けてくる。灰色の短褐の襟は、汗でぐっしょりと湿っていた。
「林瓶! 大変だ!」
小蔡は膝に手をついて呼吸を整え、顔を上げた。その表情には、興奮と緊張が入り混じっている。
「今日、蒼雲宗の長老が来るんだってさ! 山門のほう、すごい人だかりだぞ!」
林瓶は小蔡と一緒に山門へ向かった。道すがら、同じ方向へ急ぐ外門弟子や雑役の姿が何人も見えた。太乙宗は普段、静かな宗門だ。各峰はそれぞれの務めに追われている。これほどの賑わいは、めったにない。
――
山門は開かれていた。
左右には内門弟子が整列している。正式な礼装をまとい、腰には長剣を佩いていた。宗主李還真は先頭に立ち、深紫色の正装道袍に玉冠、佩玉を身につけている。その後ろには、伝功長老・李承道が無表情に立っていた。右手には執法長老・林蒼衡が腕を組んで立っている。そして後方には謝臨平が、手を袖に収めたまま、まるで数合わせのように立っていた。
林瓶は人だかりの中に、見知った顔をいくつか見つけた。秦岳は執法長老の後ろに立ち、背筋を伸ばし、表情を引き締めている。宋明遠は伝功長老の後方に控え、穏やかな姿勢のまま、口元にかすかな笑みすら浮かべていた。蘇晴も来ていた。丹霞峰の列に紛れ、腕を組み、「面白いものを見に来た」という顔をしている。
――そして、蒼雲宗が到着した。
先頭にいたのは、蔵藍色の道袍をまとった五十がらみの男だった。身のこなしは洗練されている。腰には紫色の令牌。太乙宗の列を一瞥したが、その目には何の感情の揺れもなかった。
その商鶴年の背後には、一人の若者がいた。まだ二十には届かない。白い錦袍をまとい、腰には暗銀色の剣鞘に収められた長剣を佩いている。鞘には淡い青色の霊石が嵌め込まれ、朝の光の中でかすかに輝いていた。あの剣一本だけで、太乙宗の弟子たちの佩剣よりも格が上だと、ひと目で分かる。
――陸驚鴻。蒼雲宗、この十年で最も傑出した弟子。十八歳で中階功法を極めたという。
陸驚鴻はわずかに顎を上げ、太乙宗の山門と整列した一団を見渡した。そのまなざしには侮りも嘲りもなかった。ただ、この場に期待していないことだけは分かった。
さらにその後ろには、蒼雲宗の弟子と随行の執事が七、八人、黙って並んでいる。林瓶の視線は、その中の一人で止まった。
丸顔。濃い眉。鼻筋を横切る、一本の薄い白い傷跡。
――前に坊市で陸青と接触していた男だ。
その男は今、蒼雲宗の一行の中に、何食わぬ顔で立っている。
――
宗主が商鶴年を迎え、礼を交わした。そのとき、人だかりの中からささやきが漏れた。
「見ろ、玄女峰のほうだ」
林瓶は顔を上げた。
白い影が、玄女峰を下りてきていた。
遠すぎて顔は見えない。ただ、細い輪郭だけが分かる。白衣は雪のように白く、裾が朝風に揺れていた。薄紗で顔を覆っており、その奥の眼の位置だけが、ひときわ深い陰になって見える。歩みはゆっくりとして穏やかだ。腰の霊玉禁歩が、歩くたびにごくかすかな澄んだ音を立てる。かすかに。ほんのかすかに。
彼女は祭壇の前で足を止めた。広場を隔て、蒼雲宗の長老に一礼する。所作は端麗で、卑屈さは微塵もない。
そして身を翻すと、来た道を戻っていった。白い影は玄女峰の殿門の陰へと入り、まるで絵の上から一筆で消されたように見えなくなった。
――半刻にも満たない出来事だった。
林瓶は人だかりの中に立ったまま、あの閉ざされた殿門を見つめていた。——玄霜は、確かに存在していた。
――
蒼雲宗の一行がまだ広場にとどまっているとき、陸驚鴻が一歩前に出た。太乙宗の弟子たちの列をひと目見渡し、言う。声は遠すぎず近すぎず、それでいてはっきりと響いた。
「太乙宗って、これだけの人数ですか?」
太乙宗の弟子たちの顔色が変わる。
秦岳が一歩、前へ出た。
「そこの若者」秦岳の声は大きくはない。だが、穏やかだった。「太乙宗は蒼雲宗ほど弟子の数が多いわけではない。だが、誰にでも軽く見られていい宗門でもないぞ」
陸驚鴻は秦岳を値踏みするように見た。
「あなたは?」
「執法長老門下筆頭、秦岳だ」
「蒼雲宗、伝功一脈、陸驚鴻」
陸驚鴻は笑った。その笑みに、敬意の欠片はない。
「それはちょうどいい。数合、ご教授いただけますか?」
秦岳は後ろの林蒼衡を見た。林蒼衡は何も言わない。ただ、ほんのわずかに顎を動かした。
人だかりが、自然と空間をあける。
――
秦岳は背後の漆黒の鉄棍を抜いた。柄の部分は長年の使用で擦り減り、鈍く光っている。片手で棍を構え、相手を射抜くように立った。
陸驚鴻が剣を抜く。剣身は朝の光を受け、霜のような白い輝きを放った。反射ではない。剣そのものが放つ霊力だ。刃は薄く、氷のように鋭い。剣尖が止まった位置の周囲では、空気がわずかに歪んで見えた。
――一瞬の対峙。
先に動いたのは陸驚鴻だった。足運びは異様なほど速い。つま先で地を蹴り、全身を地面すれすれに滑らせるようにして、剣先を斜めから秦岳の左脇腹へ突き込む。剣が届きかけた瞬間になって、ようやく風を裂く鋭い音が追いついてきた。
秦岳は退かない。手首を返し、棍を横にして受ける。
カン、と乾いた金属音が鳴った。
剣尖が鉄棍の中ほどを打ち、火花が散る。秦岳の構えは微動だにしない。体がわずかに沈み、足元の敷石が鈍い音を立てた。
――防いだ。だが、反撃に転じる余裕はない。相手の剣が速すぎる。
相手もそれを見抜いていた。剣の勢いが一変する。もはや探りの一撃ではない。秦岳の同じ守備域、左下だけを一点突破するつもりだ。剣と棍がぶつかる音が、雨のように連なる。秦岳の足は、一撃ごとに一寸ずつ後ろへ押されていく。踏みしめた敷石が、そのたびに白く砕けた。
四撃目も左脇腹を狙ってきた。秦岳が棍を振るう。だが、その剣は虚実の「虚」だった。
剣先が棍をかわし、弧を描いて秦岳の胸元へと走る。秦岳の瞳が細くなる。だがその瞬間、陸驚鴻の左掌が先に届いていた。
掌に凝縮された白色の霊光が、秦岳の胸の中央に叩き込まれる。
ボン、と鈍い音が響いた。
秦岳の体が後方へ吹き飛ぶ。足で地面に二本の長い跡を刻みながら、五、六歩も滑っていった。鉄棍が手を離れ、地面に落ちて跳ね、転がる。秦岳が立ち上がったとき、口元から血が一筋、滴っていた。
それでも、秦岳は拭わない。
陸驚鴻は剣を鞘に収めた。カチリ、と乾いた音がする。そして秦岳を見て、淡々と言った。
「――太乙宗の二師兄って、この程度ですか?」
広場が静まり返った。
――
伝功長老・李承道が笑みを浮かべて歩み出た。だがその笑みは、目には届いていない。
「切磋は、あくまで手加減の範囲に留めるべきもの。蒼雲宗の少年英傑、なるほど名に違わぬ実力だ」
言葉だけなら称賛だった。だが、その場の誰もが額面通りには受け取らなかった。
商鶴年は笑った。何も言わない。上から見下ろすような、礼儀正しい微笑みだった。
林瓶は人だかりの中に立ち、その一部始終を見ていた。
秦岳はすでに執法長老の後ろへ戻っている。顔に表情はない。だが、唇は固く結ばれていた。伝功長老は背を向け、歩き出す。その背中は落ち着いて見える。
林瓶は人だかりの中へ視線を巡らせた。柳絮が執法隊の列の中にいた。執法隊の列は静かだった。だが林瓶には見えた。柳絮の右手が袖の下で一瞬だけ強く握られ、すぐに開かれたことを。
林瓶はその場に立ち尽くしたまま、玄女峰の方向を見上げる。
殿門は閉ざされたままだ。あの白い影は、門の奥の陰へと消えていった。広場の人々が散り始める。足音と衣擦れの音が混じり合う。林瓶はその流れの中に立ったまま見送った。蒼雲宗の一行が山道の先、曲がり角の向こうへ消えるまで。




