表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/94

睡蓮ー魔王、現る編ー

輝は屁をしても動じる事もなく、座っていた。

その向かいに最蔵が座っている。

輝が屁をしても背筋をまっすぐに、呼吸も微動だにしなかった。

豪快な爆音の屁に笑いを止める修行僧、表情が変わらない僧侶、子供を見るような目でにこにこした高層が居る中で、義徳は輝を真っ直ぐ見つめていた。

すると、最蔵が静かに口を開いた。


最蔵:『志望動機をお聞かせください』


輝:『カレーが美味しかったからさ』


普段は険しい顔しか見せない僧侶が、思わずふっと笑顔になった。

厳しい修行の場で発した輝の何気ない一言が心をやわらかくした瞬間であった。

優樹と剛仁も笑っていた。

その中で、最蔵だけは表情が全く変わらなかった。


最蔵:『それは理由になりません』


輝:『参拝者にも受ける味だ。季節で変えると更によい。桜の時期は湯葉に花をあしらうとか、紅葉の時期は色味を寄せるとか、そういうので客層は広がる』


最蔵:『ここは娯楽施設ではありません。不採用です』


輝:『そうか……。だが、“娯楽ではない”と言ったな』


最蔵:『はい』


輝:『人が来ぬ寺に、何が残る。祈りも教えも、人のご縁あってのもの。誰も足を運ばねば、それはただの建物に過ぎん。門を閉ざして、娯楽ではないと誇るか、それとも門を開いて変わるか』


最蔵:『……………』


本堂に沈黙が広がった。


輝:『剛徳寺は平安時代からの信仰心を大切にしている僧侶が居るというので、どんなお寺なのか楽しみにしていたが、信仰よりビジネスが前に出ているように感じる。なんとかなんとか遺産に登録されてから入場料一万、混めば二万。秘仏は別料金……。しかも三万円で、混雑時は各五万円、なめてんのか?宝物殿・庭園・特別拝観料それぞれ一万円、中学生迄は無料、賽銭は小銭禁止で紙幣のみ可能、僧侶に質問がある人は十万円以上のお布施、御朱印三千円で特別御朱印五千円、何をするにもお金がかかる。高額な珈琲に昼食の御膳五万円、ブランドとコラボしたスイーツ三千円~、いい加減にせい。登録前は、誰でも静かに手を合わせる場所だったのだが、何故、ここまで儲け主義になった?』


最蔵:『そうしなければ、持たなかったのです。登録されてから、想像以上に人が一気に増えました。あのままの形では、回らなかったので……』


輝:『前は入場料が八百円で、今は一万円。極端に跳ね上がりすぎではないか?』


最蔵:『制限です。人が多すぎると建物も傷みますし、壊れるのもそれだけ早くなってしまいます。維持にもお金がかかります。修理の職人も減っていますし、基準も厳しくなりました。警備も、人の導線も、多言語対応も全て、前には殆どありませんでした』


輝:『宝物殿・庭園・特別拝観・御朱印・飲食・コラボ商品も観光地化が進んだ影響か……』


最蔵:『はい、もともと別々の価値体験として切り出されやすい領域ですし、観光地化が進むと、それぞれを独立した収益商品として設計する方向に動きやすくなります』


輝:『自分が知っているお寺が世界的に知られるようになって、認められたこと自体は嬉しく思う。建物の老朽化とか修理の大変さも分からなくもない。維持するには変わらざるを得ない現実も分からないわけでもない。しかし、前の雰囲気が変わってしまった以前に、全項目が極端に高額化しすぎている点に違和感を感じる』


最蔵:『……やはり、高いですか?』


輝『自分でも高いと思っているなら変えろ。……あ、その、……変えてください。元アイドルの一条かえでのファンが楓芽として人々に仏の教えを伝えてきた聖地に行きたくても高すぎて来れないという声を見たことも聞いたこともないとは言わせはせんぞ。私はインターネッツで剛徳寺のアカウントを全部フォローしてコメンツも全て目を通しているが、お財布に優しくないという感想がちらほらあるが、それについて最蔵さんはどう感じている?』


最蔵『すべて、承知の上です。それでも、お寺の存続を途絶えさせたくないから今は、こうするしか…………………』


最蔵が責任を一身に背負っている事を知った輝は、どうにかならないか考え込んだ。

来られない人が出る事よりも、守れなくなる事を恐れた結果として、冷酷に見える判断でも選ぶようになった最蔵に輝は諦めずに水準を下げるよう申し出た。

厄介なのが、一度上げたものは下げられない構造であった。

収入が増え、それを前提に人員・設備を整え、更にコストが固定化する。

こうなると、やっぱり安く戻しますというのは現実的に不可能になる。

こういった点で、輝は最蔵が自分の決断に縛られている状態が見えていた。


輝:『最後に質問する。最初は仕方なくだったものが、制限の為、守る為、と理由を重ねていく内に、何がどうなると思う?』


最蔵:『破綻ですか?』


輝:『自分でもそれを信じるようになるのだ。人を減らさないと壊れるという恐怖、守る責任の重圧、一度決めた仕組みに縛られている現実、それでもどこかで迷っている自覚、この全部を抱えた結果、高級な寺を作ってしまったのだよ。最蔵さんがな』


この日、輝の言葉でも最蔵の考えは変わらなかった。

それを見て取った輝は、それ以上踏み込まず、長い目で見守ることにした。


一方、初めは爆音の屁に笑っていた剛仁は言ってはいけないことを言ってる輝を見て、途中から笑えなくなり、冷や汗をかいていた。

現実を知っている僧侶は最蔵の苦労も分かっているものの、6歳の輝の意見を聞いてもどうしようもないのだと苦い顔をしていた。

心の中で、子供が口出しすることではないと思う僧侶も居たが、ここでは石のように動かず何も意見を言わず、口を閉ざして時を過ごしていた。

住職の桂之助は笑っていた。


桂之助:『ふっひひひひひひひ!』


輝:『……?何を笑っている?笑いごとではないぞ』


桂之助:『また来たか、この問いは、と思ってのぅ』


輝:『なぜ、またかと思う?』


桂之助:『昔から同じ問題があるんじゃ。昔のお寺は権力や貴族の支援で成り立っていて、一部の人しか関われない場所だった。それが平安時代のお話じゃ。戦国時代になると、お寺が力を持ちすぎて武装・政治化となって、信仰より勢力争いがあった。その後は、お寺が檀家制度などの制度に組み込まれたんじゃよ。生活と密着はするけど自由度は減る。今は、観光地化・世界遺産化に経済と信仰のバランス問題じゃ。時代ごとに形は違うけど、本質は同じで、ずっと繰り返されてるんじゃ。どうやって、お寺を存続させるか、そして信仰をどう守るか。それが衝突し続けている。完全に正しい答えはなく、どの時代もどこかで歪む。そして誰かが必ず批判される。それで、またこの問いが来たかと思ったんじゃ』


優樹:『………へい…あん…時代って何ですか???』


桂之助:『いつか歴史を学ぶ日が来たら、お兄ちゃんと一緒に教科書を持っておいで。わしがここで、ゆっくり教えよう』


輝:『優樹、お金かかるかかからないか確認した方がいいかもしれん』


慧心:『……ぼふっ!(笑)』


慧心が、堪えきれずに吹き出した。


優樹:『……、あの………、お金……、かかりますか?』


優樹は笑いを止めながら桂之助に確認した。


桂之助:『そこまで世知辛くはないつもりじゃ』


義徳:『ふぇっ!(笑)輝さん、何を言わせるかと思いきや……これは……』


義徳も、思わずふっと吹き出した。

それをきっかけに、堪えていた笑いがあちこちでこぼれ始めた。

張りつめていた本堂の空気が、ゆるやかにほどけていった。


輝:『さぁ、そろそろ帰ろうかな。カレー、ありがとな。美味しかった』


最蔵:『そう言っていただけると私の妻が喜びます。実は妻がインドのカレー屋で熱心にスパイスから学んで、今朝、早くから仕込んでいました』


優樹:『美味しかったって伝えてください。僕、カレー大好きで、今まで食べた中で1番美味しかったです。誕生日に特別なカレーを食べる事ができて嬉しかったです。ありがとうございました』


最蔵:『こちらこそ、ありがとうございます。お母さんとも一緒に来てください』


優樹:『その頃には僕は大人になってます。その時に僕の事を覚えている人は一人も居ません』


最蔵:『……それは、どういうことですか?』


優樹:『この世界には条件があります。ここに堕ちた人間は、憎悪や呪いを手放さない限り外には出られません。そして、解放されて元の世界に戻れたとしても、その人の存在は他人の記憶から消える代償があります。つまり、ここにいる限り救われません。外に出ても誰にも覚えてもらえません。……どっちにしても、ちゃんと救われる道などないではないですか。この世界は、憎悪を抱えた人間を閉じ込める為に作られました。現実で誰かを傷つけないようにするための装置です。理屈は分かる。間違ってるとも言い切れない。でも、ここにいる人間は、誰一人救われてない。なので僕は、この世界を破壊します。この世界を作った人も見つけて……僕の手で必ず………、これ以上、誰もここに堕ちないようにする為に僕が…………。……その代わりに、何が起きるかも分かってる。中にいる人間がどうなるかも、全部……。それでもやります。誰かを救う為ではありません。もう、こんな場所を必要とする世界のままにしておきたくないから』


輝:『………………………』


剛仁:『………………………?』


義徳:『………………!!!』


優樹:『大人になっても待っていられますか?』


すると、剛仁が優樹の隣に座った。


剛仁:『みんな、待ってるよ』


剛仁の声は、どこか温かかった。

輝は夕日を見つめたまま、風を受け止めた。


優樹:『うん、待っててね』


剛仁:『その間、いつでも来ていいからね。その時は、ゆっくりしてって。ここには人々の苦しみを救う仏さまもいるの。人に見つかると変身するから捜してみてね』


優樹:『うん!』


優樹の目はパァーっとキラキラ輝いていた。


輝:『世話になった』


剛仁:『輝、ごめんね』


輝:『……。……カレーのことか?』


剛仁:『うん…』


輝:『そういう時もあるさ。本当は、ただ一緒に居たかったのだろう。本来なら外部の人間を僧侶たちの集まりに軽々しく招き入れていい空間ではないと判っていたが、私も剛仁と一緒にカレーを食べたいと思ったからついていったのだ。誘われたとき、嬉しかったぞ。ありがとな』


剛仁:『あと、私たち、生まれた時からずっと一緒だったから、急に離れ離れになっちゃったような氣がしたの……。輝は友達というより家族みたいな存在だから……。私も妹みたいな存在なのは変わらないって知って嬉しかった』


輝:『剛仁は私の大切な妹だ。それは何があっても変わらない。安心しろ。そうだ、今度、三人で遊ぼう!』


優樹:『遊ぼー!』


剛仁:『うん!』


剛仁は笑顔だった。


輝:『じゃあ、またな』


優樹:『ばいばい』


優樹は両手で手を振った。

剛仁も両手で手を振った。


剛仁:『またね』


優樹:『最澄さまにばいばいしなくちゃ』


輝:『その前にみんなにばいばいしよう』


優樹は、くるりと振り返った。


優樹:『ばいばい』


優樹と輝は両手で手を振った。

僧侶たちも両手で手を振った。


優樹と輝が背を向ける。

二人の足音が、少しずつ遠ざかっていく。

振り返ることは、なかった。

その背を、僧たちはしばらく見送っていた。


それから12日後の4月20日午前3時、竜太と剛仁は梅美の約束した通り、無名の神社に訪れた。

竜太は剛仁を見て、誰が来たのか一瞬分からなかった。


竜太:『輝さん!生きてたんですね!』


竜太は涙目で生きている事を確かめるように剛仁の肩を掴んだ。


剛仁:『……?竜太、輝の事、知ってるの?』


竜太:『あなたの事ですよ。輝って名前だったのに剛仁になってるんだよ。僕の記憶では輝って名前で女の子だった』


剛仁:『竜太、私をからかってるの?私は元から男の子で剛仁だよ』


竜太:『幼稚園の時、彼氏居たの覚えてませんか?』


剛仁:『覚えてるよ。大和だよ。お互いの屁を聞いた仲なの』


竜太:『へ?じゃあ、あんたが剛仁で男なのは話の辻褄合わないじゃん。自分、みつあみだったのは覚えてるよな?』


剛仁:『うん、それも覚えてる。心は女の子だもん』


竜太は強引に剛仁の僧衣を脱がし、自分の目で性別を確認した。


竜太:『………はぁ?………マジかよ。チッ!なんなんだよ!もう!』


ちんこがついていた。

剛仁は無言で僧衣を整えた。

竜太は頭の中で整理したが、輝として生きてきた目の前の人は、あの謎の球に閉じ込めたヤツにウソの世界にでも閉じ込められたのだと鳥居へ足を踏み入れた。

剛仁は鳥居をくぐった瞬間、ふと、優樹が言った言葉を思い出した。


地面の砂が、わずかに逆方向へ流れた。

風が吹いたわけでもないのに、まるで時間だけが一瞬巻き戻されたような違和感を感じた。


竜太:『………?』


剛仁:『見すぎてはいけない。氣を確かに』


社殿へ近づくにつれ、梅の木の輪郭が浮かび上がる。

枯れているはずなのに、黒く濡れたような光を帯びていた。


そして、その中心に、人が立っていた。

梅美だった。

しかし、前に見た姿とは微妙に違う。

輪郭が少しだけ薄く、光の揺らぎの中に溶けているように見える。


梅美:『来てくれたのね』


竜太:『梅美さん!』


梅美は微笑んだが、その表情には以前のような温かみが無い。


梅美:『今日は約束の魔王が来てるの』


その刹那、鳥居の奥から滲み出していた圧が急に静まった。

まるで何かに押さえつけられたかのように、空気が一瞬で張り詰めている。


その直後だった。


社殿の奥、影の層がゆっくりと左右に裂けた。


竜太:『…………………!』


剛仁:『………………そんな!………どうして!』


闇の中から現れた魔王とは竜太と剛仁の顔を歪ませる顔であった。

本日、4月20日は梅美と約束した日です。

その日に合わせて公開しましたが、3時に公開できず、ごめんなさい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ