智慧
※春が近づくと作者は独特な要素を醸し出します。
『そろそろ帰ります』
蒼太郎は、そう言って静かに立ち上がった。
お寺の木造の床が軋む音が僅かに響く。
夕方の斜陽が本堂の木枠の窓から差し込み、柱や畳を柔らかな橙色に染めていた。
静寂の中で、僧侶たちは蒼太郎の言葉をじっと聞き、目を向けていた。
桂之助が軽く頷き、口を開いた。
『剛徳寺は、どうでしたか?』
桂之助は蒼太郎の顔を見つめながら、ゆっくりと問いかけた。
その眼差しは穏やかだったが、どこか核心に触れるような鋭さも持っていた。
蒼太郎は少し考え、肩の力を抜いた。
『正直に言うと……、そうだなぁ…、最初はバキュラの暴走事件や、ネットでの騒動、さらには心平が襲撃された事件のこともあって、剛徳寺に対してあまりいい印象を持っていなかったよ』
その声は今まで抱えていた不安や戸惑いの余韻が微かに残っていた。
僧侶たちは静かに耳を傾けていた。
『元アイドルの楓芽さんが、何の理由も述べずに剛徳寺の僧侶をやめたことを新聞で見たときは、何か深刻ないじめがあったのではないかと心配もしたよ。正直、いい加減なお寺なのではないかと疑っていたんだ』
蒼太郎は自身の率直な気持ちを語りながら、桂之助の表情を窺った。
しかし、桂之助は何も言わず、ただ静かに微笑みながら聞いていた。
『心平が真面目に僧侶をやっていると信じたかった。生配信をやっていることを職場や息子たちの口から聞いたとき、もう耐えられなくなって連れ戻しに来たんだ。しかし……』
蒼太郎は拳を軽く握りしめるような仕草をした。
『私は配信業界のことを何も知らなかったから、勝手に"楽をして金儲けをしている"と決めつけていたんだ。ここに来て、それが思い込みだったと気付いたよ』
蒼太郎は剛徳寺の境内にいた観光客たちの笑顔を思い出した。
心平の配信を楽しみに訪れる人々、その姿を見たときの衝撃。
『心平は、配信を通じて世の中に光を照らしていた。色んな話を聞いて、どんな想いでやっているのかを知って、観光客の顔を見て、やっと安心できたよ。配信を観て遠くからやってきた人たちの目が輝いていた。人に光を照らす存在なら、父さんは何も言うことはないよ。今度は私が白い目に負けてはならないな』
蒼太郎は深く息を吐いた。
『皆も、心平を支えてくれて、ありがとう』
蒼太郎は深々と頭を下げた。
僧侶たちは蒼太郎の言葉を真剣に受け止め、静かに頭を下げた。
『剛徳寺でいろんな体験ができて本当によかった。学びとは大人になっても続くもの。ここに来て私は、そう思ったよ』
蒼太郎の言葉には最初に来たときのような固さはもうなかった。
桂之助が目を細め、微笑みながら応じた。
『こちらこそありがとうございます。一緒に過ごした時間、とても楽しかったです。今度はご家族と一緒に、ぜひ剛徳寺に足を運んでください』
最蔵が穏やかに言った。
『その時は名物のスーパースター大饅頭をお土産に買うよ』
蒼太郎は軽く笑いながら言った。
『冬の焼きたては午前中に完売してしまいますので、お早めにお越しください』
澄子は微笑みながら答えた。
蒼太郎はふと、家族の団欒を想像した。
剛徳寺で温かい饅頭を頬張る子どもたちの顔、妻がそれを見て微笑む光景。
『ありがとう。家族揃って、あたたかいお饅頭を……想像したら、あたたかいね』
蒼太郎はふっと笑い、そして息子の心平へ目を向けた。
『じゃあ、心平、頑張るんだぞ。無理しない程度にな』
『お父さまも無理しないでね。お母さまと一緒に台所に立つのは最初は勇気がいるかもしれないけど、きっと声をかけられるのも嬉しいと思うから、やってみてね。あ…、あと、実はお手紙を書いたんだ』
心平は懐から小さな封筒を取り出した。
『このお手紙に配信が観れる場所を書いたから、寂しくなったら見てね』
蒼太郎は驚いたようにそれを受け取り、じっと封筒を見つめた。
『ありがとう、心平』
蒼太郎は封筒を大切に胸ポケットにしまった。
『余計なお世話かもしれないが、変な男に引っかかるんじゃないぞ。それから、人にお金を貸さないこと。お金を貸してと言われたら詳細を聞いて、一人で解決しようとせず、必ず身近にいる人に相談すること。いいね?』
父親は、いつまでも父親だ。
『はい』
子は、いつまでも子だ。
心平は笑って頷いた。
『じゃあ、父さんは帰るよ』
蒼太郎はそう言い、剛徳寺を後にした。
僧侶一同が頭を下げ、蒼太郎の車を見送った。
バキュラは名残惜しそうに手を振り、犬の天ちゃんもじっとその姿を目で追っていた。
車に乗り込み、発進する。
ふと、バックミラーに映る剛徳寺の門を眺めながら、蒼太郎は来たときと今の自分の違いを感じていた。
肩に乗っていた重いものが少し軽くなっている気がする。
息子と向き合い、僧侶たちと触れ合い、自分の思い込みを手放した数日間。
家までの道のり、蒼太郎は静かにその時間を反芻しながら運転していた。
蒼太郎は車のハンドルを握りしめ、ゆっくりと剛徳寺を後にした。
バックミラーには、見送りをする僧侶たちの姿が小さく映っている。
名残惜しそうに手を振るバキュラの姿が見え、天ちゃんもじっとこちらを見つめていた。
初めて剛徳寺に足を踏み入れたとき、自分がこんな気持ちでここを後にするとは思ってもいなかった。
最初は、ただ心平を連れ戻しに来たつもりだった。
しかし、お寺で過ごすうちに、見えてくるものがあった。
心平が真剣に僧侶としての道を歩んでいること。
配信を通じて、ただ自己顕示のためではなく、人々に光を照らしていたこと。
そして何より、剛徳寺が決していい加減な場所ではなく、心平を支えてくれる仲間がいる場所だということ。
『父さんは、何も知らなかったんだな……』
蒼太郎は一人、静かに呟いた。
家に帰ったら、まず妻の瑠璃と話さなければならない。
瑠璃もまた、心平の配信に対して良い印象を持っていなかった故、世間の目を気にしている。
そして、双子の月光と日光にどう伝えるべきか。
車を走らせながら、蒼太郎は考えた。
よく考えた。
よくよく考えた。
双子はまだ若く、特に世間の目や周囲の評価に敏感な年頃であり、些細なことで進路が左右されるという将来的に肝心な時期でもある。
心平のことを嫌っており、兄が僧侶になったことで自分たちの進路に影響が出ることを恐れていた。
だが、父親として、今の自分にできることは何なのか。
信じること。見守ること。
心平が剛徳寺で見せてくれた姿を、ありのまま伝えよう。
心平がどれだけ真剣に生きているのか、何を目指しているのか、そして心平の生き方が決して恥じるものではないということを。
長い道のりを経て、ようやく自宅の玄関が見えてきた。
そして、車を止め、深呼吸をしてから鍵を開けた。
『ただいま』
玄関を開けると、すぐに妻の瑠璃が顔を出した。
『おかえりなさい。どうだったの?』
瑠璃の声には、少しの緊張が混じっていた。
蒼太郎は靴を脱ぎながら、一息ついてから答えた。
『……思っていたよりも、ずっといい場所だったよ』
瑠璃は驚いた表情を見せたが、何も言わずに蒼太郎の話を待った。
手洗いうがいをしてからリビングに移動し、コートを脱ぐとソファに腰を下ろした。
『心平は、ちゃんと僧侶をやっていたよ。お寺の皆も支え合っていてね、思ったよりもほのぼのした環境だったよ。私は、心平がただたんに甘えているだけだと思っていたけど、全然違った。配信も金儲けのためじゃなかった。観光客の顔を見ればわかる。心平は、人の心を救おうとしてるんだ』
瑠璃は少し考え込むように視線を落とした。
すぐに納得できる話ではないのかもしれない。
だが、瑠璃も心のどこかで心平を信じたいと思っていた。
『それで……、あなたはどうするの?』
蒼太郎は、ゆっくりと答えた。
『俺は、心平を信じることにした。心平は自分の道を真っすぐ歩いてる。それを親として見守ろうと思う』
そのとき、階段の上から二つの影が見えた。
月光と日光だ。
『お父さん、おかえり。あれ?お兄ちゃん連れ戻さなかったの?』
月光が少し鋭い口調で問いかける。
日光も同じく、不満そうな表情をしていた。
蒼太郎は二人の顔をじっと見つめ、静かに言った。
『月光、日光、お前たちは、心平のことをどう思っている?』
『恥。お兄ちゃんが女の着物を着たり、配信したり……。周りに何か言われるのが嫌なんだよ!』
日光が口を開いた。
蒼太郎は目を閉じ、一度大きく息を吸った。
『ふぅ……。………………。そうか……。……私も同じように思っていたよ。実際に行って見てみたら、心平は何も恥じることをしていなかった。むしろ、誇りに思ったよ。心平は、ちゃんと自分の信じる道を歩いていた』
月光と日光は顔を見合わせた。
『俺たちの進路にも影響するんだけど? もし、兄が変な目で見られたら、俺たちだって……』
月光の言葉に、蒼太郎はゆっくりと頷いた。
『確かに、世間の目は厳しい。だが、大切なのは自分がどう生きるかだよ。人の目ばかり氣にして、本当にやりたいことを諦めるのか? それでお前たちは幸せになれるのか?』
月光と日光は言葉に詰まった。
『お前たちも、もう大学生だ。そろそろ自分の人生を考えるんだ。他人の評価で生きるんじゃない。自分がどう生きたいかを決めるんだ』
蒼太郎の言葉に、月光と日光はしばらく沈黙した。
『……お兄ちゃん、そんなに頑張ってるの?』
日光が小さな声で呟く。
蒼太郎は、笑顔で頷いた。
『剛徳寺に行ったら分かる。今度、一緒に剛徳寺へ行ってみよう』
双子は、互いに顔を見合わせた。
『……考えてみるよ』
月光が、少しだけ柔らかい表情で言った。
蒼太郎は、その言葉に満足そうに頷いた。
父親として、今できることはすべて伝えた。
あとは、月光と日光がどう選ぶか。
それを見守るだけだ。
『そうだ、心平の配信を観てみようか。手紙に書いてあるとか言われたんだ』
蒼太郎は心平から貰った手紙を広げてパソコンの電源スイッチを押した。
唐突に投げかけた言葉に、月光と日光が固まった。
月光が興味なさげに肩をすくめ、日光は少しばかり戸惑いの表情を浮かべた。
『お父さん、見たくない!なんか、変な体操動画とかやってるらしいけど、くだらないよ!』
『ああ、それだ……!最近、剛徳寺体操とかいう動画を公開してるんだよ。クラスの皆が大笑いしながら観てた』
日光が呆れたように言うと、月光も苦笑いを浮かべた。
『変な体操?』
蒼太郎は心平の配信チャンネルを検索した。
ほどなくして、“一瞬で笑顔になれる剛徳寺体操”と書かれた最新動画が画面に表示された。
『これか!一緒に見てみよう!』
月光と日光は顔を見合わせ、しぶしぶながらもパソコン画面に視線を向けた。
蒼太郎はテレビの大画面にパソコンの映像をキャストし、リビングの空間に軽快な音楽が響き渡らせた。
画面に映し出されたのは、剛徳寺の広い境内から始まった。
どういうわけか心平は左端に立ち、中心に慧心、右に浄光が並んでいた。
三人とも名札が付いた作務衣をまとい、どこかポップな雰囲気を醸し出している。
『おはようございます。剛徳寺の最年少僧侶、心平です。本日は剛徳寺の朝の習慣、剛徳寺体操を皆さんと一緒にやります』
心平の明るい声が響くと、慧心が続けた。
『初めまして、剛徳寺の僧侶、慧心と申します。元体操部として、本日は皆さんを笑顔にする体操を全力でご披露させていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします』
『浄光です。さあ、皆さん、準備はよろしいでしょうか?……………?うんうん、元気がいいですね』
浄光が両手で合図を送り、軽快なリズムが流れる。
三人は息を合わせ、ゆったりとした動作からスタートした。
『まずは、心の仏をイメージ、合掌のポーズ』
心平が手を合わせると、慧心と浄光も同じように動く。
続いて、両手を広げるように開く。
『次は心を開くポーズ』
これを観ていた月光は眉間にしわを寄せて口を開いた。
『……何これ?』
月光が呟いた。
しかし、映像の中の三人は次々と自然に動きを繰り出していく。
『はい、次は鐘の音ポーズ。ゴーーーン!』
心平が両手を振り上げ、鐘を鳴らす仕草をすると、慧心と浄光もそれに続く。
『ゴーーーン!』
『では、次の動き!お寺の掃除をイメージして、左右に手を伸ばして雑巾がけのポーズ!次は座禅ポーズ。みんな、しっかり座ってー』
三人は胡座をかきながら、瞑想するように目を閉じた。
しかし、その直後、突如として腕をぐるぐる回し始めた。
『この動きが、精神統一の秘訣です。さぁ、ここからが本番!体操の始まりだっ!いくぞ!』
突然、慧心がぱつんぱつんのおかっぱのピンク色のカツラをかぶって真顔で登場した。
ぼさぼさすぎるかつら、短すぎる前髪、急な真顔、突然キレキレの体操。
『……ぷっ!』
日光が思わず吹き出した。
すると、画面の向こうではインパクトが強すぎる変顔が展開されていく。
『ちょ……浄光さんの真顔シュールすぎる……!ぷふははははははははははは!』
『おほっ(笑)』
とうとう月光と日光が大笑いし始め、瑠璃もつられて微笑んでいた。
『おおっ……、ぷっ!ぷはっ!慧心さんの顔どうなってるんだ?!ぷっはははははははははは!!!!!』
『……………!……ぶっははははははは!!!!!』
蒼太郎もつられて笑う。
動画のコメント欄には“鼻水出た”、“朝から元気出た”、“子どもと一緒にやってます”といった視聴者の反応が並んでいた。
『なんか、すごかったね。これをみんなで作ったと思うと剛徳寺の先輩たちも最高すぎる』
月光がしみじみと言う。
『うん、つい笑いが込み上げてきたよ。なんか、こういうの、お坊さんがやると妙に面白いね』
日光も頷く。
蒼太郎は二人の様子を見て、心の底からほっこりした。
心平は僧侶として、自分のやり方で人々を照らしていた。
それが、ようやく双子にも伝わったのだ。
『じゃあ、せっかくだから家族でやってみるか?』
蒼太郎が言うと、双子はぎょっとした顔をした。
『えぇっ?!』
『お母さん、やってみたいかも…』
瑠璃がクスッと笑いながら、テレビの前に立った。
その姿を見て、月光と日光は顔を見合わせ、立ち上がった。
『やってみよう!』
そして、剛徳寺体操が始まった。
家族全員が手を合わせ、ゴーーーン!と鐘の音ポーズを取る姿や変顔で体操する姿は、どこか滑稽で、それでも愛おしいひとときだった。
女の子の着物を着た心平と、その声が画面の向こうで響く。
『みんな、笑顔になれたかな?』
蒼太郎は笑顔になった。
瑠璃も、月光と日光も、そしてきっと、心平も。
家族の絆が少し深まった瞬間だった。
一週間後、剛徳寺に一通の手紙が届いた。
封筒の裏には蒼太郎と記されている。
差出人は心平の父、蒼太郎だった。
朝の作務を終えた後、心平はお寺の郵便受けに入っていたその手紙を受け取ると、静かに息を吸い込みながら、自室へと向かった。
畳の上に座り、封を切る。
中には丁寧に折りたたまれた便箋が数枚入っていた。
一枚目の便箋の冒頭には、まず剛徳寺で過ごした時間についての感謝の言葉が綴られていた。
“心平へ
まず初めに、この手紙を書こうと思ったのは、心平と過ごした剛徳寺での時間が、私にとって本当に貴重なものになったからだよ。
正直言うと、最初は心配ばかりで、心平の選んだ道を心から肯定できるかどうか分からなかった。
しかし、剛徳寺で心平がどんな風に暮らしているのかを自分の目で見て、そして、みんなが支える人たちと接することで、自分の考えは変わったよ。
心平が本当に誇りを持って、真剣にこの道を歩んでいることを知れて、父親として心から安心した。
心平は立派に生きている。
そのことを誇りに思う。”
心平は思わず胸を熱くした。
父親がこんなに率直な言葉を綴ることは今までなかった。
手紙を持つ指先に力が入る。
次の便箋には、家族と一緒に心平の配信を見た時のことが書かれていた。
“家に帰ってから、心平の配信を家族みんなで観たよ。
正直なところ、私は配信なんてものをまったく理解していなかったし、どこか軽いものだと思っていた。
だけど、実際に画面越しの心平を見て驚いたよ。
慧心さんや浄光さんと一緒にやっていた剛徳寺体操。
あれはなんだ?
いきなり一瞬で笑顔になれる剛徳寺体操を始めます!って言いながら、みんなで揃って変なポーズを取るし、呼吸を整えつつ、ありがたく腕を回しましょうとか無駄な力を抜いて、自然に微笑みながら礼!とか、真面目なのかふざけているのか分からない動きをしている。
でも、気づいたら私も、瑠璃も、月光も日光も、みんな大笑いしてたよ。
そして虜になって全ての動画を毎日観てしまった…(笑)
笑うことも修行です!って言いながら、体操しながら変な顔してるのを見て、月光がめっちゃ本気でふざけてる!って腹を抱えて笑い、日光もこれ、すごいな。お父さんもやってみようよ!って言い出して、家族全員で一緒にやったんだ。
最初は恥ずかしかったけど、気づいたらみんな楽しくて笑いながら動いていた。
まさか私たち家族が、毎朝こんな風に一緒に笑うなんて思ってもみなかったよ。
心平の配信は、確かに人を明るくする力があった。
心平がやっていることは決して無意味じゃない。
私も初めて、それを心から感じたよ。”
心平は、まぶたの奥が熱くなるのを感じた。
そして、手紙の後半には母・瑠璃の家事について書かれていた。
“それから、心平が言っていたように、私も瑠璃と一緒に台所に立つようにしてみたよ。
最初の一日目は何をどう手伝っていいのか全然分からなかった。
瑠璃の動きは速すぎて、私が何かしようとするとすでに終わってるし、逆に邪魔になってしまうこともあった。
次の日、勇気を出して何かできることあるか?って聞いてみたんだ。
そしたら、瑠璃が驚きながらも笑って、じゃあ、お味噌汁のお豆腐を切ってくれる?って言ったんだ。
剛徳寺で学んだ時のようにやってみたよ。
初めは包丁の使い方もぎこちなかったけど、やっていくうちに少しずつ慣れてきた。
そして、私が手伝い始めると、月光も日光も自然と私も何かしようか?って言い出して、少しずつ家族みんなで食事を作るようになった。
今では、台所に立つのが当たり前になったよ。
心平が言ってた通りだった。
家事は誰か一人がやるものじゃなくて、みんなでやるもの。
それが実感できたよ。ありがとう。”
心平は深く息をついた。
父親がここまで変わるとは思ってもみなかった。
そして最後の便箋には、短いけれど、心に深く響く言葉が綴られていた。
“心平、本当に立派になったね。
私は父親として心平のことをずっと愛しているよ。
心平が選んだ道を、これからも家族みんなで応援しているよ。
無理だけはするんじゃないぞ。
暖かくなったら家族みんなで剛徳寺へ観光するよ。
それから、家族そろって配信・動画を楽しみにしているよ。
心をこめて、父より”
心平は手紙をそっと胸に抱きしめた。
父親が書いた文字の一つ一つに、今まで伝えられなかった想いが込められている気がした。
涙がこぼれそうになったが、こぼれる前に、心平は深く息を吸い込み、まっすぐ前を見た。
そして、静かに手紙を畳むと、心の中で呟いた。
『お父さん、ありがとう』
読んでくださった皆さまへ
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
物語を通じて、少しでも心に残る瞬間があったなら、とても嬉しく思います。
家族のつながり、信じることの難しさ、そして心が通じ合う温かさ――
登場人物たちの歩みが、どこか皆さまの日常にもそっと寄り添えたなら幸いです。
これからも、それぞれの道の先に、穏やかで優しい光が差しますように。
また次の物語でお会いできることを楽しみにしています。
ありがとうございました。
【次回予告】
六波羅蜜編が無事終わり、次は中国へ旅立った楓芽の真相が明かされる。




