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ユメウラ

夢っていうのは、レム睡眠の時に脳内で情報を整理するときの一種の幻覚、そういうもんだから、夢の内容にいちいちどうこうってこれまで考えたことがない。

 「でも怖い夢を見たら、ちょっと寝起き悪いでしょう?」タキは、俺の腹に手を回して、上目遣いでこっちを見てくる。

 「そんなんいちいち覚えてないよ」俺は、背中を向けて壁に頭を寄せ付けた。思い切って切り出した言葉から、遠くかけ離れた言葉ばかり出てくる。

 俺の態度に、本当に俺が拒否しているとやっとわかったのか、タキは同じ話題を蒸し返そうとはしなかった。空気清浄機の音はこういう時だけはやけに静かで、タキの呼吸の音だけがはっきりと聞こえてくる。

 どれくらいさっきの会話から時間が経った頃だろうか。俺はうとうとしていて、タキのことを意識しなくなったあたりで、スッと、背中のから右の肩甲骨まで、何かが擦れる感覚があった。タキが痺れを切らして、寝入ったのだろうか、そうぼんやりとした頭ではそんなに気にならなかった。しばらくして、背中の真ん中を腰に向かってまっすぐに何かが擦り、さらに左肩甲骨からも同じように擦られた。最後に長く、スーとまっすぐな線が、左脇腹から下に向かっておろされた。その線を描いている一点が、指の形で、何か文字を書いているのだとわかったとき、俺は勢い良く起き上がった。

 「…ごめんなさい」背中に触れてた人差し指を宙に浮かしたまま、タキは言った。タキの目は少し潤んで、うすく赤みがかかっていた。

 「いいよ、もう」俺は、タキの頭を撫でた。くしゃくしゃと撫でまわしたから、前髪が目にかかって、タキは目を瞑った。俺が手を離すと、丁寧に前髪を真ん中に分けて、ぱっちりとした目で、タキは俺を見た。

 「今度の年末年始、うちにおいで。見せたいんだ、アツシに」

 この顔になったら、もう折れないと知っている俺は、渋々承諾した。さっきの話題をさけたかったからというのもある。

 二度は言わない言葉の返事が、『ユメトキって知ってる?』だったなんて、今後どうなっても忘れない。


  ユメトキっていうのは、「夢解き」のことで夢占いの一種だと、タキは寝室で俺の質問攻めにあって不足しがちだったことを補いつつ、改めて教えてくれた。リビングのテーブルに向かい合って座って会話していると、お互い落ち着いた状態になった。そうすると、やっぱり話はしやすいもので、俺はやっと理解した。ただそれが、生業として職業を指しているものだとは知らなかった。タキの先祖は、その夢解きを生業としていて、代々その技は受け継がれているということだった。一人娘のタキはいずれその家を継ぐことが定められている。

 「まった、タキの家って農家だろう? いつも野菜送ってくれるじゃん」

昨日の夜だって、ミルフィーユ鍋でみっちり白菜を敷き詰めて消費したばかりだ。まだ玄関のダンボールには、新聞紙包まれた二株が入っている、

 「もちろん、夢解きだけで生活なんてできないよ。江戸時代の終わりごろからもう生業としては終わってる。忙しいのは初夢の時くらい。でもね、これは受け継いでいくべきことなんだ。そうやってずっとお婆ちゃんも、ひいばあちゃんも、ひいひいおばあちゃんも繋いできたんだから。私しか次につなげないの」

 ソファに座っている俺を見上げるタキは、ちょこんとテーブルの向かい側に座っている。お気に入りのピンクのヌードクッションは触りごごちがいいのか、しきりに手で端の方を弄んでいる。

 「やっぱり、婿養子になるっていうのが、ネックなのかな?」

 恐る恐るといった様子で、タキは俺を見上げた。今度は両手で、クッションの端を握りしめている。

 タキ曰く、タキの家は女系で、夢解きの技を受け継げるのは女だけという決まりがあるらしい。故にずっとタキの家は婿養子をとって、家を繋いできたのだ。土地持ちの農家に入りたい次男、三男なら今まで事欠くことはなかっただろう。でも今は? 今やっている仕事をやめてまで、受け入れられることかというとすぐにうんとは言えなかった。俺だって、やりたくて今の仕事をやってるんだ。しがない公務員だけれども。

 「タキが大切にしているものは、俺も大切にしたい。だから、どんなものかは見てみたいよ」

 「じゃあ!」

 タキは、勢い良く立ち上がろうとしたものの、クッションでバランスを崩してテーブルに膝を打ちつけてしまった。言葉にならない苦痛がシワのよった顔から良くわかる。俺は、よしよしとタキの膝を撫でる。眉間に皺を寄せてつつも笑うタキの顔。俺はその顔に笑みを返したけれど、ちゃんと笑えてたかはわからない。

 結婚するかどうか。俺が婿養子にならなかったらタキが決断するしかなかった。その決断をタキに背負わせるほど、俺には何か特別な使命や何かがあるわけでもなかった。それにきっとタキは苦しんでしまう。俺が決めるか決めないか。それしかないのだ。


  結婚するかどうかもわからない男を、タキの母、タカは歓迎してくれた。

 「いや、そのすいません」タキから全て事情は伝わっているようで、とりあえず俺は挨拶もそこそに言っておいた。

 「いいんですよそんなことは、見ればどんな人かわかりますよ」といって、タカさんは、ニコニコしながらを出迎えてくれた。声の感じがタキと似ている。

 タキの実家は、年末となれば雪に囲まれてしまう豪雪地帯にある。中心地から離れた山の麓にあって、除雪車もわざわざタキの家のために道を開きにやってくるという。字は影といってそれも家が続いているから残っているもんだとタキが運転する車の中で聞いた。除雪された雪にさらに雪が積もり、道路の両側に高い雪の壁が出来上がっている。もの珍しそうに眺める俺を、タキは笑った。

 到着すると、思っていたよりも新しい家屋で、狭い間口で奥に長い作りであった。融雪工事をした際に、だいぶ小さくなってしまったとタキはいう。ベットタウンにある建売の俺の実家に比べたら、立派なものだと思うけれど、ここいらに比べたら大したことはないのかもしれない。工事のおかげか、ご両親が頑張って雪かきしてくれたからか、駐車場は雪はあまり積もってなくて、タキは止めやすくなったなあと感慨深そうに呟いていた。

 夢解きが一番大変なのは、元日からだと聞いていたが、タキの言う通りで、午前中に到着してからずっとタカさんからは、タキの幼少期の話を聞かされていた。それはそれで楽しい時間ではあった。夢解きらしいものといえば、ただ玄関を出てすぐの十畳ほどの広間の端に置いてあったテーブルに、硯と筆、半紙が並べられて、神棚に備えるようなお神酒らしきものが置いてあったことだけだ。歓迎してくれるタカさんの対応につられて、質問するタイミングを失ってあれよあれよと掘り炬燵のある暖かい大間に通されて、ずっとタキのアルバムと睨めっこしている。

 タカさんとタキが夕食の準備のために台所へと消えていって、大間には俺とタキのお父さんのミツルさんだけになった。ミツルさんは、本業の農業を継いだ婿養子で、夢解きのことはほとんど口を出さないのだとタキが言っていた。ミツルさんは俺を迎える時に「よく来たね」と言ってからずっと、タカさんとタキの話にうんうんと笑いながら聞いているだけだった。俺とミツルさんは視線が合うものの、お互いに苦笑いして終わってしまう。そのままさっきまで話題にもしなかったつけっぱなしのテレビに俺は救いを求めたが、再放送の若者向けのドラマが流れていて、話のタネになりそうもない。

 「ミツルさん、玄関先の部屋にあるのって」

 俺がそう言うと、ミツルさんは、口を開けて顔をかしげた。声が聞き取りにくかったと思って、俺がもう一度繰り返したが、よくよく考えればミツルさんに聞いても意味がない気がする。

 「ああ、あれですね、夢解きに使うんですよ、まあ明日になればわかりますよ、たくさんいらっしゃるから」

 ミツルさんはそういって、また黙り込んでしまう。とりあえず、手元にある酒を飲んでしまうが、それももう残ってない。もしかしてミツルさんは俺のことそんなに歓迎してないのかもしれない。歓迎しているタカさんの手前あんまり表には出さなかったけれど、婿養子と言っても一家の大黒柱。なる、ならない関係なくここはとりあえず謝っておくべきか。

 「お忙しい時に、こんな状態できちゃって、その、すいません」

 ミツルさんは、さタカさんとタキの会話の時にしていたニコニコの笑顔を出して、「そんなこといいのいいの」と言う。思ったよりも現代的な感覚なんだろうか。タキの家は。

 「謝んなくていいよ、アツシくんが婿養子になるって、うちの思ってるから」

 「え? いや、それは……」腋がじわりと汗ばんでくる。うちのとはタカさんのことだろうかタキのことだろうか。どちらにしろ俺は決めてない。

 「だって、考えてなかったらこんでしょうこんなところに、来ないでしょう? それにうちのが見てそうだっていったら多分、そうなるから」

 ははっとミツルさんは、妙に楽しそうに笑った。何がそんなに楽しいのかよくわからないが、俺も合わせて笑ってしまう。流石に面と向かって農家の婿養子になんてなりませんとは言えない。

 ミツルさんが何かいいたげに口を開いたと思ったら、タキが、サラダを持って台所から出てきた。ミツルさんの口がゆっくり閉じる。

 「お父さん、喋んないからつまんなかったでしょう、もうご飯だから、ほらお父さん手伝って手伝って」

 瞬く間に夕食の準備が掘り炬燵の上のテーブルにされていって、ようやく俺は安心して息をすることができた。タカさんとタキの会話が始まると、話題に困ることは無くなった。


  

  大晦日は、タカさんとタキの話に、酔いのまわった俺が乗っかって、のどかな感じで年を越した。炬燵をみんなで囲んで、紅白を見るとか何年振りだろうか。2階のタキの自室は、丁度門口の上にあって4畳半くらいで狭い。二人分の布団を並べたらもう足の踏み場がなかった。準備して寝ようという時に、ふと俺は何しにきたんだっけ? と変に寝付けなかった。

 「明日の準備はしなくていいの?」

 「もう全部お母さんとお父さんが準備してるから。明日の朝、窓の外をみればわかるよ」

 そう言ってタキは、眠ってしまった。窓は、ちょうど道路に面する方にある。そこから見たところで、積もりに積もった雪の壁が延々と続いているだけなんじゃないだろうか。

 大晦日の夜は、特に夢を見なかったと思う。はっきり覚えてないのだ。起きたら、隣に寝ていたはずのタキの姿がないのに慌てて、俺は昨日言われた通りカーテンを開けて外を見た。雪の壁は、相変わらず道路に面してあったけれど、道路には車が列をなして止まっていて、家の前にはたくさんの人がいた。ダウンコートと毛玉の帽子に身を包んだミツルさんが、一斗缶の焚き火をしつけてる。駐車場の方から、お盆を持った人が出てきて、並んでいる人たちに紙コップを配っていた。

 やばい、この状況は。俺は急いで着替えて、そろそろと階段の中段あたりから下の様子を伺った。階段は、大間のそばの廊下へと続いているから、玄関先の広間の様子をしっかり見ることはできない。けれど、人が喋る声で溢れていて、灯油ストーブの独特のツンとした匂いが鼻についた。素早く階段を降りると、開け放された大間には人のカバンが置かれてあって、台所も扉が開けたままになっていた。

 俺は、キッチン前のテーブルにフードカバーに覆われたおせちとお餅が用意されていたのを見て、少しほっとする。フードカバーには、付箋がついていて、タキの字で「アツシの朝ごはん」と書いてあった。

 とりあえず用意されているものだけは食べようとしたところ、向かい側の大間の掃き出し窓のカーテンから、外からやかんを持ったおばさんが台所へとズカズカと入ってきた。

 「あらごめんなさいね」 

 そういつつも、ご飯をくらう見知らぬ男をジロジロと眺めて、おばさんはもの知った様子で棚からお茶のパックをとり、やかんに水を注いでそそくさと外へと戻っていった。

 きっと美味しいおせちだった。けれど味わって食べる余裕もなくて、テーブルに出ていたものを食べ切ると、また急いで二階へと戻って、防寒具を揃えた。おばさんが出ていった窓から外へ出ようとしたけれど、靴は門口に置いたままであることを思い出した。

 まどつく俺に気づいたのか、窓の近くにいたさっきのおばちゃんが、ミツルさんを呼んでくれた。ミツルさんは、昨日の鈍そうな感じと打って変わって、すぐに玄関先まで行って靴をとりに行ってくれた。

 「最初はよくわからんものですよね、私もこの家に来た時はぼーとしていたもんですよ」

 窓から見た人たちは、夢解き目当てで来ている人らしい。家の前に置かれた丸太に座ったり、折り畳みの椅子に座ってたりしている。道路と家の丁度中間に置かれた一斗缶の近くで、手を温めている人もいる。駐車場の方にある焚き火では一斗缶の上に金網をのせて、その上でやかんでお茶や甘酒を沸かしていた。さっき台所ですれ違ったおばさんは、親戚で他にもお手伝いのおばさん二人がいた。

 俺は、一斗缶のそばを離れることができず、甘酒を飲んでは体を温めた。みんな寒さに慣れっこなのか鈍感なのかよくわからない。並んでいる人たちは、ほとんどが家族連れで、順番が回ってきたら車で待機していたお爺さんやら子供やらを呼びに行くという人が多かった。ミツルさんはお客さんたちの様子をよく見ていて、新たに並ぼうとしてやってくる人には必ず声をかけては、もてなしていた。秒で甘酒を飲み切った俺に気づけば、ミツルさんが追加の甘酒を注いでくれる。俺はありがたくその甘酒をいただいた。

 「こんなにいらっしゃるんですね」

 ミツルさんは、駐車場の雪壁を指さした。

 「前の道をまっすぐいったところに神社があってね。反対側にあるんだけど、初詣がたらいらしてもらえるんですよ。ここら辺の人がほとんどなんだけどね」   俺はわざわざこんなところまでよく来るもんだと感心した。ずずと甘酒を啜る。ほんのりとした甘さで飲みやすい。

 「神社で御神籤を買うでしょう、御神籤みたいなものですよ。私も占ってもらったものです」

 「当たるんですか?」

 「当たるとか当たらないとかそういうことじゃなくて、そういう道筋に自然と行くんですよ。どんな夢だったか文字だったか忘れてもね。象られるというか」

 ミツルさんの真剣な顔から発せられた言葉がいまいち良くわからない。けれど、返事もしないのも良くないから、とりあえず「御神籤の大吉とか喜ぶのはその時だけですもんね」と言ってみたら、ミツルさんがははっと笑った。

 「いずれわかりますよ」

 はあと俺は気の抜けた返事しかできなかった。ミツルさんは、二人の様子を見ておくといいよと言って、お邪魔ですからいいですと断る俺を、早く早くとやたらと急かした。昨晩の黙りこくった様子とはえらい違いだ。俺は渋々、並んでいる人たちにペコペコと頭を下げるミツルさんの真似をしつつ、広間へと入っていった。大間の襖の前にテーブルがあって、タカさんとタキ、タカさんに良く似たおばさんの3人が間隔をあけて並んでいる。それぞれの前には、昨日見た筆と硯、半紙が置いてあって、テーブルを挟んで向かい側にお客さんが座布団の上に座っている。その後ろに順番を待っている人たちが座って談笑している。小さな子供は興味心身で、母親の腕から抜け出して、今にもタカさんたちの方へ飛び出してしまいそうだ。熱心に話すお客さんに、しきりに相槌を打ったり質問をしたりして、話を引き出しているタカさんとタキの様子はまさに真剣そのものだ。ミツルさん曰く、右端に座っているおばさんは、タカさんの妹のタネさんで、一番忙しい元日だけは手伝いにきているらしい。タカさんは、お客さんの話を聞き終わると、半紙に文字を記していた。半紙の文字が滲まないように紙を挟んで、お客さんに渡していた。その書かれた文字はおそらく「白」の文字だった。

 「あれって、どういう意味があるんですか?」

 「夢の話はできませんよ、取られしまいますからね」

 ミツルさんは、人差し指を立てて、黙って見ててくださいと続けた。その目は、強く俺を睨んでいた。場違いな発言をしてしまったらしい。廊下と広間を遮る襖は全部取り払われていて、隠れる場所がなかった。冷たくて誰も座っていない、廊下の角の隅に俺は腰を下ろした。ミツルさんは俺に会釈して、外へと出ていった。

 襖がなくなって剥き出しになってしまった柱が、邪魔で中央に座っているタキを良く見ることができない。が、立ったり斜めになったりして注意して見ると、タカさんとタネさんは話を聞いたらすぐに文字を書いているのに対して、タキは分厚い本を開いて、じっくり考えてから文字を書き始めていた。

 年配のお客さんには、字を半紙に書いてもらうのではなく、掌に書いてもらっている人もいた。文字をつぶさないように、お椀をもつような形で掌を作って、外に出て行った。さっき外で手を温めていた人たちは、文字を乾かしていたのだ。

 時間が経ってくるにつれて、お客さんも増えてきて、廊下に座り始める人もいたので、俺は暖かい部屋を後にして、外に出た。ミツルさんは、相変わらず到着したばかりのお客さんに声をかけて、お茶がいいか甘酒がいいか聞いてまわっていた。やることのない俺は、ミツルさんの様子を伺いながら、お茶配りを手伝ったり、雪かきをしたりして過ごした。


  タキと落ち着いて話ができたのは、夜になってからだった。お客さんは午後からも増えていって、夕方ごろにピークでみなさん帰って行くかなと思っていたらお手伝いのおばさんたちの家族がやってきて、そのまま広間を片付けて、大間と広間を繋いぎ、掘り炬燵とテーブルを囲んで飲み会となだれ込んでしまった。俺の立ち位置は、タキの婿養子ということでタカさんから紹介されてしまって、俺は苦笑いするしかなかった。

 「今日は疲れちゃったね」

 よしよし、と布団に包まっている俺の頭をタキが撫でてくれる。俺もタキの頭を撫でる。「みんな真剣だったな、タキもお疲れさま」

 こっち変に覗くから変に意識しちゃったとタキは緊張の解けた感じでいつも通り笑ってくれた。俺もその笑顔を見てほっとする。

 「タキが見てた本ってなんだったの?」

 「言ってくると思って、持ってきたよ」

 そう言って、タキは、布団の中から和綴本を出してきた。こっそり寝巻きの中に入れて持ってきたらしい。

 「いいのかよ、大事なもんじゃないの?」

 「大丈夫だよ、ずっと私のだったし。お母さんたちはもう覚えて使わないから」

 夢解きをする際に使う文字が連綿で記されていた。夢を吉夢と解釈し直すのが夢解きの役目だとタキはいう。

 「漢字一文字になってしまったのはね、ほんと最近でね、100年ぐらいからなんだけど、元々はもっとたくさんの文字を与えてたんだよ」

 ほうと俺は、読めもしない頁をめくる。これを全部覚えてなくてはならないとは面倒なことだ。

 「他にもね、夢解きの纏わる話が書き留められているんだよ」

 タキは、後ろの方のページをめくると、ほらと言って指さした。この文字なら習ってるし読めるんじゃないとタキは言う。

 興味がないことがばれてしまった。仕方なしに俺はその文字を睨んでみる。話の題名か何かであることは、空いた行間からなんとなく分かるが、意味まで読むことはできない。

 「うじしゅういものがたりだよ、高校で習ったでしょう? 夢を取られちゃう人の話があるんだよ」

 タキに、ミツルさんに夢の話はできないと言われたことを話すと、お父さんは夢解きのことになるときついんだよねえと漏らした。

 「お父さんはね、婿養子だけど、分家筋の人だから夢解きのことすっごく気にしてるんだよね。男の人はなれないでしょう? だからお父さん方の親戚の人ってすどく協力的なの。今日も外で手伝ってくれてた人はみんなそうだよ」

 そうだったのか。ミツルさんの鋭い視線が目に浮かぶ。あの積極性も、そういう思いから来ているのかもしれなかった。

 「夢を取られるっていう話はどんな内容?」

 「夢解きでね、将来出世するというお告げが出た人がいたんだけど、それを隠れて聞いていた人がね、その夢を私にくれっていうの。その強引さに夢解きはとうとう、夢を渡してしまって、隠れて聞いてた人が出世してしまって、最初に占ってもらった人は落ちぶれてしまうって話」

 「それって、夢解きが悪いんじゃないの?」

 「この話はもう夢解きの信頼がなくなってるお話なんだよね。夢を他人に渡しちゃった、夢解きの失敗談なの。他にもこういうお話あるんだよ。夢解きが間違っていて、時の権力者の夢解きしていた方があってたなんてお話もあるんだよ。この時代からそんなんだったのに、今でも続いているって変な感じだよね」

  タキは、大きくあくびをして、そろそろ寝よっかと言い、本を閉じた。タキは明日もきっと朝早く起きるのだろう。俺は、おやすみと言って目を閉じたけれど、本にのっているお話を話しているときのタキの顔が妙に気になってしょうがなかった。眉間に皺を寄せたタキの顔。


 


 朝起きると、タキはいなかった。俺は、今日先に東京へと帰るために、昨日できなかった帰りの支度をしようとする。寝巻きを脱ごうとした時、妙に背中が痒い。背中に手を伸ばして引っ掻く。ガリガリとのびた爪で引っ掻くのが気持ちがいい。痒みはおさまるどころかさらに痒くなってしまったから、背中を見てみるかと思って、寝巻きのボタンを外そうとする。視線をボタンに落とすと、さっきまで掻いていた右手の爪の中の垢が黒ずんで見える。素早く寝巻きとランニングを脱ぎ捨てると、俺は見えない背中を一生懸命に見ようとする。背中をのけぞらせて見えたのは、引っ掻いた爪の跡についた黒い線で、まるで墨をたらしたような黒々さだった。俺はなりふり構わず、一階の脱衣所まで階段を駆け降りて、鏡の前で背中を見た。そこには、「土」だろうか、それとも「上」だろうか、いやそれとも「止」かもしれない、俺の手で引っ掻かれてしまったために、字形がわからない文字が、俺の背中にあった。俺は急いでシャワーを浴びて、その字を落とそうとする。すぐにお湯なんて出るわけもなく、とにかくこの文字を消してしまいたい一心で、冷え切った水を体全身に浴びた。慌てて寝巻きと下着を履いたままだったことに気づいて、急いで脱ぐと、水に細かな墨の塊が溶け出しているのがわかった。小さな「止」・「止」・「止」・「止」・「止」が俺の体を伝って、排水口へと落ちていく。空っぽの湯船に投げた寝巻きと下着は、墨で真っ黒で「止」の文字で染まっている。俺は、その冷水のシャワーを浴び続けた。風呂場には鏡がないから、また脱衣所に一端上がって確認しないとはっきりとはわからなかったが、背中をのけぞってみると、墨はなくなっているように見えた。俺はすっぽんぽんの水びたしで、脱衣所の鏡に立つと、背中を覗き込んだ。目に飛び込んできたのは、3のような文字で、ぬるり、蛇のように動いたかと思ったら、俺の尻の溝を伝って、ぼっとと床に落ちて、ぬるり、ぬるりと廊下を滑って、広間の方へと行ってしまった。「ぎゃっ!」広間の方で、誰かが声がする。とにかく背中だ背中だ。俺はもう一度背中をみるが、そこにはなんの文字もなかった。俺はほっとして力を抜く。「あっ」という声に気づいて、顔を上げると脱衣所に筆を持ったタキが立っていて、俺の股間を見つめていたのだった。

 俺はもう恥ずかしくて消えてしまいたかった。タキは黙って俺に、脱衣所にあったタオルをかけて、2階へと連れて行ってくれた。俺は寒さもよくわからず、ぼーっとしていたところに、タキが「早く服を着て!」と一喝してくれたおかげでようやく服を着ることができた。タカさんとミツルさんに見られなかったのが救いかもしれないとようやく俺は落ち着いて考えることができた。

 「なんで」

  タキは、慌てて持ってきてしまっていた筆を握りしめたまま言った。その顔は、わけがわからないって感じで、血の気が消えていた。

 「ほら寝ぼけてて、いつも通りシャワー浴びようと思ってたら俺ここ俺んちじゃねーわ、てかシャワー冷た!? ってなってさ、あるよなそういうことって? あるよな?」

 俺はとにかく、さっきの俺の行動を理由づけしようとした。俺自身もよくわかってないのだけど、一番わからなくてテンパってるのは目の前のタキだ。タキを納得させてあげるのがまず大事で、俺の羞恥心はどうでもいいのだ。

  な? そう思うよな? と俺は何ぺんも繰り返していることを言いまくって、タキに考えさせる暇を与えさせなかった。そうしているうちに俺は服をしっかり着ることができた。カバンにはとりあえず着替えと、財布とスマホが入っているからよしとする。忘れ物があったらタキが送ってくれるはずだ。とにかく俺はここから今すぐに立ち去りたい。

 「お客さん、まだ来てないんだろう? その前に俺帰るよ。早く帰ってこいよな」俺は最後の言葉が余計だったかもしれないと言ってから思ったが、焦る余裕もなくて、カバンを背負おうとする。

 「待って」

 そう言ってタキは、俺の左手を掴んだ。無表情のタキの顔に俺は怯んでカバンを床に下ろす。タキは、強く掴んで離さない俺の掌に、墨のついてない筆をつけて動かした。俺から見て右側に三つちょんちょんと筆先で点を書き、子の文字を下から書いて、その上に三本の線を書いた。子供の頭に草が生えているみたいな。俺は、タキが何を書いたのか考えた。三つの点に、子に三本の線。

 筆で書いている間、終始震えていたタキの手が離される。その顔は、さっきよりもスッキリしたように見えて、俺の視線に気づいて、大きくうんとうなづいた。

 「アツシのいう通りだね、まだ誰も来てないからいいと思う。私も終わったらすぐ帰るよ」

 お、おうと俺がまごつくと、タキは、ほら早く帰んなさい! とバシッと背中を叩いた。タキに追われる感じで、俺は階段を降りていく。そういえばこんなこと前にもなかったか? とデジャブになる。ままいいか。とにかく早く立ち去ることが大切だ。

 広間にはお客さんを持っているタカさんがいて、半紙に字を書いていた。俺はおじゃましましたと声をかけた。俺を一瞥するとタカさんは、「ああ、はいはい」と言って、目の前の半紙を睨みつけて、墨を十分すぎるくらいに染み込ませた筆で大きく「止」と書いていた。俺はとりあえず、タカさんに一礼して家を出た。少しは名残惜しそうにしてくれるかなとも思っていたが、夢解きをしているタカさんはやっぱり真剣そのもので、声をかけるべきではなかった。

 「もうおかえりですか」

 駐車場に出ると、ミツルさんが、俺に声をかけてくれた。俺は幾分ほっとする。

ミツルさんが、タキに朝ごはんを詰めてあげたらと言ってくれて、タキは確かにそうねと足早に大間の窓から台所へと上がっていった。

 「すいません、わざわざ」

 「いえいえ、いいんですよ、タキがいるとかわいそうだから。なに、文字を剥がしてもらったようじゃないですか。いやはがれたのかな? これはうちのが機嫌が悪くなるわけだ。流れちゃだめだもんねえ」

 面白いねえとミツルさんは、ははははと笑った。その乾いた軽い笑い方は、いつものミツルさんの目を細めて口角をあげた、ニコニコとした笑顔とは全く違っていて、気味が悪かった。

 「私もねわかるたちなんですけど、どうすることもできなくてね、うちのは絶対剥がさないし、私はわかるけど剥がせないですから。体に馴染んだらどんなのだったかわからないですから、もうそれにしたがって勝手に体も動いてしまうんですよ。呪いみたいなもんなんですって。これはもうしょうがないし、私も興味があったしね、だから私はいいんですよ。でもあなたはそうじゃない。タキもうちのと違って優しい子ですからしょうがないですねこればっかりは」

  カラカラと大間の窓が開くと、ベラベラと喋るミツルさんの口がパタと止まった。タキが、おせちとおにぎりの入ったタッパーを渡してくれた。俺はありがとうございましたと、ミツルさんに頭を下げて車に乗り込む。

 「ちゃんと運転できる? 気をつけてよね」

 「大丈夫だよ、じゃあ、また」

 ペコペコと頭を下げて、俺は見送ってくれる二人の姿を視界の端に捉えながら、ハンドルを動かした。雪の壁はこの前よりも低く感じられる。神社の通りの道路に出ると、ミツルさんが言っていたように参拝客の車の列ができていた。今日もこの参拝客の誰かが夢解きしに訪れるのだろうか。

 そうだ、ミツルさん。さっきのミツルさんの言葉が変に気になる。俺は何度も言葉を思い出したが、ははははとミツルさんの笑い声が再生されて、よくわからない。でも、サービスエリアで温めなおしたタッパーに詰めてもらったご飯を食べていると、嫌な感じは無くなって、俺は、またもう1度、ミツルさんと喋ってみたくなってしまった。

 



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