時差六時間
三時間ほどの仮眠を終えて、食堂で軽い夕食をとったあと、半長靴を履き、迷彩服の上から作業外被を羽織ったおれは、隊舎を出て雪荒ぶ小路を小走りに二百メートル先の小屋に走った。重たい金属製の扉を開くと、八畳ほどの小部屋を埋めつくす機材に囲まれた島野一曹が安堵の表情を浮かべておれを見た。
「お疲れ様です島さん」
「ようタケ。大晦日に夜勤当番とは、お前さんも運が無いね」
「いやあ、島さんも中々のもんですよ」
「そういうもんかね。俺はこれから帰れるけど」
「そうですよ。むしろなんかすみません」
今から帰るとはいえ、家に着くのは二十三時を過ぎるだろう。悪くもないのに謝ったのは、来年大学進学を控える娘、高校二年生の娘、おまけに夕勤用に弁当を用意してくれるような出来た奥様と一緒に大晦日を過ごしそこねた島村一曹に比べ、縁もゆかりも無いこの北海道という赴任地で、彼女もいなけりゃ友人の一人すらいない我が身の身軽さに少し罪悪感を感じたからだ。
「今日はどんな具合ですかね?」
「定時連絡以外は特に無いね。あちらさんも年末だからなあ。俺たちみたいな貧乏くじを残して休暇じゃないかね。日勤組はそろそろ定時になる頃だろうし」
腕時計を見た。二十二時半だ。
「ああ、あっちとは時差六時間でしたっけ。こっちが六時間進んでる」
島さんはうんうんと頷き、外被の上からもこもこのコートを着込んで言った。
「最後の最後に貧乏くじ引いて落ちるところまで落ちたからな。来年には期待が持てるんじゃないか」
どんなときにも飄々として不機嫌さから無縁の島さん。いいおっさんだ。
「そいじゃお疲れさん。島村一曹、異常なく申し送り下番します。良いお年を」
「お疲れ様でした。武山士長、異常なく申し受け上番します。良いお年を」
ドアを開け、さぶさぶとぼやきながら、島さんは出て行った。
さて、一人である。
おれは鼻歌交じりでデスクに向かった。
「貧乏くじだって?」
それは違うよ島さん。おれは仕事が大好きだ。年末年始の勤務手当だって必要無い。だから本当はうきうき気分でやってきたのだ。
おれの仕事というのは大陸の某R国の軍事通信の傍受、なんて言えば格好がいいが、早い話が盗聴稼業だ。電波に乗って聞こえてくるモールス通信を書き留めて資料として保存する。電波通信は指向性がガバガバなので、周辺国に傍受されること前提で送られる。だから通信内容は基本的に暗号化されている。それを片っ端から書きまくるのがおれのお仕事だ。
何の役に立っているのか一切不明で、我が軍に部隊多しと言えども、これほどやり甲斐探しに苦心する任務はちょっと他に無いんじゃないだろうか。それでも営倉に放り込まれた兵士が天井の染みを数えることに喜びを見出すように、人間どんな環境でもその気にさえなれば楽しいことだってあるのだ。
時刻は二十二時五十五分。俺は受信機の周波数をセッティングする。アンテナの方角を北西に方面に微調整。ヘッドホンを被ってペンを握った。
二十二時五十九分。
五十五秒、五十六、五十七
・・・ー ・・・ー ・・・ー
ほら、来た来た。
いつも通り定刻三秒前。欧文モールスで「V」を三回続ける呼び出し符号を聞いてにやけ笑いが溢れてしまう。ちなみにこいつは「ねえ、ねえ、ねえ。ちょっと今から声を掛けますよ」と相手に語りかけるサインだ。
呼び出し符号を三回ほど続けたあと、本チャンの呼びかけが開始される。
YBS6 DE GSAF QRK? K(YBS6へ こちらGSAF 感度良好か?)
三秒程度の間をおいて、やや掠れて聞き取りづらい返答。
GSAF DE YBS6 QRK 5 QRK? K(GSAFへ こちら YBS6 感度非常に良好 貴局の感度はどうか?)
YBS6というコールサインは我が軍のお偉方が解析したところ、国境警備隊第六軍とのこと。対するGSAFは参謀本部のコールサインだ。参謀本部の通信兵が何人いるか分からないが、交代制の勤怠シフトは本邦と同じスタイルなようで、GSAFの中の人はいつだっておれと同じタイミングで上番する。
なんでそんなことが分かるかって?
音声通信とは訳が違う。トンツーなんかでどうやって個人の聞き分けができるんだって?
それは凡人の発想だ。
手打ちのモールス信号は打つ人によって独特の癖があるし、なんなら地方柄すら出てくるのだ。
例えば参謀本部が位置するのは欧州に近い某R国首都だ。この地域の特色は、短音と長音の幅が明瞭で聞き取りやすい言わば標準語だ。さすがは都会もんだ。
対して国境警備隊は文字通り国の境を警備するわけだから当然地方になる。第六軍は東部軍管区の中でも某C国との国境に駐屯している。こいつらの特徴は短音を続けるタイプの符号では、音の間の感覚が短すぎることと、長音を標準よりやや長めに打つところ。垢抜けない田舎者丸出しって感じだ。そうそう、あれだ。鹿児島弁とか熊本弁とかそんな感じ。
とまあ、ある程度業界にいる人間になれば打っている人間の方言の聞き分けができるようになる。だからどうしたという話なのだけど、話はここからが本番だ。おれはこの一見つまらなさそうに思えるし、実際にくそほどつまらん業務に面白さを見出す大発明をしてしまったのだ。
それこそがキャラ設定作り。いや、プロファイリングだ。
GSAFの打ちっぷりは、標準語でありながらも音のうち終わりにふわりとした柔らかさを感じる。長めの暗号電報を送る際にも、相手に急かされない限りは聞き取りやすいテンポを心掛ける優しさが見て取れる。うっとりするほどの聞き心地の良さ。間違いなく女性だ。年のころは恐らく十九歳。首都郊外の出身で一人娘。灰色の髪の毛と同じ色の瞳。熊のように大きな父親の遺伝で身長は百七十センチを超えている。綺麗な顔立ちをしているけれど、そばかすが若干強めなのが背が高いとの同じでコンプレックスになっている(でも同級生の男子生徒には結構人気)。好きな食べ物はお母さんが作るボルシチ。お酒は両親に似てとても強い。気分が乗ってしまうとウォッカを一瓶軽々と干してしまうので普段は自重している。
ああ、完璧だ。
ちなみにおれはおれのGSAFをアナスタシアと名付けている。なんかこう、あちらの地域の可愛らしい女の子のイメージがあるからだ。愛称はネットで調べたところナーシャというらしい。
このプロファイリングを踏まえたうえで通信を聞いてみると、一見(聞)無味乾燥なモールス信号のやり取りもおれにしてみればこう聞こえてしまうのだ。
YBS6 DE GSAF QRK 2 QRO K (アナスタシアです。あの、ごめんなさい、すこしそちらの声が聞き取りづらいです。もう少し電力をあげてもらっていいでしょうか?)
GSAF DE YBS6 QRO QRK? K (こいつはすんまっせん。電力あげたけん、調子はどうですか)
YBS6はたぶん三十代くらいの男。お手本のような田舎出身野郎で……。まあ、正直こっちはどうでもいい。
ともあれ、このキャラ設定を作り上げてから、おれは彼女の声を聞くのに夢中になってしまった。
アナスタシアの通信は続く。世界標準の通信略符号を用いた通信が終わり、アナスタシアが電報を打ち始めた。電報は暗号通信なので、おれのような末端の通信兵じゃ、何を言っているのかさっぱり分からない。だけどおれの脳内では、十九歳の美少女がハスキーな声でおれの耳にダイレクトに語りかけてくれている。どのみちあちらの言葉がわからないおれにしてみれば、暗号通信だろうが音声通話だろうが意味が分からないという点では同じことだ。だから自由に想像する。
彼女は何を語っているのだろう。
毎週の休暇で遊びに行く幼馴染の家に子犬が産まれたこと?
寮の食堂でお母さんのボルシチに挑戦しているのになかなか成功しないことかだろうか。
夢見心地で長めの電報を取り終えたおれは、電報を報告書の体裁に整えて時計を見た。
午前零時まであと少し。この一年をアナスタシアの声とともに終わらせることができたおれは大きな満足感とともに年越しの瞬間を待った。
-・・- -・・- -・・-
出し抜けに響き渡ったその符号におれは震えあがった。
呼び出し符号も、事前告知も無しに「X」を三回叩くのは緊急通信の合図。月に一度あるか無しかの異常事態だ。その通信の重要度は日に何度も送られる木っ端電報とは重要度が桁違いだ。
「おいおいおい。勘弁してくれよナーシャちゃん。こちとらワンオペだぞ」
緊急通信の電報は長さが不定だ。数語で終わることもあれば、三十分以上延々と打ち続けることすらある。最悪なことに年末年始でシフト人数を通常より絞っている。一文字でも書き洩らしてしまえば上司からどんな仕打ちが待っているか分かったものじゃない。外出禁止か、下手すりゃ営倉入りか。ちくしょう、島さんの言った通りだ。大晦日になんて貧乏くじだ。
大慌てでまっさらな受信紙を用意して、おれは恐々とアナスタシアからの電報を待った。
・・・・ ・- ・--・ ・--・ -・-- -・ ・ ・-- -・-- ・ ・- ・-・ ・- ・-・ ※
呆気にとられてしまうほどに通信は短かった。
緊張しながら一字一句を書き留めたおれは、受信紙に記されたその短い文字列を見て脱力して失笑した。めずらしく暗号化されていない平文のメッセージ。
なんだこいつら。緊急通信でおめでたい奴らだな。
そこでふと、違和感を覚えて考え込んだ。すぐに、つい先ほどの島さんとの会話を思い出してまたも笑いが漏れた。
「大きなお世話だよ」
所詮は一方的な盗聴稼業だ。あちらで何を話していようとも、おれには言葉を伝えることなんてできやしないのだ。
俺は書き留めた受信紙を丁寧に報告書に貼り付けた。
午前五時四十五分。定時連絡以外の通信もぱったり途絶え、眠気で舟をこぎかけていたところに、鉄扉が開いて冬の冷気が押し寄せた。
「おはようさん。あけましておめでとう」
午前六時から上番の加藤三曹が寒い寒いと言いながらおれの座るデスクの隣に置かれたストーブ前にしゃがみ込んだ。
おれは加藤三曹に挨拶を返し、昨夜の受信結果のファイリングを渡した。
加藤三曹はしゃがんだままぱらぱらとファイルをめくり、年越しの緊急通信を見てからからと笑った。
「なんだこりゃ、洒落たことするなあ。向こうさんもいい性格してるじゃないの」
加藤三曹に引継ぎを終えて下番したおれは、受信小屋の重たい鉄扉を開いた。ストーブでぽかぽかだった小屋の中とは打って変わって、外気は刺すように冷たくて、寝ぼけた頭もしゃっきりとしてくる。夜の間に降り積もった雪を踏んで隊舎への道を足早に歩きつつ空を見上げた。東の空はぼんやりと明るくなっている一方で、西はまだまだ夜の色だ。腕時計を見れば時刻はちょうど午前六時。
時差もちょうど六時間。
おれは遠い遠い西の空に向かってハッピーニューイヤーと叫んだ。
おしまい
※いないと思うけど令和の常識であるモールス信号を修めていない方向け
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