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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第三部 第三章 ボスンター国
557/930

0516 剣と音楽

「……翌日から、師匠アベルによる過酷な訓練が始まった。人を人とも思わない恐ろしい訓練メニューは、徐々にミーファの心と体を(むしば)み、容赦なく打ち倒してくるアベルの剣は、狂剣士アベルの名が嘘ではない事を周囲に知らしめた。情け容赦のないその剣は……」

「……リョウ、何だそれは?」

「え? 気にしないでください。腹ペコ剣士アベルシリーズ『外伝 弟子ミーファの苦難』の一節……になるかもしれない文章です。ただのフィクションで、実在の人物や組織の名称とか一切関係ありませんから」


涼は、紙などに書きながら話しているのではない。


なんとなく、しゃべっているだけだ。


「ここに出てくる『アベル』というのも、アベルの事じゃないですから。物語の中の、架空の人物です」

「読んだ人は、絶対俺の事だと思うだろう?」

「そ、それは読者が誤解しているだけです。僕のせいではありません」

「人を惑わせる書物か。王国では、発禁にすべきかもしれんな」

「なんてことを! 検閲(けんえつ)反対! 表現の自由を守れ!」


拳を突き上げて、主張する涼。

世界は、いろいろと複雑な問題を抱えているのかもしれない……。



もちろん、アベルによる現実の訓練は、ある意味丁寧だ。


最初の宣言通り、模擬戦を行い、アベルが気付いた点を指摘し、改善策を提示する。


文字にすればこれだけだが、そもそも問題点を指摘し、改善策を提示するのがなかなか難しい。

どんな分野でもそうだが、熟練者でなければできない。


そして、アベルは熟練者であった。



アベルが、モゴック局長にお願いしていたことが一つあった。

それは、模擬戦用に刃を潰した、様々な武器を揃えてもらう事。


この模擬戦の主目的は、ミーファの経験不足を補うことにある。

そのため、アベルが使う武器を変えて模擬戦を行う。

それぞれの武器に対して、ミーファは適切に戦う……そんな経験を積んでいく。


ミーファは女性であるため、男性に比べて筋力は少ない。

片手剣は、片手のみで剣を扱うため、相手の体重の乗った打ち込みを正面から受け止めるのは、筋力のある男性でも難しい。

基本は、剣に角度をつけて受け流すことになる。


それは、経験によってのみ、身に付ける事ができる……。


アベルは一つ一つ丁寧に教え、ミーファは真面目に取り組んだ。



それは、傍から見ている涼にもよく分かった。


え? 涼は何をしていたのか?

模擬戦が行われる中庭の椅子に座って、図書室から持ってきた本を読んでいる。

ちゃんとモゴック局長や奥様の許可はとってあるのですよ。


時々、そんな涼の横に奥様が座って、ミーファの訓練の様子を見ることもあった。


目の前で行われる訓練に関して、奥様が質問することがけっこうある。

涼は、その質問に答えていた。

アベルに代わって。



「決して、無駄飯食いではないのです」

「別に、何も言っていないだろう?」

訓練が始まって数日後、昼食の席で、涼はアベルにそう主張した。


「アベルの視線が、そう言っているように見えました! 働かざるもの食うべからずと」

「……そうか」

実際、アベルとしては、涼を非難するつもりなど全くない。


ただ、涼が読んでいる本は気になっていた。


「『呪符と霊符の歴史と効用』?」

「ええ。図書室にありました。呪法の中でも、呪符を中心にいろいろ書いてあって、とても興味深いです」

「ほぉ」

「図書室の、召使司書さんに聞いてみたら、これは入門書で、さらに専門的になる続編もあるそうなので、読み終わったらそちらに進むつもりです」

「そういうところ、リョウは真面目だよな」

「フフフ、真面目家(まじめか)涼と呼んでいいですよ」

「いや、呼ばない」



食後、二人はモゴック局長の部屋に向かった。

事前に呼ばれていたのだ。


モゴック局長は、ミーファの上達を喜び、心から感謝した。

その上で、今後の日程が決まったということで、それを伝えるために二人を呼んだらしい。


「二週間後、代官スー様が首都ジョンジョンに向かわれます。その時に、ミーファも首都に向かうことになっていたのですが、お二人も一緒に首都に移動していただくことになりました」

「承知した」

「首都でも、我が屋敷に滞在いただく予定です。お二人は……さらに北に向かう予定だと伺いましたが」

「最終的に、中央諸国に戻るつもりだ」


アベルがミーファを弟子に取った後、今後の予定に関して、正直にモゴック局長には話すことにしたのだ。

娘を弟子として預ける以上、ある程度は信頼していると考えてもいいだろうと。

であるならば、正直に目的を伝えて、協力してもらった方がいい。



モゴック局長は一つ頷くと、改まった表情で話し始めた。


「ミーファは、陛下の三女、シオ・フェン公主様の侍女となります。それは、公主様が輿(こし)入れをするので、それについていくためです。輿入れ先は、ダーウェイの第六皇子です」

「ふむ」

モゴック局長の説明に、アベルは顔色を変えずに聞いている。


隣に座る涼は、心の中で首をひねっていた。

(ダーウェイって、どこかで聞いた気がするんですが……はて……)


「第六皇子は、次期皇帝位争いからは一歩引いていて……というより、後継者の候補には上がっていません。民からは好かれていますが、いわゆる権力者となる鋭さのようなものは持っていないとか。第六皇子の正妃となるシオ・フェン公主としては、もちろんその方がいいわけですが……」

「後継者争いに絡むと、命の危険が増すからな」

「おっしゃる通りです。その辺りの事もあって、ミーファは剣に専心しているのです……」


モゴック局長はそこまで言うと、深くため息をついた。


「ミーファは、輿入れするシオ・フェン公主とは仲がいいとか」

「はい。今、ミーファは十六歳、シオ・フェン公主は一つ上の十七歳です。妻がシオ・フェン公主の叔母にあたりますし、私が、首都に長くいたこともあって、二人は幼い時から姉妹のように仲良く育ちました。そのため、シオ・フェン公主の輿入れが決まると、すぐにミーファは侍女としてついていくと宣言し……」


モゴック局長は、再び深いため息をついた。


「その、ダーウェイというのは、厄介な国なのか?」

「はい……。ああ、お二人は中央諸国の方ですからご存じないでしょうか。ダーウェイ……中央諸国風に言えば、ダーウェイ王朝と言うべきかもしれません。王朝の名前が国の名前として通用します。なぜならその国こそが、『東方諸国そのもの』だからです」

「そうか! その国か……。中央諸国では、ただ『東国』とだけ習うな。なぜなら、王朝がいろいろと変わるからだ。東方の超大国。そうか、今はダーウェイ王朝か……」


アベルが知っていたことに、モゴック局長は驚いたようだ。


「ご存じでしたか。ええ、東方諸国以外では、『東国』と呼ばれることもあるようですね。東方諸国の者は、皆、その時々の王朝の名で呼びます。百五十年前に、新たな王朝が打ち立てられました。それが、ダーウェイです」

「あの……それって、どれくらい大きいのですか?」

ずっと黙ったままだった涼だが、どうしても気になったので尋ねてみた。


答えたのは、モゴック局長ではなくアベルだ。


「中央諸国で言うなら、王国、帝国、連合の三大国を合わせたほどの領土。他の周辺国家との国力差も、いつの時代でも数十倍の開きがあると言われる」

「それは……凄いですね」

「我がボスンター国も、ダーウェイの意向には逆らえません。もっとも、我が国の政治に口を出してくるようなこともありませんが」

アベルの答えに涼が驚き、モゴック局長は関係性を説明した。



涼の頭の中には、古代アジアにおける冊封(さくほう)体制という言葉が思い浮かぶ。


基本的に、貢物を出しておきさえすれば、口出しはしてこないし、超大国の威光(いこう)で王の権威も後押ししてもらえる……。

ある種の国際秩序といってもいい。



「お二人が中央諸国に戻るなら、必ずそのダーウェイを通り抜けることになります。中央諸国に行くには、ダーウェイ北西部から、いくつものオアシス国家を通っていく以外に道はありませんから」

「なるほど」

モゴック局長の説明に、涼もアベルも頷いた。


「首都ジョンジョン以降は、また考える事にしましょう。とりあえず、今はミーファの剣ですね」

「ミーファは、他の準備は問題ないのか? 侍女としてついていくのだろう。まあ、立ち居振る舞いは問題なかったが……」

「はい……」


アベルは、それほど深い考えがあって尋ねたわけではなかった。

だが、モゴック局長がついたため息は、今までのどれよりも深い……。


「何だ、問題があるのか?」

「いえ、問題と言いますか……。ダーウェイは元々、尚武(しょうぶ)の国でした。ですが、さすがに百五十年も大国として君臨すると、武よりも文が強くなります」

「まあ、どんな国でも通る道だな」


モゴック局長が言い、アベルも同意した。

それくらいは、アベルでも知っている歴史の共通項だ。


「おっしゃる通りです。現在のダーウェイにおいては、文の中でも芸、特に音楽、器楽に関する人材は重宝されます。そのため、各国が送り込む人材も、その辺りを重視しております」

「ミーファは、苦手なのか?」

「いえ、むしろ得意だと言えるでしょう。小さい頃から、シオ・フェン公主と一緒に、多くの楽器を演奏してきましたから。特にヴァイオリンは」

「ほぉ」

「シオ・フェン公主と共に向かう侍女の中では、最も上手いですし、基準は大きく超えてはいるのですが……ダーウェイにおいては、上手ければ上手いほどいい。それは、シオ・フェン公主のダーウェイ宮廷内での地位も上げることに繋がるでしょう」

「ミーファは賢い子だ。それは理解しているだろう?」

「はい。ですが、剣も楽器も両方は無理だと……。自分は替えが利かない剣を、楽器は他の侍女に任せると……」

「なるほど。その理屈も分からないではないか」


アベルは、ため息をつきながら頷いた。


「ああ、すいません、愚痴(ぐち)を言ってしまいました。どうか忘れてください。アベル殿は、ミーファの剣を鍛えてください。他はこちらで何とかしますので」




モゴック局長の部屋を出たところで、涼は何かに気付いたように、頭を上げた。


「思い出しました!」

「何をだ?」

「ダーウェイです!」

「『東国』の現王朝だろう?」

「そうではなく……いえ、そうなんですけど、どこで聞いたかです。自治都市クベバサの冒険者互助会でした」

「互助会で? あったか?」

「ええ、ありました。特級冒険者がいっぱいいる国です」


冒険者互助会の会長が言ったのを思い出したのだ。

東方諸国広しと雖も、特級冒険者がいるのは『ダーウェイ』くらいのもんだよと。


「そういえば言ってたな。よく覚えていたな、そんな事」

「フフフ、僕の記憶力もなかなかのものでしょう?」

アベルの称賛に、喜ぶ涼。


「人材も豊富ということか。超大国の名は伊達ではないな」

「建国して百五十年も経つのに、中央諸国にいた時には、『ダーウェイ』という名前は聞かなかったのですか?」

涼は疑問に思っていたことを問うた。


「ああ。西方諸国は、時々冒険者などが行き来しているが、東方諸国からのというのはほとんど聞かないしな」

アベルはそう言いながら、視線がツツーと動いた。


「あ! アベル、その辺りの授業、真面目に聞いてなかったですね!」

「そ、そういうわけではないぞ! 『東国』については覚えていたんだし、いいじゃないか。俺だって完璧じゃない」

「アベルが完璧だなんて思っていませんよ。その時、手を抜いたのが、今になって跳ね返ってきているのです。手抜きという技術は、超一流の打ち手だけがやっていい技術なのです」

「うん、意味が分からない」


涼が、手抜きの語源である囲碁について語ったのだが、それはアベルには通じなかった。


文化の違いというのは難しい問題だ。



「お嬢様! 今日こそはヴァイオリンの練習をしていただきます!」

「ヴァーヤ、私は剣の練習で忙しいの」

「公主様のためにも……」

「それは分かっているわ。でも、楽器は他の侍女の方に任せて……」


そこに、歩いていた涼とアベルがさしかかった。


「師匠! 今日も稽古をつけてください」

「ふむ。ミーファ、ちょっとヴァイオリンを弾いてみてくれ」

「え……。な、なぜでしょうか。剣には関係ありません」

「ミーファ、俺は師匠だ。俺の言う事は必ず聞くと、最初に約束したよな?」

「……はい」


ミーファは、不承(ふしょう)不承(ぶしょう)という態で、ヴァイオリンを持つと弾き始めた。


アベルも涼も知らない曲であったが、一言で言って上手だ。

隣で聞いている、ミーファ専属召使のヴァーヤさんも、うっとりと聞いている。



演奏中、アベルは目を瞑らずに、ミーファの指、特に弦を押さえる左手の指をじっと見ていた。



演奏そのものは、特に間違うこともなく……いや、もちろん知らない曲なのだが、涼には間違いがあったようには思えなかった。

なので、拍手をした。

ヴァーヤさんも拍手をした……かなり熱狂的に。



「悪くない」

アベルは、一言そう言うと、一度言葉を切り、そして続けた。

「リズムというのは、音楽だけではなく戦闘においても無視できない要素だ」


アベルは、何度も経験してきた。

特に、強敵との戦い……あまり差のない相手との戦闘で、長引いた時に顕著(けんちょ)に出る。



たとえば、勇者ローマンとの戦闘でもそうだった。



「リズムが乱れることによって、それまで上手くいっていた戦闘が、その形勢が一気に変わることがある」

「はい」

アベルの言葉が、どう展開するのか分からないのだろうが、ミーファはとりあえず頷いている。


「楽器が演奏できるのは、剣という面から見た場合でも、悪い事ではない」

「はい、ですが……」

「ちょっと、そのヴァイオリンを貸してくれ」

「え? はい……どうぞ」


ミーファのヴァイオリンを受け取ると、アベルはすっくと立った。



そして、(かな)でた。



曲は、涼も知っている曲。

昔、ルンにいた頃、アベルが自ら王として即位してから、辺境伯の屋敷で演奏してくれたことがあった。

その時、聞いた曲だ。


「パガニーニ……24の奇想曲、第24番」

悪魔に魂を売ってその技術を手に入れた、とさえ言われた稀代(きたい)のヴァイオリニスト、パガニーニ。

彼の有名な曲の一つ。


ナイトレイ王室の人間は、全員、幼い頃からヴァイオリンの練習をさせられる。

それは、中興の祖リチャード王がヴァイオリンの名手であったから。

涼は、後日、そんな説明を聞かされた。



当然、ナイトレイ王国国王であるアベルは、ヴァイオリンが弾ける。

それも、驚くほど上手に。


数あるヴァイオリン曲の中でも、超絶(ちょうぜつ)技巧(ぎこう)の一曲として知られる、『24の奇想曲』を完璧に弾きこなすのだ。

以前、涼が聞いたことがある『現代のパガニーニ』とすら言われたヴァイオリニスト並みの演奏。

そういえば彼も、身長は193cmとアベル並みの高身長……。

やはり、高身長のヴァイオリニストは見栄えがいい。


しかも演奏も、甲乙つけがたい……いや、目の前で弾いている分、アベルの方が上手いとさえ感じる。


もちろん、涼はヴァイオリンは弾けない。

だが、アベルの演奏には聞き入った。


それは、ミーファもヴァーヤも。


いや、近くを歩いていたり、仕事をしていた召使たちですら、手が止まり、演奏に聞き入っている。



それこそが、音楽の力。



美食と共に、国境を越え、人種を超越し、世界すら超えて人の心を掴むもの。それが音楽。



美しい音楽は、聞く人を幻想へと誘う。

まさにアベルの演奏は、人を幻想へと誘った。



そして、四分後、アベルの演奏は終わった。



訪れる、完全な、だが一瞬の静寂。



一瞬後。

「ブラボー!」

涼が拍手をし、その演奏を称賛する。


さすがに、声を出しての称賛は涼だけだったが、ミーファとヴァーヤはもちろん、止まって聞いていた召使たちも、拍手をした。


自然と、沸き起こった。



そんな称賛を受けて、顔を赤くするアベル。


自分からヴァイオリンを要求しておきながら、照れている。


「ミーファ、剣と音楽の両立は不可能ではない。一日一時間でいい。毎日、とにかく毎日ヴァイオリンを弾いた方がいい。せっかく、小さい頃から身に付けた技術、失くすのは惜しいぞ。剣でも音楽でも、どちらでも公主の力になれる。やってみてはどうだ?」

「はい。やります!」

アベルの言葉に答えるミーファの顔は、上気していた。


決して、追い詰められて仕方なくではなく、他に選択肢が無いからやむを得ずでもなく、やりたいと自分から感じたのだ。


尊敬する師匠が自ら見せてくれた。

剣と音楽の両立した形。その姿。


自分も、それを目指したいと感じた。



アベルは言葉ではなく、自らの姿で弟子を導いたのであった。


パガニーニのくだりは……

『涼とアベルの午後の会話 ~水属性の魔法使い外伝~』

「009 能ある鷹は……」


に書いてあります。


よろしければお読みください……。

https://ncode.syosetu.com/n7972go/

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『水属性の魔法使い』第三部 第4巻表紙  2025年12月15日(月)発売! html>
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