96【グレンの乙女心⑥前編】
「 どう思う? 」
国王様との謁見が終わり、私とリュカは自室へと戻っていた。リュカは細い顎に片手を添えて考え込んでいる。
「 現時点では五分五分ですね。パトリックがシラを切っている可能性もありますが、あの魔物には本当に悪意などなく、ただロウという男に操られてる可能性もあります。何より厄介なのは ……。」
だな、と自分も頷く。
「 セナがパトリックを信じ切っている事だ。」
「 困りましたね、セナ様は心が純粋なのです。後で裏切られ、悲しむお姿は見たくありませんね 。」
セナが純粋? その意見には賛同しかねるが、傷つく姿を見たくないことには同意見だ。
「 あっと!そろそろ時間ですね!」
時計の針は午後7時30分を回っていた。リュカの話では、今夜の宴は会場でセナ達を待つよりも、部屋まで迎えに上がり、彼女達をエスコートした方が良いらしい。なぜかと聞いても「 会場へ行けば分かります」の一点張りで理由を教えようとしない。
「 では行くか。」
私の隊とララノアの隊は今夜は非番となり、宴を存分に楽しむことが出来る。そのため普段と違って、サーコートや剣士としての動きやすい服装ではなく、正装で出席せねばならなかった。
部屋をノックする音に答えると、覗き込んだのはフレデリックだった。彼は白いシャツ以外は全て漆黒のタキシード姿に身を揃えていた。
「 どうせなら三人の方が様になるかと思いまして、フレデリック様もお呼びしました!」
リュカはそう言いながら、光沢のある明るいグレーのタキシードの上衣に袖を通す。
いつも思う、お前は宴の衣装を何着持ってるのだ?
屋敷に戻れば執事やメイドが用意してくれるが、城にいる間は自分で用意しなくてはならない。と言っても王宮の仕立屋に頼むだけなのだが、それがなかなか面倒だった。
おっと、モタモタしていると宴が始まってしまう。国王様は遅れてくるだろうが、定時通りに来る老中らより遅れると、後々長い説教を聞く羽目になる。
私は席を立つと上着を取った。
自分は上下黒で、中のベストは濃い目のグレーのタキシードだ。華やかな色は好みじゃないから、いつもシンプルな物を選んでいる。
三人でセナの部屋へと向かう途中、フレデリックからとんでもない話を聞かされた。
あの未開拓ダンジョンで門番を司っていたグリフォンが、セナとの契約を結びに現れたらしい。
本来聖獣と契約を結ぶ為には二通りの方法がある。
一つは家督を受け継ぐ際に、親族からその権利を譲り受けることだ。この場合原則として長男がその対象となることが多い。
そしてもう一つは、聖獣が住むとされる伝説の土地へと向かい、数々の試練を乗り越え、その上で聖獣に認められた者だけが契約を交わす事が出来る。
現在この世界で聖獣を従えてる者は十人にも満たないはずだ。それくらい稀なことなのだが ……。
まして聖獣から出向くなど聞いた事がない!
「 それでは先程あの部屋にはグリフォンが隠れていたのですか!? 凄いや、セナ様!!」
リュカは興奮して声が上ずっている。しかしフレデリックは妙に落ち着いていて、ガラス玉のような目で私達を振り返った。
「 あろうことかセナはあっさり『いらない』と断ったのです。」
…………………。
「 二人とも言葉を無くすのは理解出来ますが、あまり時間がありません。とりあえず先へ進みましょう。」
「 断っただと!?…… セナはバカ …… いや神の加護たるものを …… いやもういい。…… それでグリフォンはどうされたのだッ?」
信じられんな、本当にアイツは規格外だ。この世界で聖獣との契約を蹴る者など、どこを探しても見当たらないだろう。見ろ、リュカだって階段から足を踏み外してる。
「 グリフォン様は実に爽やかに去って行かれました。」
正直女性に向かって手を挙げてしまいそうでした ……。とフレデリックはどこか遠くを見つめているが、むしろよく耐えたと褒めてやりたい。
私ですら聖獣との契約は手から喉が出るほど欲しいのだ、フレデリックにしてみればセナの行動は愚の骨頂としか思えないだろう。
「 アハハ!セナ様は欲のない方ですねー!」
リュカは無邪気に笑う。お前のその透き通る大きな猫目は曇ってるのか?
セナがグリフォンとの契約を断った理由は、おおかた面倒だっただけだ。あいつは一見社交的だが、親しくする者とそうでない者との境界線をはっきりと区別する。
いや今だって私達や侍女にまでも、完全に心を開いてるとは思えない。なぜあんなにも頑なに壁を作るのか、その理由を知りたくても彼女は自分の事を多くは語らない。
セナがリュカに優しいのは、リュカが彼女を深く探らないからだ。少しでも彼女のパーソナルスペースに踏み入ろうとすると、立ち所に背を向けられるだろう。
以前はいずれ自分の世界へと戻るから、割り切ってるのだと思っていたが、もしかするとそれだけではないのかもしれない ……。
部屋をノックすると、きゃあきゃあと甲高い声がして、サラ殿とターニャ様が楽し気に扉を開けた。
なんとまぁ ……。
二人とも美しく着飾り、その華やかさに目を細める。貴族の嗜みとしてではなく、本心で二人の姿を称賛した。
「 あら、もうそんなお時間でございますの? セナ様ーッ!皆様がお迎えに来られましたわよ!! 」
サラ殿が部屋の奥へと声をかけると、セナの声が返って来た。
「 えー ? なんでわざわざ迎えに来たのー? 直接会場に行けばいいのに 〜 。 」
せっかく迎えに来たのにこの言い草か? 文句の一つでも言ってやろうと、声のした方を覗き込むと、部屋の奥からセナがやって来た。
「 あっ!本当だ、もうこんな時間なのね? んじゃ行きましょうか。」
部屋から出て、階段を下り、廊下を進む。
人は何度でも、同じ女性に恋に落ちることなどあるのだろうか? 彼女の隣を歩ける事が嬉しく思うが哀しくも思う。なぜなら隣だと彼女の姿を見る事が出来ないのだ。時々何か話しかけられ視線が合うが、自分がちゃんと会話できているのか自信がなかった。誰かの言葉で彼女が弾けるように笑うと、心臓に針が刺さるような傷みを感じるのが辛かった。
会場へ近づくと、リュカが振り向いて何か言っている。その隙に私は改めてセナを眺めた。
彼女はふわりと幾重にも重なる寒色のドレスを身に纏い、長い髪を片方の肩から流している。いつもと違って髪は緩くウエーブがかり、その毛先が艶っぽさを引き立てている。
何より、普段の服装と決定的に異なるのは完全に肩が空気にさらされていることだ。スラリとした鎖骨の中心には、あの懐中時計の宝石がチラチラと光を放っている。胸元を直視するのは失礼だと分かってはいるのだが ……。
リュカがターニャ様の手を取ると、会場へと入って行った。中でザワザワと騒ぐ声が聞こえる。
続いてはフレデリックとサラ殿だ。こちらはもっと凄い、どよめきに近い歓声が中から聞こえて来た。
それはそうだろう、サラ殿は騎士団員の中でも密かに狙っている者が多いと聞く。美しさに加えて家柄も良く、奥ゆかしさまで兼ね備えてるとなれば当たり前だ。一緒に旅をしていて、意外に芯が強いことなども決してマイナスポイントではなくむしろプラスだ。
その彼女が、もはや人外レベルの美しさを誇るフレデリックと一緒なら、騒ぎが起こらない方がおかしい。
「 …… グレン。」
名前を呼ばれ隣を見ると、セナが私の上着の裾を掴んで見上げている。
中に入らなくてはならないのだろうか?
刹那このまま連れ去りたい衝動に駆られる。今まで割と自由に生きていたが、彼女と出逢ってからは自制することばかりのような気がする。
私がセナの華奢な手を取ると、彼女は繋いだ指に少し力を込めた。その感覚に軽く目眩がした。
ふとダンジョンの中でセナを抱き上げた隊員のことが頭をよぎる。腕を高く伸ばし彼女はあの男に抱き上げられると、首に腕を絡めていた。
あれ以来あの男とは目を合わすことが出来ない。嫉妬の天辺にある感情が、殺意だということを初めて知った。
「 もう一度名前を。」
セナはずっと私の名前を呼ばなかった。フレデリックやリュカのことはそうでもないのに、私の名前だけは頑なに呼ぼうとしなかったのだ。
だが一度元の世界へ帰り、再びこの世界へと戻ってきた時から …… そうだ、私が竜族と戦ったときに初めて名前を呼ばれた。
「 グレン? 」
彼女の唇で自分の名前を呼ばれるだけで、ゾクリと震える。
なぜ今までそれを口にしなかった? そしてなぜ今はそれを口にする? 教えてくれ、前と今ではお前の中で何がどう変わったのだ??
私はもう片方の手を彼女の頬に添えた。彼女は不思議そうに私を見返す。指でその柔らかな唇に触れる。途端に私の視線を受けとめていた彼女は視線を逸らした。
やめてくれ、心を閉ざさないでくれ。
これ以上深入りすると、また名前の呼ばれぬ日々に戻るのであろう? 私は彼女の頬から手を離した。
「 中へ入ろう。」
一度呼ばれる幸福を知ってしまうと、そんな些細な事でも、もう失いたくはない。
フレデリックも彼女を「 元の世界に戻さない 」と言っていた。
……… 当然だ。
私は彼女を見て目を細めた。ちゃんと笑えてるだろうか? セナも私の顔を見て、優しく微笑みを浮かべた。
元の世界へなど絶対に返すものか。
その為なら今はどんなことでも耐えてみせよう。ゆっくり時間をかけて懐柔し、彼女が元の世界を捨てたくなるくらい、この世界を愛させてやる。
「 ムリよ、諦めて。」
……………。
「 何か …… 言ったか?」
小さくてよく聞こえなかったが、彼女はいま確かに何かを呟いた。セナは私をもう一度見上げて、先ほどとは少し違う悲しげな笑みを浮かべている。
「 いいえ …… 何も。 」
行きましょう?と指に力を入れる。
そして宴の会場への入口をくぐった。




