74【帰還】
気がつくと私は床に座り込んでいた。
何度も目にしたことのある、見慣れた風景、ここは …… 私のマンションの私の部屋。
あぁ、帰ってきたのね。
窓の外からは、明るい日差しがカーテン越しに入ってくる。棚の上にはドライフラワーの瓶詰めが所狭しと並んでいた。
……… 静かね。
感傷に浸っている場合ではない。私は辺りを見回し会社用の鞄を探ると、携帯を取り出し電話をかけた。とにかく無断欠勤のことを謝らなくてはならない!
コール三回目で「お電話ありがとうございます!」と元気な声が耳に届く。相手が社名を言い終わらないうちに私は叫んだ。
「 た、高杉 !? 私、世那だけど!!」
「 あ〜ぁ!世那さん? ちょうど良かった!お電話お借りしちゃってすみませんが、斎藤様の妹さんが式当日に演奏するのって、チェロとヴィエラのどちらでしたか覚えてます?」
「 …… チェロよ。 ヴァイオリンより大きな楽器だから、座って演奏されるわ。だから必ず椅子もご用意してね?」
あ〜!わーかりましたー ! と呑気な事を言っている。…… そうじゃなくて!!
「 それで世那さんは何のご用事ですかー? まさか休暇初日で、もう会社が恋しくなっちゃいました?」
──── えっ !? 休暇初日!?
「 え、えっと、高杉? 確認したいんだけど今日は何日かしら?」
え〜? もぉ〜世那さん、何言ってるんですか!今日は ………。
私は日付けを高杉から教えてもらうと、礼を言って電話を切った。そしてそのまま携帯のカレンダーを開くと、その日付けは高杉が言ったものと同じだった。
動揺しながらもテレビをつける。せわしなくチャンネルを何度も変えて、ニュース番組を探した。
時刻はお昼前、午前11時を過ぎたところだ。疑問が確信に変わるまで、それほど時間はかからなかった。
間違いない、今日は連休一日目だ。
これは …… これはどういうことなの!?
あっちの世界とこっちの世界では、時間の流れが違うってこと? それともどれだけあっちの世界にいても、戻った時にはリセットされるってこと??
いずれにしても一つだけ間違いないことがある。
テレビのリモコンは私の手からスルリと落ちた。
「 …… はッ!……… ははッ!! 」
衝撃過ぎて笑いがもれる。
急いで戻る必要など全くなかったのだ。そして次第に怒りが込み上げてきた、誰に対してでもなく自分に対してだ。
「 信じられない!!あんな言い合いまでして!サラやターニャをあれほど泣かせて!!…… グレンにもフレデリックにも ……リュカにだって ……。」
どれだけ冷たい言葉を浴びせたことか。
「 だって!…… そんなの仕方ないじゃない!知らなかったんだもの!私は …… 本当に二週間経っちゃってると思ったから ……。」
だんだんと声もかすれて小さくなってくる。
…………………… 戻らないと。
私は立ち上がった!
そうよね? こうしてる場合じゃない、今すぐ戻って石探しを続けないと!!
そしてヘナヘナとその場に座り込む。
戻るっていったって ……
「 どうやって戻ればいいのよ ………。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目の前のテーブルには、和菓子とコーヒーが並んでいる。私は椅子にもたれかかりながら、窓ガラス越しに見える、通りを歩く人達を眺めた。
部屋で一人でいると、みんなの顔が次から次へと浮かんでは消え、気分は落ち込むばかりだった。
このままではダメだと思い、ふらふらと外に出ると、目についた和食のお店に入った。
ずっと洋食ばかりの毎日だったのだ、思いきり和食が食べたい。そう思い入ったのだが、食欲などあるはずがない。
テーブルにあるメモ用紙には『 16日=16時間 』と走り書きがある。私はそれを見てため息をついた。
恐らく私が召喚された時間は、昨夜の19時過ぎだと思う。そしてさっき戻った時刻は、午前11時。
16時間だ。
あっちの世界での一日が、こっちの世界では一時間。今更それが分かった所で何の意味もない。
私はぬるくなったコーヒーカップを持ち上げた。
だけどそれを口に運ぶことはせず、またテーブルへと戻す。あんなに飲みたかったコーヒーなのに、いまは何の感情も湧かない。
そうよ、私は紅茶より断然コーヒー派。あの世界は毎日毎日紅茶ばっかりで、よくまぁこんなに飲めるものだと思ったものだ。
それでも、どの紅茶もとてもおいしかったな ……。
「 お口に合いませんか?? 」
ハッとして見上げると、店員さんが困ったように、私を覗き込んでいる。
あぁ!いいえ!そうじゃないの、と慌てて取り繕うと店員さんは今度は声を潜めた。
「 恐れ入りますが、あちらのお客様がサインを求められています。お受けいたしますか?」
…… サイン??
何のこと?と彼女の顔を見返すと、店員さんは声のトーンを更に落とす。
「 プライベートのお時間ですので、とこちらからお断り致しましょうか?」
そこで私はようやく理解した。
私は着替えることもしないで、あちらの服装のままで出てきてしまったのだ。コスプレか何かだ勘違いされたようだ。
「 映画の撮影ですか?」
ちゃっかり店員さんもそう聞いてくる。あろうことか女優さんだと間違えている。私は適当にごまかして、コーヒーと和菓子を一気に食べると、急いでお店を後にした。
そうかぁ、服装一つとしてあの世界とこちらでは全然違う。海外旅行とは違うのだ、もう二度と彼らには会えない。
そう思うと、何だかとてつもなく息苦しくなって、私はマンションまでの道を少し遠回りして川べりを歩いた。
空を見上げると雲もなく風もほとんど吹いてない、ポカポカと気持ちの安らぐようなお天気だ。河川敷では、犬の散歩やランニングをしている人がいる。
ここには魔物はいないわね、そう思うとクスリと笑いがこみ上げてきた。でもそれと同時に虚しさも胸に広がる。
明日から何をしようか。
休暇に入ったら、やろうと思ってたことが少なからずあったと思う。だけどいまは何一つ思い浮かばない。
私はまた一人でクスクスと笑った。
旅行はもういいわね、充分過ぎるくらい色んな所を旅したもの。
すれ違う人が私をジロジロ見る。やはりコスプレに見えるのだろう。私は階段を下りると河川敷のベンチに腰を下ろした。
ぼんやりと川の流れを見ていると、携帯が鳴った。なんだかこの音までもが久しぶり過ぎて違和感がある。
…… 伊織くんだ。
そういえば、さっき携帯を確認したときに、連休中にご飯を食べに行かないか?とメールが届いていた事を思い出す。
「 …… ハイ、…… 名取です。」
世那さん? 今いいかな?
「 ええ、大丈夫です。」
メール見たかな? 世那さんが休みの間に、この前行きたいって話してた居酒屋行きませんか??
「 ……………。」
あれ? 世那さん? 聞こえてる?
「 えっ?えぇ、いいわよ?」
そっか、じゃあいつにしようか?僕は今夜でも良いけど。
「 そうね、じゃあ …… 明日じゃダメかしら?? 」
いいよ、明日ね!了解。じゃあ19時時くらいに予約入れてみるよ。
「 ええ …… ありがとう。」
……… 世那さん?
「 …… うん?」
いや、じゃあ明日。
「 えぇ。」
私は携帯を下ろすと、再びのどかな風景を眺めた。どうしてか理由は分からないけど、彼と話していたら急に胸が苦しくなって涙が出そうになった。私は私の生活が始まるのだ、あの世界の事は夢だと思って忘れるしかない。
……… あぁ、ホビット見てみたかったなぁ ………。




