35【グレンの乙女心④】
「 お砂糖は入れますか?」
彼女は私に無邪気にそう尋ねた
紅茶は人によってはとても渋いものを出されることがある。本当は三つ入れたいが、私は二つと答えた。ミニキッチンからテーブルへと場所を変え「ひとつ、ふたつ!」と数えながらティーカップをスプーンでくるくると回し、私に差し出す
たかがお茶を入れるだけのことなのに彼女はとても嬉しそうで、楽しそうだ
熱湯を入れ立てである、そうとう熱いのだろう
カップを大事そうに両手で持ち、何度も何度も息を吹きかける。 あんなに必死で入れたのだからきっとおいしいだろう。そう思いながら私は彼女の様子を見守った
ようやく一口啜る
と、彼女は不思議そうな表情を浮かべた
まずいのだろうか? 見守るこちらまで不安になる
次の瞬間、彼女は満面の笑みを浮かべもう一度カップを口元に運んだ
あぁ良かった。私は胸を撫で下ろした
彼女の元いた世界に魔法はないはずだ。だがこうやって紅茶を楽しんで作る様子は、この国で魔法が日常的にどう使われているのか理解しているようだ
彼女と視線が合う
紅茶を勧められ、自分の前にもカップがある事を思い出す。彼女は私が飲むのを確認して味の感想を求める
正直味なんて全然分からない
いつも飲んでいるものより美味いのかもしれないが、そういう事ではなく、その時の私にはお茶の味を楽しむ余裕などなかった。私が美味しいと答えると彼女は「 本当?」と心底嬉しそうだった
良い雰囲気じゃないか?
昨夜の庭での事を話してみようか?
あの後どうやってこの部屋へと戻ったのかも知りたい。いや、そんな事より城下町を案内する事のほうが、彼女は喜んでくれるのではないか? 今日は侍女たちと城の中を歩き回ったそうだ。今度は私が彼女にこの国のことを教えたい
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「 またお会いしましょう……そちらのお嬢さんは近いうちに ……」
男はゆったりとした足取りで、庭の小径を歩いていく
「 セナ様!!ここから下へはどうやって降りるのですか!?」
あの男、絶対に逃すわけにはいかない
「 えっ!? 知りません!! というかこの部屋から下へ直接降りる階段なんてあるのですか?」
「 ……どこか近道のようなものがあるのでは?」
彼女は知らないと首を横に振る
「 では …… 昨夜庭へはどうやって?」
「 庭?昨夜は庭へなんて行ってませんが?」
彼女は訝しげな表情でこちらを見返す
嘘を付いているようにも見えないが、どういう事だ? 昨晩庭で出会った女性はセナ様ではないのか?
だが今はそんな事を考えている場合ではない。男の目的はセナ様のようだ。 彼女を安全な場所へと移動させなければ!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「 国一の剣豪と魔導師が一緒ならば、何の問題もないでしょう?」
まさかフレデリックがそのような事を言いだすとは、夢にも思わなかった
バーミーズマウンテンでの一件以来、なんとなくギクシャクした関係になってしまっと感じていたが、一緒に旅に出る役を買って出てくれるとは思わなかった。それに、ジャスパーを失った事で、フレデリックの目からは光が消えてしまったかのようであったが、石を集める事にこれほどの熱意があるとは正直意外だった
王や長老から旅の許可が下りると、私たちはそれぞれ準備に取り掛かった。セナ様には休んでいただこうと思ったが、侍女たちと旅支度をすると言ってさっさと部屋へと戻ろうとする。私は私で急遽城を空けることへの対応もあったため、部屋の扉前とテラスに護衛を手配した
旅への移動手段について、フレデリックのもとを訪れると、部屋の中を魔導師たちが慌ただしく動き回り、その中央ではフレデリックが様々な指示を周りの者に出していた
よく見ると、テーブルの上の沢山の書類にはペンがひとりでに走り書きをしており、奥の部屋からは本や何かの器材などが宙に浮きながら所定の位置へと進んでいた
部屋の中に入ると手前のテーブル上に旅行鞄が開いていて、これまた必要な旅グッズたちが、自分で勝手に鞄の中に納まっているところだった
一体いくつの魔法を同時にかけているのか
忙しいようなので、もう少し後でも良いだろうと部屋を出ようとすると、背後から静かな声が響いてきた
「 四人乗り用の馬車を準備してあります。あなたともう一人の隊員は馬で行くのでしょう? 私は馬車のコントロールに集中したいのでそれで移動する事にします。…… それでよろしいですか?」
私が頷くと、フレデリックは僅かに口の端を上げ「 では後ほど」と静かに頷いた
自室へと戻る廊下を歩いていて空腹を感じる
ちょうど前方には食堂があり、部屋の明かりが漏れていたので、何か軽くつまもうかと思ったが、部屋から聞こえてくる声に耳を傾けると、リュカが騎士仲間に旅に出る話をしていて、入るには入れなくなってしまった
しまった、リュカに口止めする事を完全に忘れていた
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「 この状態をこのまま止める事は出来ないのかなーと思って」
な、なんて事を言いだすのだ
確かに時戻しの術を使った後にハイレベルな魔物が何体も出現したら、フレデリックは使い物にならなくなってしまう。彼は魔導師としては超一流だが、剣や武道の心得があるとは聞いたことがない
しかし …… しかしだな ……
私はこの異様な迫力のある屋敷を見上げた
魔物の討伐は造作も無い事だったし、愛馬で草原を駆け抜けるのは気分が晴れ渡るように清々しかった。 騎士団の団長に任命されてからというもの、常に集団での行動だったからな
だが、丘を登りきった後に待っていたのは残酷なイベントだった。 リュカの「偵察に行きますか?」という提案も「いや結構」と言ってしまいたい衝動に駆られる。何もこんな不気味な屋敷に入らずとも、庭の噴水などに石がないかと期待したが、セナ様は真剣な眼差しで腕を組み二階の窓を見上げている
せめてフレデリックよ
いちいち私に相談などせずさっさと新築に戻してくれたら良かったのに
「時間を戻すより遥かにシンプルです」
ああ、万事休す
こちらの心境は複雑だよ
サンルームの扉は老婆の悲鳴のようなけたたましい音を立て開き、ザワザワと鳥肌が腕を覆う
さっき倒した魔物たちでもこんな悲惨な声は上げなかったぞ!むしろ奴らはもっと品があった!
屋敷の中は静まり返り、生より死が勝っているかのような脆弱な空気が漂う
フレデリックやセナ様はなぜ足を忍ばせているのだ? 私たちは盗っ人ではないのだから、もっと堂々と歩けば良いだろう! 私はまだ先に進むのかと思い扉の方を見ると、そこには少しの隙間が開いていた。 おや?とそのまま見ていると扉の下の方に痩せ細ったガリガリの指が音もなく伸び扉を引っ張った
「 バタン!」と扉が閉まる
三人が顔を見合わせた
今の見たか? …… えっ? 誰も見てないのか? 行くのかほんとに?
このままここに一人で残るのも嫌だ。クッ、こんなことなら潔癖症のリュカに上司命令で探索させるべきだった
この暖炉のある部屋の家具には布が掛けられていている。…… 実はこれ、布の下に何かいそうでずっと気味が悪い
いやいや、そもそも幽霊なんて非現実的なものいるわけなどないのだ!と横にあった布を勢いよくめくると、悪魔をモチーフとした胸像に動悸が止まらなくなった
うう、心臓が痛い。この先私は正気を保っていられるのだろうか?
玄関ホールに出る
よ、よーし、いざとなったらここから外へ出ることができるな
ふと、階段を二階に向かって眺めていくと、廊下へと手すりは続いていて、そのまま視線を廊下の先へと進ませた
……ッ!?
手すりの下の方の隙間に大きな緑色の目が二つ、こちらをギョロリと見下ろしている
ハッ!!と慌てて目をそらすと、たった今自分が見てた場所と同じ所を見上げてるフレデリックがいた
フレデリック!! 今のはお前も見たよな!? この屋敷には何かいるぞ!
この世のものとは思えない、得体の知れないものを共に見た者がいる事に一瞬安堵したが、フレデリックは何事もなかったかのようにすっと眼鏡を整え、次の扉へと進んでいった
あいつはもう信用できない
二階に上がってからは展開が速かった。 フレデリックは突き当たりへと迷いなく進むし、セナ様は手前の扉を次々に開けていく
もうただただ置いていかれないよう彼女の背後をついて回っていたが、開いた部屋には冷淡な表情を浮かべこちらを見つめる者達がいた
あまりの驚きでうっかりセナ様を斬ってしまう所だった。汗で手が滑っていて本当に良かった
いやほんとパニックというのは恐ろしいもんだな
石を見つけると私たちは無事に屋敷を出ることができた
私は二人の前で気を失わず、本当に良かったと一息をついたが、その隣でセナ様はゆっくりと倒れていった
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
まだ彼女は目覚めない
身体のどこにもおかしい所はなく、体温も脈拍も正常値。にも関わらずセナ様は眠りから覚めなかった
昼夜問わずフレデリックが彼女のそばにいるから心配は無いのだが、それでも不安は尽きない。異世界人はこんな風に長期の眠りに就くことがあるのかと思い、城に残る勇者達へそれとなく尋ねてみたがそんな事はないらしい
旅に出た途端この始末。やはり少人数での石探しには無理があるのだろうか? …… いや、今回の事は隊員が多かろうが少なかろうが、それは無関係であり、未然に防げるものではなかったのか?
彼女が目覚めれば、フレデリックから知らせが来るのだが、それでも何かしら理由を見つけて、何度も彼女の部屋へと足を運んでしまう
明日になっても様子が変わらなければ、城へ戻ろうと皆で話し合った。しかし明日まで待って、手遅れになったらどうする?…… やはり今すぐ城へ戻るべきか
私は一度閉めた宿屋の扉をもう一度開き、階段を走り抜けセナ様の眠る部屋の扉を勢いよく開いた
なんということだ
なんとそこには、眠っている彼女にキスをしようとかがみ込む、フレデリックの姿があった




