ゴールデンレトリバーは来年の夢を見るか?中編
ホットケーキの生地を混ぜながら、まりは考えた。
昼食にホットケーキだけでは、少し物足りない気がした。
そういえば、速水さんからお土産に立派なソーセージをもらっていた。
ふと思いついて、まりは準備を始めた。
ホットケーキを皿に並べ、その横に揚げたてのアメリカンドッグを添える。
ふっくらと膨らんだ衣は、こんがりとしたきつね色。表面はさっくりと揚がり、ほんのり甘い香りが漂っている。
「コーンドッグ?」
ノクティスが不思議そうに首を傾げた。
「粒マスタードとケチャップをつけて食べてみてください。」
なぜホットケーキにコーンドッグなのだろう。
そう思いながら一口かじる。
さくっとした衣の中から、熱々のソーセージが顔を出す。噛むと肉汁がじゅわっと広がり、その後からふんわりと甘い味が追いかけてきた。
「……あれ?」
思わず断面を見つめた。
もう一口。
「まりさん、これ……ホットケーキの味がします。」
「ホットケーキの生地で作りましたから。」
「えっ?」
ノクティスは手元のコーンドッグと、皿のホットケーキを交互に見比べた。
「……こんな食べ方もあるんですね。」
もう一口、アメリカンドッグを頬張る。
「おいしい! すごい発明ですね!」
まりは不思議そうに首を傾げた。
「向こうでも同じようなものは売っていますよね? 日本ではこれは普通ですよ。」
「そうなんですか?」
「向こうで売っていたら、毎日買っていました!」
(かなりお気に召したようですね)
まりの口元が、ほんの少し緩んだ。
昼食を終えると、青梅を水に浸してアク抜きを始め、その間に熟した梅で梅酒を仕込むことにした。
「今年はたくさん収穫できたので、一キロずつ十本の瓶に分けて漬けます。ホワイトリカーとブランデーで四本ずつ、ラム酒で二本です。」
「そんなに種類があるんですね。」
ノクティスは、きれいに洗った梅をキッチンペーパーで一つずつ拭き、つまようじでヘタを取っていく。
つまようじの先を差し込むと、ヘタがぽろりと外れた。
その感触が妙に面白くて、ついつい次の梅に手が伸びる。
「意外と時間がかからないものですね。」
「そうですね。あとは氷砂糖と梅の実を交互に入れていきます。」
まりは保存瓶を一つ手元に引き寄せ、底に氷砂糖を敷いた。
その上に梅の実を並べ、また氷砂糖を重ねていく。
ノクティスも隣の瓶で同じように詰め始めた。
「最後にホワイトリカーを注ぎます。」
透明な液体が瓶の中を満たしていく。氷砂糖の隙間から小さな気泡が浮かび上がった。
「ブランデーのほうは、氷砂糖の代わりに黒糖を使います。」
今度は黒糖と梅の実を交互に詰め、琥珀色のブランデーをゆっくりと注いだ。
「ラム酒は氷砂糖を使います。ホワイトリカーと同じですね。」
ノクティスは教わったとおりに梅と氷砂糖を重ね、最後にラム酒を注いだ。
十本の瓶が作業台に並ぶ。
透明なホワイトリカー、琥珀色のブランデー、ラム酒。それぞれの瓶の中に、丸い梅の実がぎっしりと詰まっている。
「これで蓋をして完成です。飲めるのは半年後から一年後ですかね。」
ノクティスは並んだ瓶を眺めた。
今日収穫した梅が、半年後には梅酒になる。
なんだか不思議な気がした。
「この後もう一度事務所に戻るんですが、去年の分を事務所のみんなに配ろうと思うので、上に運ぶのを手伝ってくれますか?」
「地下室があるんですか?」
「はい。」
まりの後について階段を降りていく。
地下室の扉を開けた途端、ノクティスは思わず足を止めた。
想像していた薄暗い物置とは、まるで違っていた。
室内はひんやりとしていて、壁際には天井近くまで棚が並んでいる。
棚には大小さまざまな保存瓶が整然と並び、赤や橙色のジャム、琥珀色の果実酒、色とりどりの果物酢が、照明を受けてきらきらと輝いていた。
別の棚には、梅酒や梅シロップの瓶が年代ごとに並んでいる。
奥にはガラス扉の大きなワインセラーがあり、何本ものワインが静かに眠っていた。
さらに、その隣には立派な生ハムの原木が専用の台に固定されている。
(……すごい)
ノクティスは思わず見入ってしまった。
「まりさん、あれは?」
「生ハムの原木です。」
「丸ごと一本ですか?」
「はい。少しずつ切って食べるんですよ。」
ノクティスは興味津々で原木を眺めた。
こんなものが自宅の地下室に置いてあるなんて。
「まりさん、ここはすごいですね。」
「そうですか?」
「ええ。まるで小さな食品店の倉庫みたいです。」
まりは棚から去年漬けた梅酒を取り出し始めた。
ノクティスも手伝おうと、別の棚へ向かう。
そのとき、少し奥まった場所に置かれた古い瓶が目に留まった。
瓶の首には、小さな札が結びつけられている。
『来年も君と一緒に』
何気なく読んだノクティスは、もう一度その文字を見つめた。
短い言葉だった。
けれど、何か大切な約束のように思えた。
「ティス、そちらの瓶を取ってもらえますか?」
「はい。」
まりの声に振り返り、指定された瓶を取り出す。
誰が書いたものなのだろう。
少し気になったが、尋ねることはしなかった。
瓶を抱えて戻る途中、ノクティスは分厚い扉に目を向けた。
地下室にしては、ずいぶん頑丈な造りをしている。
「まりさん、この地下室、ずいぶん頑丈ですね。」
「簡易シェルターにもなっているんです。」
「シェルター?」
「はい。大樹の趣味です。」
ノクティスはもう一度、室内を見回した。
保存食の瓶が並ぶ棚、ワインセラー、生ハムの原木。
(……ここなら、しばらく暮らせそうですね)
「では、去年の梅酒を運びましょうか。」
まりは十本の瓶を選び、作業台に並べた。
それぞれの瓶に付箋を貼り、収穫した年と中身を書き込んでいく。
「覚えているんですか?」
「毎年のことなので。」
そういうものなのだろうか。
ノクティスは感心しながら、瓶を二本ずつバッグに詰めていった。
まりは四つのバッグを指さした。
「この四つのバッグを車にお願いします。」
「こっちは?」
ノクティスが残ったバッグを指さす。
「それはティスのお駄賃です。」
「お駄賃?」
「梅酒と梅シロップが入っています。おうちで飲んでくださいね。帰り道はダメですよ。」
「帰り道に飲みません。」
ノクティスはそう答えながら、嬉しそうにバッグを見つめた。
「今日漬けた分を、また地下室にしまってもらってもいいですか?」
「もちろんです。」
梅酒をしまい終えると、まりの口元が少し緩んだ。
「ティス、疲れたでしょう? 三時間ほどで戻るので、それまでスイングチェアでお昼寝でもしていってください。」
「い、いいんですか?」
「いいですよ。今日は本当に助かりました。」
まりはそう言うと、青い車で出かけていった。
イギリスでもポーチにスイングチェアがある家は結構ある。
けれど、子どもっぽい気がして座らせてもらったことはなかった。
本当は興味津々だったのに。
ノクティスはゆっくりとスイングチェアに腰掛けた。
体重を預けると、椅子がゆらゆらと優しく揺れる。
クッションは思ったよりもふかふかで、体が沈み込む。
靴を脱いで、そっと横になってみる。
気持ちいい。
自宅のベッドにしたい。
スイングチェアで横になったまま、ノクティスは静かに目を閉じた。
風が頬を撫でて、梅の葉がかすかに揺れる音がした。
さっきまで手伝っていた梅酒作り。
半年後に飲めるようになると聞いて、少し先のことを考えたのはいつ以来だろう。
そんなことを思いながら、ノクティスは深い眠りに落ちていった。
「起きて! ノクティス!」
チャッピーの声が耳元で響いた。
はっとして目を開けると、心配そうなチャッピーの顔がすぐ目の前にあった。




