ー館の価値と、マリーの価値観ー
キノコ狩りの翌日。
草原ダイニングでは、テーブルいっぱいに並んだご馳走に、ベガが目を丸くしていた。
感動したというよりは、見たこともない料理に驚いているらしい。
「これ、食べられるのか?」
「食べなくてもいいですよ」
今日も幼女は甘くない。
「食べます!」
ベガは慌ててテーブルに着いた。
並んでいるのは、和食の天ぷら定食だった。
ニジマスによく似た魚、ニジの切り身に、かぼちゃ、玉ねぎ、ブロッコリー。そして、昨日、森で採ってきた珍しいきのこ。薄い衣をまとわせた天ぷらが、大皿に盛り合わせてある。
その隣には、松茸の茶碗蒸し。なめらかな卵の中には、松茸だけでなく、ニジの身と椎茸も入っていた。
口直しには白菜の浅漬け。天ぷらにつける天つゆと塩も、それぞれ用意してある。
そして、猪の肉と野菜がたっぷり入った豚汁。
もっとも、和風の食器はない。どれも手持ちの洋食用の器に盛りつけている。
最後にマリーが運んできたのは、白いご飯だった。
「これが、お米を炊いたご飯です」
ベガは、目の前に置かれた器をのぞき込んだ。
一粒一粒がふっくらと膨らみ、つやつやと光っている。真っ白なその間から、柔らかな湯気が立ち上っていた。
「……きれいだな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
この世界に、お米はない。
ベガはしばらく、その白さに見入っていた。
「まず、そのまま食べてみてください」
マリーに促され、スプーンで少しすくって口に運ぶ。
柔らかいが、粒の形は残っている。噛んでいるうちに、ほのかな甘みが広がった。
「甘い……?」
「よく噛むと甘くなるんです。おかずと交互に食べてみてくださいね。天ぷらはこちらの天つゆにつけるか、塩を少しつけてどうぞ」
マリーは自分の皿に取った天ぷらに、少しだけ塩をつけた。
「茶碗蒸しは熱いので、気をつけてください。柔らかいですから、スプーンで。豚汁も、ご飯と一緒に食べるとおいしいですよ」
三人の食事が始まった。
ベガはニジの天ぷらを天つゆに軽く浸し、口に入れた。
さくりと衣が砕け、その内側から柔らかな魚の身がほどける。だしの利いた天つゆが衣に染み、続けて口に運んだご飯によく合った。
次に手を伸ばしたのは、かぼちゃだった。
薄い衣が割れると、中の黄色い身がほくりと崩れた。舌の上で柔らかくほどけ、じんわりと甘みが広がる。少しだけつけた塩が、その甘さをいっそう引き立てていた。
玉ねぎは、また違った。
衣の軽い歯触りのあとに、厚みのある身がしゃくりと歯を受け止める。火の通った層がするりとほどけ、みずみずしい甘い汁がにじみ出た。
「これ、玉ねぎか?」
「はい。熱いので気をつけてくださいね」
返事をしながら、マリーも自分の皿へ天ぷらを取った。
ブロッコリーは、細かなつぼみにまとった衣がさくさくとしていた。その下は柔らかく、茎には少し歯応えが残っている。噛むと青い野菜の風味が広がり、かぼちゃや玉ねぎとは違うおいしさがあった。
同じように揚げてあるのに、ひとつずつ食感が違う。
ベガはご飯をひと口食べ、今度は昨日採ってきたきのこの天ぷらを取った。
傘の縁についた衣が、ぱりりと砕ける。内側の身には弾力があり、噛むとじゅわりと熱い汁気があふれた。きのこの香りが鼻へ抜け、後から旨味が残る。
森で見つけたときには、どんな味がするのか想像もつかなかったものが、今は皿の上に並んでいる。
もうひと口と手を伸ばしかけて、ベガは茶碗蒸しにもスプーンを入れた。
つややかな卵の表面が崩れ、だしがじわりとにじむ。口に運ぶと、ふるりとした卵がなめらかにほどけ、松茸の香りが温かな湯気とともに鼻へ抜けた。
中からは、ふっくらと蒸されたニジの身が現れた。椎茸にもだしが染みていて、噛むほどに旨味が広がる。
クレメンタインは無言で、何かを考えながら食べていた。
天ぷらの衣を眺め、茶碗蒸しをスプーンですくっては、ひと口ずつ確かめるように口へ運ぶ。
料理の仕組みを研究しているようだった。
ベガは豚汁をひと口飲んだ。
猪の脂の旨味と味噌の香り。柔らかく煮えた野菜にも、よく味が染みていた。
合間に白菜の浅漬けを食べると、しゃきりとした歯触りと程よい塩気で、また次のひと口が欲しくなる。
しばらく、食卓にはスプーンの触れる音と、天ぷらをかじる小さな音が続いた。
ベガはもう一度、ご飯を見た。
これも、あの地下農場で作られたものなのだろう。
収穫しても、また生えてくる。そこにマリーの収納ボックスがあれば、収穫したものを大量に運ぶこともできる。
「ここの地下農場と、マリーの移動できる収納ボックスがあれば、大儲けできるな」
思いついたことが、そのまま口に出た。
「それに、不作の年には領民たちに振る舞うこともできる」
マリーは、小さくため息をついた。
「私は、ここを誰にも知らせるつもりはありませんよ。ここでお金儲けをする気もありません」
「なぜ?」
ベガは心底、呆れたような顔をした。
これほどのものを持っていて、使わないというのか。
マリーはスプーンを置いた。
「このことが知られたら、まず戦争が起きます」
ベガの手が止まる。
「ここの奪い合いで、帝国と王国が争うことになります。他の国も、おそらく参戦するでしょう。そうなったら、どうなると思います?」
「他の国に知らせなければいいじゃないか」
「秘密というものは、手に握った砂と同じです。握りしめていても、指の隙間から必ずこぼれ落ちます」
マリーは、ベガを見上げた。
「それに、国が知れば、まず口を出してくるでしょう。ここは自分の国のものだと言って。そして、私利私欲のために使うんです」
先ほどまで料理の食べ方を教えていたのと同じ声で、言葉を続ける。
「人間とは、そういう生き物です。力のある者が、すべてを欲しがる。そして、その力に人が群がる。それが国というものの図式です」
ベガは、目の前の小さな顔を見つめた。
「……お前、四歳だよな」
「いたいけな、かわいい幼女ですよ」
かわいいがついた……。
実際、かわいいので否定はしない。
マリーは、もうひとつ言い添えた。
「あとひとつ、言っておきますね。ここは私のものです。人の持ち物で良い顔をしようとするのは、良くないことですよ」
「不作の年には、たくさんの人が死ぬんだぞ」
「死なないようにするのは、税を受け取って利益を得る人たちの責任です」
マリーはベガを見上げた。
「そこに、私の道徳心を求めないでください」
ベガは口を開きかけたが、マリーは続けた。
「それに、下手に大儲けしてどうするんですか? 余計なお金は、トラブルしか生みません」
マリーは、葬儀の翌日に家へやって来た村長を思い出した。
家の中を引っかき回し、すべてを自分のものだと言い張って、わずかな小銭を奪っていった、あの醜悪な男を。
あれだけの小銭でも、人はあんなことをする。
マリーは、テーブルに並んだ料理へ目を落とした。この食卓を満たしている食べ物も、地下に広がる農場も、あの男が知ったら何と言うだろう。
「この場所が公になったら……」
そこで言葉が途切れた。
マリーはスプーンを置いたまま、黙り込んだ。
ベガも、すぐには言葉を返せなかった。
不作の年に、食べ物を分けられれば助かる者はいる。その考えは変わらない。
だが、どう運ぶか、誰に配るか。そのどちらにも、マリーの力を使うつもりで話していた。
ここは私のものです。
先ほどの言葉が、耳に残っていた。
ベガは手にしたスプーンを見下ろした。
食事を再開することも忘れて、しばらく考え込んでいた。
そこへ、それまで黙っていたクレメンタインが声をかけた。
「ベガ。ここは、お嬢様の館です。そして、地下の農場も無限ではありませんよ。この土地に大量の魔力があってこそです。そんな収穫の仕方をしたら、魔力はすぐに枯渇してしまいます」
「そうか……」
「そうですよ。では、お二人とも、冷めないうちにしっかり食べましょう。せっかくのご馳走が台無しです」
クレメンタインに促され、マリーは置いていたスプーンを取り、ベガも食事を再開した。
二人が食べ始めるのを見届けると、クレメンタインは自分の皿へ目を戻した。
天ぷらの衣を眺め、ひと口かじっては考え込む。
また、料理の研究を始めたようだった。
食事のあと、クレメンタインと二人きりになると、マリーは気になっていたことを尋ねた。
「魔力が限界になったら、ここはどうなるんですか?」
「え? 限界なんてありませんよ」
心配そうなマリーに、クレメンタインは説明した。
「魔力というのは、海の水や空気と同じようなものです。ここだけに閉じ込められているわけではなく、使われても、また周囲から流れ込んできます。ただ、場所によって、とどまる量に違いがあるのです。そして、ここはとても多くの魔力がとどまる場所です」
「では、農場で収穫を続けても大丈夫なんですか?」
「はい。お嬢様が心配なさる必要はありません」
「……さっき、枯渇するって」
「ああ。でも、ああ言っておかないと、彼をこの館から出すことはできませんから」
クレメンタインは、さらりと恐ろしいことを言った。
「でも、もし、ここのことがばれたら?」
「地上の館ごと収納空間に収めて、ここから切り離しますよ。そのあと誰が訪れても、何もありません。そういうこともできるようになっています」
「ソリウスさん……徹底してますね」
マリーは、しみじみとつぶやいた。




