チャッピーに餌付けされる大型犬
あれからノクティスは、数日おきにまりの家へ通うようになっていた。
チェスで負けては庭仕事を手伝い、ときには車の整備やタイヤ交換まで引き受ける。
そんなやり取りが、いつの間にか二人の日常になっていた。
それにしても、まりは呆れるほどチェスが強かった。
実を言えば、ノクティスは留学前、イギリスの大学で開催されたチェス大会で何度も優勝している。
決して弱いわけではない。むしろ、相当な腕前だと自負していた。
ところが、まりには勝てない。
最初こそ手加減するつもりだったが、今では毎回、本気で挑んでいる。
それでも勝てないのだから、どうにも不思議だった。
まりが決めたルールは一つだけ。
思考時間を長く取らないこと。
長く考えると疲れるのだそうだ。
それにもかかわらず、まりは持ち時間をほとんど使わない。
ノクティスが駒を置いた瞬間、次の一手が返ってくる。
頭がいいのだろう。
いや、それだけでは説明できない何かを感じていた。
お茶を飲みながらチェスを楽しむうちに、まりも少しずつ自分のことを話してくれるようになった。
もっとも、自分から積極的に話す人ではない。
夫が一年前に亡くなったこと。
そして、とても過保護な人だったこと。
それはチャッピーを見れば、よく分かる気がした。
あの恐ろしい黄色い鳥は、まりを守るためならロボット三原則でも守る気はなさそうだ。
もっとも、本人に言わせれば、
「僕はロボットじゃないよ。見守りガジェットだからね」
だからロボット三原則には縛られないのだという。
最高に可愛い顔で、そんなことを平然と言ってのけるのだから困る。
幼い子どものように振る舞っているかと思えば、ときどき狡猾な弁護士の裏の顔をのぞかせる。
その日も草むしりを済ませると、まりが飲み物を差し出してくれた。
「梅シロップの炭酸割りです」
透明な炭酸の中で氷が涼しげな音を立てる。
一口飲んだ瞬間、ノクティスは目を見開いた。
「おいしい……」
爽やかな酸味と優しい甘さ。炭酸の刺激が喉を抜け、梅の香りがふわりと残る。
「これ、自分で作ったんですか?」
「はい。日本では昔から家庭で作られているんですよ。うちには大きな梅の木がありますから」
「そういえば、裏庭に緑色の実がたくさんなっていましたね。あれが梅ですか?」
「そうです。そろそろ収穫ですね」
枝がしなるほど実っていたのを思い出す。
「よかったら、収穫を手伝わせてもらえませんか?」
「いいんですか? 結構大変ですよ」
「もちろんです」
即答だった。
「それなら、明日はどうですか? 日曜日ですけど」
「大丈夫ですよ。特に予定もありませんから」
「お休みの日なのに、デートとかしなくていいんですか?」
思いがけない質問に、ノクティスは少し驚いた。
「残念ながら、そんな相手はいませんよ」
「そうですか。では、明日の朝からお願いします。道具はそろっていますので」
「はい。楽しみにしています」
返事をしたノクティスを見て、チャッピーが口を開く。
「明日は梅を取るの?」
「そうですよ。そろそろ収穫ですから」
「ノクティスが手伝ってくれるの?」
ノクティスが頷くと、チャッピーは安心したような顔をした。
どうやら心配していたらしい。
まりが席を立つと、チャッピーは肩から下げているショルダーバッグをごそごそ探り始めた。
この見守りガジェットはスマートフォンまで持っている。
新しい機種が出るたびに欲しがるらしく、ノクティスのものより新しかった。
やがてバッグの中から飴を一つ取り出す。
「ノクティス、これあげる」
「僕にですか?」
「うん。だから明日も来てね」
いつもの冗談のような口調ではなかった。
一生懸命なお願いだった。
「もちろん来ますよ」
そう答えると、チャッピーは安心したように裏庭へ走っていった。
手の中の飴を見る。
包装には『ホットケーキ味』と書かれていた。
どんな味なのか、とても興味が湧いた。
そこへ戻ってきたまりが、ノクティスの手の中の飴に気付く。
「もしかして、チャッピーにもらいましたか?」
「はい。急にどうしたんでしょうね」
「最近、ネット通販で見つけて買ったんです。どうやら、あなたにあげるつもりだったみたいですね」
「そうなんですか」
まりはいつもどおりの穏やかな口調で続けた。
「とても気に入られましたね。好きなものをあげれば、また来てくれると思っているみたいです」
「だからホットケーキ味なんですね。初めて見ました」
ノクティスは飴を眺めながら笑う。
「なんだか、うれしいですね」
この時のノクティスは、まだチャッピーの真意に気づいていなかった。




