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青い車と

日曜日の朝。


 赤いママチャリの前かごいっぱいに、バケツや洗車道具を積んだノクティスを、チャッピーが迎えた。


「おはよう、チャッピー」


「おはよう、ノクティス。何しに来たの?」


「洗車だよ」


 ノクティスは前かごを指差した。


「入っていいよ。二千円ね」


「お金を取るんですか?」


「言ってみただけだよ」


 チャッピーは柵を開けてくれた。


(二千円渡したら、どうなるんだろう)


「チャッピー、二千円あげようか?」


 ノクティスは財布を取り出す。


「冗談だよ。まりに怒られる」


(怒られなければ、受け取りそうだな)


 チャッピーは財布をじっと見つめている。


「二千円で何を買うんだい?」


 自転車を庭へ入れながら尋ねる。


「猫のちゅるちゅる。少し高いんだよ」


 猫のおやつを自腹で買う見守りガジェット。


 なんだか不思議で、思わず笑ってしまう。


「そうだ。携帯持ってる?」


「はい」


「お友達登録しよう」


 ノクティスは少し驚いた。


 まさか。


 まりさんより先に、チャッピーと連絡先を交換することになるなんて。


 チャッピーに呼ばれて、まりが出てきた。


「おはようございます」


 まりは少し驚いた。


 ノクティスは黒いエプロンを着けていた。


「気合が入ってますね」


 ノクティスは少し照れたように笑いながら答えた。


「約束でしたから」


 どうやら本気らしい。


 さっそく青い軽自動車の前へ向かう。


 バケツ。


 スポンジ。


 タオル。


 そして見慣れない道具まで取り出した。


 ポンプ式の泡スプレーだった。


 ノクティスは慣れた手つきで洗剤を入れ、水を注ぐ。


 しゅこしゅこと空気を送り込む。


「慣れてるんですね」


 まりが尋ねる。


「実はこれ、自転車用なんです」


「自転車?」


「はい」


 少し照れ臭そうに泡スプレーを持ち上げる。


「赤い自転車を洗う時に使ってます」


 そういえば、いつも乗ってくる赤い自転車は妙に綺麗だった。


 泥も付いていない。


 錆びもない。


 きちんと手入れされている。


 まりは少しだけ納得した。


 大切にしているのだろう。


 ノクティスは車の前で真剣な顔になる。


 泡を車体に吹き付け、スポンジを手に取った。


 なんだか少し楽しそうだった。


 本人は真面目に洗車をしているのだろう。


 それなのに、まりの目には「水だ!」とはしゃぎながら、全力で遊んでいるコロちゃんの姿が重なって見えた。


 やっぱり、この人は食いしん坊で遊び好きのゴールデンレトリバーなんですね。


 しばらく庭には、水の流れる音だけが響いていた。


 青い軽自動車は、少しずつ輝きを取り戻していく。


「終わりました」


 洗車を終えたノクティスの声が、キッチンまで届いた。


 まりはサンドイッチの皿とアイスコーヒーを持ってテラスへ向かった。


「お疲れさま」


「ありがとうございます」


 ノクティスは席に着き、テーブルに目を向けた。


 サンドイッチ。


 アイスコーヒー。


 それだけだった。


 あからさまには顔に出さない。


 けれど、ほんの少しだけしょんぼりしていた。


 尻尾が垂れているような気がする。


 もちろん見えない。


 たぶん。


 まりは少しだけ口元を緩める。


「待ってて」


 そう言ってキッチンへ戻った。


 しばらくして戻ってきた。


 両手には大きな皿。


 三段に重ねられたホットケーキ。


 バターがゆっくり溶けている。


 甘い香りが風に乗る。


 ノクティスが固まった。


 そして、満面の笑顔になった。


 しょぼくれていたコロちゃんが、急に尻尾を振り始めたようだった。


「先にホットケーキから食べてもいいですよ」


 まりが言う。


「足りなかったらサンドイッチをどうぞ」


「ありがとうございます」


 本当に嬉しそうだった。


 まりは自分の分のアイスミルクティーを持って席に着く。


 テラスの風が気持ちいい。


 目の前では、尻尾をぱたぱた振っているようなコロちゃんがホットケーキを見つめている。


「いただきます」


 ノクティスはホットケーキへナイフを入れながら、ふと思い出したように庭の隅を見る。


 洗ったばかりの青い軽自動車が陽の光を受けていた。


「あの車は買い出し用ですか?」


 まりはアイスミルクティーをひと口飲む。


「通院や仕事用ですね」


「仕事をされているんですか?」


「在宅ですけど」


 ノクティスは頷いた。


「どこか悪いんですか?」


 まりは少し考える。


「頭と顔ですかね」


 真顔だった。


 ノクティスは一瞬固まった。


 どうやら冗談らしい。


「まりさんは美人ですよ」


「そうですか?」


 まりは首を傾げた。


「私、あまり人の美醜に興味がなくて」


「なるほど……」


 ノクティスは少しだけ納得する。


 だからなのか。


 彼女は自分を見ても、他の女性たちのような反応をしない。


 色めいた視線もない。


 緊張もない。


 むしろ。


 子供を見るような目。


 いや。


 もしかすると。


 ペットを見るような目ではないだろうか。


 だから自分はここへの出入りを許されている。


 そんな気がした。


 ノクティスは話題を変えるように車を見る。


「どうして青を選ばれたんですか?」


 まりも車へ視線を向ける。


「ある歌の歌詞に、君の青い車で海へ行こうってあるんです」


「へえ」


「その曲を聞いた時に、思わず自分の車で行けばいいのにって思っちゃったんです」


 ノクティスが思わず笑う。


「確かにそうですね」


「でも、車を選ぶ時になんとなくこの色を選んじゃったんです」


 まりは首を傾げた。


「なんででしょうね?」


 少し間を置いて、まりはノクティスの方を見る。


「そういえば、ノクティスの髪飾りの色と似てますね」


 ノクティスは少し驚いたように髪飾りへ手を添えた。


 まりは髪飾りを見つめる。


「ラピスラズリですか?」


「はい。特別な品なんです」


「とても大切なんですね」


 ノクティスは少しだけ笑った。


「ええ」


 まりはそれ以上は聞かなかった。


 しばらくして、ノクティスが何かに気付いたように口を開く。


「きっと、自分の車で海に行こうと思ったんじゃないですか?」


 まりは少し考えて、


「そうかもしれませんね」


 納得したような表情をした。

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