ー捨てる神あれば、焼く幼女ありー改訂版前編抜けていたため追加11月4日再改訂
ー捨てる神あれば、焼く幼女ありー
「まあ、立派な猪ですこと!」
ベガが持ち帰った獲物を見て、クレメンタインは嬉しそうに両手を合わせた。
赤みがかった金色の髪に、緑の瞳。
十五歳くらいに見える、美しい少女だ。
すっきりとした体つきをしている。
それなのに、胸は大きい方ではないだろうか。
別に悔しくはない。
ほんとうに、悔しくはない。
マリーは、ふと視線を落とした。
そこには、頭のない巨大な猪が横たわっている。
二百キロはありそうだ。
「ウサギをお願いしたつもりだったのですけれど……」
「俺だって、そのつもりだったんだ」
ベガの視線が、ティスへ向いた。
ティスはマリーのそばに座り、尻尾でぱたぱたと床を叩いている。
褒めてほしそうですね。
……この大きさの猪を、どうしろというのでしょう。
マリーが獲物と自分の小さな手を見比べていると、クレメンタインが進み出た。
「お任せくださいませ。解体でしたら、わたくしが」
「できるのですか?」
「はい!」
なんとも頼もしい返事だった。
クレメンタインは巨大な猪のそばにかがみ込むと、その胴体を軽々と担ぎ上げた。
ベガは、呆然とその姿を見つめていた。
「さあ、川へ参りましょう」
右肩には、二百キロはありそうな猪。
左手には、大きさの違う桶をいくつも重ねて持っている。
その重さなど少しも感じていないかのように、美少女はにこやかに微笑んでいた。
川の浅瀬には、大きな平たい石があった。
水はその下を流れていて、天面には少し傾斜がついている。
「普段はお魚をさばいておりますが、ご主人様が仕留めていらした鹿や猪をさばくこともございました」
クレメンタインはそう説明すると、担いでいた猪を石の上へ下ろした。
マリーは、改めて石を眺めた。
前世の記憶にある、六人掛けのダイニングテーブルくらいの大きさだ。
なるほど。お魚だけではなかったのですね。
クレメンタインは川岸に大きさの違う桶を並べると、ひとつで川の水を汲み、石の上へさっと流した。
水は傾斜に沿って流れ、低くなった縁から川へ落ちていく。
どうやら、血や汚れを洗い落としやすくするための傾斜らしい。
石の下をのぞくと、小さな魚が何匹も泳いでいた。
落ちてくるおこぼれを待っているのか、石の縁の下に集まっている。
こちらは、準備万端ですね。
クレメンタインも道具を揃え、髪をポニーテールにまとめると、さっそく作業に取りかかった。
迷いなく刃を動かし、切り分けたものを次々と桶へ移していく。
ときおり水を汲んでは石の上へ流すと、その下で小魚たちが素早く向きを変えた。
大きな獲物を前にしても、少しもためらわない。
それどころか、楽しそうだった。
動くたびに、結んだ髪がしっぽのように揺れている。
その赤みがかった髪が、日の光を受け、ふと金色に輝いた。
マリーは、その髪を目で追った。
何かを、思い出しかけたような気がした。
けれど、それが何なのかをつかむ前に、揺れる髪はまた赤みを帯びた色に戻っていた。
クレメンタインは、鼻歌でも歌い出しそうな顔で作業を続けている。
美少女が、巨大な猪をうきうきと解体している。
……かなり、スプラッタですね。
マリーは、そっと一歩下がった。
やがて、クレメンタインが取り分けた内臓を持ち上げた。
「マリー様、こちらを処分してまいりますね」
「待ってください。そちらも、食べられませんか?」
「危険なものは魔法で取り除けますが……臭くて、食べられたものではございませんよ?」
クレメンタインは、不思議そうに首をかしげた。
どうやら、食べると体に害のあるものを取り除いてくれるらしい。
便利な魔法ですね。
ただし、臭いまで消えるわけではないようだ。
ベガが桶の中をのぞき込み、顔を背けた。
「……それ、本当に食べるのか?」
お気持ちはわかります。
今のところ、あまり食欲をそそる姿ではありませんね。
ホルモンとは、関西弁の「放るもん」――捨てるものが語源だという説もありましたね。
よく言ったものです。
けれど、日本人の魂がささやくのです。
――これは、おいしくできる、と。
「下処理をすれば、その臭みも取れるはずです。少し、試していただけますか?」
「かしこまりました。どのようにいたしましょう?」
クレメンタインが、内臓を桶へ戻した。
魔法で危険なものを取り除いてもらい、マリーの指示で下処理を進めていく。
腸などは小麦粉や塩を使って丁寧に洗ってもらい、レバーは血の塊や筋を取り除いて、きれいに洗ってもらった。
クレメンタインが目を丸くした。
「まあ……ずいぶん、臭いが変わりましたね」
「では、あとはおいしくするだけですね」
ベガが、桶の中をのぞき込んだ。
「そこが一番難しいんじゃないのか?」
「クレメンタインがいますから」
「お任せくださいませ」
クレメンタインは、嬉しそうに微笑んだ。
*
後ろ脚二本は、塩漬け用に取り分けた。
残りの肉も切り分け、まずはレバーを料理することになった。
キッチンに戻ったクレメンタインは、レバーを少し厚めに切っていた。
マリーは踏み台の上から、その様子を見守る。
熱した鍋にレバーが入ると、じゅう、と音がした。
クレメンタインが手際よく返し、両面に焼き色をつけていく。
その間に、小皿へごま油と塩を用意した。
そう。この世界には、ごま油があるのだ。
ありがたいことです。
中までしっかり火を通したレバーを、クレメンタインが皿へ取り分ける。
「そちらのごま油と塩につけて、召し上がってみてください」
マリーに勧められ、クレメンタインが一切れ口へ運んだ。
次の瞬間、緑の瞳が見開かれる。
「……まあ。おいしい……」
確かめるように、もう一度かみしめる。
「あの内臓が、こんなにおいしくなるのですか?」
「よかったです」
「わたくし、今までずっと捨てておりました……」
「では、これからは捨てずに済みますね」
マリーも一切れ、ごま油と塩につけて口へ運んだ。
かむと、ほろりと崩れ、濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。
そこへ、ごま油の香りと塩気が重なった。
日本人の魂は、正しかったようです。
日本では、野生の猪の内臓を食べるとなると、危険もありますけれど。
魔法は便利ですね。
マリーは、もう一切れ口へ運んだ。
*
草原のテーブルに皿を置くと、ベガが顔を近づけた。
「いい匂いだな」
「どうぞ」
「……これ、さっきのか?」
「はい」
ベガの手が止まった。
マリーは気にせず、一切れをごま油と塩につけて食べる。
ベガは、その様子をじっと見ていた。
「……ひとつだけ、食ってみる」
「どうぞ」
覚悟を決めたように口へ放り込み、ベガは黙ってかんだ。
「……うまい」
「それは、よかったです」
「もうひとつ、いいか?」
「普通のお肉もありますけれど」
「今は、こっちでいい」
ずいぶんと、お気に召したようです。
足元では、ティスも味付けしていないものをもらい、嬉しそうに食べていた。
マリーは、その姿を見下ろした。
「今回の一番の功労者ですからね」
「俺も運んだんだけどな」
「ええ。ありがとうございます、ベガ」
ベガは少し目をそらし、それからクレメンタインを見た。
「……次は、運ぶのも頼んでいいか?」
「申し訳ございません。わたくしは、屋敷の外には出られませんので」
「……そうだった」
「それでしたら、私が一緒に行きます。収納ボックスに入れれば、運べますから」
そう言ってから、マリーは少し考えた。
「……でも、収納ボックスの中が生臭くなりませんかね?」
「大丈夫でございますよ、マリー様。ほかのものに臭いが移ることはございません」
クレメンタインが、にこやかに笑った。
「それなら、安心ですね」
マリーがうなずく隣で、ベガはふと気がついた。
獲物を仕留めるのは、ティス。
運ぶのは、マリー。
解体も料理も、クレメンタイン。
……あれ?
俺、いらなくないか?
ベガは、気がついたことを黙っていることにした。
レバーを、もう一切れ口に入れた。
*
ゴールディーの秘密
ベガが最後の一切れを食べ終えるころには、ティスはもう草原を走っていた。
食べ終えたあと、マリーの足元に腹をつけたのは、ほんの少しの間だった。
草原を横切り、小川の手前でくるりと向きを変え、また戻ってくる。
短い脚を懸命に動かし、耳を弾ませ、尻尾まで忙しそうだ。
ベガは、その姿を目で追っていた。
おかしい。
ゴールディーといえば、寝ているか、食べているか。
たまに起きても、またすぐ寝る。
ティスも、そうだったはずだ。
それが今では、日に日に元気になっている。
しかも、魔法まで使った。
あの巨大な猪の頭が吹き飛んだ瞬間を思い出し、ベガは眉を寄せた。
寝ているか食べているかの間に、あんなものを挟まれては困る。
「なあ、マリー」
草原のテーブルでは、マリーが分厚い本を読んでいた。
椅子に座った小さな体の前に、大きな本が広がっている。
ページの端を両手で持ち上げ、ぱたりとめくる。その目は、もう次の行を追っていた。
「はい」
「こいつ、本当にゴールディーなのか?」
マリーが顔を上げた。
ちょうど戻ってきたティスが、その足元で止まる。
勢い余って前脚を踏ん張り、それから何事もなかったように座った。
「ゴールディーだと思いますけれど」
「俺の知ってるゴールディーは、あんなに走らない」
「そうですね。以前は、よく眠っていましたね」
「それに、魔法だぞ。猪の頭がなくなったんだぞ」
ティスが、ぱたぱたと尻尾を振った。
褒めてない。
今は、そういう話をしているんじゃない。
「ちょうど、そのことが書いてある本を読んだところです」
マリーは開いていた本にしおりを挟むと、そばに積んであった本から一冊を取り出した。
「また、ずいぶん古そうな本だな」
「ソロリスさんの研究書です」
「まだ読んでなかった本があったのか?」
「上の棚の本は、全部読み終わりました。その下の開き戸を開けてみたら、魔法の研究書がたくさん入っていたのです」
全部。
ベガは、その言葉だけを頭の中でもう一度繰り返した。
あの書斎の本を、全部。
目の前の四歳児は、何でもないことのように本を開いている。
ゴールディーのことを聞きにきたのに、別の疑問まで増やさないでほしい。
「こちらです」
マリーは迷わずページを開き、小さな指で一節を示した。
「ゴールディーは、成長するために大量の魔力を必要とするそうです。普通は十年ほどかけて、体に魔力を蓄えるのだとか」
「十年も?」
「はい。その間に十分な魔力を蓄えて大人になった個体が、『当たり』と呼ばれるそうです」
「……じゃあ、足りなかったら?」
「『外れ』になるようですね」
ベガは、足元のティスを見た。
ゴールディーに当たりと外れがあることは知っていた。
けれど、それは生まれつき決まっているものだと思っていた。
「つまり、育つ場所でも変わるのか?」
「ええ。魔力を十分に取り込めるかどうかが、大切なのでしょうね」
ティスが立ち上がり、マリーの靴に鼻先を寄せた。
そのまま頬を押しつけ、ちらりと上を見上げる。
マリーが手を下ろすと、自分からその下へ頭を差し入れた。
注文の多い子犬だ。
「じゃあ、こいつは今、魔力をためてる途中なのか?」
「それが……」
マリーは別の箇所へ指を移した。
「当たりのゴールディーは、魔法を使えるようになるそうなのです」
ベガは黙った。
ティスを見た。
ティスは頭をなでられ、目を細めている。
「……もう当たりなのか?」
「魔法を使ったのでしたら、その可能性は高いと思います」
「十年は?」
「ティスは、一年と少しですね」
九年近く、どこへ行った。
小さな前脚も、丸い頭も、どう見ても子犬だった。
十年分の何かを詰め込んだようには見えない。
「でも、前はほとんど動かなかっただろ。あれは何だったんだ?」
「魔力が足りなかったのかもしれません」
「足りない?」
「吸収できる魔力量には個体差があるようです。たくさん吸収できる個体ほど、成長に必要な量も多くなるのでしょうね」
マリーは一度言葉を切り、ティスを見下ろした。
「ティスは、ほかのゴールディーより多くの魔力を必要としていたのではないでしょうか。外では、それが足りなかったのかもしれません」
動かないのではなく、動けなかった。
ベガは以前のティスを思い出した。
食事のとき以外は寝てばかり。
呼んでも、目だけを動かしてこちらを見る。
あれは、横着をしていたわけではなかったのか。
「こちらへ来てから、少しずつ元気になりましたし。最近は、走り回ってもすぐには眠らなくなりました」
マリーは、ティスの背をゆっくりとなでた。
「この場所は魔力が豊富ですから。ようやく、必要なだけ取り込めるようになったのではないでしょうか」
「……土地の魔力だけで、九年分も?」
「私にも、そこまではわかりません。この場所が、よほどティスに合っているのでしょうか」
マリーも不思議そうに、ティスを見下ろした。
当の本人は、気持ちよさそうになでられている。
お前の話なんだけどな。
ベガは思ったが、ティスはのんびりとあくびをした。
「大人になったなら、もっと大きくなるんじゃないのか?」
「普通は、そうなのでしょうね」
マリーは研究書のページを戻し、しばらく目を走らせた。
「成長するまでに魔力を蓄えるのではなく、体が育つより先に、必要な魔力がたまってしまったとしたら……」
そこで言葉を止め、足元を見る。
「この姿のまま、成長が止まっているのかもしれませんね。ただ、この本にも、そこまでは書かれていません」
書いてあることと、自分で考えたことを、マリーはきちんと分けて話す。
ベガには、それがかえって納得できた。
わからないことまで、わかった顔で言わないのだ。
それにしても。
こんな子犬が、あの猪を。
しかも、これからもこの姿かもしれない。
ティスはマリーの手が止まったことに気づき、鼻先でその指を押し上げた。
「もう少しですか?」
マリーがなでると、満足そうに目を閉じる。
事情を知らない者が見たら、ただの甘えん坊の子犬だ。
ベガも、猪の頭がなくなるまではそう思っていた。
「外では、大変だったのかもしれませんね」
マリーの言葉に、ベガはティスを見た。
寝てばかりの、無駄飯食らい。
そう思っていた。
けれど、必要な魔力が足りず、動けなかっただけだった。
そして今は、巨大な猪を仕留められる。
ベガは腕を組んだ。
マリーは料理ができる。
収納ボックスで、大きな獲物も運べる。
おまけに、あの書斎の本を読み尽くしている。
クレメンタインは家事をこなし、解体までできる。
ティスは、狩りができる。
……つまり、この家で無駄飯を食っているのは。
「ベガ」
呼ばれて、ベガは顔を上げた。
「少し、お願いしてもよろしいですか?」
「何だ?」
マリーは研究書を閉じ、その表紙を小さな手で押さえた。
「こちらの本は、とても勉強になるのですけれど、書かれているのは四百年前までのことなのです」
「そりゃ、そうだろうな」
「ですから、今の王国のことを教えていただきたいのです。制度や、貴族の方との接し方などを」
「……俺が?」
「はい。家庭教師をお願いできませんか?」
ベガは、自分を指さした。
マリーはうなずいた。
「私の知らないことを、ベガはご存じでしょう?」
それは、そうだ。
いくら本を読んでも、四百年前の本に今の王国のことは載っていない。
「でも、礼儀作法は男と女で違うところもあるぞ。俺も、全部教えられるわけじゃない」
「ご存じのことから、教えていただければ助かります」
ベガは、少し背筋を伸ばした。
狩りでは、ティスに負けた。
力仕事では、クレメンタインに負けた。
だが、今の王国については、この家の誰よりも知っている。
「よし。俺でよければ、引き受ける」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
マリーが丁寧に頭を下げた。
ベガは、軽く咳払いをした。
どうやら、無駄飯食らいにはならずに済みそうだった。




