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迷いの森の迷惑な朗読会

迷いの森の迷惑な朗読会


 森の入り口にたどり着いた頃にも、雪は静かに降り続いていた。


 空には薄い雲が流れ、その向こうに丸い満月が浮かんでいる。


 細かな雪が、月の光を受けながらゆっくりと舞い落ちていた。


 すでに積もった雪が月明かりを反射し、森の中を青白く照らしている。


 木々の影は長く伸びていたが、思っていたほど暗くはなかった。


「……綺麗ですね」


 マリーは白く染まった森を見渡した。


 けれど、ここは迷いの森。


 一度入り込むと道に迷い、なかなか出てこられないと言われている場所だった。


 マリーは胸の前で小さく手を合わせた。


 ノンナは、何かを願うときには、きちんと声に出してお願いするようにと教えてくれた。


 それ以来、マリーは願い事をするとき、自然と口に出すようになっていた。


「森の神様。今日も魔物に会いませんように」


 その瞬間、マリーを中心に、目に見えない何かがふわりと広がった。


 直径二十メートルほどの、透明な結界だった。


 森の奥でこちらをうかがっていた魔物たちは、突然現れた強い魔力に驚き、次々と逃げ出していった。


 けれど、マリーは何も気づいていない。


「……これで大丈夫でしょうか」


 小さく頷くと、パリカールに声をかけた。


「では、参りましょう」


 パリカールはゆっくりと歩き始めた。


 ティスも鶏も、マリーと一緒だった。


 雪は少しずつ降り続き、地面を白く染めている。


 マリーは以前通った道を思い出しながら、パリカールに進む方向を伝えた。


「……そちらではなく、もう少し右ですね」


 パリカールは素直に向きを変える。


「ありがとうございます」


 しばらく進んだところで、マリーは背後を振り返った。


 月明かりに照らされた森には、誰もいない。


「……少し、怖いですね」


 返事はなかった。


「でも、四人ですからね」


 マリーは自分に言い聞かせるように頷いた。


「きっと大丈夫です」


 ぐう。


 小さなお腹が鳴った。


「……少し、お腹がすきましたね」


 マリーはパリカールを止めた。


「少し休憩にしましょうか」


 雪は静かに降り続いていた。


 地面には雪が積もり、パリカールの蹄の跡がくっきりと残っている。


 マリーは収納ボックスから、くるみ入りのクッキーを取り出した。


「皆さんで分けましょうね」


 四人分に分けようとしたところで、ティスが身を乗り出した。


「わふっ!」


「コケッ!」


 鶏も負けじと首を伸ばす。


 ティスが鼻先を近づければ、鶏も嘴を突き出す。


「……あの」


「わふっ!」


「コケコッ!」


「……ちゃんと分けてあげますから」


 マリーは二匹の間に手を差し入れた。


「もう、速水さんと佐藤さんみたいですね」


 その言葉に、自分で首をかしげた。


「…………?」


 速水さん。


 佐藤さん。


 誰だっただろう。


 名前だけが、ごく自然に口から出てきた。


「……前の世界のお友達なのでしょうか?」


 マリーはそっと胸に手を当てた。


「……なんだか、ここが少し痛くて……暖かいです」


 懐かしいような、寂しいような。


 けれど、不思議と嫌な気持ちではなかった。


 ティスと鶏は、きょとんとした顔でマリーを見上げている。


「……あら。ごめんなさい」


 マリーは我に返った。


「クッキーの途中でしたね」


 四人にそれぞれクッキーを分けた。


 ティスは嬉しそうに尻尾を振り、鶏は雪の上で元気よく嘴を動かしている。


 パリカールも、ゆっくりとクッキーを噛んでいた。


「……皆さん、おいしそうですね」


 マリーもひと口かじった。


 さくりとした歯触りと、くるみの香ばしさが口いっぱいに広がる。


 雪の降る夜の森。


 少し怖い場所ではあったけれど、四人でクッキーを食べていると、それほど心細くはなかった。


「……さて、もう少し頑張りましょうか」


「わふっ!」


「コケッ!」


 パリカールも長い耳をぴんと立てた。


「……皆さん、お元気で何よりです」


 マリーはクッキーの包みを片づけ、再びパリカールに乗った。


 四人は雪の森を、元気に進んでいった。


 雪は静かに降り続いていた。


 パリカールの蹄が、積もった雪を踏みしめる。


 マリーは月明かりに照らされた森を見回した。


「……小さな声で、歌でも歌いましょうか」


 マリーは少し考えてから、歌い始めた。


「じゅげむ、じゅげむ、五劫の擦り切れ……」


 パリカールは、そっと耳を伏せた。


 ティスは顔を背けた。


 鶏は羽の中に頭を突っ込んでしまった。


「…………」


 マリーは歌うのをやめた。


「……お気に召しませんでしたか?」


 返事はなかった。


「これはお話で、主人公の名前なのです。とても長い長い名前で、その名前がまるで歌のようなのですよ」


 マリーは少し間を置いた。


「でも、最後はとても悲しい結果に終わってしまうのです」


 三人は黙っていた。


「……では、違うお話をしましょうか」


 マリーは少し考えた。


「天下の勢い、分かれて久しければ必ず合し、合して久しければ……」


 パリカールは、また耳を伏せた。


 ティスは、とうとう眠ってしまった。


 しかし、なんということでしょう。


 鶏だけは、マリーの顔を期待に満ちた目で見つめていた。


「……あら。興味がおありですか?」


「コケッ!」


「……そうですか。では、続きをお話ししましょうね」


 マリーは嬉しそうに頷いた。


 こうして、雪の降る夜の森で、マリーによる三国志の長い長いお話が始まった。


 パリカールは黙々と歩き、ティスはすやすやと眠り続けた。


 そして鶏だけが、熱心に耳を傾けていた。


 雪は相変わらず、静かに降り続いていた。


 パリカールはマリーの指示に従い、木々の間をゆっくりと進んでいく。


 マリーは以前見た景色を思い出しながら、進む方向を確かめていた。


「……それでですね、曹操という人は、なかなか一筋縄ではいかない人物なのです」


「コケッ!」


「そうなんですよ。頭もよいのですが、少々困ったところもありまして」


 鶏はマリーの顔を見上げ、熱心に聞いている。


 ティスはすっかり眠っていた。


 パリカールは、ときどき耳を動かすものの、黙々と歩き続けている。


「ところが、ここで呂布という、とても強い武将が出てくるのです」


「コケコッ!」


「……あら、ご存じでしたか?」


 鶏は胸を張った。


「そうですか。では、この先は少し面白くなりますよ」


 マリーはすっかり話に夢中になっていた。


「呂布はとても強いのですが、強いからといって、何でも思いどおりになるわけではありません。人間関係というものは、なかなか難しいのです」


「コケッ!」


「……ええ。私もそう思います」


 マリーは真面目に頷いた。


 そのときだった。


 木々の間に、見覚えのある大きな影が現れた。


「……あら?」


 マリーは話を止めた。


 雪の向こうに、古い石造りの建物が見えている。


 以前、遠くから見かけた屋敷だった。


「……ありましたね」


 マリーはほっと息をついた。


「よかったです。ちゃんと覚えていました」


「コケッ!」


 鶏が鳴いた。


「……ああ、申し訳ありません。お話の途中でしたね」


 マリーは鶏を見た。


「ですが、続きはまた今度にしましょう。まずは今夜、休める場所を探さなくては」


「コケコッ!」


「……そんなに残念そうにされても」


 マリーは少し困った顔をした。


「お話は逃げませんから」


 そう言って、屋敷の方へ目を向けた。


 雪をかぶった灰色の石壁が、月明かりの中にぼんやりと浮かび上がっている。


 窓には明かりがなく、人が住んでいる気配もなかった。


「……少し、怖いですね」


 マリーは小さく呟いた。


 それでも、屋根のある建物が見つかったことは嬉しかった。


「パリカール、あちらへお願いします」


 パリカールは長い耳を動かし、屋敷へ向かって歩き始めた。


 鶏はまだ名残惜しそうに、マリーを見上げていた。


「……明日、続きをお話ししましょうね」


「コケッ!」


「……はい。お約束します」


 マリーは小さく頷いた。


 こうして、雪の降る夜の森を進んできた四人は、ようやく古い屋敷へとたどり着いた。

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