春を待たずに 中編 差し替え版
差し替え、再々修正です
パートごとに書いているので
コピペをミスりました
お恥ずかしい限りです
申し訳ありません
春を待たずに
中編 当たり外れの価値
翌朝。b
マリーは寝台の横に座っていた。
ノンナの体は、もう冷たくなっていた。
それを確かめる必要などなかった。
呼吸が止まったことも、心臓が動いていないことも、わかっていた。
マリーはただ、青ざめた顔で座っていた。
泣かなかった。
泣けなかった。
胸の奥が凍りついてしまったようだった。
何を考えればいいのかも、わからなかった。
足元ではティスが小さく鼻を鳴らしていた。
マリーは震える手を握りしめ、それからティスを抱き上げた。
ぎゅっと抱きしめる。
柔らかな毛に顔を埋めた。
温かかった。
腕の中の小さな体は、確かに生きていた。
それでも、涙は出なかった。
しばらくして、マリーは立ち上がった。
隣のおばさんに、知らせなければならない。
雪の積もった道を歩いて、隣家の戸を叩いた。
「はいはい、今開けるよ」
顔を出したのは、ノンナと長年親しくしていたクーラだった。
「あら、マリーちゃん。こんな朝早くにどうしたんだい?」
「おばあちゃんが、亡くなりました」
「……え?」
「昨夜、亡くなりました。葬儀の準備を手伝っていただけますか」
クーラは、しばらく言葉を失った。
目の前に立っているのは、まだ四歳の小さな女の子だった。
夏に四歳になり、ようやく数か月が過ぎたところだ。
その子が、まるで大人のように、祖母の死を告げている。
「……ノンナが?」
「はい」
「そうかい……そうかい……」
クーラは口元を押さえた。
ノンナが弱っていることは知っていた。
近頃は顔を見に行くたび、以前よりずっと小さくなったように感じていた。
それでも、こんなに早く逝ってしまうとは思いたくなかった。
「マリーちゃん……」
クーラは膝を折り、マリーと目の高さを合わせた。
「一人で、看取ったのかい?」
「はい」
「……そうかい」
その小さな顔には涙がなかった。
けれど、血の気を失った頬も、固く握りしめられた手も、尋常ではなかった。
クーラは思わずマリーを抱きしめた。
「よく頑張ったねぇ……」
マリーは何も言わなかった。
抱きしめられたまま、ただじっとしていた。
その様子が、かえって痛々しかった。
泣いてくれたら。
大声で嫌だと言ってくれたら。
せめて、子供らしく取り乱してくれたら。
そんなことを思ってしまう自分がいた。
「大丈夫だよ。あとは大人に任せなさい」
クーラはマリーの頭を撫でた。
「ノンナのことは、ちゃんとしてあげるからね」
マリーは小さく頷いた。
その日のうちに、近所の人たちが集まってきた。
ノンナは長年、この土地で産婆をしていた。
彼女の手で生まれた子供も多い。
その子供たちが親になり、またノンナに子供を取り上げてもらった家もあった。
「うちの長男も、ノンナ婆さんに取り上げてもらったんだよ」
「うちの母さんも世話になったって言ってた」
「本当に、よく働く人だったねぇ」
知らせを聞いた人々は、次々と家を訪れた。
誰かが棺を用意し、誰かが薪を運び、誰かが食事を作った。
クーラは、その中心になって葬儀の準備を進めた。
マリーは、頼まれたことを黙々と手伝った。
布を運び、食器を片づけ、訪ねてきた人に頭を下げた。
「マリーちゃん、もういいんだよ」
何度もそう言われた。
「少し休んでおいで」
「大丈夫です」
返ってくるのは、いつも同じ言葉だった。
近所の女たちは、そんなマリーを見て小声で話した。
「あの子、まだ四つだろう?」
「ノンナ婆さんが亡くなって、これからどうするんだろうね」
「親もいないんだろう?」
「それにしても、泣きもしないなんて……」
「泣けないんだよ」
クーラが、静かに言った。
「あの子の顔を見てごらん。あんなに青い顔をして……」
女たちは口を閉じた。
「あの子は、まだ何も受け止められていないんだよ」
クーラは、部屋の隅に座るマリーを見つめた。
その膝にはティスが抱かれていた。
小さな両腕が、子犬をしっかりと抱えている。
そのそばにはパリカールもいた。
「かわいそうに……」
誰かが呟いた。
「ノンナ婆さんが、あんなに大事にしていた子なのにねぇ」
葬儀の日は、よく晴れていた。
雪はまだ残っていたが、空は澄み渡っていた。
棺の中には、ノンナとタルドが一緒に眠っていた。
この世界では、飼い主が亡くなったとき、年老いた使い魔が後を追うように命を終えることは珍しくなかった。
主人と使い魔のつながりが強いほど、その傾向は強いという。
「……タルドも、一緒に逝ったんだな」
「ああ。あいつもずいぶん長生きしたからな」
「結局、タルドはハズレじゃなかったな」
村人たちが小声で囁き合った。
タルドは、決して優秀な使い魔ではなかった。
動きはのんびりとしていて、何をするにも時間がかかった。
けれど、どんなときもノンナのそばにいた。
若い頃も、年老いてからも。
ただひたすらに、主人に寄り添い続けた。
そして最後には、ノンナと一緒に旅立った。
本当の使い魔とは、何なのだろう。
強い力を持つことだろうか。
主人の役に立つことだろうか。
それとも、最後の瞬間まで、そばにいてくれることだろうか。
タルドは、のんびりとした、優しい子だった。
何か特別なことができたわけではない。
それでも、ノンナを一人にはしなかった。
最後の最後まで寄り添い、そして一緒に逝った。
ハズレなんかじゃない。
ノンナにとって、かけがえのない使い魔だった。
集まった人々は、ノンナとタルドに最後の別れを告げた。
涙を流す人もいた。
声を詰まらせながら、世話になった思い出を語る人もいた。
マリーは、ただ静かに立っていた。
クーラが、その肩にそっと手を置いた。
「マリーちゃん。お別れだよ」
マリーは頷いた。
ノンナとタルドの眠る棺を見つめた。
もう、名前を呼んでも返事はない。
もう、頭を撫でてくれることもない。
春になったら、一緒に旅に出ようと言っていた。
小さな幌馬車に乗って。
ゆっくり、ゆっくり王都を目指すのだと。
けれど、春はまだ来ていなかった。
マリーは胸元に手を当てた。
服の下には、ノンナから託された小さなポーチがあった。
誰にも見せてはいけない。
公爵様ご本人に届ける。
最後の約束だった。
「……おばあちゃん」
小さく、声が漏れた。
それきりだった。
葬儀が終わり、人々が帰り始めても、マリーは泣かなかった。
クーラは、そんなマリーの姿を見ながら考えていた。
この子は、これからどうするのだろう。
ノンナは、この子を本当に大切にしていた。
血のつながりなど関係なく、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
そして、この子もまた、ノンナを慕っていた。
それなのに。
こんな小さな子を、一人残して逝ってしまうなんて。
クーラは目頭を押さえた。
「マリーちゃん」
声をかけると、マリーが顔を上げた。
「今夜は、うちにおいで。温かいものを食べさせてあげるから」
マリーは少しだけ考えた。
それから、静かに首を横に振った。
「ティスとパリカールがいますから」
「……そうかい」
クーラは、それ以上無理に誘わなかった。
「困ったことがあったら、すぐにおいで。いつでもいいからね」
「ありがとうございます」
マリーは丁寧に頭を下げた。
その礼儀正しさが、今はひどく悲しかった。
クーラは帰り際、もう一度振り返った。
小さな家の戸口に、マリーが立っていた。
その足元には、ティスとパリカール。
ノンナがいなくなった家は、以前よりずっと大きく、寂しく見えた。
やがてマリーは戸を閉めた。
家の中は静かだった。
ノンナの声も、タルドの気配も、もうない。
マリーは床に座り、ティスを抱きしめた。
パリカールがそばに寄ってくる。
震える手を、もう一度ぎゅっと握りしめた。
泣かなかった。
ただ、いつまでも、いつまでも。
小さな温もりを抱きしめていた。




