幕間2 優しさの裏側 銘菓は世界を救う
優しさの裏側
病院の前で、ノクティスはまだ動けずにいた。
本当なら、今すぐ病室まで走っていきたい。
まりさんに会いたい。
それなのに、足が動かない。
いっそ引き返そうかと思った。
けれど、引き返すこともできなかった。
自分がきっかけで、彼女を傷つけてしまった。
『今回は危なかったですね』
医師のその一言が、胸に刺さったままだ。
思い出すたびに、今もズキズキと痛む。
手に提げた紙袋には、彼女の好きな紅茶とティーセット。それに電気ケトルも入っている。
速水からは、もう大丈夫だと聞いていた。
紅茶の差し入れについても、病院の許可は取ってある。
準備はすべて整えた。
そして今、病院の前に立っている。
それなのに。
足が凍りついたように動かなかった。
そのとき、携帯電話が震えた。
画面を見ると、チャッピーからのメッセージだった。
『ティス、まりはきっと待ってるよ』
『早く行ってあげてね』
『お家は大丈夫だからって、伝えてね』
ノクティスは、しばらく画面を見つめていた。
そしてようやく、一歩を踏み出した。
* * *
その頃、チャッピーはまりのノートパソコンから、ノクティスの位置情報を確認していた。
「一時間もじっとしてるなんて、目立っただろうなぁ」
横にいた速水も、苦笑いしている。
「チャッピー」
「なあに?」
「君、いつノクティスの携帯電話に追跡アプリを入れたの?」
「だって、迷子になったら困るでしょ?」
「そうだね……」
⸻
銘菓は世界を救う
楠木法律事務所にて。
「佐藤さん、君は弁護士だよね」
「はい……」
佐藤は神妙な顔でうつむいていた。
「法律を守る立場の人間だよね」
「はい……」
「では、人の頬を平手で叩く行為について、法律上どう考える?」
「……暴行罪に該当する可能性があります」
「そうだね」
「はい……」
「それで、君は何をしたのかな?」
「……ノクティスさんを叩きました」
「どうして?」
「……腹が立ったので」
「佐藤さん」
「はい」
「腹が立ったら人を叩いていいのかな?」
「いけません……」
「そうだよね」
速水は深いため息をついた。
「君は弁護士なんだから、そこはしっかりしてもらわないと」
「はい……」
しばらく沈黙が続いた。
やがて佐藤が、おずおずと顔を上げた。
「あの、所長」
「何?」
「そういえば、差し入れのお菓子をいただいたんです」
「今はそんな話をしていない」
「かもめの玉子ですよ?」
「岩手県名産の?」
「そう、それです! しかもチョコ味もあるんですよ!」
「……ちょっとお茶にしようか?」
「はい!」
佐藤はいそいそと給湯室へ向かった。
数分後。
「かもめの玉子には緑茶ですよね!」
「僕はコーヒーにも合うと思うけどね」
二人は向かい合って、お茶を飲んでいた。
しばしの沈黙。
「……佐藤さん」
「はい?」
「僕、ここの所長だよね?」
「一応そうですね」
「一応って……」
「それがどうかしましたか?」
速水はテーブルの上を見つめた。
自分のお茶請けの皿には、かもめの玉子が二つ。
普通のものと、チョコ味が一つずつ。
それに対して、佐藤の皿には。
まるで月見団子のように、かもめの玉子が山盛りになっていた。
佐藤は、その山から一つ取って、もぐもぐと食べている。
「……どうして僕が二個で、残りが全部君のお皿に入っているのかな?」
「それは私が佐藤だからです」
「……理由になってないと思うけど」
「佐藤ですから」
「…………」
速水は自分の皿を見つめた。
「せめて、あと一つぐらいはいいんじゃないかな……」
佐藤は無言で、かもめの玉子をもう一つ口に運んだ。
そして今日も、楠木法律事務所は平和です。




