止まった時計塔 その3
指先が触れた瞬間、カチリ、と音がした。
止まっていたはずの秒針が、一目盛り、動いた。
湊は息を呑んだ。十年以上も静止していたはずの機構が、確かに、僅かに、動いたのだ。それは物理的にあり得ないことだった。バネは錆び付き、歯車は固着し、油脂はとうに乾ききっているはずなのに。工学部の学生として、そんな現象がどれほど非常識であるかは、誰よりもよく理解していた。
彼はもう一度、振り子に手を添えた。今度ははっきりと、規則的な鼓動のようなリズムが指先を通して伝わってくる。まるで、長い眠りから覚めようとする巨大な生き物の心臓に触れているような感覚だった。ドクン、ドクン、と、確かな脈動が、彼の掌に響いている。
塔全体が、低く唸り始めた。壁が僅かに振動し、天井から埃が舞い落ちてくる。
「な、なんだ……?」
湊は後ずさろうとしたが、足が言うことを聞かなかった。まるで見えない糸に縛られているかのように、その場から動けなかった。歯車の隙間から、淡い光が漏れ始める。最初は蛍の光のように弱々しかったそれが、瞬く間に強さを増し、塔の内部全体を白く染め上げていった。目を開けていられないほどの眩しさが、彼を包み込んでいく。
湊の脳裏に、幼い頃の記憶が一瞬だけ蘇った。祖父の工房で、初めて壊れた掛け時計を直したときの達成感。あの小さな成功体験が、今の自分を形作っているのかもしれない。だが、そんな感傷に浸っている余裕は、もはやなかった。塔全体を包む光は、既に彼の視界のすべてを塗り潰しつつあった。
振り子から伝わる鼓動は、まるで湊自身の心臓の鼓動と共鳴し始めているかのようだった。二つのリズムが重なり合い、やがて一つの大きな脈動へと変わっていく。その感覚は恐ろしくもあり、同時に、どこか懐かしいものでもあった。
振り子の重みを両手で受け止めながら、湊は自分の心拍数が、次第にその鼓動と重なっていくのを感じていた。
何も知らないはずのこの場所に、不思議な既視感を覚えるのはなぜだろうと、湊は考え続けていた。
時計塔の中の空気は、外の喧騒とはまるで違う、独特の静謐さに満ちていた。




