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『レイって呼んで欲しい』
彼の真っ赤な耳。ドアを閉める時に見せた潤んだ瞳に胸のときめきが止まらない。繰り返し思い出す度、彼のすがり付くような視線がくすぐったくて、胸の音がうるさい。うるすぎて、鼓膜を破ってしまいそうだ。
「落ち着いて! 落ち着くのよ、ネリル・ワーグナー!」
深呼吸をする。吸って吐いてを繰り返す。
「あの子は弟で、私はお姉さんよ!」
必死に自分に言い聞かせる。
だけど、こんな経験初めてだ。
「もうっ、落ち着いて!」
枕に本気のパンチを食らわすと、中の羽根が飛び出した。
「あぁっ! 弁償だわ……。何を浮かれているのよ。好きって言われたわけでもないのに」
そうだ。ただ、愛称で呼んで欲しいと言われただけ。
「あはは、はは、はぁ……」
男性に対する耐性力の無さにがっかりだ。
トントン。
ドアがノックされた。
えっ、苦情!?
うるさくし過ぎたかしら。
乱れた髪を整え、急いでドアを開く。そこには背の高い、宿の従業員が立っていた。
「ど、どうも」
どうもって何よ。
佇まいを直し、喉の調子を整える。
「何か御用かしら?」
「フローレンス・ワイトレーの代理人様からメッセージをお預かりしております」
従業員は胸ポケットからメッセージカードを取り出して、私の前に差し出した。
「フローレンス・ワイトレー? 知らない名前だわ」
「この街の長の孫娘です」
「そうなの?」
何が書かれているのだろう。受け取り広げたメッセージカードには繊細な文字が並んでいた。
『大通りの外れにあるカフェにてお待ちしております』
果し状じゃなくって、こういうの何って言ったかしら……
「ああ、これは完全に目をつけられちゃいましたねぇ」
「ちょっと!」
メッセージカードを胸元に寄せる。
「失礼じゃない!? 宿の質が問われるわよ!」
「申し訳ございません。お客様の身の安全が気になりまして」
「身の安全?」
従業員は周りの様子を伺い、それから屈んで、口元に手を当てた。
私も辺りを確認し、その口元に耳を寄せる。
「フローレンス嬢はレイモント・ブルームにかなり熱をあげていまして。自分以外の女性がブルーム卿に近づくと脅迫めいたことをするという噂が」
なんて、物騒。
従業員は「気をつけてください」とお辞儀をして踵を返した。
「ちょっと待って!」
従業員が振り返る。
「あの。ここの枕が気に入って、買わせていただけないかしら?」
「もちろんご購入可能でございます。でしたら、お帰りの際にお渡し出来るようご用意を」
「いえ! そうじゃなくて、この部屋の今使っている枕がいいの」
「そうですか? ではお帰りの際お持ちになるのをお忘れになりませんよう」
「ありがとう」
首を傾げながら去っていく従業員に手を振る。
「なんとかなったわ」
後ろ手にドアを閉めて呟く。だけど、
「おいくらなんだろう……」
考えたくない。
「それに」とメッセージカードを再び広げる。
「フローレンスか……」
面倒ごとになりそうだ。幼なじみと伝えたところで納得するわけがない。レイを呼び出し、私も別に呼び出すなんて手口、だいぶやり慣れている。
「レイも大変ねぇ」
レイがモテることは良いことだ。二十五歳になったはずだし、家庭を持っていたっておかしくない。
「恋人のひとりやふたりいたって……」
いたっておかしくないのだ。それなのに、どうして不安を覚えるのだろう。目をつぶって呼吸を整える。
私はお姉さんなのよ。
「しっかりしなくっちゃ」
パン、と両頬を叩く。
再度荷物を広げ、勝負服というわけではないけれど、実年齢よりも若く見える服を手に取った。元婚約者が選んでくれたという曰く付きだけど、あの男の選ぶ服のセンスは良かった。本当は捨ててしまいたいが、服に罪はないし、自分でも一番似合っていると思っているので手放せない。
首元のリボンを結び、髪を軽くアップさせる。化粧を直し、姿見の前でくるりと回っておかしなところがないか確認する。
「もうちょっと、ラメが入ったものの方が良かったかしら?」
口紅の色が気になった。
少しでも若く見えた方が……って、誰と張り合おうとしているんだろう。
やめやめ、と手にした口紅を化粧ポーチに戻す。
「これでいいわ」
部屋を出、宿を出る前に先ほどの従業員を捕まえ、カフェまでの地図を書いてもらった。それを頼りに歩いていると、あのイヤリングを摘み眺めている女性がいた。
「あ、それ!」
思わず声を出してしまった。女性は「欲しいの?」と微笑む。
「いや、あの。どこで購入された物なのかを知りたくて」
女性はきょとんとしていたが、「貰い物よ」と答えてくれた。
「貰い物ですか?」
「そう、露天でね。サービス品ですって」
昨日の女性と一緒だ。
「で、これを身に付けていると玉の輿に乗れるんですって」
ゲタゲタと笑い始める。
「そんなバカな話、あるわけないじゃない? でね、相手がどこの誰か占ってあげるから、ある場所に来いって言われた場所があるんだけど忘れちゃった」
「バカな話かもしれないですけど、興味がそそられますね」
「そう? 私、その手の話は信用してないことにしてるから、このイヤリングを売ってやろうとしてお店に持ってったの。そしたら全然お金にならなくって、逆に処分代を請求されそうになったわ」
こんなに素敵なデザインなのに?
おまじない的な事はさておき、処分してしまうのは勿体無い。
「やっぱり欲しいんでしょ?」
「そんなこと……」
「だって、可愛いのとか好きそうだもの」
なんだろう。すごく恥ずかしい。
「あげるわ! これを着けて可愛くなって?」
女性は私の手にイヤリングを握らせると「バイバーイ」と去っていった。
「あ、ありがとうございます……」
手のひらのイヤリングをじっと見つめる。
可愛い。だけど、私には似合わない。
イヤリングをハンカチで包み、バッグに入れた。
誰かに譲ろう。
人からいただいたものだけど、素敵だからきっと欲しがってくれる人がいるはずよ。それより今は急がなくちゃ。何せ待たせているのはお嬢様なのだから。
地図の通りに行くと、指定されたお店があった。
「定休日、じゃないようだけど」
閑散としていて入っていいのか迷ってしまう。
店の様子を見ていると、中から人が現れた。
「ネリル・ワーグナーですね?」
強面の男の言葉に頷く。
「どうぞ。お嬢様がお待ちです」
「……どうも」
頭をペコペコ下げながら店内に入ると、色白で金髪の美しい女性がにっこりと微笑んでいた。黄金の瞳にぷるんとした唇。惚れ惚れする見た目に言葉を失ってしまう。
「お呼びだてをして申し訳ございませんでしたわ」
小鳥の囀りのような可愛らしい声に圧倒される。
「あの。私に何の御用があって」
まずはお座りになって。彼女が席を勧める。もちろん私に断る権利も度胸もない。大人しく座ると、お店の店員が注文していないにも関わらず、お茶を提供してくれた。
「わたくしのオススメですの」
クスクスと笑う。
お礼を伝えて一口いただくと、なんとも言えない上品な味がした。
「上品ですね。それにこちらの茶器も美しい」
すべてが高級品なのだと一目でわかる。
「でしょ? 美しいモノと釣り合うのは美しいモノと相場が決まってますのよ。あなたもおわかりでしょ?」
美しいモノと美しいモノ。つまりは自分とレイモントが釣り合うと言いたいのだろう。
「誤解があるようですが、私は単なる幼なじみですよ?」
「そうね。今はそう言っておけば良いと思っているのでしょう。ですが恐ろしいことに、美しいモノにその気がなくても、自分のモノと勘違いした愚かモノが自分の身の丈に合わせようと美しいモノを汚そうとするのも事実なのです。迷惑なお話でしょ?」
言い回しがくどい。はっきりとレイモントに近づくなって言えばいいのに。
「レイモントが迷惑がって、あなた様になんとかして欲しいと頼んだのでしょうか?」
目には目を。女性には女性を、みたいな? もしそうだとしたら、その性根を叩き直したい。
「レイ様がそのようなことを頼むわけないわ。レイ様はわたくしを守りたいとおっしゃって、この街の騎士団に所属されたのですよ? 危険なことをお願いするわけないわ。誤解があるようですがわたくし、可哀想な子たちに気付きを差し上げておりますの」
これが従業員の言っていた脅迫めいたことなのね。そりゃあ、年頃の女の子たちには怖いわ。
「もちろん、年増のあなたにも」
何を!?
「あの、お言葉ですが」
「いいのです。お可哀想なあなた。あなた、結婚が白紙になったんですってね? お可哀想」
何度も可哀想って言わないで。
哀れみの目に胸が張り裂けそうになる。
ドクンドクンと胸が鳴り、体中に熱い血液がめぐる。このまま、ここにいては駄目。警鐘が鳴り響く。
「私、これで失礼させていただきます」
「構いませんよ。本当にお可哀想。わたくし、お祈りいたしますね。可哀想なあなたによ、幸せが舞い込みますように」
席を立った。足早に店を出た。
息が、息がしたい。
安心出来る場所で、大きく息を吸いたい。
「痛いな!」
「あ、ごめんなさい」
前をちゃんと見ていなかった。慌てて謝ったが、相手の顔を見て息を飲み込んだ。
「ネリル、探したよ」
「ヴァレル……」
どうして、ここに。
「君のお父様が、ネリルのことを探している」
何を言っているの?
私はちゃんと旅行に行くって言ってきたわ。
「なんで不思議そうな顔をしているんだい? ああ、あのことか。君が婚約を白紙にするって喚いたことはちゃんと説明したから。酷いマリッジブルーになって、僕にいもしない女性との仲を疑ってノイローゼ気味になっていただけだって」
「……あなたこそ、何を言っているの?」
ヴァレルは私の両腕を掴むと、私を自身の胸に近づけた。そして耳元に口を寄せ「俺と結婚しないと、家族想いのお前のお父様が嘆き悲しむぞ」
「……お父様」
母を失った時の父の顔が脳裏によみがえった。私のために哀しみに堪えて笑ってみせた醜い笑顔を。家族を人一倍愛し、失うことを常に恐れていた。私にも大事な人たちを作って、愛し愛されることを願ってくれていた。
「お金目的の癖に!」
突き放す。
「でもさ。そうでもないとお前の貰い手なんて二度と現れないんじゃないか? よーく、鏡を見てみろよ。隠しても隠しきれない汚れが浮き出ているぞ」
止めて!
急いで顔を隠す。
もう嫌だ。なんでこんな惨めにならなくちゃいけないの……
後ずさって、その場から逃げ出した。行き交う人たちが私を振り返る。指をさしている。
逃げなきゃ、逃げなきゃ。
路地裏に飛び込んだ。それでも走って、
「あっ!」
何かにつまづいた。
「いったぁ」
手と膝を擦りむいた。血がじわじわと滲む。
「ハンカチ」
バッグからハンカチを取り出すと、目の前にイヤリングが転がった。
「私も、こういうのが似合う女の子だったら……」
イヤリングを拾い、耳に着けてみる。
「似合うかしら?」
バカみたい。似合っているわけないのに。
ぐちゃぐちゃになった髪をほどき、横の髪を耳にかけた。
「おい、いるぞ!」
いるぞ?
背後からの気配に振り返ろうとすると、口を何かで塞がれた。
何のにおい?
頭がぼんやりとしてくる。まぶたも重くなって……




