3
喜び勇んで宿に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。ちょっとだけと目を瞑ったら、朝だった。そのままぐっすり眠ってしまったらしい。だというのに疲れが取れていない。しかも、この街に来てからの記憶が曖昧で、もしかしたら昨日のことは夢だったんじゃないかと頭を掻いた。
それでも朝食を摂れば、ぼんやりしていた頭の中がすっきりして、鈍っていた思考が動き出す。
昨日の出来事が次々によみがえってきて、血の気が引いた。
もう、違う街に移ろう。
長閑で心の傷を癒すのにぴったりな場所だからと選んだのに、事件には巻き込まれるし、会いたくない人と再会までしてしまった。なにか悪いモノでも憑いているのかと両肩を交互に確認したが、変わった様子はなかった。そもそも霊感なんてないのだから、確かめようがないのだけれど。
せっせと手を動かし、昨日到着してすぐに広げた荷物をまとめる。あとはワンピースに着替えてしまえば終了だ。
ワンピースのかかったハンガーを取ると、部屋のドアがノックされた。
誰かしら。
ハンガーをクローゼットに戻し、部屋のドアを開ける。そこには長身で昨日質問攻めにしてきた男が立っていた。
「どうして」
「どうしてって、お忘れですか? 明日にでも伺うとお伝えしたのに」
記憶をたどると、そんなことを言われたような気がする。確認をしに来てくれたのが、宿を引き払う前で良かった。情けない自分を見せたくないと思いながらも、会いに来てくれたという事実が素直に嬉しい。
「仕事で訪れたというのに制服ではないのね?」
「ええ、まあ」
「所在を確認出来たのだからこれで終わりよね? さようなら」
嬉しさを出してはいけないと、あえて冷たい態度をとった。胸が痛んだけれど、自身を守る壁は作っておきたい。
勢いのままドアを閉めようとしたけれど、ドアは閉まらなかった。なにかが引っ掛かってる。下を見ると艶々に磨かれた靴が目に入る。足でドアを閉まらないようガードされていたらしい。所在の確認が終わったのだから、もう自由にしていいはずなのに。何か伝えたいことでもあるのだろうか。彼をじっと見つめる。
私もだが、彼もしばらく無言のままだった。異様な雰囲気が漂う。
もう無理!
我慢の限界に達しそうな頃合いに、彼はドアに手を掛け、力任せに隙間を広げた。
「出掛けましょう」
「えっ?」
彼はちゃんと考えてから行動する子だったと記憶している。思慮深くて慎重で。案の定理由を尋ねれば、また容疑者として浮上しかねないので、と言われてしまった。それもそうだろう。悪を取り締まる仕事に就いているというのに、知り合いに犯罪容疑のかかった者がいるなんて汚点にしかならない。幼なじみとして申し訳ない気持ちでいっぱいだし、姉として接してきた過去がある分、なおさらこの提案は断りにくい。それに、
「大嫌いって言われたからって、私まで嫌いにはなれないのよね……」
「え?」
なんでもない、と首を振る。思っていただけなのに、言葉になって口から出ていたようだ。
隣に並んで歩く彼を横目に映す。あんなに小さく軟弱だったのに、今では体ががっしりしていて、背なんか私よりも頭がひとつ分高い。すっかり大人の男性だ。だけど見つけてしまった。あの癖毛を。昨日は隠していたのかもしれないけれど、帽子を被っていない今日は耳の後ろの髪の毛がぴょこんと跳ねている。何度も鏡を見なさいと口を酸っぱくして言い聞かせていたのに。
何をしようとしているの?
彼の髪に触れようとしている手を止めた。
もう幼い頃とは違うのに。
ありがたいことに彼は私の愚かな行動に気付いておらず、突然立ち止まった私に首を傾げていた。
「どうしました?」
「ううん、なんでもないわ」
足早に彼の隣に戻る。
「それでは、事件当日の行動をとってください」
ください、か。理由はともあれ、公私混同は避けるべきだ。だというのに、距離を感じて凹む私がいる。大丈夫。私も壁を作ったじゃない。彼なんて私が嫌いなのに付き合ってくれている。傷ついた傷つけたなんて関係ない。深呼吸して心を落ち着かせる。
「まずはさっきの宿でチェックインを済ませたわ。それから部屋に案内してもらって、ちょっと時間を潰した……」
「何で時間を潰されたのですか?」
見上げると彼は真剣そのものだった。偽りなく答えた方が身のためだろう。
「枕に向かって」
パンチを繰り出す仕草をとる。
「弁償はおいくらでした?」
「え?」
聞き間違えかと思い顔を上げると、彼は「なにか?」と首を傾げた。そうよね、そんなこと聞いてくるわけがない。
「その後は?」
「えっと……」
素直に答えると決めていたものの、やはり知られたくない。プライドが許さないのか、これ以上彼からの評価を下げられたくないのか。
「荷物を広げていたわ」
本当は泣いていたなんて言えない。
「そうですか。ちょっと失礼」
彼は私の言葉を信じたのか、胸ポケットから小さな紙を取り出した。何が書いてあるかまでは分からないが、紙の裏にたくさんの小さな文字が透けている。
「調書によると、宿からカフェまで徒歩で移動と書かれありました。ほかにどこかへ立ち寄った場所などはありませんでしたか?」
なるほど、調書の内容を書き写してきたのか。私用目的になるのだろうし、持ち出すのは困難だったのであろう。
えっと。辺りを見渡して記憶を呼び戻す。ひときわ目立つショーウィンドウを見つけ、「あのお店」と指差した。
ふたり揃ってお店に近づくと、昨日と変わらず真っ白で可愛らしいフリルのついた日傘がショーウィンドウに飾られている。
こういった傘を小さい頃から差していたら。
昨日もそう思った。隠しても隠しきれないそばかすだらけの顔がショーウィンドウに映って、惨めな気持ちが押し寄せてきて。
「……可愛いなぁって、見てたのよ」
「見てただけですか? お買い求めには?」
首を横に振って、彼の言葉を否定した。
「必要ないわ。それから」
大きく頭を振って、ショーウィンドウから目を離す。
「あの噴水の近くで女の子に声を掛けたわ。例の誘拐されそうになった女性よ」
彼の顔が曇っていたように見えたが気のせいだろうか。彼はすかさず、声を掛けた理由を問う。
「イヤリングのデザインが素敵だなって思ったの。それでどこで購入したものなのか聞いたわ」
「行動力がありますね」
「そうね」
昔から後先考えず行動してしまう。
私は噴水を見つめたまま苦笑いを浮かべた。その行動力があるせいで何度も失敗を繰り返しているのだから、いい加減自重した方がいい。
「数日前に出ていた露天でサービス品として貰ったと言っていたわ」
「露天のサービス品ですか……」
「そうよ、それから」
移動するのに数歩進んで、彼が横にいないことに気がついた。振り返れば、彼は顎に手を当てて考えこんでいる。
考え込んでいる? 今もまだ長考する癖があるのかしら。あの頃はもう片方の手を引っ張ってあげてたけど、もうそんなことをしてあげる義理はない。だけど、ここに突っ立っているのも。
彼が目立つ存在なのもあって、周りからの視線が痛い。仕方なしに彼の手を引いて、昨日のカフェに入った。窓際の席を案内してもらい、彼を座らせ、注文する。
「しばらくここで考えてればいいわ」
相変わらずね。考え込むと周りが見えなくなるのは。かくれんぼの時も、お人形遊びの時も。
外見は変わったものの、中身が変わらな過ぎて、おかしくなってきた。
あの時の言葉はもう忘れていいのかもしれない。大きなショックは受けたけど、以前のように友達として接するくらいには癒えているみたいだし。彼もそんなに気にしている様子はないし。
彼をまじまじと見つめる。
体は大きくなったけど、やっぱり私の方がお姉さんね。
頭の中に相関図を描いて納得する。注文して届いたコーヒーに口をつけ、外を見つめた。
もうお昼も近いというのに、窓から差し込む光はまだ真っ白で少し眩しい。通りを行き交う人たちは楽しそうにしていて、こちらも思わずにんまりしてしまう。昨日はさんざんだったけど、やっぱりこの街に来て正解だったのかもしれない。
周りの話し声や食器が鳴る音をバックにのんびりしていると、間近でカチャリと食器の鳴る音が聞こえた。首を動かすと、向かいに座る彼がすっかりぬるくなったコーヒーに口をつけている。
「考え終わった?」
以前のように尋ねると、彼は恥ずかしそうに「ええ、まあ」と答えた。昔みたい。
「さて、それを飲み終えたらイヤリングを拾った場所に案内するわよ」
「え?」
彼は目を大きく見開いたまま固まった。
「えっ、て。幼なじみの容疑を完全に晴らすために訪ねてきたのでしょ? それに出世街道にいちゃもんをつけられたら、たまったもんじゃないじゃない」
理不尽よ、理不尽。
彼はぽかんとしていたが、急に慌てだした。
「出世とかはどうでもいいんです。今日はここまでにして、あなたにこの街を案内しようと」
「何をバカなことを言っているのよ。もう手遅れかもしれないけれど、一度犯罪容疑のかかった女と一緒に街をうろつくだなんて証拠隠滅とか裏で犯罪組織と繋がっているんじゃないかって疑われたかもしれないじゃない? だったらちゃんと捜査して、身の潔白をね」
「いや、そんなことしなくても……」
「す! る! の! 卿は昔っから純粋だから、冤罪をかけられちゃうわよ?」
「きょう…… ですか」
彼が呟く。
「あら、意外だった? 私だって常識を知らないわけじゃないわ。すごく近しい間柄じゃないのに、大人になったあなたを愛称で呼ぶようなことなんてしないわよ」
「……そうですか」
「そうよ。ほら、いきましょ」
オーダー表を掴み、店員に会計をお願いする。彼は自分が払うとごねたけど、お店に連れてきたのは私だからと突っぱねた。
「ほんっと、いいお天気ね」
外に出ると窓越しとは違い、日差しの熱さを感じる。カフェに入る前よりもずいぶん気温が上がったみたいだ。
彼はというと私の後ろについてはくるものの足取りがなんとなく重そうだ。返事も心ここにあらずって感じで素っ気ない。
ワガママを聞いてあげなかったから、拗ねているのかもしれない。いい大人になったというのに。
「いつまでたっても可愛いわね」
「いま、なんて?」
耳聡い。笑いを堪えて首を横に振る。
「気にしないで。ここよ。ここでイヤリングを拾って辺りを見渡したの」
私が首を動かすのと一緒に彼も同じ行動をとる。
「すぐに彼女を見つけたのですか?」
「ううん。ここからは何となく横道を覗いて歩いたの」
昔から勘が良かったでしょ?
お陰でかくれんぼの鬼は大の得意だった。
先ほどまでくっつきも離れもせず、微妙な距離を取って歩いていた彼だったが、今度は私の横にぴったりくっついて一緒に歩く。ちょっとこそばゆい。
「ここで彼女の後ろ姿を見つけたの。声を掛けようとしたら裏道に入っていって」
「なるほど。そして拐われそうになっているのを見かけ、大声を出したというわけですね?」
「そうよ。あの場所って声がすごく反響するみたいで、あちこちの窓から頭がひょっこり出てきたわ。防犯意識が高い街なのね」
「野次馬じゃないといいのですが」
彼は苦笑いを浮かべた。目に見えない苦労があるのかもしれない。
「あとはご存知の通り。誰かが通報してくれたみたいで、あなたのお仲間がたっくさん集まってきたわ。そして私も犯人の一味としてお縄を掛けられたというわけ」
「その件につきましては、大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げられる。
「いいのよ、別に。今日だって証拠固めみたいなことを言ってたけど、本当は気を遣って街に繰り出す理由を作ってくれたのでしょ?」
彼は唇を噛んだ。
「あなたがいてくれて良かったわ。この街に嫌な思い出を残さずに出て行ける」
「出て行く?」
「えぇ」
彼の顔が曇った。何かまずいことを言ってしまったのであろうか。
「どうして出ていくのです? 来たばかりでしょ? この街には、あなたが思いっきり走り回っても咎められない素敵な場所があります。隠し部屋や秘密の通路を備えた家も売っていて、人を驚かせ放題です!」
「ちょーっと待って。落ち着いて。どうしたのよ、急に。それに人を驚かせるって聞こえたけれど、私ってそんなイメージなの!?」
「ええ。鬼ごっこで逃げれば捕まらない。かくれんぼで鬼になるとトンデモない嗅覚を発揮してしまう、いろんな意味で鬼……。いえ、一目を置かれる存在」
そうだったのね、知りたくない情報だったわ。どうりで、しっかり小さい子の様子を見ながら遊ぶようにと言われ続けてきたわけだ。
「卿、私はもう走り回るようなことはしないわ。いい大人なの。もう三十も手前なのよ?」
彼の中の私はずっと幼いままなのかもしれない。私の中の彼も幼いままだけど。
「よーし。街を出る予定を変更して、その走り回っても咎められない素敵な場所とやらに行きましょうか。案内してくれる?」
「はい!」
彼が私の手を掴む。笑顔を見せて、街を案内してくれる。いつもこの辺りを巡回しているとか、お昼はあの店がお手頃で美味しいとか。仕事の失敗談や職場の人間関係も知られて困らない程度まで話してくれる。「あなたにだけ特別に」と秘密めいた話しをしたり。
「やっぱりあなたと歩くのは楽しいわ」
「僕もです。そこの角を曲がると開けた場所に出るんですよ」
どちらかが「走ろう」と言ったわけじゃない。目が合った瞬間、小走りになっていた。なぜか可笑しくなって、ふたりで笑って。たどり着いた場所は、彼が言っていた通り、クーリアナに似ていて驚いた。確かに走り回っても怒られそうにない。
「もう少し先を行くと、たくさんのひまわりが咲いている場所が見えるんです。今頃なら、綺麗に咲いている時期だと思いますよ」
「……そうなんだ」
楽しい気持ちが、ろうそくの炎に息を吹き掛けたように、ふっと消えてしまった。彼はあの時、私に言ったことを覚えてないのかもしれない。
彼が私の手を引く。
だけど、私は
「ねぇ、そこまで行く必要ないんじゃないかな?」
彼は不思議そうな顔をしていた。だけど、少しうつむき「……そうですね」と答えた。
良かった。ひまわりを間近で見たらきっと泣いてしまう。
「そろそろ戻りましょう。お腹がペコペコだわ。きっともうお昼が過ぎてるわよ? 私の腹時計は正確なの」
「そうなんですか? 凄いですね」
「この鳴り具合は、あなたが教えてくれた店に行かないと止まらないわ」
「大変だ! 定休日じゃないと良いのですが」
つまらないやり取り。だけど笑った。
笑わないと
笑わないと
「ブルーム!」
彼の歩く足が止まった。彼の視線の先に昨日のとは色違いの制服を着た男が手招きしている。彼は私にここで待つよう言い残し、男の元へと駆けて行った。
職場の人よね?
上下関係はわからないが、男は彼に向かって祈るようなポーズをとってお願いしている。離れた場所にいるのに、「お願いだ」「お断りします」の応酬が風に乗って耳に届く。
「頼む!」
男が膝を着いた。ただ事ではない様子だ。
待つように言われたけど。
私は彼らに近づいた。
「お仕事なんでしょ?」
二人の視線を同時に浴びる。
「行きなさいよ」
「でも……」
「ありがとうございます!」
彼は男を睨みつけた。
「ほら、困ってるみたいだし。お仕事は大切よ?」
彼はあからさまに嫌な顔を見せたけれど、男の方は「大切、大切」と繰り返す。彼は納得出来ず「いや、でも」と散々ごねたが、渋々了承した。
「じゃ、お仕事がんばって」
別れの挨拶を済ませ立ち去ろうとした瞬間、手首を掴まれた。
「彼女を送っていきます。そのくらいの時間はいただけますよね!?」
別にいいのに。
男の方は、彼の迫力に負けたのか頷く。
「一人で帰れるわよ」
「僕が嫌なんです」
彼は私の手を引っ張り、無言で歩きだした。
「お嬢様が待ってるから、出来るだけ早くなぁ」
お嬢様?
振り返ると男が手を振っている。軽くお辞儀をすると、男も倣ってお辞儀を返してくれた。
護衛の仕事もしているのかしら。
街の治安に、護衛。きっと私たちの知らないところでもたくさんの仕事を抱えているのだろう。
「忙しいわね」
「それなりじゃないでしょうか」
一線を引かれた感じがした。
彼の背中を見つめ、無言のまま歩く。
楽しいまま、お別れしたかったな。
我が儘だろうか。だけど、そう思うくらい許して欲しい。
彼は宿に着いても私の手を離すことなく、宿泊している部屋まで送ってくれた。
「ありがとう。それじゃ、また」
いつか。
今日中に街から離れよう。
さようなら。
ドアノブを引く。
「待って」
彼は切羽詰まった表情をしてドアを掴んだ。
「どうしたの?」
「あの……」
彼は瞳を潤ませて、私を真っ直ぐ見つめる。口をハクハクさせて。うつ向いて。
「昔のようにレイって呼んで欲しい」
「え……」
「あなたにだけは、ずっと愛称で呼ばれていたいんだ」
すがりつくような瞳で見つめられ心が揺らぐ。
「また明日来ますから」
「でも、もう」
「明日も来ますから!」
彼は私の話を聞かずに行ってしまった。




