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『ネリルなんて大嫌いだ!』
小さなひまわりがたくさん咲く丘の上で聞かされた言葉は、私の心に大きな傷を負わせた。
二十年前のクーリアナ。クーリアナは夏でも涼しい風が吹くことが有名な場所で、暑さを逃れるために国の方々から人々が押し寄せる人気の避暑地である。我が家も例に漏れず、毎年夏になるとクーリアナへ行き、季節が変わる頃に屋敷へ戻るという暮らしをしていた。
その上クーリアナは治安が良く、子供たちがひとりで歩き回っても大丈夫なくらいに安全だった。広々とした何もない土地が多く、子供たちは時間や場所を指定しなくても自然と集まり、一緒に遊ぶようになっていた。私と彼、レイモントもだ。
「一緒に走ろう!」
どちらが先に声を掛けたのか定かではない。レイモントと私は、みんなと遊ぶ中で誰よりも気の合う存在になっていた。逃げるのも隠れるのも、ふたり一緒。手を繋いで駆け回った。
彼は私よりも三つ年下で、小柄で、田舎訛りを気にする男の子だった。赤毛でそばかすだらけの私とは違い、銀髪でくりくりとした青い瞳が印象的な綺麗な子だった。
こんな弟がいたら、毎日が楽しいのに。
当時の私は、ひとりっ子なのもあって兄弟が欲しくてたまらなかった。
綺麗で可愛い弟。追いかけてくる鬼に捕まらないようにずっと守ってあげたい。そんな気持ちでいっぱいだった。
大嫌いと言われたのは、ほかの子たちと別行動をとっていた日だった。
「誰よりも早く走れるようになりたいんだ」
レイの気持ちを初めて知った日、足が遅いことをからかわれるのが嫌なんだと教えてくれた。レイはいつも平気そうに聞いていたから、気にしていないものだと思っていた。だから嬉しかった。私はいつも悔しかったから。その内みんなの鼻を明かしてやるんだ。いつもそんなことを思って怒りを静めてきたから。
「じゃあ、誰にも見られないように練習しよう」
みんなを驚かせたくての提案だった。
「いいよ! ひまわりの所がいいんじゃないかな」
ひまわりの咲く丘は、かくれんぼに適した場所だった。誰にも見られずに済むという意味では適した場所ではあったが、ちょっとだけ坂になってるところもあったし、地面がボコボコしている場所もあった。けれども他に練習できる場所なんて思いつかず。走りづらいけど、考えようによっては足腰を鍛えることも出来るね、と決定した。
安易な考えで私たちは秘密の特訓を始めた。
特訓といっても、ただ走るのみ。彼はゼーハーゼーハー息を切らしながら走り、私は彼の隣を応援しながら走る。今ならそんなことですぐに足が早くなるわけないと分かる。けれども、やった感があったし、何よりも楽しかった。
太陽が傾きかけた頃。
「今日は終わりにしよっか」
彼にそう告げた。続きは明日にしようって。けれども彼は「もう少し」と走りだした。合間合間に休憩はとっていたけれど、レイの足はもうフラフラだった。帰りはおんぶしてあげなくちゃ、と思っていた。そんな時だった。
「危ない!」
レイが足をもつれさせ、ひまわりの咲く中に転びそうになった。そこには大きな石が転がっていて。私は反射的に彼の手を掴んで引っ張りあげた。
「良かった。レイが怪我をしなくて」
ひまわりの咲く中で受け身をとった私にレイは、
「ネリルなんて大嫌いだ!」
と、叫んだ。
どうしてそんなことを言われたのか分からない。悲しくて、でも気のせいかもしれないと何度も自分を励ました。
確かめようとしたけれど、その年はそのままお別れすることになり、翌年は母が亡くなり行くことが叶わなかった。その後も、毎年クーリアナへ行ったがレイモントと会うことは叶わなかった。会えないということは、そういうことだ。
だというのに、こんな再会の仕方って。
「容疑を否認するのですね?」
「当たり前じゃない。やっていないのに認めるわけないでしょ!? 前の人にも一通り説明したけど、私はたまたまあの場所にいただけ」
虚しさでいっぱいになる。
「では、なぜ現場にいたのでしょうか?」
「だから、女の子がイヤリングを落としたの。それで彼女に届けてあげようと思って探したのよ。そしたら路地裏に入って行くのを見かけて。で、彼女が拐われそうになっていたの。いい? もしも、もしもの話よ? 私が犯人だとして、彼女を拐うのに大声を出して助けを求めると思う?」
彼は瞬きをひとつして、書類に目を落とした。見落としでもあるのだろうか。書類を何度もめくっては戻してを繰り返している。
トントン、とドアがノックされた。わずかな隙間から、彼と同じ制服を着た男が見える。彼は立ち上がって男の元へと歩むと、こちらに聞こえないよう口元を隠し、会話を始めた。
早く帰りたい。
その気持ちを察してなのか、話終えた彼は足早に戻ってきた。
「では、続きを。あなたはなぜこの街にいらしたのですか?」
嫌な質問。
私が住むのはこの街からふたつ離れた街だ。ここに来た理由はひとつ。
「……言いたくないわ」
「困りましたね」
「すぐに事件と結びつけないでくれる?」
知られたくない。情けない姿なんて見せたくない。けれども彼はそんな私の胸の内など知るよしもなく、自分の仕事を淡々とこなすだろう。そこに幼なじみは関係ない。私の方こそ、幼なじみとして仕事の大変さを理解し、質問にすぐ答えてあげるべきなのだ。頭では理解していても、答えるにはそれなりの覚悟が必要で。何事も諦めが肝心なのよ、と自分に言い聞かせる。
「旅行」
「旅行? 目的は?」
目立った観光産業がない街だから。
ため息がこぼれた。
「傷心旅行よ」
「傷心旅行ですか」
なるほど。彼はさらさらと書類に書き込んだ。
やめて。そんな情報残さないでよ。
「なぜ傷心旅行を?」
「まって! そんなことも訊くの!?」
彼は悪気のない純真無垢な瞳で私を見つめた。
「なにか問題でも?」
嫌いな相手だからって、嫌がらせが過ぎる。
「ひとつ訊きたいことがあるのだけど」
「なんでしょう?」
「こういう取り調べって、知り合いがやっちゃ駄目なんじゃない?」
彼はぱちぱちと瞬いた。
「そうですね。この街の団員はこの街出身の者が多く、ほかから来たのは私以外ほとんどおりません。ですので、自然と私が取り調べ担当になったわけですが。今回も上からの指示ですし。心配されるお気持ちがおありかと思いますが、忠実に仕事をしておりますので」
つまり交代は無し。
「わかったわ」
息を大きく吸う。
「結婚がダメになったの。それで気分転換も兼ねてこの街にきた」
彼は「わかりました」と言うと、こちらに頭頂部を向けた。肩が小刻みに揺れている。
笑っているのかしら。そんな性格の悪い子じゃなかったのに。年月は人を変えてしまうのね。私だって例外じゃないもの。
「ちなみにですが、どうして結婚が駄目に?」
「そこまで訊く? 事件とはまったく関係ないことよね!?」
え、あの……、と口ごもる。これは絶対関係がないやつだ。単なる興味本位に違いない。
「仕事には忠実じゃなかったの!」
「もちろんです。あなたに疑いの目が向かないよう最善を尽くすための質問です」
本当なのかしら? だけど疑いたくない。
「私の他に女がいたの。しかもふたりの間に子供がいて。私、そのことを知らずに結婚式を楽しみにしていたの。バカよね」
あはは、乾いた笑いがこぼれた。湿っぽくなるのが嫌で「これでいい?」って平気な顔をしてやった。彼は哀れんだ顔をしていて、
「なんか。もういいわ。投獄でもなんでもしてよ」
私の人生ってそんなものよ。事件には巻き込まれるし、男運は最悪だし。
「投獄はしませんよ。何より証拠がない。ですが、重要参考人として、所在を明らかにしておいてください」
「ということは、無罪放免?」
「ええ。ですが、明日にでもあなたが滞在する宿に所在を確認しにお伺いしますので」
良かった、やっと解放される。調査室からも、この男からも。




