その8
車窓から見える地方都市の郊外の景色が前方から後方へと流れてゆく。高校に入学してから一年半、毎日目にしている光景だ。とりたてて話すこともない。
問題は電車の中のほうだ。
いつもならひとりで座席に腰掛けている僕の隣には、クラスメイトの女子が座っていた。それも僕と間を空けずに詰めた状態で。車内は大して混んでいるわけじゃないんだから、そんなことをする必要はないっていうのに。
『棲絡くん。これから二、三時間、あたしの浮気相手になってよ』
数分前に駅のホームで伯楽さんが僕に言った言葉が思い返される。
『彼氏には約束を羽子にされた仕返しを。棲絡くんにはあたしの気持ちを振り回した罰ゲームとして……ね!』
そして伯楽さんは有無を言わさずに僕と同じ電車に乗り込んできた。いまは僕のすぐ隣の席に座っている。
意味が判らない。
もちろん最初に伯楽さんを困らせて、怒らせたのは僕だ。その非は認める。謝って済むなら素直に謝るつもりだ。
だけど、浮気相手だって?
僕にクラスメイトの浮気相手になれってのか?
まさか! そんなのナシだろ!
人間関係の余計なトラブルには巻き込まれたくないし、だいいち僕はそんなガラじゃない。
女子とは関わらずに、というか関われずに中学、高校とやってきてしまったけど、多少はコンプレックスを抱えつつも、それなりに不満もなく過ごせてきたんだ。ここに来て向こう見ずで破滅的なロマンスなんか望んじゃいない。
いったい伯楽さんは何を考えているんだ。僕に何をさせようとしているんだ。
妙に楽しげな伯楽さんの横顔をちらりと見ると、僕は彼女に話しかけようとした。
「あのさ、伯楽さん。僕たちはこれから何を──」
「うん……? どうしたの……」
伯楽さんが僕の言葉に返事した。
僕の耳もとに口を寄せて、吐息混じりの声で。
「うわあっ」
伯楽さんの生暖かい息が耳に当たると、僕は座ったまま飛び上がった。
「わ。棲絡くん、顔真っ赤」
僕は伯楽さんのそばから座席の端まで一気に退くと、伯楽さんに抗議した。
「な、なんでこんなことするんだよ!」
「なんでって、電車の中で大きな声で話なんかできないから、こそこそ声で返そうとしたんだよ。逆に棲絡くんは騒ぎすぎ。迷惑だよ」
伯楽さんに言われて僕は周囲を見た。
人の数はまばらだったけど、それでも乗客はみんな白い目を向けていた。その冷たい目線を浴びせられ、逆に僕は恥ずかしくなって身体が熱くなった。
でも、どうしてこんな恥ずかしい思いをさせられたんだろう……釈然としないものを感じながら、僕は伯楽さんの近くまで席を戻した。
「……これからどうするつもりなの」
僕はさっきさっき自分が出した声よりも小さい声で伯楽さんに訊いた。
「デートだよ、デート。彼氏とできなかったデートを棲絡くんとやるんだよ」
伯楽さんは今度は耳打ちをせずに、僕と同じくらいの声の大きさでそう答えた。最初からそうしてほしい。
「デート……か」
まあ、なんとなく想像はできていたことだ。
彼氏にデートを取りやめにされた仕返しで、”浮気相手”の僕とすることといったら、そうなるような気はしていた。僕だって一度は自分から誘ったわけだし。
問題はデートというのがどういうものなのか、僕が全く知らないということだ。
気がついたら学校の最寄駅から二駅。僕たちは目的地の豊田市駅に到着した。
「それで、これからどうするとか、プランは?」
駅を出て商業施設のビルが左右前方にひとつずつ並ぶデッキに立つと、僕は隣にいる伯楽さんに訊いた。
「そうだなあ。うーん」
僕の問いに、伯楽さんは唸ってみせるだけだった。
「……何も考えてなかったの?」
「いやね。もとから彼氏と出かける時も、毎度その場その場で何するか決めてるからさ」
つまり行き当たりばったりということらしい。
「そういうものなの? デートって」
「さあね。人によるんじゃない?」
伯楽さんは妙に投げやりに答えると、言葉を続けた。
「あたしとしては彼氏と一緒に出かけることさえできれば、それで充分だったからさ」
気怠そうにそう言う伯楽さんの目は、どこか虚ろに見えた。
……伯楽さんの浮気相手になって欲しいという誘いを受け入れたわけじゃないけど、どうせ僕が家に早く帰ったところで、自分の部屋に閉じこもって携帯を眺めて、学校が終わったあとの自由時間を無駄に潰すだけだ。
だったら、クラスメイトの女子の憂さ晴らしの相手になるのも、あんまり悪くはないだろう。僕は観念して伯楽さんに少し付き合うことにした。
僕はあたりを見回して自分でもこれからどうするか考えてみた。
目の前にあるのはたくさんお店が入った商業施設。左右にA館とB館があって、上の階にはデッキのちょうど真上にある連絡通路で建物が繋がっている。
で、この建物にある店で買い物を……する気にはなれない。別に欲しいものもない。本屋くらいには覗いてもいいかもしれないけど、さっき小説を学校の図書室で借りてきたばかりだし、欲しい漫画もだいたい新刊が出たタイミングですぐに買ってしまう。
近くには映画館もあるけど、観たい映画はネタバレをネットで知りたくないから、いつも公開してすぐに観に行ってしまう。なので特に今観たい映画もない。
「……ネタがないなあ」
僕はそう呟くと、もう一度あたりを見回した。まだ会社員は終業の時間じゃないからか、人影はそれほど多くない。どこかの学校の制服を着た中高生がちらほらいるくらいだ。
ただ、それに混じってワイシャツ姿の男の人がひとり、看板を持って掲げているのが見えた。
その看板には”O型の血液不足しています 献血にご協力ください”とあった。
「棲絡くんって血液型、何型?」
僕と同じように、看板を持った男の人に目につけた伯楽さんが言った。
「いや、知らないよ。調べたことないし」
「あたしも知らない。A型っぽいってよく言われるんだけどね」
そうか。僕は血液型診断について何も知らないので、コメントのしようがなかった。
「献血って血を取る前に、血液型が何型か調べたりしてくれるのかなあ」
伯楽さんがそう言ったので、僕は返事をした。
「そりゃそうなんじゃない? 血液型を調べないことには、どんな血液型の人に輸血するか選びようがないから」
「……そうだよね」
そう言うと、伯楽さんはまた看板を持った男の人をじっと見つめた。
そんな彼女の眼差しを見て、僕の頭の中に一つプランが浮かんだ。
「ねえ、伯楽さん」
僕が呼びかけると、伯楽さんはこちらを向いた。
「せっかくなら、僕と一緒に行ってみない? 献血」
「……えっ?」
僕がそう提案すると、伯楽さんは一瞬ぽかんとして、そして面食らったような表情を見せた。




