その9
「では、本日は200ml献血をお願いします。個人情報保護のため、ここからは名前ではなく、リストバンドに書いてある番号でお呼びします」
献血ルームの受付に浮かれたタブレットで問診の内容を入力し終えると、受付カウンターに立つ職員の男性が細長い紙を輪にしてホッチキスで留めたバンドを僕の左手首に着けた。バンドには”21”と番号がマーカーで振ってある。
「血圧計があるのでそちらで血圧の測定と、それが終わったら献血前に問診と血液検査を行うのでお呼びするまでそちらの席にかけてお待ちください。また自動販売機で飲み物を無料で提供しているので、採血の前に充分な水分を取ってくださいね」
そう案内されると僕は部屋の片隅にある”問診室”とある個室の扉に目をやり、その前に血圧計が置かれているのが目に入った。
そして受付の前の開けたスペースに小さいテーブルが複数あって、壁際にドリンクが紙カップで提供されるタイプの自動販売機が置かれているのが目に入った。
さらに部屋の奥の窓側には備え付けのソファがあり、そこに僕より早く最初の問診を終えた伯楽さんが腰掛けて僕に手招きをしているのが見えた。
「ここ、すっごい景色いいよ。この場所知ってるの、クラスであたしと棲絡くんしかいないんじゃないかな」
血圧計で測定を終えて僕は伯楽さんの隣の席に座ると、すぐ後ろにある大きな窓からの景色を眺めた。
駅前のT-FACEという建物の九階にあるこの献血ルームからは、さっき僕たちがいた駅前のデッキを見下ろすことができた。献血への協力の呼びかけはまだやっているらしい。
十分前にあそこのデッキで僕が献血に行くのを伯楽さんに誘った時、伯楽さんは最初だけ少し戸惑いつつも、すぐにせっかくだからやってみたいと乗り気になって、ここまで来たというわけだ。
そして駅前のデッキから視線を上げると、今僕たちがいるT-FACEのA館の向かいにあるB館の最上階にある回転展望レストランが大きく映って見える。
「あたし、あそこのレストランに行ったことないんだよね。棲絡くんは行ったことある?」
「小さい頃に親戚と一緒に行った気がする。あんまり覚えてないけど」
「昔はあそこがぐるぐる回ってたらしいね。棲絡くんが行った時は回ってた?」
「回ってたらさすがに覚えてる気がする」
「うーん、それもそっか。残念」
僕はソファの前の小さいテーブルに、自販機から持ってきたスポーツドリンクが入ったカップを置いた。その隣には伯楽さんが持ってきたレモネードと、お菓子のグリコが置いてあった。
「そのお菓子、どこから?」
「自販機の横にある雑誌棚の上。取り放題だから持ってきちゃった。棲絡くんも食べる?」
「遠慮しとく。部活入ってなくて運動してないから、お菓子はあまり食べないようにしてる」
「げ。耳が痛くなるようなこと言わないでよ」
僕と同じく帰宅部の伯楽さんが露骨に嫌そうな顔をした。
「でもいいよね。献血しに来たらジュースとお菓子食べ放題って。みんなにも教えようかな」
「どこで知ったか訊かれたらどうするの? 彼氏に隠れて別の男子と一緒に来たって説明するつもり?」
「言うわけないじゃん! そのへんはいい感じにごまかすよ」
そう言って伯楽さんが紙カップのレモネードに口をつけると、受付の方からここの職員の女性の声が聞こえた。
「番号20番のかた、問診室にお入りください」
その声を聞くと伯楽さんは持っていたカップをテーブルの上に置いて、自分のリストバンドの数字に目をやった。
「あたしの番だ。行ってくるね」
そう言うと伯楽さんはカップをテーブルに置いたまま席を立って、さっきの血圧計のすぐ横にある問診室の中に入っていった。
ひとり残った僕は部屋の天井から掛けられたテレビでワイドショーをぼんやりと眺めていたけれど、すぐに問診室の扉から伯楽さんが出てきて、「21番のかた」と僕の番が来た。
問診の内容は特に変わったところはなかった。白衣を着た女性に血圧計から出した測定結果が印字されたシートを渡して、さきほど受付のタブレットで入力したことの再確認を口頭でするだけだった。
問診を終えると、今度は受付の隣にあるテーブルでの血液検査に通された。
「今日は来てくれてありがとうね。でも偉いわねえ。こんなに若いのに献血に来てくれるなんて」
看護師の女性が採血の器具を手にしながら僕と、僕の隣の席に腰掛けて採血後の止血をしている伯楽さんに向かって言った。
看護師さんが持っているのは小さなスポイトのような器具で、ここから針が飛び出して指先を指して血を摂るらしい。奥には血液の成分を検査するのに使うであろう大型の機械が置かれてある。
「ふたりは付き合ってて、一緒にここに来たの?」
「な……」
看護師さんが遠慮なく踏み込んできた質問をしてきて、それに僕が言葉を失うと、伯楽さんが「はい」と屈託のない返事をした。
「駅の前でやってた募集を見て、彼氏が行こうって誘ってくれたんです。お互い自分の血液型を知らないし、調べるついでにやってみようって」
「へえ! いい彼氏さんじゃない!」
看護師さんが感心したように言った。
「あなたも、こんな可愛らしい彼女さんがいて幸せ者じゃない。大事にしなきゃダメよ」
「えっと、それはどうも……」
僕が弱っていると、隣で伯楽さんがにやにやと笑いを堪えているのが横目で見えた。
ちなみに僕の血液型はAB型で、伯羅さんはA型だった。
伯楽さんはそれを知って「血液型診断、当たってる!」と喜んでいた。
血液の検査が終わって、検査結果に問題がなかったことを知らされると、今度は隣の採血室に案内された。
採血室にはリクライニング式のシートのようなベッドが何台もあり、それぞれのベッドには採血中に動画を見ることのできるタブレットが目線と同じ高さになるように取り付けられている。
そしてベッドの隣には採血に使うであろう装置が設置されているのが見えた。
ベッドに横になって、腕を消毒されて針を刺されるときはさすがにぞっとした。
子どもじゃないから注射が絶対嫌なんてことは言わないけど、だからって好きなわけじゃない。針を刺される寸前、軽い気持ちで献血に来るんじゃなかったと僕は少し後悔した。
「ごめんなさい。ちょっとチクっとするからね。すぐに痛くなくなるから」
看護師さんがそう言って僕の右腕の血管の浮いたところに、慣れた手つきで針を刺した。
針を刺された時にはちょっと鋭い痛みを感じた。だけど神経が慣れてきたのか、看護師さんの言う通りしだいにその痛みは鈍くなっていった。
「欲しい飲み物はある?」
「じゃあ……冷たい烏龍茶を」
看護師さんが隣の部屋にある自販機へ飲み物を撮りに行くと、僕はタブレットで動画投稿サイトのアプリを開いた。
好きなVTuberの配信動画を見ようとしたけれど、他の人がいる場で美少女系キャラの配信を見る気にはなれなかったので、男性ゲーム実況者の実況動画に切り替えることにした。
「へえ、彼氏さんと一緒に献血に?」
「ええ、あそこにいる彼が……」
部屋の向かいにあるベッドから声が聞こえてきた。伯楽さんと、伯楽さんの採血を見ている看護師さんが話をしているとことだった。
そのやりとりを見ていると、次は自分が訊かれる番になるんだろうなと僕はため息をつき、のんびりと動画を見ている気になんかなれなかった。




