その5
「棲絡くんはこのまままっすぐ家に帰るの?」
駅舎に入ってすぐの所にある改札にICチップの入った定期券をかざして通り抜けると、数歩進んだところで伯楽さんは立ち止まって僕に訊いた。
目の前には別々のホームへと繋がる下り階段が左右にそれぞれひとつずつあるのが見える。
「そうだね。寄り道する用事もないし……伯楽さんのほうは?」
僕は伯楽さんに同じ質問を訊き返した。
「あたし? あたしは何もないよ。彼氏と出かける予定無くなっちゃったからさ」
それを聞いて僕は「あ」と声を漏らした。
「……そうだった。ごめん」
「いいって。今日はさっさと帰って、図書室でお借りした本をじっくり読むことにしますよ」
伯楽さんは軽く笑うと、図書室で借りた本が入っている自分の鞄に目をやった。
「でもそうか。もしあたしが彼氏と市駅に遊びに行く予定が無くなってなかったら、棲絡くんとそこでばったり会ってたかもしれないね。ほら、棲絡くんが帰りに使う駅と同じだからさ」
「どうかな。お互い気付きもしなかったんじゃないかな」
僕は伯楽さんの言葉を軽く受け流した。
「そっちは彼氏とデート中。僕なんか眼中にも入らないと思うよ。そしてそんな人たちの邪魔をしてまでわざわざ話しかけられる神経は僕にはないよ。それにさっさと家に帰りたいし」
「確かに。ちゃんと棲絡くんと話をしたの、今日が初めてだもんね」
そう言うと、伯楽さんは天井にある電光掲示板を一瞥した。お互い次の電車が来るまでまだ少し時間があるみたいだった。
「改めて考えてみると、彼氏とのデートが無しになったのも悪いことばっかりじゃないかもね」
伯楽さんはしみじみとした口調で言った。
「あたし、実は今日学校の図書館に初めて行ったんだ」
「初めて? 去年の入学の時にオリエンテーションとか、授業の調べ学習で行かなかった?」
「それを除けば、だよ。自分から行こうって思ったことは一度もね」
「……じゃあ、どうして今日は図書館に行ったの?」
伯楽さんがそう訊かれたがってるとなんとなく察した僕は、彼女に尋ねた。
「そりゃあ、学校が終わってからやることが無かったからだよ」
伯楽さんは自分が乗る電車のホームがあるほうの階段に振り向いた。
「みんな部活をやっているから、他に遊びに誘える友だちもいないし、早く帰ったところで課題と自主勉強を一通りやったら他にやることもないし。だからって家で携帯ばっかじっと見てるのも、そういう中毒の人みたいでなんか嫌じゃない?」
伯楽さんの話を聞きながら「そういう中毒の人」の僕はしゅんとした。目を背けようよ、そこらへんは……
「とまあ、だったら本を読んだりするほうが健康的でいいかなって、本を借りに図書室に行ってみたんだ。そしたら、棲絡くんがいた」
伯楽さんは僕のほうを向くと、人差し指で僕の胸の中央を突いた。
「彼氏との放課後デートはおじゃんになったけど、こうやって棲絡くんと話して友だちになれたと思えば、悪いことばっかりじゃなかったかもね。棲絡くんもそう思わない?」
そう問いかけると、伯楽さんは小さくはにかんで微笑みを見せた。
「……僕と友だちになれたところで楽しくなんかないよ」
僕はすぐ前にいる伯楽さんの顔から目を逸らした。
「人見知りだし、気も利かないし、それに本当のことを言えば、さっき図書室で会うまで、僕、伯楽さんの名前も覚えてなかったんだ。つまり……それくらい他の人に興味がないやつなんだよ、僕は」
僕には友だちがいない。自分から人と関わろうとしないから友だちを作りようがない。
他人に興味がないからクラスメイトの名前も覚えようとしないし、大勢の人がいる学校に通わなきゃいけない毎日をひとりの殻に閉じこもって淡々とやり過ごそうとしている。
どうして僕はそういうやつになったんだろう。別に一匹狼を気取りたくてそうなったわけじゃない。こうしていたほうが気楽だから、ずっとこうしているだけだ。
でも周囲や、クラスの人たちを見て思う。
僕はみんなと違う。みんなは友だちがいたり、中には親友と呼べる存在や伯楽さんみたいに恋人がいたりするのに、僕にそう思える人はいない。
みんなが当たり前のようにできていることが僕にはできない。
そして伯楽さんみたいな人を見ていると、それをさらに痛感する。ほとんど赤の他人みたいな相手に対しても気軽に話しかけられて、友だちにまでなろうとするこの人を目の当たりにすると、自分に欠けているものを突きつけられているような気持ちになる。
「だから伯楽さんは僕といるより、彼氏と一緒にいれたほうがずっと良かったんだよ。明るくて友だちも多い伯楽さんに……こんな僕なんて合わないと思うから」
こうやって自分から人を遠ざけようとしているから、僕には友だちがいないんだろう。
自分でそう話しながら、僕はひどく沈んだ気分になった。
するとそんな僕に伯楽さんは「ふうん?」と腕を組んで僕に訝しげな目線を送った。
「でも棲絡くん、今あたしのこと『伯楽さん』ってちゃんと名前で呼んでくれたじゃん。それって、棲絡くんがあたしに興味を持ってくれたしるしじゃない?」
興味……? 僕が彼女に興味を?
もう一度僕は伯楽さんの顔を見る。
切れ目とそこから覗く輝く瞳。明るい肌に浮かぶ生気に満ちた色。日差しを受けてほんの少しだけ茶色く輝く髪。
ちゃんと見ようと思わなければ直視できない顔だ。もし傍目にちらりと見ようとしたら、その美貌が目に入るだけで気恥ずかしくなって、すぐに目を背けてしまうからだ。
「それは……ただ伯楽さんが綺麗な人で、見た目につられただけだよ」
「はあ!? 普通そうやって本人に対して面と向かって美人とか言う!?」
僕の言葉に伯楽さんはその場で飛び上がって叫ぶように言った。
「見た目を褒めてくれるのは嬉しいけど、シラフで言う? そういうこと……彼氏にだってこんなこと言われたことないのに」
伯楽さんは僕から目を逸らすと、照れくさそうに顔を紅潮させた。
僕にも多少は照れとかあったはずだけど、伯楽さんがあまりに恥ずかしがるものだから、逆に冷静になってしまうくらいだった。
「だからつまり……僕は伯楽さんの見た目に惹かれただけで、中身を見てないって話だよ」
「そうだね。あたしも棲絡くんがそんな恥ずかしいことをペラペラ言える人だって全然知らなかったわけだし」
皮肉まじりに伯楽さんは僕に言った。さっきの僕の言葉がまだ効いているみたいだった。
「でも、あたしと棲絡くんが本当に気が合わなかったら、学校からここまで一緒にあたしと一緒にぺらぺら喋ってなんかないでしょ? 嫌だったらどっちかがとっくに逃げ出してるはずだし。だけどお互いそうしなかった」
そう言われて、僕は図書館からここに至るまでのことを思い返してみた。
……伯楽さんの言う通り、立ち去るチャンスはいくらでもあったはずだ。
適当に口実をつけてひとりで図書室を出ることもできたはずだし、急いでいると言って伯楽さんと歩調を合わせずにさっさと駅まで行ってしまうこともできた。
今だって適当に話を切り上げて、階段を降りてホームに行ってしまおうと思えば行けるはずなんだ。なのに、どうしてそうしないんだろう?
「きっとさ、棲絡くんは人に興味がないんじゃなくて、興味を持つきっかけがなかっただけなんだよ」
落ち着きを取り戻した伯楽さんは僕に言った。
「いいじゃん。顔目当てでも。中身なんてこれから知っていけばいいだけなんだから。付き合いがなきゃ中身を知ることもできないよ。これから知っていこうよ。お互いにさ」
「……伯楽さんは、僕に興味があるっていうの?」
「あたし、ずっと君みたいな人を探してたんだ」




