その3
「棲絡くんも部活には入ってないんだ。あたしと同じだね」
昇降口へ向かう道すがら、伯楽さんは歩きながら僕に話しかけてきた。
僕としてはひとりでさっさと学校から出るつもりだったのに、なぜか伯楽さんは僕の横についてくる。
僕より歩く速さが少し遅い伯楽さんと歩調を合わせるために、いつもより少しゆっくりと廊下を歩かなきゃいけないのがもどかしい。
「帰りは電車? 自転車?」
「いや、電車だけど」
昇降口から校舎を出ると、僕たちは学校の正門のすぐ手前にある駐輪場の前を通り過ぎて、そのままここから歩いて十分ほどのところにある最寄り駅に向かって歩いていった。
「私も電車。棲絡くんは、帰りの電車はどの方面なの?」
駅へ向かって行く道中も伯楽さんは僕に話しかけてきた。
学校から駅までの道を歩いていく人の影はほとんど見当たらなかった。
図書室に寄り道していた僕たちと違って、部活に入っていない生徒や、もう部活を引退した三年生はホームルームが終わったあとまっすぐ駅まで行って、電車に乗って帰ってしまったんだろう。
「豊田市駅方面の電車に乗って、豊田市駅に着いたら三河線に乗り換えて土橋で降りて、そこからは歩いて家まで」
「じゃあ、あたしとは正反対か。あたしは赤池方面の電車に乗って三好ヶ丘で下りて、そこからは駅の駐輪場に停めた自転車で家に帰るんだ」
「ふうん……」
「ふうん、って反応薄くない? 棲絡くん、あたしの話に興味無い?」
伯楽さんが頬を小さく膨らませて、ちょっと怒ったような声色で言った。
「別にそういうつもりはないんだけど……」
普段人と話し慣れてないから、こういう時にどう返事すればいいのか判らないだけだ。
「……逆にどうして伯楽さんは僕に話しかけてくるの? 僕たち、友だちでも何でもないのに」
「同じクラスの人に話しかける時にわざわざ理由なんて作らないけど?」
伯楽さんはあっけらかんとした口調で言う。
……伯楽さんには悪いけど、僕は君と違ってもっともな理由がないと人に話しかけられないし、仮にもっともな理由があったとしても人に話しかけるのは極力避けたいって思うタイプの人間だ。明らかに僕と人付き合いに対する感覚が違う。
「強いて言えば、図書室に行ったら教室でいつも本読んでる人がいたから声をかけてみただけ。ひょっとして迷惑だった?」
「別に迷惑とかじゃないけど」
僕は慌てて伯楽さんに弁解したけれど、同時に僕の頭のなかに彼女に対する疑問が浮かんできた。
「ねえ、伯楽さんは僕のこと、いつも教室で本読んでるって言ったよね。なんでそんなこと知ってるの?」
「なんでって、そんなの棲絡くんが本を読んでるところをいつも見てるからだけど」
「見てるの? 僕を?」
「見てるって言うか、ふと目に入ったって程度の話。見るたびに毎回本読んでるから、本が好きなんだなって思ってた。でしょ?」
「そりゃあ好きだけど」
「だけど?」
そこまで言ったところで僕は口をつぐんだ。
確かに僕は本を読むのは好きだ。
だけど休み時間とかに本を読んでいる理由は、単純に他にやることがないだけだ。
僕は素直で大人の言うことは聞くほうなので、校舎内の携帯電話の使用禁止のルールは律儀に守っているし、話し相手になる友だちに関しては……今さら改めて説明することもないだろう。
ということで僕は休み時間の間はいつも本を読んでいたわけだ。
とはいえこんな話を長々とするのもどうかと思ったから、僕は「何でもない」とだけ言って説明を省いた。
「あ、それで思い出したんだけど」
伯楽さんはそう声をあげると、肩に下げている鞄からさっき図書室で借りた『なぜ、エヴァンスに頼まなかったのか?』を出した。
「この本、前に棲絡くんが休み時間に読んでいるの見て気になってたんだ」
そう言いながら、伯楽さんは持っている本の表紙を眺めた。
「『なぜ、エヴァンスに頼まなかったのか?』、気になるタイトルだよね。エヴァンスって誰? そのエヴァンスに何を頼もうと? 読んでて面白いか棲絡くんに直接訊いてみようかと思ったけど、流石に本に熱中している人に声をかけるわけにはいかないから、訊かずじまいだったんだよね」
気を遣ってくれてありがたい。読書中に横槍を入れられたら、それがたとえ美人の女子でも興醒めしてしまうだろうから。
「でも図書室で棲絡くんと会ってこの本のこと思い出したから、せっかくだから借りてみようと思って」
伯楽さんは出した本の表紙を眺めると、また鞄の中にしまった。
「……僕のこと気にかけてる人がいるなんて、知らなかったな」
僕は小さく俯くと、口からぽつりとこぼした。
僕は自分のことをクラスの中でも地味で目立たない存在だって思ってた。
友だちもいないし、もちろん彼女だっていない僕を気にしてくれる人がいるなんて考えもしなかった。
僕をいつも本を読んでいる人だと思ってて、その上僕が読んでいた本のことまで覚えている人がいるなんて。
「なんで伯楽さんは僕をそんなに気にしてるの? まさか、僕のこと……」
「あ、違う違う、そういうんじゃなくて」
僕が先の言葉を続けようとした時、伯楽さんがそれを遮った。
「あたしが棲絡くんのことが好きで意識してたとか、そういう話じゃないから。あくまで同じクラスの人として興味があったってこと。ごめんねー、誤解させるようなこと言っちゃって」
落ち着いた口調で僕に説明する伯楽さんの言葉に、照れとかそういう感情は一切無さそうだった。本当に嘘じゃないらしい。
「……さいですか」
僕は伯楽さんに踏み込んだ質問をしなかった自分を内心褒めてやると同時に、伯楽さんのあっさりとした態度にほんの少しだけ落胆したのを感じた。
……ほんの少しだけ。
綺麗なクラスメイトの女子に図書室でいきなり声をかけられて本の趣味を尋ねられて、おまけに今こうやって帰り道まで一緒させられてるんだ。期待くらいさせてほしい。
「そもそもあたし、彼氏がいるからね」
「彼氏?」
僕は鸚鵡返しをして、隣にいる伯楽さんの横顔を見た。
「そっ。彼氏がいるのにそれで別の男子のことが気になるとか、ちょっとありえないからね」




