その1
学校って、何のために行くんだろう?
そう質問された時、その答えはおおよそ次のふたつに分けられるはずだ。
勉強をするため。あるいは同じクラスや、同じ部活にいる友だちと会うため。このふたつだ。
でも本当に勉強をしたくて学校に来る人は……いないわけじゃないだろうけど、そんなにいないはずだ。僕だって勉強をしないで済むのなら、そのほうがずっと楽でいい。
だから本当はみんな、友だちと会ったり話したり、じゃれ合ったりするために学校に行くのだと思う。
だけど僕の場合、それも当てはまらない。なぜなら僕には、友だちと呼べるような人なんていないからだ。
勉強を嫌々やって、教室で顔を合わせる友だちもいない僕がどうして学校に行ってるのかって?
理由は簡単。真面目に学校に行って大人しく授業を受けておけば、親や教師に咎められたり心配をかけられずに、面倒な思いをしないで済むからだ。別に好き好んで行っているわけじゃない。
だから夕方になって授業が終わってしまえば、僕が学校に長居する理由はない。
長びいた帰りのホームルームがやっと終わると、ホームルームが始まる前にあらかじめ帰る支度をしておいた僕は鞄の紐かけを肩に通して席を立った。
ひとりで教室を出ようとする僕の近くで、男子生徒が友だちに向かって話す声が聞こえた。
「ごめん、カエデ、もう行かないと。今日の埋め合わせは必ずするから。また夜にライン送るよ、それじゃ──うおっ!」
教室の引き戸に手をかけて開こうとした僕の背中に、何か大きなものが勢いよくぶつかってきた。
背中に感じた軽い衝撃に驚いて振り返ると、僕のすぐ後ろには爽やかな雰囲気の体格がいい男子生徒が片手だけを軽く挙げて、僕に向かって合掌する仕草を向けた。
「ゴメン! 急いでて前見てなかった。大丈夫?」
「え? いや、別に……」
ぶつかってきた男子が僕に申し訳なさそうにすると、教室のなかからこちらに向かって声が飛んできた。
声の主は男子生徒で、彼はすぐそばにいる二人の女子とまとまって、三人組のグループを作っているように見えた。
「光希ーっ。お前、サッカーでプロ目指してるくせに視野狭すぎだろっ」
「そんなんじゃ相手に簡単にボール取られちゃうよ!」
グループにいる男子ひとりと女子ひとりが野次を飛ばすと、彼らは一斉に笑い声をあげた。男のほうは髪をさっぱりと短く切った調子の軽そうな雰囲気で、女子のほうは前髪を斜めに切りそろえていて、いたずらっぽい目つきをしていた。
「ごめんね。光希のこと、許してあげてよ」
さっきのふたりに続いてそう言ったのは、グループにもうひとりいた女子だった。
切れ目で整った顔立ちをしていて、ふだんは委員会の配置決めだとか、クラスで何か決め事をする時によく黒板の前に立ってまとめ役をしている女子だ。たしか、学級委員長だったっけ?
「アカデミーの先輩のところに行かないといけないから、大慌てだったんだ」
光希と呼ぶ男子に目配せをしながら、美人のクラス委員長が僕に言う。するときょとんとしている僕の顔を見たのか、僕のすぐ近くにいるぶつかってきた男子が今の言葉を補足した。
「ああ。アカデミーってのは、おれが入っているサッカーのチームってことで……」
そこから男子生徒がなんだか長い説明をしはじめようとしたところで、教室にいる委員長からまた声が飛んできた。
「ねえ、そうやってのんびり話してていいの? 早くしないと電車に遅れるんじゃなかったの?」
「……まずい!」
思い出したように光希はっとなった。
「また説明するから! じゃあ!」
それだけ言うと光希は廊下へ飛び出して、ほかのクラスの人たちが大勢行き交う細いまっすぐな道を網目を掻い潜るように軽やかな足取りで通り抜けていった。
「じゃ、おれも部活行かねーと」
「ん。ウチもそろそろ行くわ。じゃね、カエデ。また明日」
教室にいる三人のうち、男子ひとりと女子ひとりの二人が僕の横を通って外へ出ていった。
「君も行きなよ」
教室のなかからまた声が飛んできた。
僕にそう言ったのはグループでひとり残された、カエデと呼ばれた学級委員の女子だった。クラスの他の人たちが次々と教室から出ていっているなかで、彼女だけがまだ自分の机に腰掛けていた。
「君も部活があるんでしょ? 早く行ったほうがいいよ」
カエデは教室の中から、テキストやノートを自分の鞄にしまって手を動かしながら言った。
まあ、僕も部活があることはある。帰宅部って名前の部活だけど。
わざわざ説明するのも面倒に思った僕は肩をすくめると、何も言わずにその場から立ち去ることにした。
これから部活に行く人たちや、昇降口に向かってそのまま家に帰ろうとする人たちが大勢行き交う廊下をひとり歩きながら、僕は今更ながら久しぶりに女子から話しかけられたことに気がついた。
とはいえ普段から他人に積極的に関わろうとしていない以上、あの学級委員長に声をかけられることも、きっと今日が最初で最後だろう。
だからそう思った僕はさほど気にも留めずに、今の一連の出来事をすぐに忘れてその場から足早に立ち去ったのだった。
……その時は。




