その11
「だから言ったでしょ? ちゃんと伝えとけば大丈夫だって」
大窓に映る地上八階からの景色を前に、カウンター席に座る僕の肩を隣の席に掛けている伯楽さんが小突いた。
「判ったから、何度も言わないでもいいよ」
僕は伯楽さんの言葉を受け流すと、スプーンで目の前にあるオリエンタルカレーを皿から掬って口の中に入れた。
献血ルームのあるA館から八階にある連絡通路を使ってB館に移動した僕たちは、そこにあるレストラン街で伯楽さん曰く「血を抜かれたし、血肉になりそうなもの」を食べられそうな店を探すことにした。
そして選んだのは様々なローカルメニューを選んで食べられる店で、僕はカツカレーで、伯楽さんはヨコイのソースのスパゲティを注文した。
「カレーとカツ、ちょっともらっていい? あたしもスパゲティ分けてあげるからさ」
僕が承諾すると、伯楽さんはカレー皿からカツを一切れと、カレーとライスを少しずつ自分のもとへ持っていった。
「棲絡くんは食べない? あたしのスパゲティ」
カレーを口に運んだ伯楽さんが、自分の皿からあんかけスパゲティを取ろうとしない僕に向かって言った。
僕はスパゲティに目をやった。太くて弾力があり、湯気が立つほど熱い麺の上には玉ねぎやピーマンやマッシュルームに大量のベーコンとウインナーが乗せられ、さらにそこに赤々としたソースがかけられている。とても辛いスパゲティだ。
「もしかして棲絡くん、辛いのニガテだった?」
「いや、そうじゃなくて……伯楽さんがもう口をつけたのを、僕が口に入れるのは、何と言うか」
「まさか、間接キスとか気にしてる?」
僕が言葉を濁そうとしていると、伯楽さんはそれをはっきりと言い当てきた。
「何それ! そんなこと気にしてるの?」
伯楽さんはカレーを食べるのに使ったスプーンを手に握ったまま、ケラケラと笑った。
「だいたいそのくらい、いつもやってることだし」
「いつも?」
「お昼ご飯の時間。みんなと弁当とか購買で買ってきたご飯シェアしてるの」
「みんなって友だちとでしょ? 友だちと……あと、彼氏とか」
「彼氏もだけど、他の男友だちの食べてるものも貰ったりするよ。逆に自分のをあげたりしてるし」
カルチャーショックだ。
漫画雑誌に載ってる恋愛ものの漫画じゃ、みんな間接キスがどうとかで動揺したりしてるのに、現実なんてこんなもんなのか?
「外に食べに行く時なんかなおさらだよ。みんなで別々のもの注文して、それぞれで分けっこするの。ちょうど棲絡くんのカレーとあたしのスパゲティみたいにさ」
だから気にしないでよと伯楽さんに促されると、僕はテーブルの上にあるカラトリーケースから新しいフォークを出して、それで伯楽さんの皿からスパゲティを少々いただいた。
フォークに麺を巻きつけた時は少し心がざわついたけれど、口に入れてしまえば何てこともない。普通の辛くてうまいスパゲッティだった。
「でも、こうやって同級生と食べに行くこと自体久しぶりな気がする」
僕があんかけソースの辛味を味わっている横で伯楽さんはフォークを皿の上に置くと、ぼんやりとした眼差しで外の景色を眺めた。
外は曇り空が広がっていた。見下ろすとそこには愛知環状鉄道の新豊田駅と、T-FACEの二つの建物と名鉄豊田駅につながるデッキがある。デッキには仕事帰りの大人や、学校帰りの中高生たちが歩いているのが見える。まるでジオラマのなかを行き交う動く人形たちのようだ。
「それは、他の人がみんな部活をやってるから?」
僕が訊くと、伯楽さんは頷いた。
「週末はどうしてるの? 学校が終わった後や土曜日は部活をやっているかもしれないけど、日曜日だったら誘おうと思えば誘えるチャンスが……」
「週末は彼氏の試合の応援に行ってる」
僕が言い切る前に、伯楽さんが返事をした。
「試合って……伯楽さんの彼氏がいる、サッカーのクラブの?」
「毎週、週末は彼氏のいるクラブと、他のクラブで試合があるんだ。だからそれの応援。彼氏が頑張ってるんだから、彼女として観に行かなきゃ」
「それを毎週? それって試合に出る方は大変だけど、観に行く方だってけっこう大変じゃない? なのにずっとやってるわけ?」
「あたしが観客席にいるの見て、元気出たらいいなって思うからさ」
伯楽さんはさっぱりとした口調でそう答えた。
「だから週末は他のことをしている暇がない、ってこと?」
「帰ったら勉強もしなきゃだしね」
そう言って小さく笑うと、伯楽さんは再びフォークを手に取って残りのスパゲティを食べ始めた。
「……伯楽さんって、今の彼氏と付き合い始めてどれくらいだっけ」
「中学の卒業前に告られて、高校に入ってからだから丸一年かな」
「一年間、応援には毎週行ってるの?」
「そうだねえ。だいたいほぼ毎週かな」
「……すごいな」
「先月、付き合って一周年記念のお祝いしようかって思ったけど、まだなんだ。今のクラブに新しい後輩が入って、その子の練習とかも見てあげなきゃいけないとかで忙しいらしくてさ」
そう話しながらスパゲティを口に運ぶ伯楽さんの横顔を、僕はスプーンを皿の上に置いたまま、黙って見ていることしかできなかった。




