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迷宮狂の詩  作者: 浅居りむ


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3/4

『ダンジョンで海は見えるのかい?』


 50を過ぎて、女房が脳梗塞で突然逝った後。


 俺の心には、ぽっかりと穴が空いた。

 穴を埋めるにはどうすればいいのか分からぬまま、ソイツはどんどん拡がってゆく。最初は地面に空いた穴だと思っていた。だがそれは海辺に空いた洞穴だった。轟々と響くはずのない潮の幻聴が、俺の鼓膜を叩き続ける毎日が始まった。


 女房が死んでからは暫く無気力で、ただ生きるだけの日々に嫌気が差していた。

 ガキはいなかったし、両親もとうに他界している。

 俺は脱サラして農家になりたい、という若造に家と玉ねぎ畑を200万で売った。

 手元に金をこさえた後は、ネットから段上市の迷宮課・探索者受付センターへと登録申請を行った。

 農業系YouTuberを目指す若者に出ていくまでの間、一部屋だけ使わせてもらうように約束を取り付け。俺は毎日「はい、皆さんおはようございます」と、スマホの前で同じ文言を繰り返して喋る若造を眺めて過ごした。


 段上市から探索者申請が降りたとの連絡が来たのは、申請をしてから1ヶ月後だ。

 俺はハンドルを握り、夜のうちに住み慣れた佐賀県から軽トラに乗せた荷物だけで飛び出していた。

 大分からのフェリーも考えたが、俺はどうしても瀬戸大橋を渡りたかった。


 高速道路を7時間以上、ガタガタとうるさい軽トラを走らせる。岡山に到着した時には、すっかり空は明るくなっていた。瀬戸大橋を渡る前に、早朝のドライブインでうどんを食う。掃除に来たニイちゃんに、渦潮は見えないか尋ねたら「さぁ、よくわかんないっす」と返された。

 ノロノロとテーブルを拭く、ニイちゃんの横を掃除のロボが追い越してゆく。ニイちゃんは一度だけ薄汚れた靴でお掃除ロボを蹴っているのが見えた。


 俺の運転する軽トラが、瀬戸大橋を渡っている間に何度もガタリガタリと車体を揺らす。サイドミラーで後ろを確認すれば、家財道具を押さえつけているカンバスが縄から逃れようと必死にはためいていた。


 軽トラは不満の軋みを俺に漏らし、カンバスは激しく強風に踊り狂う。瀬戸内海の強風が容赦無く襲い掛かる。風とアスファルト越しの振動に怯えて暴れるハンドルを握り、ビビる軽トラを諌める俺の耳には――怒号のように、海鳴りの轟々とした音が響いていた。




 ◇ ◇ ◇




「なァ、ダンジョンってのは海があるのかい?」

「海?」

 俺が尋ねると、飲み仲間のシゲは眉を顰めた。


 彼は探索者になって数年の俺よりも長く――世界各地にダンジョンというものが出現してからずっと潜り続けている、古参の一人らしい。もっぱら低階層を周回して、集めたモノを捌いている。だがコイツの場合、知識だけは腕利きの探索者の中でも屈指のものだ。

 彼とは今日、居酒屋・神在月で久々に出会った。

 出会ってすぐに呑み始め、情報交換をして暫く経った時のことだった。俺が振った話を聞いたシゲはもずく酢が入った小鉢をクルクルと箸で回している。納豆じゃねぇんだからよ、と俺が追加で言おうとした時だ。しこたま回した箸を置き、先にシゲの方から声が上がった。

「海鳴りでも聞いたのか? 三木さん」

「そうだな、大体そんな感じの音が聞こえた」

「ソイツが聞こえたのは、何階層あたりだい?」

「15前後だ」

「ふぅん……」

 最初は世迷言に捉えられると思った。だが熱燗片手に『地下の迷宮に海があるのか?』と放った酔っ払いの戯言は、笑いの種とはいかなかったようだ。


「大将、最近『海』の噂は聞いたかい?」

「いや、聞いてねぇな」

「そっか」

 暫し考えたシゲは、ビールのおかわりを持ってきた大将に話し掛ける。

 今日は客の入りが少なく、大将も俺らの会話に交じる気らしい。大将はビール瓶と俺が頼んだカツオのタタキを置いた後、端が破れた安い丸椅子を手に戻ってきた。カウンターを挟んで正面に、どかりと体躯を降ろす。


「三木さん、そいつはいつ聞いた?」

「昨日だ。転移スクロールの、ちまっこい文字を読んでる時にずっと聞こえてたな」

「ソロだったのか?」

「いや、生き残った連れのヒーラーだけいた」

「そっか、お疲れさん」

 大将はそう言って、新しく持ってきたコップにビールを注ぎ俺の前に出してくれた。もずくを食うシゲの横で俺は頭を下げてビールの泡をズズと啜った。


 パーティを組んで迷宮に挑む中、命を落とす人間なんてごまんといる。ダンジョンと呼ばれる『探索地域』がある特区では人の命が軽い。同じ日本で、日本語を話し。週末のGⅠレース予想を笑いながらしていた気の良い連中が、翌日死んだなど珍しくもない。

 迷宮特別地域は文字通り、世界が特別だ。

 それでもここは202☓年の日本だ。基本的に犠牲者が出た場合、犠牲者とパーティを組んだ者には面倒が襲い掛かる。死体から回収した認識票と、事故発生時の状況を詳細に記載した報告書。これらを作成して、迷宮課の担当に提出しなければならない。今日はその作業で一日が潰れてしまった。


「なぁ、迷宮に海なんてあるのかい?」

「どうだろな」

「おい、はぐらかすなよ」

 役所での手続きにうんざりしていた俺は、苛ついていたのかもしれない。

 気分を落ち着けようと、箸を取りカツオのタタキをつまむ。タレの中へと一切れ沈め、たっぷりと浸した後で玉ねぎと一緒に口の中に入れる。身が引き締まったカツオに薬味たれが染み込み、酒で火照った喉と頭を多少は冷やしてくれた。

「この玉ねぎ、うめぇな」

「三木さん、あんたカツオ食って玉ねぎの感想を言うなよ」

 苦笑を浮かべる大将に一つ詫びを入れ、俺は残りを次々と口の中へと入れてゆく。


 勘定の後で思い返したが、やはり玉ねぎの味以外は思い出せなかった。




 ◇ ◇ ◇




 手に握る斧を伝って、肉がめり込む感触が訪れる。

 名前も知らない、今まで見たこともなかった化物が目の前で死ぬ様を俺はじっと眺める。探索者になった頃に味わった恐怖と不快感は、今ではとうに薄れていた。


 きつい・汚い・危険の3Kとは良く言ったものだ。

 マグロ漁船に乗ったことがあるという男と組んだことがあった。ヤツは「ダンジョンなんてカニやマグロ漁のヤバさに比べたらマシっしょ」と笑っていた。確かソイツは、3日も経たずに根を上げていた。

 ガキどもが昔熱中したゲームの世界が現実になったといえば、聞こえもいい。だが現実は炭鉱労働者の方がまだマシなのだろう。

 俺には何故か適正があったらしい。探索者になって3年ほどになるが、こうして今も生きている。九州のちっぽけな田舎で生まれ育ち、50を超えるまで何もなかった俺がだ。

 何もない日々で台風と日照りにだけ怯えて過ごしていたあの時と。斧を振るって化け物共をなぎ倒す今。一体、違うのは何だろう。トラクターのハンドルを握る手が、バトルアックスとやらに変わった今、何を得て何を失ったのだろう。


 薄暗く死の匂いがそこら中にこびりつく迷宮の中で、静寂が訪れた時に分かった事がある。

 それはこの迷宮に吹く風の音は――俺の心の中で轟々と鳴り響く、潮の幻聴と同じ音だった。




 ◇ ◇ ◇




「ダンジョンって、海が見えると思うか?」

「は?」

 喧騒が耐えない、月末金曜の居酒屋・神在月。

 隅のテーブル席で飲んでいた新山がボソリと呟いた言葉を聞いて、同席していた人間達は眉を顰めた。


「せいぜい見えても、10層の地底湖じゃない?」

「せやな、あっこはデカいな。けど海ちゃうな」

「……だよなぁ」

 遅れて隣の若い女性と、向かいの男性が言葉を重ねた。新山はそれ以上は言葉を続ける気は無いようだ。枝豆をポンポンと、口の中に向けて連射を始める。

「なんやシゲ、お前海行きたいんか?」

 今度は新山の向かいに座る、中年の男性が尋ねる。新山は口を動かしながら「いいや」と言葉にならない声を出した。

「5月はまだ泳ぐには早い季節じゃない?」

「だから、何で俺が泳ぐ前提なんだよ」

 口の中を片付け終え、ビールを新しく注ぎながら新山は女性と男性を睨む。


「知り合いがな、この前俺に言ってきたんだ。『ダンジョンで海鳴りが聞こえる』って」

「なんやそれ」

「知るかよ、15階層前後で聞こえるって言ってたぞ」

 卓を囲んだベテラン探索者の3人が話す中、大将がカツオのタタキを持ってやってきた。古傷だらけの大きな大将の手が、皿をテーブルの上に置く音は喧騒で掻き消されている。

「ジローちゃん、呼んでくれたら私が取りに行ったのに」

「おい、バァさん。年寄り扱いすんなよ」

「ひっど」

 遠慮の無い言葉の応酬を一度だけ交わし、再びカウンターに向かってゆっくりと戻る大将の背を3人は眺める。すぐさま彼の元へ駆け付けた給仕の娘を見た後は、視線を皿の上へと戻すだけだった。


「やっぱ、カツオは初鰹に限るわ」

 一番に手を伸ばし、カツオのタタキを頬張る女性を見て新山と男は顔を見合わせる。

 男の方が「ユキ姐、玉ねぎも食わなアカンで」と注意をすると、女性は「え、やだいらない」と2口目を即座に口へと入れていた。



「なぁ、シゲやん」

「ん?」

「さっきの海の話やけどな、15階層ってのが引っかかってんけど思い出したわ……」

 男は箸を伸ばし、赤く照ったカツオの上に玉ねぎを乗せる。一緒に摘んだそれを素早くタレに浸し、たっぷりと味わった後で新山に言葉を続けた。

「勇者の三木が、先週ロスト(消失)したらしいで」

「……そうか」

「ロストなら、何も残らず逝っちまったんだろうなぁ」

「せやなぁ、罠を踏んだ同じパーティメンバーを庇って逝ったらしいで」

 そう返した新山の声は、普段のものより僅かに小さかった。

「あの世って、海でもあるのかね?」

「……三途の川やろ」

 皐月最後の金曜日、明後日に開催されるオークスの予想で盛り上がる中。新山は仲間達を眺めながら、泡が消えたビールを流し込むだけだった。



 酒盛りを終えた3人の常連が帰った後。

 テーブルを片付け終えた給仕の娘が戻ってくる様を、大将は立ったまま眺めていた。

「お父さん、ごめんね」

 謝りながら狭いカウンター通る娘が持つ皿を見て、大将の目が僅かに細められる。

 綺麗に重ねられた皿の頂上――ひとつまみ程度の玉ねぎだけが、ひっそりと残されていた。





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