#54 ささやかな決意
グレイス侯爵一団は王都に入るとブラン侯爵邸宅へ向かい、クリスティーナ嬢を送り届けてからグレイス邸へ帰った。
母上や弟のヤリス、執事をはじめとした家人たちの出迎えを受け、父上からは「しばらくはゆっくり休め」と言い渡された。
自室で着替えを終えると、懐かしさよりも寂しさを感じる。
グレイス領への帰還中は、一人きりになる時間はほとんどなかった。
クリスティーナ嬢やシャントットにシロツグの誰かしらがそばにいて会話をしていたし、どの視察先でも賑やかだった。
そんな喧騒や忙しさが当たり前になっていたのだろう。王都の邸宅での静けさが、別の世界のように感じる。
帰宅してからの三日間は家庭教師による学習もお休みで、本当にすることがなく、手持無沙汰で退屈だった。
ヤリスは兄弟の俺にも懐く様子がないので遊び相手になってはくれないし、クリスティーナ嬢もしばらくはお休みで会えないので、まだ赤子のエリカばかりに構っていた。
赤ん坊はいいな。見ているだけで心が和む。かわいくて仕方ない。
50代中年の記憶でも、一人娘の真紀が生まれた時はとても喜んだし、ずっと可愛がって育てた。しかし、反抗期らしいものは無かったものの、俺が仕事ばかりで帰宅する時間が遅くなっていくと、家でも顔を会わせることが減って、会話も無い日が多くなった。
エリカは妹だが、そんなふうになってしまうのだろうか。
クリスティーナ嬢と婚姻後も、そうなってしまうのだろうか。
子供が生まれたら、きちんと子供と向き合う時間をとれるだろうか。
いや、不安なら、繰り返さないように努力をするべきだ。
せっかく若い体と恵まれた環境、そして信頼のおける仲間や家臣がいるのだから、50代中年の後悔を繰り返さないように、今から気を引き締めるべきだろう。
グレイス領を守る役目だけでなく家族を大切にして、守れる人間になる。そのためなら、どんな努力も惜しまない。トーマス・グレイスは、そういう男になろう。
◇
家庭教師陣による学習が再開されると、社会学のランドルフ先生に、アブルダリル聖教会のことを講義してほしいとリクエストした。
俺の目的は、エドバド枢機卿と会談する前に、予習をしておきたかった。
なにせ、聖教会に関しては大人のほとんどが語りたがらず、唯一シャントットから教わった程度の情報しか持っておらず、このまま会談しては、相手方の良いように言われて終わってしまう。だから、少しでも相手の情報を把握しておきたかった。
50代中年の記憶でも、商談前に相手の情報を調べるのは当たり前の話だ。しかし、ここではネットも新聞もないので、家庭教師が一番手軽で身近な情報ルートになる。
しかし、予想通りタブーを気にしたのか、「なぜ、トーマス様が聖教会のことなど知りたいのですか?」と警戒された。それでも、「過去の歴史が知りたいわけではなく、現在の規模や組織、活動内容や世間一般からの認知などを知りたいのです」と話すと、渋々だが講義してくれることになった。もちろん、講義のことは口外しない約束もした。
「トランベル王国から見まして、大陸の西端に位置するクルバルカン法国が聖教会の中心でして、法国の人口は1万にも満たないのですが、法国の聖都アブルダリルを中心に、大陸全土に影響力を持っておりまして、その信者数は10万とも20万とも言われております」
「教団名が首都の名前になっているのですか。法国名も初めてきくものです」
「はい。現在のトランベル王国はクルバルカン法国との国交がございませんので、王国内でも信者以外で聖教会のことを詳しく知る者は少ないかと思われます。かく言う私も、それほど詳しく知っているわけではございませんので」
「なるほど。王国では基本的に宗教の自由が認められていますが、聖教会に対する差別や偏見は強そうですね」
父上も、聖教会に対して、相当毛嫌いしているように感じた。
「仰る通りで、その辺りは過去の歴史の影響が根強いですね」
「聖教会内の階級や組織図みたいなものは分かりますか?」
「教皇をトップに、司教、司祭、助祭と階級が形成されておりまして、末端は使徒と一般信者になります。また、大陸の各国には支部がございまして、支部の責任者は司祭以上とされているそうです」
「枢機卿というのは、どういった立場になるのですか?」
「私も詳しくはないのですが、教皇が直轄する組織といいますか、王国でいう王族や公爵位のようなイメージでしょうか」
「なるほど・・・」
俺に接触してきたエドバド枢機卿って、実はかなり上位の幹部なのか?
そんな大物が、国交を持たないトランベル王国の地方で起きたいざこざなどに、なぜ首を突っ込んでくるのだ?グスタフの教会に避難していた被災民は、30名にも満たない話だったぞ?
「そういえば、1つ思い出したことがあります。あくまで噂なのですが」
「はい、なんでしょうか」
「聖教会はいま新たな計量対象として、塩に手を伸ばそうとしているのではないかという噂を聞きました」
「え?塩ですか?そんなことをされたら、大ごとではありませんか?」
「はい。ですから、近隣各国が警戒しているとの話です。あくまで、噂ですよ。トーマス様だからお聞かせしましたが、くれぐれも内密にお願いします」
「了解しました」
塩は人間の生活で欠かせないものの1つだ。そんなものを聖教会が管理なんて始めたら、自由市場は崩壊するし、市民生活に大打撃を受けることが目に見える。
だから王国では、塩は非課税対象にしているのだ。それを聖教会は搾取の手段としようとしているのか。
ただ、家庭教師が知っている程度の噂なら、王国の外務省や情報機関はすでに把握はして、対応に動いているのだろうけど。
それにしても、家庭教師のくせに生徒にそんな話をして良いのだろうか。貴族教育としてはまずいと思うが、噂も含めて色々知れたことはよかった。
「貴重な講義をありがとうございます。大変勉強になりました。これでなんとか、エドバド枢機卿との会談に臨めそうです」
「え!?枢機卿とお会いになるのですか!?なんでまた!?」
「私を指名して、会いたいとの書簡を頂いたので?」
「なぜそれを先に・・・」
「大丈夫ですよ。ランドルフ先生に教わったなどと、口が裂けても言いませんので」
アブルダリル聖教会の概要は把握できた。
ただし、エドバド枢機卿の目的までは調べようがないので、やはり、会ってみるしかないだろう。
油断はしない。けど、気負うことなくいつも通りの平常心で臨めばいい。
商談やプレゼンと同じだと思えば、どうということはない。




