#35 立て直す若さ
末期癌で余命宣告を受けた時のことを思い出していた。
例えようのないほどの絶望感。そして、それからの孤独な闘病生活。
つらいとか苦しいとかそんなことよりも、50数年の人生全てを否定されたような無力感。
娘の真紀や会社の同僚が見舞いに来てくれたが、励ましや慰めの言葉を貰っても、1ミリも活力が戻ることが無かった。
まだ死んでもいないのに、俺という人間が、もうあの時には消えていたのかもしれない。
そんな生きる屍だった俺が、気付けば5歳のトーマス・グレイスの人格になっていた。
若くて健康な体、優れた記憶力を持つ脳細胞、侯爵家の長男という恵まれた環境。
もうあんな人生は送りたくないと、この若くて可能性に満ちたトーマスの人生を存分に謳歌してきた。
それが、自然災害を目の当たりにして、自分は無力だと?
なんで俺は、簡単に諦めようとしてるんだ。
まだ誰も、俺に余命宣告なんてしていない。
若くて健康な体があるじゃないか。
そして、孤独でもない。
クリスティーナ嬢やシャントットにシロツグもいる。
俺は、気概まで温室育ちの貴族の坊ちゃんになっちまったのか。
ここで踏ん張らないでどうする。
昭和生まれサラリーマンのど根性を、見せつける時じゃないのか。
「カリム将軍に相談したいことができたので、もう一度戻りましょうか」
「はい。お供します」
俺の言葉を聞いて、クリスティーナ嬢は表情を緩め、静かに頷いた。
「ありがとう。君の言葉で目が覚めました。僕は、僕にできることで足掻いてみます」
「はい。トーマス様はお心赴くままに、お進みください」
「それと、明日の避難民援助部隊の同行は、僕は行けなくなるので君が行ってくれますか?僕にできること、そして君にできること、それぞれの役目を果たそう」
「そうですか・・・そうですね。ここへ来たのは遊びでも勉強でもありません。わたくしも、わたくしにできることで足掻いてみようと思います」
「はい。それでこそ、僕の敬愛するクリスティーナ・ブランです」
先ほどまで会議をしていた作戦本部のテントに戻ると、カリム将軍はまだ残っており。千人隊長の一人と斥候班の担当者の三人で打ち合わせ中のようだった。
「打ち合わせ中にすみません。少しよろしいですか」
「どうした、若君。まだなにか用事でも?」
「明日の予定を変更しようと思いまして。避難民援助部隊の同行はクリスティーナ嬢に任せ、私は別行動でトッテム河上流への視察に行きたいと考えております」
「上流に?なにをしにいくつもりで?」
「地形の確認と、河の流れをせき止める手立てを検討するためです」
「ほう、もう少し、詳しく聞かせてもらえますか」
「はい。ここへ到着してすぐに、洪水しているエリアを高台から見渡したのですが、現在一番の悩みどころは、下流に流れずにこのエリアに水が留まっていることかと思いました。氾濫の原因となっている流木や土砂を撤去する作業も、その水が残っているために難航することが予想されている状況でもあります。ですので、もっと上流で河を塞き止め、一定期間だけでもこのエリアにこれ以上水が流れてこないようにできないかと考えております。そのためには、まずは地形や周囲の状況などの情報収集をしてから可能性を検討するべきかと」
「なるほど。上流で塞き止めて時間稼ぎをして、このエリアでの復旧作業をやりやすくしようと」
カリム将軍だけでなく、隊長と斥候の二人も興味を示したのか、俺の話を聞く姿勢が見られる。『子供の話など』と最初から諦めていたが、現実的なラインでの提案とその根拠をきちんと話せば、そんなことは無かったのかもしれない。
「はい。この流域で流木によって河が塞き止められたということは、上流でも可能だと思うのです。それに、そろそろ雪解け水による増水も収まる時期であれば、塞き止めてからの猶予時間も長く確保できると考えています」
「しかし、若君が単独行動をとるとなると、護衛の小隊を動かすことになりますぞ?それは理解しているのですか?」
「はい、勿論です。ですから、こうしてご相談したく、戻ってきた次第です」
「そうか・・・了解した。明日は、ワシも同行しよう。ハッセム隊長、明日1個小隊を護衛に回すように急ぎ手配してくれ。それと、斥候班からも地形に詳しい者を1名出せ」
「ハッ!」
「ハッ!」
「あ、いえ、カリム将軍が不在になってしまっては、現場の指揮が執れなくなります。それに、なにも得られずに無駄足に終わるかもしれません。明日は護衛の小隊を出していただくだけで充分ですので」
「指揮官といっても、ここで踏ん反り返って報告を受けるだけのお飾りだ。ワシには性に合わん。それよりも、せっかく若君が面白いことを思いついたんだ。ここはワシも自分の目で確かめるべきだろう」
「そうですか。私の思い付きで、カリム将軍の手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「いや、才ある者はその才能を活かすべきだ。それが持つ者の責務。ワシが言ったことを、若君が分かってくれたことが嬉しいんですよ」
「そうでしたね。この非常時に謙遜なんてしている場合ではありませんでした。勉強になります」
こちらの選出メンバーなど細かい打ち合わせを済ませると自分たちのテントに戻り、シャントットたちにも明日のことを指示する。
「避難民援助部隊にはクリスティーナ嬢に行ってもらいます。従者さんたちはそちらへ行ってください。それと、シャントットもクリスティーナ嬢の護衛をお願いできますか?」
「トーマス様はどちらへ向かうおつもりですか?」
「トッテム河上流の調査へ向かいます。シロツグは私に同行してください。シャントットは私の代わりにクリスティーナ嬢の傍を離れず護衛を。それと、避難民の衛生状況や健康状態、避難後の食事や水の調達先、あと年齢、性別、職業、とにかく情報を集めてください」
「了解しました」
「あとここにいる全員、スカーフなどの布でこのようにして口と鼻を覆ってください。水害のあとの地域は、臭いと埃が酷いと聞いたことがあります。そして、先ほどの会議で分かったのですが、避難民に病流行の兆候が出ているそうです。こうして口と鼻を覆えば、病の感染対策として多少はマシなはずです。あと、食べ物や水は軍の用意したもの以外は絶対に口にしないでください。それと、現地でなにか触ったあとは口や目などを絶対に触ってはいけません。手洗いとうがいも小まめにして、清潔にすることを忘れずに」
衛生観念や病原菌の感染対策など、この世界のこの時代には無い知識だろう。本来ならこんなふうに近代日本の知識を8歳の子供が突然言い出すのは、不信感を持たせて危険かもしれない。しかし、いまのこの状況下ではそんなことを言っている場合ではない。まずは味方の命や健康が第一優先だ。俺たちが病気や怪我をしてしまったら、できるはずのことですらできなくなる。
クリスティーナ嬢が言うように、俺がみんなをここまで連れて来てしまったというのなら、みんなを守るのも俺の役目だ。やると決めたからには、徹底的にやってやる。




