#34 自然の驚異を目の当たりにして
夕刻には、軍が野営地に予定していた丘に到着し、設営が始まった。
ここはもう、被災地だ。
設営が終わるまで俺たちゲストにはできることがないので、クリスティーナ嬢と従者や護衛のシロツグとシャントットを伴って、見晴らしの良い場所から被災地一帯を見渡した。
眼下にはトッテム河があり、河が溢れて平地に泥で濁った水流が流れ続けているのがここからでも分かった。近代日本とは違い、堤防らしきものは無く、一度溢れてしまうと止まらないのだろう。河というよりも、沼のようだ。
夕暮れ時で、西の空は赤く染まり、風が少し吹いていた。
静かな景色なのに、自然災害の残酷さが共存する情景に、人の存在が如何に小さいものかを思い知らされる。
ここで、俺はなにができるだろう。なにをするべきだろう。
ただ、被災地を実際に自分の目で見れば、俺にもなにかできるのではないかという思いで来たが、自然の驚異に圧倒されて、初日から躓きそうだ。
「家も畑も全部浸かってますね。たぶん、家畜なども全て流されてしまったでしょう。あの村の住民は、もうここには住めませんね」
最初に感想を口にしたのは、シロツグだ。
実家が田舎の農家だから、農家目線で水害による実被害を理解できるから、同情せずにはいられないのだろう。
「河の水が止まっても、ダメなのですか?」
「流木や岩などがたくさん流れ込んでいますので、それらを撤去するのが大変ですし、そのあともイチから家を建て直して畑を耕すのなら、別の土地に移り住んだほうが早いでしょうね」
「それに、いつまた洪水に見舞われるか分かりません。一度洪水が起きたということは、来年以降も同じ条件が揃えば、また洪水になるということです」
クリスティーナ嬢の質問に、シロツグだけでなくシャントットも答える。
シャントットの言う通り、現状のなにも治水対策がされていない状態のままなら、そうなってしまうだろう。
近代日本は治水技術が進んでいた。それでも洪水は起きていたが、気付いていないだけで、河川の氾濫を防げているものがほとんどでは無いのだろうか。ここでもなにか役に立つ技術や知識があれば良いのだが。思いつくのは、堤防とダム、あとは雨水を一時的に逃がす空池。地下にある巨大な貯留施設なんてものもあったな。
しかし、それを子供の俺が言い出したところで、誰が聞く耳を持つ。土木の知識がないから、建設に必要な条件や技法も分からない。専門知識もない子供が、思いついたことを無責任に言っているだけにしか聞こえないだろうな。
今の俺でも言える有効的な意見としては、まずは本来の河の流れに戻すために、流れの邪魔をしている流木などのゴミの撤去くらいだろう。
設営が終わると、軍から支給された硬いパンと世話係が作ってくれた根菜のスープで夕食を済ませ、復興支援会議に出席するために、クリスティーナ嬢を伴って軍の作戦本部となっているテントを訪ねた。
護衛や従者たちには、行軍の疲れや食事のこともあるので、俺たちが会議に出席しているあいだに休憩しておくように指示をした。
本当は、クリスティーナ嬢も疲れているだろうから連れてくるつもりは無かったが、また「わたくしも、お供させてくださいませ」と頑固虫を発症してしまったので、一緒に出席することにした。
出席メンバーは、カリム将軍と直属の部下である3名の千人隊長、参謀部からも1名、斥候班からも1名、行政の災害対策チームから代表と補佐官の2名、そして俺とクリスティーナ嬢の計10名で、自己紹介や挨拶などを交わし合ってから、カリム将軍の「では、まず最初に被害状況の説明から始めようか」の声で会議が始まった。
簡易テーブルに手書きの地図が広げられ、斥候班の担当者が解説をしてくれた。
「避難したアデ村の村長からの聞き取りでは、1の月の四日から雨が降り始め、三日後に河が溢れ浸水が始まり、住民を全員避難させたそうです。もう1つのカロー村も翌日には避難を始め、現在は周辺の村にある教会や寺院などに避難しておりますが、収容しきれずに野宿している避難民が多数いるのが現状です。避難からひと月ほど経過しており、現在のところ犠牲者はゼロですが、下痢や嘔吐などの体調不良者が多く出ていますので、病流行の兆候である可能性が考えられます」
ひと月も経過しているのか。情報が遅い社会の宿命だが、救援に来るのが遅い。それでも、軍の大隊規模の救援としては、これでも早いほうなのだろうな。
「いまは原型を留めておりませんが、トッテム河は本来この地図の形でして、ココのカーブ手前で最初の決壊が起きたと思われます。決壊の原因は、春になると毎年雪解け水によって増水している流域に大雨が重なったことなのですが、このカーブに滞留した流木などで流れがせき止められたことが、直接的な原因だと思われます。ただし、ボートを用意して直接確認しましたが、流木だけでなく岩やドロなども多く、接近するのも困難な状況でしたので、撤去作業は難航が予想されます。報告は以上です」
被害状況の説明が終わると誰も言葉を発せず、溜息だけが聞こえる。
流木の撤去くらい、俺が言うまでも無く、軍でも真っ先に考えるのは当たり前か。しかし、それですら簡単な話ではないとは、頭の痛い話ばかりだ。
「あの、質問よろしいですか?」
「はい、トーマス様、どうぞ」
「分かる範囲で良いのですが、この流域は、過去にも氾濫したことがあるのですか?」
「わたくしからお答えします。記録にはもう少し下流での洪水被害はございますが、アデ村周辺では初めてのようです。ただし、その記録も20年ほどしか残っておりませんので、それ以前は不明です」
過去の記録を話してくれたのは、行政府チームの補佐官だ。
「ありがとうございます。では、アデ村もカロー村も洪水への危機感が薄く、なにも備えて無かったところへ河の氾濫に襲われたということですか」
「恐らく、そうでしょうね」
今回、家々が全滅したのは、低い土地に家を建てていたためだろう。
この世界では、法律で宅地や農地などを区別したり制限などはしていない。過去に洪水の被害が無かった流域なら、河が近くにある平地は農民にとっては住みやすい土地であり、家を建てて定住するのは当たり前のことなのだろう。そう考えると、ここだけでなく、同じような潜在的危険地区は他にもたくさんあるのだろうな。軍部視察の際に聞いた話でも、グレイス領内だけでも年に2~3件は洪水被害があると言っていたしな。
結局、1回目の対策会議では画期的なアイデアが出るわけがなく、まずは避難民への援助や保護、破壊された橋の復旧作業、周辺地域の治安維持などの実務だけが決まり、俺たちは、明日は避難民を援助する部隊に同行することを伝えると、解散となった。
寝泊りするテントへの帰り道、ずっと考え事をしながら歩いていると、クリスティーナ嬢が話し始めた。
「被害に遭われた村民の方たちは、今夜も不安な夜を過ごされているのでしょうか。軍が来たことで、少しでも安心されていれば良いのですが」
「そうですね。これだけの大部隊が助けに来たことに、きっと安心されているでしょうね」
「トーマス様は、なにかお悩みなのでしょうか?ここに来てからずっと優れないご様子ですが」
クリスティーナ嬢には俺の気持ちなど、簡単に分かってしまうか。
昔から、そうだったものな。
「溢れる河と水に浸かった村を見て、自分の無力さを痛感してしまい、少し落ち込んでいます」
「そうだったのですか。ですが、トーマス様は決して無力などではございません」
「無力ですよ。子供のくせに頭でっかちで口ばかり。客寄せパンダがお似合いの若君ですよ」
俺がヤケ気味に愚痴をこぼすと、クリスティーナ嬢は俺の腕を掴んで足を止めた。
「いいえ、それは違います。ご自分をそのように仰らないでください。ここにいる軍の大部隊や行政チームを動かしたのは、トーマス様ではありませんか。トーマス様が『なんとしてでも、被災地の視察に行かせてほしい』と仰ったから、カリム将軍もコーデン叔父様もなんとかしようと動いてくださったのではありませんか。トーマス様がここへ導いたのですよ。わたくしたちは、トーマス様が示してくださる道標を頼りに、進んでいるのです。それは無力な人では決して成し得ないことです」
そう訴える彼女の眼差しは、とても7歳の女児とは思えない射貫くような鋭さがあった。
長い付き合いでも、こんな表情は見たことがない。
俺が愚痴ばかり零すから、怒らせてしまったようだ。




