#26 侯爵令嬢、初めてのお買い物
挨拶を終えると、早速市場へ向かう。
商工ギルドからの道のりでは、多くの町人に声をかけられた。軍の兵士たちと違って町人には規律なんてものはないので、どの人も遠慮なしに「こっち向いてー!」だの「サインくれー!」だの、遠慮なく声をかけてきては大盛り上がりだ。
しかし、シロツグとシャントットがピリピリしているのが分かるので、安易に応対できない。なので、俺もクリスティーナ嬢も若干ビビりながら手を振り、愛想を振りまいていた。
市場では、まずは買い物に挑戦する。クリスティーナ嬢には、「なんでも好きな物を自分で選んで、買ってみてください。ただし、今日の予算は一人につき銀貨1枚。僕とクリスティーナ嬢の二人で、合計で銀貨2枚だということを忘れずに」と話してある。
シャントットに教えてもらった今現在の王国の貨幣価値は、小銅貨10枚で銅貨1枚、銅貨が10枚で銀貨1枚、銀貨が10枚で金貨1枚、金貨10枚で大金貨1枚だということだった。
そして、シロツグの月給が銀貨6枚と銅貨3枚でシャントットが銀貨7枚だそうな。階級は同じでも、入隊歴の差で給料も差があるそうだが、身分は関係ないらしい。恐らくだが、軍内部に階級と経験以外の要素で給料などの待遇差をつけてしまうと、命令や指揮に影響が出てしまうのだろう。だから、軍内部では公平性が必要なのだと思う。それでも、シャントットが言っていたように、出世に関しては性別格差があるようだが。
市場に到着すると、野菜や果物、鶏肉や牛肉、食器や金物、服や布などの出店が所狭しと軒を連ねていた。テントのような日よけや木樽に板を乗せて商品を陳列していたり、売り物を乗せた荷車をそのままお店にしている商人もいて、ここには交易商人や地元の生産者が直接売りにきているのだろう。
クリスティーナ嬢はそれらの店を見て、目を輝かせている。俺もそうだが、市場に来るのは初めてだから、ワクワクしてしまうのだろう。
「では早速、お買い物に挑戦しましょうか。食材でも食器でも服でも、なんでもいいので、興味があるものや欲しいものを自分で選んで、支払いも自分でやってみましょう」
そう言って、クリスティーナ嬢に銀貨を1枚渡すと、「はい。がんばります」といって受け取った銀貨を、両手で包んだ。
クリスティーナ嬢が最初に興味を示したのは、金物屋だった。鍋などの調理器具や鍬やカマなどの農機具、馬蹄や車輪なども置いている。どう考えても、侯爵令嬢の日常生活では使わないものばかりだ。
しかしここは、なにも口出しせずに、見ているだけにする。
「いらっしゃい!」
「あの、ここにあるものは、ご主人が作られたのですか?」
「作ってるのは工房の親方だよ。あっしは代わりに町まで売りに来てるんですわ」
「そうですか。ご苦労様です」
「あ、はい。って、なんか買ってってよ!」
「すみませんが、今日は予算が決まっておりますので、また機会がございましたら」
店員の押しに負けず、意外とあしらうのが上手いな。
次に興味を示したのは、焼き鳥屋だ。
「美味しいよー!一本どうだい!」
「そのお料理はどのように食べるのですか?」
「こう手で持って、ガブリってかぶりつくんだよ!買っていってよ!」
「そのような食べ方をしたら、トーマス様に恥をかかせてしまいますので、結構です」
俺は別に恥だとは思わないが、クリスティーナ嬢が串焼きを被り付く姿は想像できないな。
その後も、果物屋では「どちらからいらしたのですか?遠方からご苦労様です」と話し、敷物屋では「珍しい柄の絨毯ですね。国外から運んでらしたのですか?」などなど、店員たちと会話をしつつ、チーズのお店に来ると、無言になって品定めを始めた。チーズの良し悪しなんて解るのだろうか。俺には分からん。
「あの、このチーズをおひとつ買いたいのですが」
「え!?丸ごと一つ買ってくださるんで!?」
「ダメでしょうか?」
「ダメじゃねーけど・・・」
クリスティーナ嬢が買おうとしているのは、直径2/3ライド(約30センチ)ほどの分厚い円盤型のチーズだ。恐らく、通常の客には切り売りしていて、丸ごと買う客はいないのだろう。近代日本だったら、こういうのを大人買いというのか。
「えーっと、それ1つで銀貨1枚になりやす」
「ではこれで」
そう言って、クリスティーナ嬢は店員に銀貨1枚を手渡した。
クリスティーナ嬢、人生で初めてのお買い物だ。
しかし、これほど大きいチーズを買って、どうするつもりなのかは謎だ。
「毎度あり!それで、結構重いけど、持って帰れるんですかい?」
「あ・・・どうしましょう」
「それなら、私が持ちますよ」
せっかくのクリスティーナ嬢の初めてのお買い物だから、俺が持つと申し出た。
レディのお買い物で荷物を持つのは、紳士の嗜みというものだ。
「トーマス様に荷物を持たせるなんてダメですよ!自分が持ちます!」
「使いの者に馬車まで運ばせますので!」
俺の申し出に、シロツグとギルド長のハンス殿が発狂しそうな声で叫んだ。
ちなみに、シャントットはドン引きを通り越して、呆気に取られている。
「いえ、シロツグも従者殿も今は護衛の任務中なので、手が塞がるのは不味いです。それに、買った物を領民に運ばせるなんて偉そうな真似はできませんので、ここは私が持ちます」
「いや、でも、若君にそのようなことをさせては、コーデン様にお叱りを受けてしまいます!」
らちが明かないので、二人には「婚約者の前でいいところを見せたいのですよ」と小声で話し、なんとか宥めた。王都のグレイス邸では、ほぼこれで何とかなったからな。
シロツグたちが渋々納得してくれたようなので、チーズを抱えたままクリスティーナ嬢に声を掛けた。
「初めての買い物はどうでしたか?」
「限られた予算でしたので真剣に選びましたが、とても楽しかったです」
「それは良かった。でも、一度に予算を使い切ってしまいましたが、このあとどうするつもりですか?」
「え・・・その、もうお買い物はお終いですね・・・」
「買い物に慣れていない人にありがちなのですが、決められた予算を全部使い切ってしまうと、あとでなにも買えなくなってしまうのですよ。ですから、買い物をするときは、計画的な予算配分が大切なのです」
「わたくしは、予算内で買えるものを選ぶことしか考えておりませんでした。計画的に配分していれば、もっと買い物を続けられたのですね」
「そういうことです。ですが、まだ、初めての買い物ですからね。どんな人でも買い物での失敗は付き物です。そうやって失敗を重ねながら勉強して、上手な買い物ができるようになっていくのです」
「はい。もっと勉強しまして、上手なお買い物ができるようにがんばります」
「ではここで、お金に関して、もう1つ新しい勉強をしましょうか」




