第37話:逆恨みの虚偽報告:反逆者の汚名
王都郊外に広がる巨大な廃棄物の斜面。
どんぐり色の空が白み始め、夜明けの光が黒く変色した果実の皮や動物の砕けた骨片を照らし出す。
堆積した生ゴミと腐葉土の層の奥からメタンガスの強い刺激臭と発酵による熱が絶え間なく立ち昇っている。
斜面の中腹に白い糸で円筒状に縛られた三つの塊が沈み込んでいた。
そのうちの一つ、ゼクスの身体を拘束していたアラクネの糸の表面に雨水と生ゴミから染み出した強酸性の腐敗液がじわじわと浸透していく。
数時間の放置により極限まで引き伸ばされていた繊維のタンパク質構造が溶解し限界を超えた張力が一気に解放された。
ブチッ、ブチッという鈍い音を立てて白い線が数カ所で弾け飛ぶ。
胸郭を締め付けていた物理的な圧迫が消失しゼクスの気管に大量の冷たい空気が流れ込んだ。
「ガハッ、ゴホッ……」
激しい咳き込みとともにゼクスの口から汚泥と唾液が吐き出される。
彼は黒い泥の中に両手をつき、腕の筋肉を収縮させてゆっくりと上体を起こした。
油差しを怠った安物の鋼鉄の鎧が動くたびにギガァッ、ガシャァッという激しい金属の摩擦音を立てる。
顔の左半分にこびりついた腐葉土と潰れた果実の皮が重力に従って床へと落ちた。
ゼクスの右手の指は鍔の先で千切れた聖剣の腐った革の柄を固く握りしめたままだった。
視線を落とす。
刃こぼれと亀裂の走っていた刀身はそこにはなく、水分が抜けて赤茶けた酸化鉄の断面だけが朝の光を一切反射せずにそこにある。
ゼクスの網膜の裏である映像が強制的に再生された。
微動だにしない銀髪の少女の首筋へ向けて振り下ろした刃が、何にも触れずに空中で粉となって崩れ落ちた光景。
そして青白い警告灯の下、冷たい床材の上に散らばった無数の赤錆の欠片。
拾い上げようとするたびに指の隙間からサラサラとこぼれ落ちていったあの軽く乾いた音。
ゼクスの呼吸が、急激に浅く、不規則なリズムに変わった。
『自らの手入れの放棄によって、剣の構造が限界を超過した』という物理的真実のデータが彼の脳の処理領域に入力される。
その情報が神経細胞を通過した瞬間、彼の心拍数が跳ね上がり全身の骨格筋が硬直を始めた。
そのデータを事実として処理すれば自己認識のシステムが完全に破壊される。
脳は極限の負荷から神経回路を保護するため瞬時に物理的な防衛機能を作動させた。
正常な情報の接続が遮断されシナプスが全く別の回路へと強制的に繋ぎ変えられる。
ゼクスの眼球が小刻みに痙攣し白眼に赤い血走りが広がる。
そして声帯が震え、空気を振るわせた。
「あいつが……俺の剣に、細工をした」
声に出して出力されたその音声の振動が、ゼクスの鼓膜から再び脳へと入力される。
その瞬間、彼の脳内で過去のすべての物理現象のデータが完全に上書きされた。
手入れを怠った事実も錆を放置した事実も消去され『裏方の男が勇者の武器を破壊する罠を仕掛けた』という情報だけが絶対的な事実のログとして固定化されたのだ。
ゼクスは重いブーツで廃棄物の斜面を踏みしめ立ち上がった。
彼から数メートル離れた汚泥の中で、未だに糸に巻かれたままのエルナとガレスがヒューッ、ヒューッとかすれた呼吸音を漏らしている。
ゼクスは彼らの方を一瞥すらしなかった。
彼の網膜は遠くに見える王都の巨大な石積みの外壁だけを捉えていた。
数時間後。
王城の堅牢な正門の前に悪臭を放つ黒い泥にまみれたゼクスが姿を現した。
警備に当たっていた二人の衛兵が鼻を覆いながら交差させるように銀の槍を突き出す。
金属の穂先がゼクスの胸甲に当たるカチンという音が鳴る。
「通せ。俺は勇者だ。王に急ぎの報告がある」
ゼクスの喉から低く掠れた声が出る。
衛兵たちはその顔を覆う泥の隙間から、かつて王都で凱旋パレードを行った男の顔の骨格を照合し、ゆっくりと槍を引いた。
磨き上げられた大理石の床にゼクスのひしゃげたブーツから黒い汚泥がボトボトと滴り落ちる。
彼が歩みを進めるたびに城内の清潔な空気がメタンガスと腐敗臭に汚染されていく。
広大な謁見の間。
赤い絨毯の先、一段高い玉座に座る王の前でゼクスは膝を折った。
ガシャァッという耳障りな鎧の音が静寂の空間に反響する。
周囲に控える文官や騎士たちが眉間を寄せて後ずさる足音が鳴る。
「勇者よ。その姿はいったいどうしたことだ」
王の低く重い声が玉座から発せられた。
「報告いたします」
ゼクスの声帯から上書きされた事実のデータが音声となって出力される。
「かつて私の荷物持ちをしていた、追放された無能な保全士。あいつが、地下迷宮の深層に難攻不落の要塞を築き上げていました。我々のパーティは騙し討ちに遭い、私の聖剣は奴の仕掛けた悪劣な細工によって破壊されました」
謁見の間に静かなざわめきが波紋のように広がる。
「奴は魔王軍の残党と結託し迷宮の魔獣たちを使役しています。さらに、王国へ反旗を翻すための準備を地下で進めているのです。このまま放置すれば、王都に計り知れない脅威をもたらすでしょう」
王の瞬きが止まり指先が玉座の肘掛けをトントンと規則正しいリズムで叩き始める。
王の脳内では即座に情報の計算が行われていた。
地下迷宮の深層に築かれたという要塞。
それは言い換えれば手付かずの膨大な魔石資源と未知の古代インフラがそこに存在しているという事実を示している。
それを王国の管理下に置くことができれば莫大な利益となる。
トントン、と叩く指先が止まった。
「……反逆者による地下要塞の建設。そして魔王軍との結託。看過できぬ事態だ」
王の唇が動き冷厳な決定が空間に落ちた。
「第一騎士団長を呼べ。王国最強の精鋭騎士団を編成し直ちにダンジョン討伐の軍を起こす。勇者よ、そなたには案内役として同行を命ずる」
「はっ」
ゼクスは深く頭を下げたまま返事をした。
その瞬間ゼクスの顔の筋肉が引き攣り両端の口角が上へと引き上げられた。
千切れた聖剣の柄を握る右手の指にギリリと強い力が込められる。
彼の網膜にはすでに精鋭騎士団の圧倒的な武力による破壊の工程が映し出されていた。
強固な防音扉が破城槌の衝撃によって限界応力を超え破断点を迎える音。
完璧に温度管理された清浄な床材のうえに何十人もの騎士たちの鋼鉄の軍靴の荷重が集中し泥と血で環境が汚染されていく光景。
そして、あの無機質な管理者の顔を自らのブーツで踏み砕き、すべての管理系統を物理的に停止させる最終工程。
玉座の間で第一騎士団の出撃を告げる重厚な鐘の音が鳴り響いた。




