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第二十章──決断Ⅱ

決断Ⅱ






「ねぇ浩子、感じない?人の霊気を…」

 「えぇ…少し前から感じていたわ。おそらくは信枝の…」

 「ということは、いしが上手(うま)くやってくれたってことね…」

 「狛族(こまぞく)は狡狗と違って頭の良い種族(しゅぞく)よ。その狛族の中でもいしは特に機転(きてん)()(かしこ)い子だもの。あの子ならばスンのメッセージの意味(いみ)理解(りかい)してくれると信じていたわ」

 ──「いし…ごめんね。あんたを下僕(しもべ)だなんて…それに(おとり)に使うなんて…。私は悪い主人だね…。でも他に方法が見つからなかったの…ここを出たら真っ先に助けに行くからね」牢から出られない自分を歯がゆく感じながら、錫はいしの無事を願った。もちろん信枝をこんな場所に来させてしまった事にも(うし)ろめたさを感じていた。

──「信枝…絶対無事に辿(たど)り着いてね」自分は周囲(しゅうい)から(ささ)えられ助けられて生かされている非力(ひりき)な人間だということを、錫はここでも思い知らされるのだった。



錫は(うす)い膜に両手とおでこをぴったり張り付け、外の景色を(のぞ)いてみた。

「来た…来たわ!信枝が来てくれた!」牢獄(ろうごく)に続く(ゆる)やかな長い坂道の向こうに、信枝の姿が小さく飛び込んできた。

──「信枝……ありがとう…」脇目(わきめ)()らずに()けてくる信枝の姿が、一コマ一コマ大きくなってくる。お互いの姿が確認(かくにん)できるまで近づくと、信枝は大きく手を振って口元(くちもと)()みを浮かべた。錫も同じように手を振ろうとしたその時、信枝の後ろにもう一つ別の姿があることに気づいた。錫は思わず大声で信枝に叫んだ。

(あぶ)ない!気をつけて…うしろに何かいる!」(かろ)うじて錫の声が聞きとれた信枝は、(あわ)てて後ろを振り返ってみた。信枝の()(うし)ろに張り付いていたのは狛犬Bだった。一旦(いったん)は安心した信枝だったが、(さら)にその後ろ上空(じょうくう)を追いかけてくる見知らぬ姿が目に入った。(けもの)と人間とを掛け合わせたようなバランスの悪い体つき──狡狗に違いなかったが、さっきの奴より明らかに強そうだ。見つかってしまった狡狗は、にやにやと気味悪(きみわる)く笑いながら信枝の前に立ちはだかった。

「ちっ、見つかったか…ならばさっさとオレ様に()われろ」言うが早いか、正面から信枝に襲いかかろうとした狡狗を素早(すばや)阻止(そし)したのは狛犬Bだった。不意(ふい)()かれて()みつかれそうになった狡狗だったが、ひらりと体を(かわ)し、いつの間に手にしたのか、(ほの)かに青白く光る(むち)着地(ちゃくち)寸前(すんぜん)の狛犬Bの背中に叩きつけた。

「ぐっ…」苦痛(くつう)()えながら着地(ちゃくち)した狛犬Bは、なんとか体勢(たいせい)(ととの)えて狡狗を(にら)んだ。

「ほう、狛のくせにこのオレ様に(きば)()くとはな…」狛犬Bはもう一度狡狗に襲いかかりたかったが、下手(へた)仕掛(しか)けると鞭の餌食(えじき)にされそうで尻込(しりご)みした。ところが──そう思っている(そば)から、信枝が(ひる)みもせず狡狗に突っ込んでいった。狡狗の(ふところ)まで一気(いっき)()()いを()めると、右、左、右と三発突きを()り出した。あっという間のことで、素早いはずの狡狗も(かわ)しようがなかった。(れい)(ごと)くダメージこそ(あた)えられなかったが、いとも簡単(かんたん)に当て身を食らわされたことがよほど(くや)しかったらしい。

「ヌヌ…オレ様がこんなにパンチを食らうとは…絶対許さぬ…」狡狗は(いか)りを(あら)わに信枝の顔面目がけて鞭を振り下ろした。鞭の早さは相当(そうとう)のものだったが信枝はそれを軽く(かわ)した。

「なんという俊敏(しゅんびん)さ…」目を大きく開いて狛犬Bは感心している。

「だけどそれだけよ。霊力の弱い私は、相手にダメージを与えられないの…」それを聞いた狛犬Bは、少し考えてピンピンと尻尾を振った。

「あたいを取り込んでください…」。「えっ!?」

「いいえ…あたいがあなた様に入ります」考え方の違いでどっちも同じことだった。有無(うむ)も言わせず、狛犬Bは信枝の胸元(むなもと)から〝す──〟っと入り込んでいった。信枝と一体(いったい)となった狛犬Bは、一切(いっさい)信枝の邪魔(じゃま)をせず、その霊力だけを両手と両足に振り分けた。

自慢(じまん)ではありませんが、あたいの(ひい)でたところは他の狛犬より少々(しょうしょう)霊力が高いことです。ですからあたいの霊力をお使いください。ちょっとくらいは役に立つかと…」言ってる意味は分かるが、どうもピンとこない。信枝は狡狗を挑発(ちょうはつ)して(ため)してみることにした。

「…あんたさぁ、さっきから頑張(がんば)ってるけど、まだ一発も当たってないわよ。手ごたえがなくてつまんないわ」

「なにぃ~!?手加減(てかげん)していればいい気になりやがって…」

「強がらなくてもいいの。見かけ(だお)しの狡狗さん」信枝は首を小刻(こきざ)()り、大袈裟(おおげさ)(あき)れ顔をしてみせた。

「ギリギリギリ…ホントに許さん」簡単(かんたん)に信枝の挑発に乗ってくる。脳天(のうてん)から蒸気(じょうき)()き出しそうな(いか)りようだ。

「ムダよ…。どーせ一発も当たりっこないもん!」バカにした口調(くちょう)()()ちをかける。

「ンムウ~…オレ様の本当の強さを見せてやる!」怒りが沸点(ふってん)(たっ)した狡狗は、信枝の(まわ)りをまるで少年(しょうねん)漫画(まんが)忍者(にんじゃ)よろしくクルクルと回り始めた。さすがに(えん)に見えるほど早くはないが、そうやって信枝に襲いかかる(すき)(ねら)っていた。信枝はわざと下を向いて狡狗に(すき)を作ってやった。そうとは知らず、狡狗は今とばかりに信枝の首を(つか)みに(ふところ)に入ってきた。信枝は(あわ)てることなく、狡狗の胸元(むなもと)に右足で()りを食らわせた。

「どぅぁ──!くっ…」今までなら一時的(いちじてき)に動きが止まるだけの狡狗だったが、今度の攻撃では苦しみ(あえ)いでいる。間髪(かんはつ)()れず、信枝は顔面に正拳(せいけん)を突こうとしたが、狡狗は(かろ)うじてそれを(かわ)すと苦々(にがにが)しく信枝を(にら)んだ。

「スゴい…あんたのおかげで強烈(きょうれつ)攻撃(こうげき)になっちゃったわ!」信枝は感激(かんげき)している。

「この狶狶(きき)様によくも…」牢の中で固唾(かたず)を飲んで見守っていた錫と智信枝栄も、その名前には聞き覚えがあった。

「浩子…狶狶って途中で逃げ出したすばしっこい奴よね?」

「えぇ、私もあの動きには見覚(みおぼ)えがあったわ…」

「でもさすが信枝ね…。俊敏(しゅんびん)な錫雅でさえ、あの狡狗には手を焼いたのに…」

「うふふ、つまり自分…」智信枝栄は錫雅尊を第三者(だいさんしゃ)(あつか)いしている錫が滑稽(こっけい)だった。

「見て見てあの動き…まるでシマリスだよ。シマリス界のチャンピオンだ~!」

―─「このおおらかで明るいスンに今まで何度(すく)われたか…。錫雅様とは(まった)く違う性格なのに同じように(いや)される…。スンには必ず助かってもらいたい…。いや、必ず助かる。だってスンはもう謎を解いたのだから……そして秘宝はもうそこにあるのだから…」


()いとこ無しの狶狶(きき)苦々(にがにが)しい表情(ひょうじょう)で鞭を手にすると、渾身(こんしん)一撃(いちげき)()めてやろうと力を()めた。

「向かって来ないの?ひょっとして私が恐くなった?」

「なに───っ!」挑発(ちょうはつ)に乗せられた狶狶は、怒りを(あら)わにして鞭を振り上げた。信枝は慌てず狶狶の(ふところ)に入ると〝ニッ〟っと笑って顔面に右の正拳(せいけん)を突いた。狛犬Bは信枝が右の正拳を(はな)動作(どうさ)をした瞬間、機転(きてん)()かせてその(こぶし)にすべての霊気を集めていた。(きた)えた信枝の拳に霊気を上乗(うわの)せされた正拳を見舞(みま)った狶狶は、次の瞬間後ろにひっくり返り、不気味な声を立ててのたうち回った。それでもなんとか体勢(たいせい)を立て直した狶狶は、()()てるように信枝に言った。

「今日のところは()()()()()…。次に()った時には覚悟(かくご)しておけ…」

「あんた自分が負けたくせにその()(ぐさ)はないでしょ?」

「ダマれ…オレ様だからこの程度(ていど)ですんだのだ…」たしかに狶狶は他の狡狗と違って俊敏で霊力も高い。雑魚(ざこ)の狡狗であればドロドロになっていたかもしれない。「とにかくこの勝負はおあずけだ…。オレ様は〝逃げるが勝ち〟という言葉が好きでな。何しろ逃げて勝ちになるのだからな…」

「何よあいつ……最後は逃げてばっかり…」尻尾(しっぽ)()いて逃げる狶狶に(あき)れていた錫だったが、それより一人で立ちつくしている信枝が気になり、つい叫んでしまった──。

「信枝ぇ──!」この一言に信枝の恋心が高鳴(たかな)ったのは言うまでもない。

「錫雅さまぁ~ん♡!」色っぽい声だ。「私の名前を()()てに!?」

「ふえぇ~~……しまったぁ…」思わず両手で口を押えたが手遅(ておく)れだ。

「あらあら…今のスンは錫雅様なのよ。気をつけてね……くふっ」

「もう…浩子ったら人ごとなんだから…。男になったり女になったり──器用(きよう)に使い分けできないよぉ…」二人がやり取りしているうちに、信枝が牢のすぐ近くまでやってきた。智信枝栄は、その信枝の足を止めた。

「信枝様、そこでお止まりください。この牢は(とびら)(さく)もありませんから簡単に入れます。ですが…一旦(いったん)入ったが最後、絶対に出られません。気をつけてください」信枝はこっくりと(うなず)いた。

「信枝殿…このような危険(きけん)な目に()わせてすまなかった」

「私は錫雅様のお役に立てればそれで…。それに…どうしても、もう一度お会いしたかったのです…」信枝は顔を赤らめた。先ほど狶狶と戦っていた(いさ)ましい女性と同一人物(どういつじんぶつ)だとはとても思えない。

「そうそう…錫雅様()()を!」

「ありがたい!よくここまで運んでくれた。()()を投げ入れてくれぬか?」信枝は無言(むごん)だった。

「どうした信枝殿…?早く投げ入れてくれ…」

「いいえ…投げ入れません…」

──「エッ!?…ちょっと待ってよ信枝。ここまで来て、またおかしな事になるの…?」錫が不安(ふあん)に思っていると、信枝はとんでもない行動に出た。

「何をする信枝殿!」。「信枝様いけません!」隣の牢の智信枝栄も(あわ)てて止めた。だがもう遅かった。

 「はい錫雅様…どうぞ!」信枝は(みずか)ら牢に入ると直接錫に手渡した。

 「これはとても大切な物なのでしょう?投げたりはできません。それに、わざわざ私にここまで持って来させるということは、これがあればこの牢から出られるということだったのでは?万が一そうじゃなくても、私はここで錫雅様と死ぬ覚悟(かくご)ですから…」

──「さすが信枝──度胸(どきょう)が違う」錫も智信枝栄も同時に思った。

 「このような無茶(むちゃ)は二度となりません信枝殿」

 「はい♡」(しか)られてなお(うれ)しそうな信枝だった。



 「さて…」錫は牢の中央(ちゅうおう)(ひざ)をついた。そして(あめ)の秘宝である(しゃく)(じょう)頭部(とうぶ)を左手に持ち、右手に信枝から受け取った()を手にして大きく深呼吸(しんこきゅう)した。「天地(あめつち)の秘宝はこの二つに違いない…」錫は祈りを込めて二つの秘宝を()め合わせた。

 ()たして──今まで(まった)く感じなかった霊気が双方(そうほう)から(ただよ)い始め、(あめ)の秘宝は青い光を、(つち)の秘宝は赤い光を帯びてだんだん強くなっていった。やがて二つの(こと)なった霊気はゆっくりと融合(ゆうごう)し、金色(こんじき)(かがや)きを(はな)つ〈錫杖(しゃくじょう)〉と()した。

「これだったんだわ──ついに完成したのよ。いや、ついに完成したのだ!」興奮(こうふん)のあまり、つい女言葉になってしまう錫だ。

「やった──!見つけたのですね、錫雅様!」さすがの智信枝栄も興奮を(かく)せない。

「この錫杖を(ため)してみたいが…」そこへまるで計算(けいさん)されたようなタイミングで、一体の狡狗が牢へ入り込んできた。

「おかしな力に(さそ)われて来てみたが、その杖が(みなもと)だな…よこせ!」

「ダメだ…。お前なんかに渡せるものか」

「うるさい…つべこべ言わずによこせ」

「錫雅様、早速(さっそく)(ため)相手(あいて)が来ましたわね?」(うれ)しそうに錫雅尊を(のぞ)き込みながら信枝は狡狗を(ゆび)さした。

「ええい…早くよこせ!」気短(きみじか)な狡狗はプロレス(わざ)のエルボーを繰り出すように、右の腕を真横に()ばすと、そのままその腕を前に振り出した。錫と狡狗との()()いは充分(じゅうぶん)あったはずだが、その腕は錫の左肩(ひだりかた)直撃(ちょくげき)した。早さも威力(いりょく)も大して無さそうだったが、錫は牢の(はし)まで吹っ飛んだ。

「錫雅さまぁ!」信枝が咄嗟(とっさ)に叫んだ。

「大丈夫だ…まさか腕が伸びるとは…」飛ばされて(しり)もちをついた錫だったが、それでも秘宝はしっかり(かか)えたままだ。

「錫雅様になんてことを…」信枝の腹の中は沸々(ふつふつ)()えたぎった。

「伸びる剛腕(ごうわん)──オレ様は狡狗一の強さを(ほこ)る!ホッホッホ~~、ホッホホホ~」得意気に自分を(たた)え、()()()()しながら(おど)り出した。

「…この狡狗、力はあるけど頭は抜けてそうですわよ…錫雅様」

「そのようだな。ではこいつで(ため)してみるか…」調子(ちょうし)に乗って踊っている狡狗を横目(よこめ)に、錫は錫杖をしっかり握ると自分の霊力を高め始めた。やがて杖が手にしっくりと(おさ)まるような気がした錫は、今が(ころ)()いだと直感(ちょっかん)し、()竿(ざお)のリールを投げるような格好(かっこう)で狡狗目がけて錫杖を振り下ろした。十二個の遊環(ゆかん)(たが)いに()れ合って〝しゃくしゃく〟と()(ひび)くと、金色(こんじき)に輝く錫杖の先から、(おな)じく金色に輝く霊気の玉が飛び出し狡狗の胸元(むなもと)に当たった。けれどもその霊気はゆっくりと狡狗の体に()()むように消えてしまった。

「何かをぶつけたようだが、残念ながらオレ様には()かないな。痛くも(かゆ)くもないわ!ホッホッホ~…」狡狗はそう言ってまた踊り始めた。

「なんだかあの踊りもかけ声も(しゃく)(さわ)るわねぇ…」信枝が(けむ)たそうな顔で狡狗を見ている。だが錫はそんなことより、秘宝が()かないことに苛立(いらだ)ちを(おぼ)えた。

──「どうして効かないの…?まだ私の霊力が()らない…?」気まぐれな狡狗は踊りを()めると、錫に向かってニヤニヤと笑いながら言った。

「さぁ~てと…じゃそろそろ本気で行くぞ!」

「休む間もなく踊ったり襲ったり忙しい奴だ…」そう言いながらも錫は(たい)(かわ)せるように身構(みがま)えた。狡狗はさっきと同じように右の腕を真横に伸ばすと、その腕を前に振り出して錫に剛腕を食らわせようとした────が、狡狗の手は錫に届かない。

──「あれ……全然(ぜんぜん)伸びてこないじゃない?」拍子抜(ひょうしぬ)けした錫だったが、狡狗がもう一回仕掛(しか)けてきたので再び身構えた。

「い、今のはお遊び……これからが本番(ほんばん)だ。恐いぞ恐いぞ吹っ飛ぶぞぉ~…ほれ行くぞぉ~ホッホホホ~」錫を(おど)しながら狡狗はまたまた右の腕を真横から繰り出してきた。だが今度も錫には届かない。

「あ、あれ……おかしいな…どうして伸びないんだ?」狡狗は首を(かし)げて戸惑(とまど)っている。それから三度(みたび)四度(よたび)と右腕を繰り出してみたが結果(けっか)は同じだった。様子(ようす)を見ていた信枝は、狡狗の目の前にすっくと立ちはだかると、落ち着いた口調(くちょう)でこう言った。

「私に同じ事をしてみなさいよ…」

「信枝殿(あぶ)ない!たった今無茶はしないと約束したでしょう…」

「大丈夫です錫雅様。こんな奴にやられやしませんから」

「なにぃ~!バカにしやがって…。もう許さん、お前はペチャンコにしてやる」狡狗は両腕を真横に上げると、シンバルを叩くように思い切り信枝を(はさ)み込んだ。思わず目を閉じた錫は、それから恐る恐る目を開けてみた。

「ほらね錫雅様、大丈夫でしょ!?」信枝は(すず)しい顔で平然(へいぜん)と立っている。

「ぶ…無事(ぶじ)で何よりだ…信枝殿」錫雅尊にそう言われただけで、信枝は胸が高鳴り、天上(てんじょう)からバラの花びらが()()る。

 「くっそぉ~…どうなってるんだ」狡狗はわけが分からず地団駄(じたんだ)()んで(くや)しがった。その時隣の牢から智信枝栄が声をかけた。

「錫雅様、それこそが秘宝の力です!やはりその秘宝にはどんな霊力をも無力化(むりょくか)する特性(とくせい)があったのです。確信(かくしん)は持てなかったものの、天甦霊主(あまのそれいぬし)様は大凡(おおよそ)分かっていたようです。秘宝の特性が予想(よそう)どおりなら、邪心(じゃしん)を持った奴らに渡れば白の国が(ほろ)びるのは必至(ひっし)だと危惧(きぐ)していました。…ずばり天甦霊主様の思っていたとおりの効力(こうりょく)です…」

「もし奴らの手に渡っていたら、逆に私達の霊力を除去(じょきょ)されていたということか…」

「そうです。地味(じみ)な力のようですが、恐ろしい効力です」

──「そんな恐ろしい力を持った秘宝を人質(ひとじち)交換(こうかん)に使おうとしていたんだわ…」苦渋(くじゅう)選択(せんたく)だったにせよ、錫は狡狗に秘宝を渡そうとしていたことにぞっとした。

「もうこの狡狗は赤子(あかご)のようなものね。放っておきましょ」信枝はチラリと狡狗に目を()っただけで相手にしなかった。

「ところで智信枝栄殿、この秘宝…どんな霊力にも効くのだな?」

「はい。そのはずです…」

「そうか…」錫は何を考えているのか──それだけ聞くと(くちびる)一文字(いちもんじ)(むす)び、杖をギュッと握った。

「信枝殿、私の後ろに下がって」信枝は必要以上に錫の背中にピッタリとくっついた。

「……ち、近すぎる信枝殿…」

「あっ…恐くって…つい…」それでも離れようとしない信枝をそのままに、錫は自分の霊力を高め始めた。それに比例(ひれい)して錫杖にもその力が(たくわ)えられていく。充分(じゅうぶん)霊気を()め込んだ錫は、牢の出口に向かって錫杖を振り下ろした。錫杖の先から金色の光の玉が飛び出し、(うす)(まく)に〝とすん〟とぶつかると、そのまま膜に吸い込まれるように同化(どうか)していった。

沈黙(ちんもく)のままその様子(ようす)を見ていた錫は、()(うし)ろに張り付いている信枝に(ささや)いた。

「信枝殿、この出口から外に出てみてもらいたい…」

「はい、錫雅様のご命令(めいれい)なら…」信枝は出口の手前まで歩いて一旦(いったん)足を止めた。錫は口から心臓が飛び出そうだった。

──「私…今心臓なんて無いはずなのに…」どうでもよいことが錫の頭を()ぎる」

 左…右…信枝は(あらた)めて一歩また一歩と小股(こまた)(あゆ)みだした。そして牢から外へ出る最後の一歩をゆっくりと()み出した。()たして──そこに信枝の脱出(だっしゅつ)(はば)もうとする障害(しょうがい)は無かった。

「やったー!出られた!」錫が飛び上がって歓喜(かんき)の声を上げた。同時に信枝もくるりと振り向き、親指を上向きに〝つん〟と立てて、錫に力強く差し出した。

「とうとうやりましたね…錫雅様」智信枝栄も喜びを隠せない。

「みんなのおかげだ…」錫は心の底から礼を言った。

「さぁ、錫雅様も早く外へ」信枝が錫を(いざな)う。

「ちょっとだけ待っていてくれ…」錫は信枝にそう言うと、今にも〝無〟と()してしまいそうな香神虎の(たましい)(やさ)しく()いて(ささや)いた。「一緒に帰ろうね…おじいちゃん…」それからその魂を(ふところ)にそっと仕舞(しま)い込むと急いで牢の出口へと向かった。

──「出られますように…」錫は左足をそっと前に出してみた──。邪魔(じゃま)するものは何もなかった、錫はあっけないほど簡単に外に出られた。

「やりましたね錫雅様!」信枝が喜んで錫を迎えた。錫も一緒に喜びたかったが、それはもう少しおあずけだ。

錫は隣の牢に捕らえられている智信枝栄と向き合った。「錫雅様、お疲れ様でございました!本当に…本当にお見事でした」智信枝栄は、捕らえられた状況(じょうきょう)の中で秘宝を探し出し、手中(しゅちゅう)(おさ)めるという破天荒(はてんこう)(わざ)()()げた錫を(たた)えた。けれども錫は喜ぶには早いと、少しだけ(くちびる)(ゆる)めただけだった。

「智信枝栄殿…すぐにお助けしますから…」そう伝えた錫は、信枝に一歩も動かぬよう(くぎ)()し、いきなり牢の中へと入って行った。驚いた智信枝栄は小声で錫に尋ねた。

「スン…どうしてわざわざ中へ?」

「だって、この膜は内側からしか霊気を遮断(しゃだん)しないんでしょ?」錫はニッコリと笑って言った。確かに牢の外から錫杖の霊気を(はな)っても通り抜けてしまう──うっかり見落としてしまう落とし穴だ。普段は(たよ)りない錫だが、ここ一番には(たの)もしいと智信枝栄は感心した。

「さぁ…早く出よう浩子」そんな智信枝栄をよそに、錫は牢の出口に向けて錫杖の霊気を放った。

「そうね…のんびりしてる時間はないものね」互いに今からするべき事は分かっている。二人は同時に小さく(うなず)き、牢の外へと飛び出したのだった。


(ようや)く三人は牢の外で顔を(そろ)えることができた。智信枝栄は真っ先に信枝に礼の言葉をかけた。

「お礼なんて…私は錫雅様の一大事と聞いて、じっとしていられなかっただけ。錫雅様にもしもの事があれば…私は生きてゆけないもの…」横で聞いていた錫は、あまりに一途(いちず)な信枝の恋心に狼狽(うろた)えた。

「と、とにかく今は一刻(いっこく)も早くいしを助けに(まい)ろう」

「そうですね。行きましょう錫雅様!」

──「信枝は本当に()()ぐな子ね…。それにしても私には〝行きましょう〟と声をかけてくれないのかしら…」智信枝栄は心の中で〝クスッ〟と笑った。



(おとり)になっているいしを探し出すのはそれほど(むずか)しいことではない。いしの霊気か、あるいは狡狗の霊気がたくさん集まっている場所を探せばよいのだ。錫と智信枝栄は自慢(じまん)の高い霊力で、その方向を見つけ出し足早(あしばや)に向かった。信枝は小判(こばん)ザメよろしく錫の後ろにピッタリ張り付いたまま(はな)れようとしなかった。

「信枝殿…少々近すぎはしませんか…?」

「いいえ錫雅様…はぐれてはいけませんから…」

──「もう……信枝ったら、この見通(みとお)しのいい世界でどうはぐれるのよ…」錫は(あき)れ顔で智信枝栄に助けを求めようとしたが、智信枝栄はクスクス笑って見ているだけだった。


いしの霊気を追いかけていると、遠くの(ちゅう)に黒い大きな(かたまり)が見えてきた。

「錫雅様、あの塊…狡狗の集団(しゅうだん)です」智信枝栄が静かに言った。

「あれがそうか…。あそこにいしが…」錫は(こぶし)をぎゅっと握った。

「急ぎましょう、錫雅様」。「いしを早く助けましょう」智信枝栄と信枝が錫を()き立てた。だがどうしたわけか錫はその場所から動こうとしない。

──「スンはどうしちゃったんだろう?この場に(およ)んで尻込(しりご)みするはずもないし…」考えている智信枝栄に錫が(たの)み事をしてきた。

「智信枝栄殿、今から私と一緒に強い霊気を放出(ほうしゅつ)してもらえぬか?」

「い、今ここででございますか?」驚いている智信枝栄に、錫は狡狗の()れを(ゆび)さして言った。

「あそこまで行く時間がもったいない…。ならばこちらの霊気を狡狗に気づかせて、おびき()せてやる」

「かっこいい…錫雅様♡!」信枝にバラの花びらが舞い散る。

「なるほど、妙案(みょうあん)です。奴らの方からこっちに来れば、その分いしへの負担(ふたん)も軽くなります」

「そのことを一番に考慮(こうりょ)してのことだ」

凛々(りり)しくて(かしこ)い錫雅様♡!」

──「…もう信枝ってば…調子(ちょうし)(くる)うなぁ…」拍子抜(ひょうしぬ)けする錫を〝ちらっ〟と見て、智信枝栄は〝クック〟と声を出さずに笑った。錫は信枝に(さと)られないよう般若(はんにゃ)のような顔を智信枝栄に向けると、()えて(おだ)やかに言った。

「さぁ、智信枝栄殿…私と一緒に霊力を高めてくれ」

「はい…錫雅様」智信枝栄は()まして答えた。


霊力を高めた二人に強い霊気が(ただよ)い始めると、狡狗はスズメバチの大群(たいぐん)よろしく()れを()して近づいてきた。思惑(おもわく)どうりいしを早く解放(かいほう)してやることには成功(せいこう)したものの、狡狗の数の多さに錫の(きも)(ちぢ)み上がった。

「お見事です錫雅様!」信枝は錫の気も知らずに喜んでいる。いしを助けたい気持ちに(いつわ)りは無かったが、一目散(いちもくさん)に逃げ出したいのも事実(じじつ)だ。

「錫雅様…どう(たたか)いますか?」智信枝栄が尋ねた。

「で、出たとこ勝負だ…」狡狗の数に錫はそう答えるしかなかった。

「男らしいぃ~っ!錫雅様ステキですぅ♡!」

──「もう信枝ってば…なんでそうなるの。私はレディです、か(よわ)いレディですぅ~」今は信枝の恋の(やまい)につける薬はなさそうだ。

「錫雅様、信枝様、大群(たいぐん)ですからお気をつけて…」

──「こうなったら覚悟(かくご)()める。私は錫雅の生まれ変わりだもの…」錫は自分にそう言い聞かせた。


狡狗の()れはみるみるうちに錫達をぐるりと(かこ)んだ。

「逃げ道なんてありませんねぇ?」信枝は切迫(せっぱく)した状況(じょうきょう)でも(あわ)てない。

「えぇ…どこにも活路(かつろ)が無いわ…」智信枝栄がそう言った途端(とたん)、三人の正面にいた狡狗の大群が〝さー〟っと左右に分かれて、たちまち一本の通り道ができた。

「か、活路が開けた!」錫は安易(あんい)に喜んだ。

「残念だが活路ではない…」開けた道の(おく)から悠々(ゆうゆう)と近づいてきたの矢羽(やば)走彦(しりひこ)だった。錫のささやかな希望(きぼう)一瞬(いっしゅん)にして打ち消された。

「活路などではなく、地獄(じごく)へ通じる道だ…」矢羽走彦は不敵(ふてき)面構(つらがま)えでゆっくりと(あゆ)み寄ってきた。

「なんと(ぞく)っぽい台詞(せりふ)でしょう」(めずら)しく智信枝栄が皮肉(ひにく)った言い方で言葉を返した。

智信枝栄は牢中(ろうちゅう)で矢羽走彦の存在(そんざい)を錫から聞かされたが、時代がズレているらしく、知らぬ霊神だった。

三人の前に立った矢羽走彦は、それぞれの顔を交互(こうご)に見ながら()()てるように言った。

「やはりお前達の霊気だったか…。だが分からぬ…どうやってあの牢から逃げ出せた?それにこの異質(いしつ)な霊気はなんだ?」恐怖心は(ぬぐ)えないものの、錫も()けじと不敵(ふてき)な顔を(よそお)うと、(いや)みったらしく矢羽走彦の疑問(ぎもん)に答えた。

「すまんな…。すべての答えは()()だ!」錫はわざと自慢(じまん)げに錫杖を矢羽走彦に突き付けた。「お前には礼を言わねば…。秘宝を偽物(にせもの)だとガラクタ(あつか)いして、二つとも牢に放り投げてくれたことにだ」

「で、ではあれは本物だったと?…だが私は二つを合わせてみたが何も起きなかったぞ…」

「本物だと信じていた秘宝が偽物(にせもの)だったことに一番ショックだったのはこの私だ。本当にお前を(だま)すつもりなどはなかったのだ。…牢獄(ろうごく)途方(とほう)()れながら、私は何が間違っていたのかを何度も繰り返し考えた。そして、とうとう(なぞ)()いた。本物が何なのか、どこにあるのかを…。だが脱獄(だつごく)不可能(ふかのう)な牢に閉じ込められた私には、すべてが手遅(ておく)れだった……そこで…」

「もうよい……みなまで言うな…」自分の()めの(あま)さを腹立たしく感じて、矢羽走彦は錫の話を最後まで聞かずに打ち切った。「私は狡狗のような単細胞(たんさいぼう)ではない…。そこにいる新しい女…そしてあの忌々(いまいま)しい狛の行動(こうどう)…それだけで大体のからくりは見えてくる…」

「そうだ…勝者(しょうしゃ)はご主人様だ…」矢羽走彦の後方(こうほう)からいしの声が聞こえた。「脱出(だっしゅつ)できたのですねご主人様」

「いし…無事でなにより。よく本物の秘宝を持って来てくれたね…ありがとう」

「はい…お役に立てて嬉しいです………けん…」いしの全身に痛々(いたいた)しい(むち)(あと)が残っていた。それでも最後の力を()(しぼ)って、なんとか愛する主人の前まで辿(たど)り着くと、そのまま錫の腕の中で倒れた。

「いし…いし……?……いやぁ────!」錫は空気が()けんばかりの声で叫んだ。

「そいつはな、ご丁寧(ていねい)に〝本物の秘宝を持っているのは自分だ〟と言いふらしながら逃げ回っていたんだ…。お前がその狛を(おとり)にして狡狗どもをおびき出し、その(すき)にそっちの女がお前に本物の秘宝を渡すといった計画(けいかく)だったのだろう?だとすると、そいつがこんな目に()ったのはお前のせいだ。そうだろうが?ガハハハ…」

「そのとおりだ…すべて私のせいだ…。だが、やはりいしをこんな目に()わせたお前達を(ゆる)せない!」

「ならばどうする?どんなにお前達が強くとも、この狡狗の数に(かな)うか?」

「私がどうやってあの牢を抜け出したと思う?」

「………」矢羽走彦は(まゆ)を〝ひくっ〟と動かした。

「知っているはずだ──この錫杖(しゃくじょう)にどんな特性が(そな)わっているかを…。私達を閉じ込めていた牢の膜も、錫杖の力で簡単に(やぶ)ることができた。秘宝をガラクタ(あつか)いしたのがお前の大きな失敗(しっぱい)だ」

「グウゥ…」矢羽走彦は(にが)(むし)()みつぶしたような顔をして(くや)しがった。

「いしの(かたき)だ!この秘宝の威力(いりょく)をとっくりと味わうがいい…」錫は怒りを錫杖に込めて、霊気を(かた)(ぱし)から放出した。矢羽走彦は咄嗟(とっさ)に狡狗を(たて)にして隠れた。(いか)りが(おさ)まらない錫は、そんなことにはお(かま)いなく錫杖の霊気を狡狗達に()びせ続けた。錫杖の霊気をぶつけられた狡狗は、無気力になって襲いかかることさえしなくなった。

智信枝栄も手の平に霊気を溜め込んでは狡狗にぶつけた。拗隠(よういん)の国では霊気が取り込めないため威力(いりょく)は不十分だが、それでも一度に十体近い狡狗が智信枝栄の霊気を食らい、ドロドロとしたゼリー状の(かたまり)と化した。

そして、華麗(かれい)(えん)()を舞うように戦っていたのは信枝だ。彼女が狡狗の攻撃を食らうことはまずない。逆に信枝の(ふところ)に入り込んでくる気の毒な狡狗は、次の瞬間どんな一撃を受けたか分からないまま倒されていった。たとえ囲まれても、()き・手刀(しゅとう)裏拳(うらけん)、さらに前蹴(まえげ)り・後ろ蹴り・足刀(そくとう)・回し蹴りと多彩(たさい)に技を繰り出し、秒殺(びょうさつ)でぐるりの狡狗はドロドロの(かたまり)になった。これは狛犬Bの霊気が宿(やど)っての威力(いりょく)だ。

意気込(いきご)んで戦っていた狡狗も、猛威(もうい)()るう三人の強さに尻込みし、気づくと大半(たいはん)の狡狗がちりぢりに逃げ去っていた。(かく)(みの)を失った矢羽走彦は、ぽつんと置き去りにされる形で再び姿を(あらわ)した。矢羽走彦は残された(わず)かな狡狗に〝やめろ〟と命じた。

「今回は私が軽率(けいそつ)だった…。だがこれで(あきら)めたわけではない。天甦霊主(あまのそれいぬし)(つた)えておけ──『復讐(ふくしゅう)()たすまでは絶対にくたばらん…首を洗って待っていろ』とな…」矢羽走彦はそれだけ言い残すと、どす黒い天に向かって舞い上がり姿を消してしまった。

「勝ち目のない戦いを(きら)いましたね…。矢羽走彦…なんて不気味(ぶきみ)な奴…」智信枝栄が不快(ふかい)な顔で(つぶや)いた。

「智信枝栄殿、逃げた矢羽走彦より、今はこいつらをなんとかしないと…」

「それなら取るに()りませんわ錫雅様。私に(まか)せてください」信枝はにこやかに錫にそう言うと、今度は口元を〝きりっ〟と()めて叫んだ。「あんた達…大将(たいしょう)が逃げたからって急にビビッてるんじゃないの!?私が相手になるからいくらでもかかって来なさいよ!」信枝は(ひる)むことなく強い口調(くちょう)で狡狗を(けしか)けた。ほとんどの狡狗はとっとと逃げて行ったが、中には自分の力量(りきりょう)も分からずに襲いかかり、こてんぱんにされる()()()()()()(ゆる)い狡狗もいた。こうなれば勝敗(しょうはい)は目に見えている。残り(わず)かな狡狗を智信枝栄と信枝に(まか)せた錫は、いしの亡骸(なきがら)を優しく()いてやった。

「いし……(とむら)合戦(がっせん)は終わったよ…。ごめんね…いしを殺したのは私よ…」(むせ)び泣きしている錫に、戦い終わった智信枝栄が(ささや)いた。

「錫雅様…お取り込み中のところ、まことに申しわけないのですが…」智信枝栄は(いた)って丁寧(ていねい)だ。

「どうしたの…?」錫はぐちょぐちょの顔で頭を上げた。

「お悲しみところすみませんが……いしは死んではいませんよ…」

「……………………へっ!?」錫は(はと)豆鉄砲(まめでっぽう)()らったような顔で目をまん(まる)くした。智信枝栄は少しだけ目を(ほそ)めて悪戯(いたずら)っぽく錫を見た。

「いしは肉体がありませんから死ぬことはありません。けれども無になることはあります。その時は影も形も無くなりますから…」智信枝栄の説明に錫の目は輝いた。

「そうかぁ…いしは生きてたのね!?…いや、生きてないけど死んでなかったのね…いっしぃ~!」ややこしい。

「錫雅様って、ときどき女言葉になりません…?」信枝が智信枝栄の耳元で尋ねた。

「あっ…あのぉ…。じ、実は錫雅様は…」

「錫雅様は?……ナニ?」

「錫雅様は…。そう…い、今まで何度も女性に生まれ変わって修行されておいでなのです…。ですから時々女言葉が無意識に出てしまうのです」

「ふ~ん……では、錫雅様は人間の女だったことがあると…?」

「そ、そうです…。その()()()で…」智信枝栄はなんとかその場を(つくろ)った。

「…ご苦労されておられるのね……さすが錫雅様だわ…」以外とすんなり受け入れてくれたので、拍子抜(ひょうしぬ)けした智信枝栄だった。




     Ⅳ


錫はいしの大きな頭を自分の(ひざ)の上に置いて介抱(かいほう)してやっていた。鼻先(はなさき)からおでこにかけて(やさ)しく()でてやるたびに涙が一粒流れ落ちた。智信枝栄と信枝は気を使って、少し離れた場所でその様子(ようす)を見守っていた。

「錫雅様といしは(たん)()(ぬし)とペットという間柄(あいだがら)ではないのですね?」

「はい。いしは錫雅様に絶対(ぜったい)服従(ふくじゅう)です。錫雅様の下僕(しもべ)だというスタンスを(けっ)して(ゆず)りません。けれど錫雅様はいしを下僕などと思ってもいませんし、そのような(あつか)いをされていないことは()()を見れば明らかです」智信枝栄は(あらた)めて錫雅尊がいしを(いたわ)る姿に目を向けた。「あのお二人の間に私とて割り込むことはできません…」

「…。智信枝栄様は錫雅様のことを…?」

「い、いいえ…そ、そういう意味ではなくて…その…」

「隠さなくてもいいですよ。私も女だから分かります。でも私だって錫雅様への(おも)いは誰にも負けないつもりです。たとえ錫雅様が()()()()であっても私は(あきら)めません。これから智信枝栄様とは恋のライバルね…。だけど安心して…私は卑怯(ひきょう)なことは嫌いなの。どこまでもフェアで戦いますから」信枝の実直(じっちょく)さはイヤというほど知っていた。だからこそ智信枝栄は後ろめたさを()いた。不本意(ふほんい)ながらも智信枝栄が浩子であることも、錫雅尊が錫であることも()せていることにだ。

──「ごめんね信枝…でも私もスンも、あなたのことを愛しているわ…」いつかは本当のことを話さなければならないが、錫雅尊への恋心を聞かされ、〝フェアで戦う〟と宣言(せんげん)までされた智信枝栄は、ますます真実(しんじつ)を打ち明けづらくなった。



(たましい)(ふる)えそうな痛みを(おぼ)えていしが目を開けると、愛する主人が介抱(かいほう)してくれていた。

「ご主人様…」いしは自分が世の中で一番幸せな狛犬だと感じた。

「目が()めたのね!?良かったぁ…私、いしが死んだと思ったのよ…」

「すみません…ご心配をおかけして…」いしは無理に体を起こそうとした。

「ダメ!もう少し休んでなさい」

「ご主人様…なりません。勿体(もったい)ないです…」

「何を言ってるの…私のせいでこうなったのに…。ごめんねいし…ごめんね…」

「何を(あやま)ることがありましょうか…。このようなわたくしを大事な役目(やくめ)にお使いくださり、こんな光栄(こうえい)なことはないですけん…」

「あんたって子は…。命令(めいれい)よ…もう少しこのままでいなさい」

「本当によろしいのですか?…では…」錫の優しさに(あま)えて、その膝に横たわるいしは、痛みさえも喜びに感じるのだった。

「ところでご主人様…わたくしの謎解(なぞと)きは間違っていませんでしたか?」

「えぇ、完璧(かんぺき)よ。見事(みごと)だったわ」

「それを聞いて安心しました。ところでご主人様、一つだけ教えて頂けますか?」

「なぁに…?」錫はいしの頭を優しく撫でながらそう言った。

「裏の軒先(のきさき)(つり)してある()(つち)の秘宝だと、どうして(わか)ったのですか?」

「そのことね…。毎度(まいど)のことだけど、最初は(まった)(わか)らなくてね…フフッ。それで、写真のおじいちゃんに(すが)ったの…」

「写真のおじい様にですか…?」

「そう、今まで何度も見てきた()()()()を思い浮かべてお願いしたの。そしたら気づいたのよ。お母さんからもらった杖と、写真の中でおじいちゃんが持っている杖とは明らかに()()()()()って。写真の杖はおじいちゃんの背丈(せたけ)以上はあったわ。でもお母さんからもらった杖はもっと短かった…」

「つまり、おじい様は例の写真を()った(あと)、地の秘宝の杖を軒下にそれとなく吊しておき、その()わりに別の杖を使っていたと?」錫はこっくりと(うなず)いた。

 「最後に見た()(がき)の夢は、おやつのアメ玉の続きでしかないと思ってたの──だから全く気にも()めなかった。だけど違う杖が存在することに気づいた時、この夢は本物の杖の在処(ありか)を示す夢に違いないと思った──その途端(とたん)、写真と夢とが一瞬(いっしゅん)(つな)がったわ。干し柿を吊してある軒下の棒こそが、本物の地の秘宝だとしか考えられなかったのよ!」

 「…やっぱり私のご主人様はスゴいお方です。牢中(ろうちゅう)に居ながら秘宝を探し出し、手元(てもと)(おさ)めるという(はな)(わざ)をやってのけたのですけん」

 「スゴくなんかないわ…教えてくれたのはおじいちゃん。そして秘宝を手にできたのはみんなのおかげだよ…。特にいし、お前には言い(あらわ)せないくらい感謝(かんしゃ)してるよ…。だけど…本当に()()を持って来たらどうしようかと思ったわ」錫はクスクスと笑ってそう言った。

「はい。あそこに本数で数える物は大根しかありませんでしたが、いつぞやの智信枝栄殿のお話に、秘宝は(うつ)()えができないので、食べ物など腐敗(ふはい)する物にはまず(うつ)さないと言っておられたのを覚えておりました。それに(あめ)の秘宝の(つつ)の部分にピッタリ合うものといえば、吊してある棒以外にありませんでしたから…」

「いしなら必ずそのことを思い出してくれると思っていたわ…。それからもう一つ(あやま)らないと…。いしのことを下僕(しもべ)だなんて言ってごめんなさい…」

「あれは暗号(あんごう)ではないですか…そんなことで悄気(しょげ)ないでくださいご主人様…」

「ありがとういし…」錫といしの会話は()きそうになかった──。


「さてと…もうそろそろ行きましょうか?信枝様…」

「そうね…ぼちぼち(ころ)()いね…。いしにヤキモチ焼きそう…」錫といしを少し離れて見守っていた智信枝栄と信枝が腰を上げた。

「いし…お疲れ様でした」智信枝栄が優しく声をかけていしの頭を撫でてやると、いしは目を(ほそ)めて喜んだ。

「いし…」次いで信枝もいしの頭を撫でてやろうと手を()()べた。

「ぐぅ~~!」いしが今までにない()(せい)(てき)(うな)(ごえ)をあげて信枝を(にら)んだ。さすがの信枝も出しかけた手を(あわ)てて引っ込めた。

「い、いし…どうしたの?」(おどろ)いた錫はいしを押さえつけた。

「驚かせてすみませんご主人様…。しかし、信枝殿から狡狗に()た霊気を感じたものですけん…。いえ、それよりもっと恐ろしいというか…(おぞ)ましいというか…」

「あっ!もしかして…」信枝は〝ピン〟ときた。「ねぇ…出てきなさいよ」そう言われて信枝の胸元(むなもと)から飛び()たのは狛犬Bだった。

「コ、コイツです…()()()()霊気の根源(こんげん)はコイツですけん」いしのものの言いかたが(かん)(さわ)ったのか、狛犬Bはいしを(するど)い目で(にら)みつけた。いしも女の睨みには弱いらしく、すごすごと錫の(ふところ)(かく)れた。三人はそんないしが(あい)らしくて思わず吹き出した。

信枝が狛犬Bと出会ってからの経緯(けいい)をすべて話すと、狛犬Bは心配そうに口を開いた。

「お聞きのとおりです…どうかあたいをこの世界から逃がしてください…」

「…智信枝栄殿、別に問題はないな?」白の国の(ほう)を知らない錫は智信枝栄に確かめた。

「はい、狛犬を白の国に連れて行ってはならない決まりはありません──けれど…」

「けれど…?何かあるのか?」

「この狛犬、何か言いたそうですよ。どうしたの?言いたいことがあるならお言い」

「では…お言葉に甘えて…」そう言うと狛犬Bは、いしの鼻先をクンクンと()ぎ、二~三歩(あと)ずさりしてから口を開いた。「あたいの霊気が恐ろしいとか悍ましいとか…よくも言いたいことを言ってくれたわね!」かなり強い口調(くちょう)だ。

「そ、それは悪かったが…こんな場所だと警戒心(けいかいしん)も強くから仕方(しかた)ないだろ…」

「今回は勘弁(かんべん)してあげるけど、(おんな)だからって見くびってたら承知(しょうち)しないよ!」いしは何も言い返せず、尻尾(しっぽ)をお(しり)内側(うちがわ)に巻いて錫の耳元でひそひそと(ささや)いた。

「コイツは思った以上に悍ましい奴ですけん…」その言い方が可笑(おか)しくて錫はクスクスと笑っていしの頭を〝パシッ〟と叩いた。それから左の人差(ひとさ)(ゆび)口元(くちもと)に当て〝しー〟っと、いしを(だま)らせた。



「錫雅様、あまり長く拗隠(よういん)の国に(とど)まりたくありません。そろそろ()()げましょう…」いしのことを気にしつつも、智信枝栄はそのことを言わざるを得なかった。いしは体を起こし、錫の回りを軽く駆け足で()ねてみせた。

「もう大丈夫…このとおりですけん。わたくしは皆さんと違って、この国の霊気を取り込めますけん回復(かいふく)も早いのです」

「ここはいしの故郷(ふるさと)ですものね…」智信枝栄がからかい半分で言うと、いしは迷惑(めいわく)そうに答えた。

「智信枝栄殿…意地悪(いじわる)なことを言わんでください…私の故郷は白の国ですけん…」

「冗談よ。それだけ元気になったらもう心配(しんぱい)ないわね」

「ありがとうございます!」いしが〝お手〟をすると、智信枝栄はニッコリ笑って手を取った。


「それはそうと帰りはどうやって元の世界に?」錫雅尊が尋ねると、いしがすぐに答えた。

「わたくしが案内しますからご心配なく。少し遠いですがついて来てください」一行(いっこう)はいしの先導(せんどう)で帰りを急いだ。



「狡狗の親玉(おやだま)がいなくなったということは、これで白の国は平和(へいわ)になるということか?」期待(きたい)しながら錫は智信枝栄に尋ねた。

「残念ですがそれはないでしょう。ご存じのように奴らはそれほど知能(ちのう)が高くありません。他の国に行ける抜け穴があると分かれば単体(たんたい)でも攻めて来ます。それに矢羽(やば)走彦(しりひこ)のような奴がまた(あらわ)れて狡狗を牛耳(ぎゅうじ)るのも必至(ひっし)…。そうなれば奴らはまた集団(しゅうだん)で攻めて来るに違いありません…」

「では方法は何もないのか…?」

「はい…私達がこれから通って帰る抜け穴を(ふさ)がない限り、どうすることもできません」

「そうなのか…。その昔──(だま)されたとはいえ、矢羽走彦が抜け穴を塞いだように、誰かが犠牲(ぎせい)にならねば白の国に平穏(へいおん)(おとず)れないということか…」錫は顔を(くも)らせて下を向いた。

矢羽走彦も好きで白の国の(てき)になったわけではない。彼のおかげで(しばら)くは白の国が安泰(あんたい)だったのは確かだ。錫は矢羽走彦を心から(にく)む気にはなれなかった。


それからどれくらい歩いただろうか。いしがオアシスでも見つけた(いきお)いで口を開いた。

「あそこです!あの(あな)がそうです!」いしの言葉に一行(いっこう)の足は(おの)ずと(はや)まった。

それを抜け穴と呼ぶにはあまりにも大きかった。地面(じめん)にどっかり()いた穴の表面(ひょうめん)には、黒い(きり)(うず)を巻きながら(うごめ)いている。(のぞ)き込むと吸い込まれそうで不気味(ぶきみ)だ。

「直径三㍍はありそうな穴ね…」信枝は抜け穴を恐れもせず体を乗り出して(のぞ)き込んだ。

「私達の世界では黒の国に通じる穴を〝(へそ)〟と呼んでいます。これよりもっと大きな穴ですが、太古(たいこ)より存在する穴です。ですが突発的(とっぱつてき)(あらわ)れた穴がこれほど大きくなるのは(めずら)しいです。〝抜け穴〟と言うからには、大抵(たいてい)は小さな穴なのですが…これほど大きければ狡狗はすぐに見つけ出してしまいますね…」智信枝栄は(けわ)しい顔で説明した。

「穴はこれだけなのか?」錫は素朴(そぼく)な質問を投げかけた。

「ご主人様、抜け穴はそうそうできるものではありません。ですが現にこうしてここに存在しているということは、他には絶対無いとも言い切れないです…」

「いしの言うとおり…。少なくとも今狡狗が気づいている穴はここだけでしょうが、(はり)()いたような穴がどこかに存在しているかもしれませんね…」いしの説明に智信枝栄が付け加えた。

「そうなのか…」錫はまた顔を(くも)らせて下を向いた。

 

「さぁ、早く人間界に戻らないと…。信枝様には離脱(りだつ)してここまで来てもらっているのですから…」智信枝栄は信枝の手前、錫のことには()れずにみんなを()かしたが、一番気がかりだったのは錫の事だった。一刻も早く錫の肉体に魂を戻してやりたかった。「信枝様からお入りください。白の国に出ましたら、その場所を絶対に動かないでください。もしも離れた場所に出てしまっても、必ず探しますから」 

「分かったわ…それじゃお先に」信枝は躊躇(ためら)いもなく抜け穴に飛び込んだ。

「さて…次はスンといしでどうぞ。私と狛犬Bは最後に行くわ」

「うん…」返事はしたものの、錫は抜け穴に入ろうとはしない。

「どうしたのスン…今さら恐いなんてなしよ…?」

「うん…。ねぇ…悪いけど()()浩子が持っていてくれない?」そう言って(ふところ)から取り出したのは香神虎の(たましい)だった。智信枝栄は錫の本意(ほんい)が分からぬまま虎の魂を受け取った。「あのね…私は最後に行くわ…。浩子はいしと狛犬Bを連れて先に行ってちょうだい…」錫のその言葉ですべてが理解できた。

「バカなこと考えないで!」智信枝栄は青ざめた顔で錫を怒鳴(どな)った。

「バカなことじゃないわ!大事なことよ…私はここに残るの!」錫は強い口調で言葉を返した。それを聞いて正気(しょうき)を失いそうになったのはいしだ。

「なりません…そのようなことを考えてはならんですけんご主人様!」その場をうろうろしながら狼狽(うろた)えるばかりだ。「智信枝栄殿…助けてくだされ!ご主人様を止めてくだされ!」智信枝栄は悲しい目でいしをチラリと見た。それは錫の気性(きしょう)を知る智信枝栄の(あきら)めだといしは直感(ちょっかん)(さと)った。

「聞かせてスン、ここに残ってどうするの?」錫は誰とも視線を合わせず、(わず)かに(ちゅう)を見つめながら答えた。

「私は今まで、なに不自由なく生きてきたわ。生きていることが当たり前だと思っていた。でも今は違う──みんなに(ささ)えてもらって生きていられるんだと心から感じるようになった。この秘宝を見つけ出せたのも、私を()()くたくさんの人達が助けてくれたからよ…」

「それは…それは分かるけれど…」

 「(えら)そうなことを言うけど…自分が人間として生きている意味が少しだけ分かったような気がするの…。人間界と白の国とは別々ではないわ。いずれは正しく生きた人達が(かなら)ずお世話になる国よ。もしその国を救える者がいるとしたら──おこがましいけど、今の私しかいない。自分に出来ることで誰かの役に立つことは、人間として当然(とうぜん)(つと)めだと思うの…。もしそれが多くの人を助けることになるのであればなおさらのこと…」

 「だからって何も…」正論(せいろん)すぎて智信枝栄は反論(はんろん)する言葉が見つからなかった。

「今までいろんな人に支えられて生きてきた私が、今度はみんなにお返しする番なの…。今それをしなければ、香神錫がこの世に生まれてきた意味がないの。だから………私は……ここに残ります…」

「ダメです…ダメですダメですご主人様、それだけはいけません…」無理もないが、いしは完全に取り(みだ)していた。

「泣くのはおやめなさい…」智信枝栄は優しくなだめた。

「しかし浩子殿………永遠(とわ)の別れになってしますのですよ…」

「わかっています…」

「ならば止めてください…止めてください……後生(ごしょう)ですけん止めてください…」いしは、なおも取り乱して泣きじゃくった。

「泣くのはおやめいし…。これからは浩子がお前の主人よ。お前も浩子なら不足(ふそく)はないでしょ?」

「ですがご主人様…それとこれとは…」

「聞き分けがなさすぎるよいし…。お前の(ちゅう)誠心(せいしん)はどこへ行ったの?この穴を(くぐ)るまではまだ私が主人だよ。(だま)って言うことを聞きなさい」

「しかし…しかし…」

「もう行って浩子…。早くいしを連れて行って…」ぐらつく気持ちを必死(ひっし)(おさ)えている錫の気持ちを(さっ)して、智信枝栄は(うなず)いた。

──「お別れはしないわ…お互い(つら)いだけだもの。ありがとうスン…ありがとう錫雅様…」

「いし行きますよ。狛犬Bもついて来なさい」智信枝栄は(なか)強引(ごういん)にいしを(かか)えると、錫に声をかけることなく抜け穴へと飛び込んだ。

「ダメです…ご主人様ダメです…。いしも残ります…いしも残りますけん………後生です…いしはご主人様と一緒に残ります…ご主人様…ご主人さまぁ~…」最後までいしは叫び続けた。だんだんと(とお)ざかるいしの声を、錫はいたたまれない気持ちで聞いていたが、その声が聞こえなくなると、錫の目に初めて涙が(うる)んだ。そして()めきれなくなった涙が(ほほ)をつたい始めた時、とうとう錫はその場に泣き(くず)れた。

「ごめんなさい…ごめんなさいパパ…お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん…。気障りのおばあさんも…浩子も信枝もみんなごめんなさい…」


それからどれくらいの()っただろうか―─。錫の涙はまだ止まらなかった。

「いし…(ゆる)してちょうだい…。最後までお前には(つら)い思いをさせてしまったね…。本当にごめんね…」いしがずっと〝ご主人様〟と叫び続けていた声が、錫の脳裏(のうり)にこだまして離れなかった。とは言え、このままうじうじと悲しみに()れているわけにもいかず、錫は自分を奮起(ふんき)させた。

「霊力が残っているうちに最後の(つと)めを()たさないと…」



十八歳を(むか)えた錫は突然(とつぜん)霊能力を(さず)かった。それと同時に秘宝探しを否応(いやおう)なしに()せられた。それまで無縁(むえん)だった霊の世界を垣間見(かいまみ)、恐がりの錫には(こく)なこともたくさんあったが、結果的には見事に秘宝を見つけ出し、その手に収めることができた。

その過程(かてい)で、錫は祖父の秘密を知り、白の国の住人(じゅうにん)(たち)と再会を()たした。

錫が人間として成長(せいちょう)できたのは、自分を取り巻く者たちをとおして〝(おん)〟に気づいたことだ。自分を支えてくれる(もの)(たち)がいてくれたからこそ、今ここに秘宝があるのだと、錫はその〝恩〟を強く心に(きざ)み込んでいた。

関わった者達だけに限らず、もっともっと多くの者達にその恩を返せるとするならば、それは今しかない。

もしもあの日──霊能力など授かっていなかったら、錫は拗隠の国に来ることも、たった一人ここに残ることもなかっただろう。けれどもそれを決めたのは錫自身だ。誰からも(たの)まれてはいない、強制(きょうせい)されてもいない。錫が自分の意思(いし)でここに残り白の国を助けると決めたのだ。その決意(けつい)正真(しょうしん)正銘(しょうめい)錫の本心(ほんしん)そのものだった。

矢羽(やば)走彦(しりひこ)の話が事実(じじつ)だとするならば、彼が白の国を(すく)ったことになる。だがそれは(だま)されてのことだった。結局彼は後々(のちのち)白の国の脅威(きょうい)となった。言葉は悪いが、白の国は(だま)したツケが回ってきたことになったのだ。

狡狗(こうく)は人間の邪心(じゃしん)具現化(ぐげんか)したものだった。それによって人間の(たましい)そのものが(おびや)かされることになっていた。如何(いか)なることも、結局(けっきょく)は回り回って誰かが責任(せきにん)を取らなければならないのかもしれない。そうであるならば、誰かに受けた恩を誰かに返すこともまた、人間にとって必要(ひつよう)なことなのではないかと錫は強く感じていた。

これから錫は人生で最後の大仕事をする。その(つと)めを胸を張って()たそうと錫は覚悟(かくご)を決めた。

──「私は矢羽走彦のように騙されてここにいるわけじゃない。これから一人ここに残っても、狡狗に取り憑いてまで生き残ることもしない…。ただただ白の国に平和が訪れることを願って…。いしや浩子が安心して白の国を守れるように…。いつか私の家族や信枝…多くの魂が白の国で平穏(へいおん)にすごせるように────これからこの抜け穴を(ふさ)いでみせる!」恐怖感はなかった。だが別れに対しての悲しみだけが錫の心を苦しめていた。錫は一刻も早くその悲しみを打破(だは)すべく、抜け穴の正面に立つと自分の霊力を高め始めた。

──「霊力を使い果たしても(かま)わない…これが人生最後の役目(やくめ)なのだから…」そう思いながら霊力を高めていくと、なぜか錫の脳裏(のうり)にあの日からのことが次々と()かんでくるのだった。

大仏殿の穴潜(あなくぐり)り、祖父の謎、狡狗との戦い、集鬼鈴と晶晶白露、気障りの婆さん、いしとの出会い、浩子の秘密、秘宝の在処(ありか)──浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく映像(えいぞう)を心に(きざ)みながら、錫は霊力を高め続けた。

邪魔(じゃま)する者はいない──(あわ)てる必要はなかった。そうして()(めぐ)(おも)()(とも)に、錫の霊力が最大限(さいだいげん)(たっ)した。

「どうか私の霊力で、この穴が(ふさ)がりますように…」錫杖を握っていた両手に今一度力を込めると、錫の霊気がそのまま錫杖へと伝わった。一段と(まばゆ)金色(こんじき)の霊気を(まと)った錫杖は、今までより一回り大きく見えた。「お願い……私に力を貸して…」錫は願いを込めて錫杖の霊気を抜け穴目がけて放出した。今までの玉のような霊気と(こと)なり波動型(はどうがた)の霊気が(ほとばし)る。その勢いで自分が(はじ)かれるような気がして、腰を落として錫杖を強く握りしめた。

金色の霊気は抜け穴にどんどん吸収(きゅうしゅう)されてゆく。これといった変化は無かったが、(あきら)めずに霊気を放出していると、抜け穴の表面(ひょうめん)(うず)()いていた黒い(きり)の速度が遅くなり、表面が波打(なみう)ち始めた。

──「思ったとおり。この秘宝は抜け穴だって塞げる…」錫は前にも増して(いきお)いよく霊気を送り込んだ。渦を巻く早さが弱々(よわよわ)しくなると、今度は抜け穴が(ちぢ)み始めた。

──「今ならまだ間に合う…。このままこの穴に飛び込めば私の世界に帰れる…」徐々(じょじょ)に徐々に(ちぢ)んでゆく抜け穴と対峙(たいじ)する錫の心が(みだ)れる。

──「この穴を塞げるのは私だけ…私しかできない使命(しめい)…」()える心を(ふる)い立たせ、錫は何があっても霊気を(ゆる)めることはしなかった。

縮み続ける抜け穴は、()しくも錫が()()()()()()()()()()と同じ大きさになっていた。

──「帰るなら今しかない…完全に塞がれば……私はもう…」錫の脳裏にまたしても、もう一人の自分が(ささや)きかけた。

「…白の国を救えるのは私だけ。…だから今こうしているんだ!」言葉に出して自分自身に言い聞かせながら、錫はさらに縮んでゆく抜け穴に最後の霊気を()びせかけた。もうネズミの通れる穴ほどの大きさしかない。

「ここまで小さくなれば、もう(くぐ)れない…」(あきら)めがついてホッとした錫だったが、はたと今の自分がどういう状態(じょうたい)なのかを思い出した。「よく考えたら、肉体の無い私はどんな小さな穴でも通れるんだった…。やっぱり私は天然(てんねん)だわ。これじゃ、完全に穴が塞がるまで気持ちが()らぐわね…あはは…あははは…」大声で笑ったが、目頭(めがしら)は涙の海で一杯(いっぱい)になっていた。

涙が(ほほ)一粒(ひとつぶ)つたわった時──拗隠の国から白の国へと抜ける穴は完全に消滅(しょうめつ)した。

任務(にんむ)完了(かんりょう)…」ぼそりと(つぶや)き、錫杖を握っていた手の力が一気に抜けた。その瞬間、錫杖に異変(いへん)が起きた。〝バチン〟という電気がショートしたような大きな音と共に霊気の火花(ひばな)()()り、錫杖はただの杖と化したてしまったのだ。錫はもう一度、自分の霊気を錫杖に吹き込んでみたが無駄(むだ)だった。「(こわ)れたのかな…?まぁ、目的は果たせたから問題はないか…」錫は錫杖を(しず)かに消し()ると、その場に座り込み、何をするでもなくただ宙を見つめたのだった。

「………いし…」最後のいしの悲しげな表情、悲痛な叫び声が、錫の脳裏に焼きついていて離れない。「あの子は私を(うら)むだろうか…?だけど早く私のことは忘れて浩子に(つか)えて…」さっきまで止まらなかった涙も、今は()()てて(ひと)(しずく)も出てこなかった。

これから自分が無になるまでどう()ごせばよいのか──途方(とほう)()れながら過ぎてゆく時間は、錫の心をただ空虚(くうきょ)(いちび)くだけだった。

時折(ときおり)通りかかる狡狗でさえも錫をやり過ごす。錫を相手にしないのではなく、錫の霊力に(おび)え相手にしたくない狡狗達だ。

──「いつまでも、ここに座っててもしょうがない…。最後の場所でも探して、先に自分のお墓を作っておこうかなぁ…」冗談(じょうだん)()じりにそんなことを考えながら腰を上げかけた時、一体の狡狗が宙を浮きながら錫の前を通りかかった。錫と視線が合った狡狗は、無言のまま、ギラギラとした目で錫の頭から足先まで()めまわすように何度も見回した。今度の狡狗は雑魚(ざこ)とは違って、かなり手強(てごわ)そうな奴だと錫は直感(ちょっかん)した。抜け穴を塞ぐのに霊気を大量(たいりょう)に使っていなければ勝てる見込みはあったが、今戦えば勝率(しょうりつ)は半分以下だと錫は見て取った。

「こんなところで何をしている…?」狡狗が宙に浮いたまま声をかけてきた。

「何もしてはいないわ…」

「そうか……ではオレ様が相手をしてやろうか?」その言葉に錫はさっと身構(みがま)えると、右の手の平から()り出した晶晶白露を素早く左手に取った。狡狗はそれを見た途端(とたん)()(ばし)った(まなこ)を大きく見開き、(けもの)のような口を()けるほど大きく開くと(おもむろ)に両手を上げ、いきなり錫目がけて上空(じょうくう)から襲いかかって来た。




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