第十九章──拗隠の国
拗隠の国
Ⅰ
「天甦霊主様…申しわけございません…。我々の力ではこれが限界です…」
「恵栄文女之命…。お前達が悪いわけではありません」
「し、しかし…天甦霊主様……智信枝栄の姉まで捕らえられては…」
「智信枝栄は長く人間界に潜んでいたため霊力も鈍っていたはず…。本来ならばそう易々と捕まる霊神ではありません」
「ですが天甦霊主様…」
「とにかく今は指揮を執る者がいないのです。そなたが統率しておくれ」
「…承知しました天甦霊主様。できる限り食い止めます」
「そうです…諦めてはなりません…。希望はあるのです。皆が待ち望んでいる希望が…」
「天甦霊主様、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんです?」
「遠い昔にも狡狗は白の国を攻めて来ていますね…。その時のことを聞かせて頂けませんか?天甦霊主様」
「そのことですか…。話してやってもよいが一つ約束しなさい」突然命令口調に変わった。
「…はい…天甦霊主様」その返事を聞いて、天甦霊主は早口になって捲し立てた。
「いちいち私を天甦霊主様と呼ぶな!耳障りでイラッとします…。智信枝栄もそなたと一緒です…仲の良い姉妹とはいえ、そんなところまで似なくてもよい」
「申しわけありません。姉上から〝平素の慎みを忘れず、目上の方を重んじよ〟と事あるごとに聞かされていたもので…。以後気をつけます天甦霊……コホン」
「………………まぁよい」
それから天甦霊主は、おとぎ話を聞かせるように静かに語り始めた──。
「遥か昔から白の国は平和で静かな国でした。時折黒の国や他の国の連中が悪さをしに来ていましたが、それは取るに足りぬ事で、白の国はまさに天国でした」
「他の国とは拗隠の国のことですか?」
「それも含めてです。──人間の邪な心は一度発生すると消えてなくなることはありません。もし行き場を失った邪心が漂い続ければ、人間界は大変なことになってしまうでしょう。そうならないために拗隠の国があるのです」
「では人間の邪心が流れ込む場所が拗隠の国なのですか?」
「そうです…あそこは、まさに人間の邪心の掃き溜め…。生ゴミが腐敗して臭気を生み出すように、邪心もまた時と共に形を変えて、狡狗という二次発生を引き起こすのです」
「では狡狗とは人の邪心…」
「えぇ…。そして邪心とて元は人間の心から生じたもの…若干の聖なる心は混じっています。拗隠の国に流れ着くと二つの心はやがて分離され、同じ狡狗でも聖の心を主とした異なる質を持った種が僅かながら誕生するのです。ここまで話せばもう分かるでしょう?」
「はい、狛犬ですね?」
「そのとおりです。彼らは高い霊力を誇っていますが、秩序も知性もある、穏和で優しい気質です。それゆえ争い事を嫌い、長い年月と共に、いつしか狛族は狡狗の奴隷種族となり蹂躙され続けて今に至っています」恵栄文女之命は無言のまま何度か頷いた。
「さて…これも遥か昔、拗隠の国のどこかに白の国へ通ずる抜け穴が突如現れました。奴らは領土占領を理由に、次々と白の国に乗り込んで来たのです」
「私が知りたいのは正にそこです。どうやって先人達は狡狗と戦ったのか…」
「戦い方はそなた達と寸分とも違いません…」
「自分たちの霊力を駆使して戦ったということですか?」
「そうです。抜け穴を見つけるたびに奴らは攻めて来ましたが、それほど苦戦はしませんでした」
「では今白の国を守っている四天王と呼ばれる霊神より、遥かに強い霊力を持った霊神がおられたとか…?」
「いいえ、今も昔も四天王の強さにそれほど違いはありません」
「ならば…なぜ苦戦をしなかったのですか?」
「タネを証せば簡単なことなのです。勝ち戦になったのは、狡狗の数と力が今より遥かに劣っていたからです」
「…しかし、天甦霊主様は狡狗が次々と乗り込んで来たと仰いましたよね?」
「私が前もって狡狗族の説明をしたのはそのためです。狡狗は人間の邪心によって生じます。その頃の人間は今ほど邪心を持ってはいなかったのです」
「あっっっ!」
「分かったようですね。人間の世界は目まぐるしく進歩しました。今の人間界は暮らしぶりも豊かになっています。ですが反面、心は豊かさを失い、金銭や物品のためなら悪事も厭わない自己中心的人間が増加し、あらゆる犯罪は後を絶ちません。そうした邪心が多ければ多いほど狡狗はその数を増し、邪な心が強ければ強いほど、力を増した狡狗が発生するのです」
「人間の歪んだ心が、死した者の魂を脅かしている…」恵栄文女之命は愕然とした。
「残念なことですがそれが事実です…。その昔、突如拗隠の国に現れた抜け穴はかなり大きなものだったのです。それでも攻め入ってくる狡狗の数は今より少なかったでしょう…。奴らは人間の邪心が具現化したモノと言えますから、その頃の人間が如何に秩序を守り穏やかに生きていたのかが伺えます」
「はい、それならば今我々が当時よりも苦戦しているのも頷けます。…人間界がこれほど乱れているのですから…」
「本当に情けないことです…」
「それで…どのようにして戦は終結したのですか?天甦霊主様」
「抜け穴が自然に塞がり戦いは終わりました。小さな抜け穴ならば自然に塞がりますが、大きな抜け穴が自然に塞がったのは不思議です」
「自然にですか…?」恵栄文女之命は、そこだけは疑問に感じた。
「そう聞かされています…。今となってはそれが真実なのかどうか知る術がありませんが…」
「では同じように抜け穴が塞がって戦が終わることはありませんか?天甦霊主様」
「それは私にも分かりませんが、都合のよい考えは禁物です」
「申しわけありません…天甦霊主様」
「話は以上です…。ではもう行くがよい」
「はい!天甦霊主様」
「恵栄文女之命…。元に戻っておるぞ…」
「あっ…!」
Ⅱ
「ご主人様…どうしてお分かりになったのですか?」物置で虎の遺品の入ったダンボール箱と格闘している錫にいしが問いかけた。
「思い返してたら一瞬で閃いたの!」
「何を思い返して閃いたのですか?」
「決め手になったのはおばあちゃんの一言。今まであちこちに置き去りにしていた大事な物が、まるで磁石にでも吸い寄せられるように一つに纏まった感じよ!」さっきまでいしに愚痴っていた錫はもうどこにもいなかった。
「それで……なんなのですか?もう一つの秘宝は…?」
「杖よ!」
「…つ、つえ?…ご主人様…杖はもう見つかっていますが…?」錫はいしの反応を悪戯っぽく楽しんでいる。
「ご主人様…意地悪しないで教えてくださいませ…」
「本当に杖なのよ…。でもね…ただの杖じゃないの…」錫はダンボール箱から目的の品物を探しながら詳しく説明し始めた。
「考えてみたら簡単なことだったの。そして答えは、あまりにも身近に存在していたのよ…」錫はニッコリと笑った。「お母さんはおじいちゃんから夢でも現実でも杖を預かった…。せめて私もおじいちゃんから何か貰っていればと思ったわ…」
「はい…」いしはまだピンとこない。
「それからおばあちゃんが励ましてくれた言葉を思い返したの…。〝錫〟という名前は〝錫雅尊〟の頭文字──最初はお母さんに付けるはずだったその名前を、おじいちゃんは私に名付けた…」
「はい…それもいしは存じております…」
「まだ分からない?私はおじいちゃんから大事なものを貰っていたの…生まれた時からね!」
「ご主人様!」いしはパッと目を開き、錫の周りをぐるぐると走り回った。「本当です!本当ですけんご主人様!」ところがいしはピタッと足を止め、不安気に尋ねた。
「ご主人様…名前は物ではありませんよ?どうしてダンボールの中を探すんです?」
「私の考えが間違ってなければあるはずなのよ…〝錫〟が…」
「もしかして金属の〝錫〟をお探しですか?元素記号〈Sn〉の〝錫〟を…」
「ううん…それも違うよ」その時錫の手が止まった。「あったわ!秘宝よ…これこそが秘宝!」錫は手に取った物をいしに差し出して見せた。
「それは!?──なるほど、そういうことですか!…だから杖と…」
それは直径二十㌢程の輪形の中央に芯が突き抜けるように通っていて、その芯を中心に左右それぞれ六個ずつ、計十二個の遊環が掛けてある銅製の代物だった。
「疑問だったのは〝孫や娘で力みなぎる〟ではなく、なぜ〝孫と娘で力みなぎる〟なのかってことだったの…。〝や〟なら孫でも娘でもどちらでも力がみなぎるということになるけど、〝と〟となると二つが揃って初めて力がみなぎるという意味でしょ?」
「はい、そのとおりです…」
「それからぁ…おじいちゃんがお母さんに預けた物は杖だから、娘=杖よね!それじゃ孫に当てはまる物…孫=Xは何か?私はXを物にばかり執着していて一番身近にあるものを見落としていたの。…そう私自身。私=錫…その錫という名はおじいちゃんから授かったんだから孫=錫という式が成り立つでしょ?それが分かった時、すべてが一瞬で繋がったの。どうして〝孫と娘で力みなぎる〟でなければならなかったのか…ということがね!」いしは錫に負けないほど目をクリッとさせて聞いていた。
「ご主人様、脱帽ですけん!孫と娘は天と地の秘宝を示していたのですね。虎様の記したメモからすると、天の秘宝は遺品の中ですけん、当然品物を探したくなります。ですがご主人様は物ではなく〝錫〟という名前だと気づかれた。けれども名前は物ではない…。そこで〝孫と娘〟にそれぞれ虎様から頂いたものを当てはめると、〝錫と杖〟です。そして、この二つを掛け合わせると〈錫杖〉となります」
「そのとおり!地の秘宝〝杖〟はもう見つかっているから、この遺品の中から錫杖の頭の部分を見つければいいと思ったのよ!そう…今私が持っているコレこそが天の秘宝よ!」そういうと錫は、誇らしげに錫杖の頭部を〝しゃくしゃく〟と鳴らしてみせた。「孫と娘=錫と杖…この二つが掛け合わされた時〝力がみなぎる〟即ち〝秘宝の完成を見る〟ということだったのよ!」
「スゴいです…ご主人様!」
「…だけどおじいちゃんがここまで遠回しにしたのは、秘宝を盗まれないようにするため…。なのに私はまんまと杖を盗まれてしまった…」
「…奴らは死にものぐるいで秘宝を探していたのです。ご主人様のせいでは…」
「ううん…私の不注意よ…。とにかく秘宝が見つかったからには、一刻も早く浩子達を助けに行かなくちゃ。戦わなくなったから霊力を蓄える必要もないし…」
──「やっぱりご主人様は…」思ったとおり──秘宝が見つからなければ、後先考えずに力ずくで智信枝栄達を助けに行くつもりだったんだと知っていしはゾッとした。
「さぁ、行きましょう…と言ってもどうやって行くのかしら…?白龍は白の国への特急列車だし…」
「ご主人様…まず部屋に戻ってください。私がご主人様の魂を離脱させますけん…」
部屋に戻ると、いしは早速錫をベッドに寝かせた。
「天の秘宝は持っていてください。ご主人様の魂を抜き取れば、天の秘宝の物魂もついて出ますから」そう言っていしは錫の魂を足下から簡単に引っ張り出した。
「大したものね…」
「いいえ…。ご主人様は何度か離脱されてますけん抜けやすいのです」
「あ~…信枝と一緒ね…?」
「はい信枝殿のように…。ではご主人様、参りましょうか?」
「ま、参りましょうかって……どうやって…?」
「ご主人様…悲しいですが、いしは拗隠の国を故郷に持つ狡狗ですけん…。あそこに行くのは容易いことなのです。さぁ…わたくしの背中にお乗りくださいませ」本来の大きさに体を戻したいしは、背中に乗るよう錫を促した。錫は言われるままいしの背中に跨ってみた。思ったより安定していて柔らかい毛並みが心地良かった。「では参ります、ご主人様!」いしは嬉しそうに天に向かって翔けだした。背中の主人を気遣いながら、かなりの早さで鬼門の方角を翔け抜けて行く。いしはまた主人を背中に乗せて走れることに、溢れんばかりの喜びを感じていた。一緒に駆け回ったことなど、今の主人は知る由もないことだが、いしにとってそれはどうでもよいことで、ただただ懐かしさがこみ上げてくるのだった。
ところが錫もまた不思議な気持ちを味わっていた。遠い昔──自分が何かに跨って愉快に颯爽と走っていたような懐かしさが、いしの背中に揺られていると淡く蘇ってくるのだった。
Ⅲ
「拗隠の国にはご主人様の霊力を蓄える霊気がほとんどないので、長居は無用です」
「いしは大丈夫なの?」
「狛犬はむしろ拗隠の国の方が霊力を増します。狡狗が人の邪心に取り憑くのもそうですが、わたくし達狛犬が邪身玉から発する霊気を好むのも、それが邪気を帯びた霊気だからですけん」
「なるほど…。じゃ、殴り込みは無謀だったのね?」
「はい。もしご主人様が戦いを挑まれたらどうしようかと心配しておりましたです…」
「ごめんね…あんたには気苦労させてばかりだね…」
「いいえ。いしはご主人様と一緒であれば、艱難苦労も幸せです」錫を背中に感じながら、いしはこのままずっと走り続けていたかった。
けれどこの先──まさか錫が永遠に拗隠の国に留まる決断をすることとなり、いしにとって辛い別れが来ようとは、この時まだ知る由もないことだった──。
○
「なんてイヤな邪気………これが拗隠の国なの?」
「はい。この先はもっと邪気が汚れ、狡狗もわんさか湧いているはずです」
「わんさか?…私やっぱりダメだぁ~…足が竦んで前に進めない…」
「…ご主人様…まだいしの背中から降りていませんですけん…」
「あら…いやだぁ、いしってばぁ~!」思わず照れ隠しで、いしの頭を平手で叩いてしまった。「あっ!ごめんなさい…はずみで…つい…」いしはもちろん笑っているだけだ。
「気になさらんでいいですけん。それよりもご主人様、狡狗はご主人様にはあまり近づいて来ないはずですからご安心ください」
「本当に…?…どうして?」
「狡狗はご主人様のような邪気のない霊気には興味を示しません。しかもご主人様の霊気の強さを恐れて、なおさら近寄って来ないと思いますよ」
「でも最初の狡狗は違ったよ。〝お前を取り込んで強くなるサクセ~ン〟とか言って襲って来たわ」錫は狡狗を真似て、おちゃらけながらそう言った。
「たしかにご主人様ほどの高い霊力を取り込めば強くはなります。ですが狡狗にとってのご馳走は、やはり邪な心ですけん」
「そう言われれば、あの狡狗…わざとパパを苦しめる姿を見せて、私から邪心を引き出させようとしていたわ」
「然もありなん…狡狗がしそうなことですけん…。それに龍門殿やご主人様に聖霊された腹いせもあったのでしょう。ここではそういう心配はないので大丈夫ですけん」
「だといいけど…」
「とにかくご主人様は、このまま背中に乗っていてください」
「うん…そうするわ!いし…頼りになるわねぇ」そう言って、今度はいしの頭を何度も撫でてやった。それだけでいしはサラブレッドよろしく背筋をピンと伸ばし、気取った足取りでしゃんしゃんと歩き出した。
暫く進むといしの言うとおり、どす黒い嫌な霊気と共に狡狗も増え始めた。
「ほら…狡狗は増えたものの、ご主人様には感心なさそうでしょ?」
「うん…気持ち悪いのは拭えないけどね…グァフフ…」
「このまま知らん顔して通りましょう」錫といしはエキストラの通行人よろしくその場を通り抜けるのだった。
「ご主人様、正面に黒く尖った大きな岩山があるでしょう?お二人はあそこに捕らえられています」
「本当に?間違いないの?」
「はい。三輪山で遭遇した奴と同じ臭いがだんだん強くなってきました」
「いよいよね…」
★
「醜長様醜長様…悍ましい霊気です…奴に違いありません…」
「お~!とうとう来よったか…」
「奴ら秘宝を手に入れたのですかね?」
「さあな…。だが秘宝を持ってなければ、さっさと無にしてやる」
「もし持って来ていたらどうするんで?」
「そしたら…秘宝のサンプル一号にしてやるのよ、ギシシ…」
「なるほど!さすが醜長様ですなぁ」
「お前達とは違うのよ!オレ様は目から尻へ抜けるほど賢いのよ…ギシシ」マヌケな会話をしているところへ、門番の狡狗が慌てて駆け込んできた。
「醜長様…おかしな奴が醜長様に会わせろと勝手にこっちに来ますんで…」
「なぜ止めなかった?キサマ……ビビッたな?」
「ヒッ…お、お許しください醜長様…奴の霊力がスゴかったもんで…」
「いいや、ならん。お前を喰ってやる!」
「お、お許しを…醜長様…」醜長はその声には耳を貸さず、手に何かを取り出すと、それを使って門番の狡狗を小さくし、さっさと口の中に放り込んでしまった。一部始終を見ていた阿仁邪は恐怖で顔が引きつった。醜長の腹に門番の狡狗がすっかり納まると、その視界に錫といしが飛び込んできた。いしは醜長の前まで来るとピタリと足を止めた。醜長は野獣のような目をギラギラさせ、ニヤつきながら錫といしを交互に睨みつけた。
「例のモノをよこせ!」いきなり本題に入ってきた。錫はいしの背に乗ったまま凛と構えている。
──「コワ~い…」どうやら降りないのではなく降りられないらしい。
「例のモノ?」錫はしらばっくれて狡狗の様子を窺った。
「秘宝に決まってるだろう。早くよこせ」
「あ~…あれならちゃんと持ってきたわ。その前にみんなを返して!」
「ダメだな、秘宝が先だ!」
「でも先に秘宝を渡したら、私達を実験材料にするつもりでしょ?」
「そんなことは絶対にしないと約束してやる!」醜長は飄々と嘘をついた。「いいか、人質がいる限りお前は不利なのだ。オレ様を信じるか…それともこのまま仲間を見殺しにするか…。バカな頭で考えろ」
──「ゴネてもムダね…」錫は醜長の条件を呑むしかなかった。
「分かったわ。これがもう一つの秘宝よ…」錫は取り出した錫杖の頭部を両手で恭しく捧げ持って醜長に見せつけた。醜長が秘宝を取りに行けと顎で阿仁邪に指示すると、阿仁邪は急いで錫の手から秘宝を奪おうとした。錫はそうはさせまいと身を捩って秘宝を大事に庇った。
「せめて二人の無事を確認させて。渡すのはそれから」
「…よし分かった。約束を破るなよ」
「そんな卑怯な真似しないわ。あんた達こそ約束を守りなさいよ?」
「ふん…。おい阿仁邪…牢へ案内してやれ」
「分かりました。おい…お前達ついてこい」錫はいしの背に乗ったまま阿仁邪についていった。内心はまだ恐くて仕方ないようだ。
「あんたは信枝に取り憑いていた奴よね?」
「そうよ…あの時オレ様は手ぶらで帰ったおかげで、醜長様に大目玉を喰らったんだ…。おまけに別の奴が女を捕まえて手柄を立てやがるから、オレ様は肩身が狭かったんだぞ」
「そんなこと私のせいじゃないわ」
「まぁ、そのことで発奮したオレ様は、手下どもを使って、見事に秘宝の一つを奪ってやったがなぁ」
「…あんただったのね…杖を盗んだのは」
「ヒッヒッ!だからオレ様も汚名挽回できたんだ」
「それを言うなら汚名返上でしょ…。汚名を挽回してどうするのよ」
「グッ…。キサマ…とことん腹の立つ奴だな。キサマとは牛が合わん」
「それも牛じゃなくて馬でしょ?」
「……ググッ。晶晶白露を持っていなかったらとっとと無にしてやるのに…。だいたいどうしてお前が人間の世界に居るんだ?」
「そんなこと私の勝手…余計なお世話ですぅ~」
「いちいち癪に障る奴だ。…ホレ牢へ着いたぞ」阿仁邪が足を止めた正面には、大きな岩壁が立ちはだかっていた。けれども錫にはそこが牢には見えなかった。
「岩壁に空いてるその穴が自然の牢になっている。格子の代わりに絶対に霊気が漏れない薄い膜が穴全体を被っているから、肉体のないキサマ達は自力では抜け出せない」
「この中に浩子とおじいちゃんが…?」
「そうだ、左側に女、右側に男を閉じ込めている」
「こんな所に…」錫は漸くいしの背中から降りた。「浩子、大丈夫?……私よ…錫だよ」錫は牢獄の外から智信枝栄に声をかけてみた。
「スン!?…どうして此処へ?」智信枝栄は慌てて錫に駆け寄ったが、膜に〝ドン〟と突き当たり尻もちをついた。「こんな所へ来ちゃダメ…」
「浩子…こんな酷い目に遭って…。辛かったでしょ…」
「いしに比べたらこれくらい大したことないわ…」
「ひ…浩子殿…」いしは智信枝栄が酷い目にあっていることを知っていた。しかし、そんなわが身をよそに狛犬の自分を労り、なおかつ錫に心配をかけぬよう配慮している智信枝栄の心根に胸を打たれた。
「とにかく浩子もおじいちゃんも必ず助けるからね」
「あなた一人でどうやって…?」
「どんな手を使ってでも助けるから…。だからもう少しだけ辛抱して」二人を解放する交換条件に秘宝を差し出すなど、口が裂けても言えなかった。
「秘宝を差し出すつもりでしょ?」完全にバレている。
「そ、そ…そんなことするわけないじゃない…。まだ見つかってもいないのに…」
「それならいいけど…」
──「ごめんね浩子…助ける手立てが他に見つからないの…」錫にとって秘宝より親友の命が大事だった。必ず智信枝栄を連れて帰ると堅く心に誓ったのだった。
智信枝栄のことを気にしつつ、錫は右隣の牢も覗いた。「おじいちゃん、おじいちゃん…ねぇおじいちゃんなの?」魂の気配は感じるが、錫の呼びかけに返答はない。
「浩子、この牢にいるのはおじいちゃんでしょ?」
「そのはずだけど、はっきりしないのよ…」
──「おじいちゃんなの…?必ず助けるからもう少しだけ待ってて…」形も保てないその魂は、歪な丸形をしたままピクリとも動くことはなかった。
元の場所に戻ると、醜長は手ぐすね引いて錫を待っていた。「約束どおり秘宝を出せ」
──「ごめんなさいおじいちゃん……錫は秘宝を守るどころか、この手で完成させることもできませんでした。──〝自称神様〟、私は秘宝より友を…そしておじいちゃんを助けることを選びます…許してください」責任を果たせなかった悔しさを胸に秘めつつ、錫は取り出した天の秘宝を醜長に差し出したのだった。
阿仁邪が天の秘宝を引ったくるように取り上げると、醜長に恭しく手渡した。醜長は秘宝を手にするや否や、イライラしながら阿仁邪を叱りつけた。
「気が利かん奴だな…。もう一つの秘宝をお宝部屋から持ってこい。ぼやぼやしてたら褒美をやらんぞ」それを聞いた阿仁邪は慌てて地の秘宝を取りに行った。その僅かな時間を見計らって、いしは醜長に話しかけた。
「この狛を覚えているか?」
「ふん…いつかオレ様達が取り憑いてやった狛だと阿仁邪から聞いている。そしてソイツはお前を助けたあのときの奴だろう?見覚えがある…」
「そのとおりだ。分からないのは、なぜ今お前が醜長と呼ばれているかということだ」
「如何にも…あのときのオレ様は、まだ前の醜長に仕える身だった…。コイツの霊力で邪身玉に封印され、この国に戻されたオレ様達は、文字どおり白の国を乗っ取る計画に失敗して醜長から痛い目にあった」醜長はジロリと錫を睨みつけた。
「はぁ?なんの話?すみませんけど私は全く存じません」察しはついたが、錫はわざとすっとぼけて見せた。
「あのときオレ様が持っていた晶晶白露が実は〈白の眩燿刀〉だったことを醜長に話すと、今度は〈黒の眩燿刀〉を見つけろと言い出す有様だ…」
「それはお気の毒さま~」
「オレ様と阿仁邪は手分けして必死で探したのだ。そしてとうとう見つけ出した。阿仁邪が何処からか見つけてきやがったんだ…スゴいだろう!?」
「私には何がスゴいのか分からないんだけど…?」
「はぁ?…キサマが教えたことだろうが?」
「ご主人様、黒の眩燿刀は相手を無にする力を持った恐ろしい短刀ですけん」
「ゲッ!こわっ…」
「バカな阿仁邪は黒の眩燿刀を見つけてくるなり、ご丁寧に醜長に手渡して褒美を貰おうとしやがった。賢いオレ様は、一計があるからと阿仁邪から黒の眩燿刀を取り上げると、隙を見て醜長を無にしてやったのよ…ギシシシシ」〝どうだ〟と言わんばかりに武勇伝気取りで熱く語った醜長は、黒の眩燿刀を高々と掲げて見せた。
「これがその短刀だ!これ一本でどいつもこいつもひれ伏す。オレ様は醜長を無にした後、奴の息のかかった連中もすべて処分してやった」
「えっ?自分の仲間を?」
「そうだ!そしてオレ様は拗隠の国の新たな“醜長”となった。盗り損ねた白の国を奪うためにな!」
「ひどい……なんて奴なの…」。「下克上野郎…」
「これで秘宝も手に入れば恐い者なしだ。いよいよオレ様の時代がやって来るのだ」
「………」錫もいしも悔しかったが返す言葉がなかった。醜長は大きな岩に座ったまま、優越感に浸った顔で錫達を見下げていた。
「おぉ~阿仁邪か…。ちょうど良いタイミングで戻ったな」
「醜長様これです…」その手には、あの杖がしっかり握られていた。
「とうとうこの時が来たのだ…さぁ、早くよこせ!」
「醜長様…よこせと言われても、両手が塞がっておりますよ…。黒の眩燿刀を預かりますから替わりにこれを…」有頂天になっている醜長は、阿仁邪に言われるまま黒の眩燿刀を預けた。
「さぁ阿仁邪よ…早くその杖を!」
「……バカが…誰がお前なんかによこすか!」
「ナニ!?阿仁邪…何を言ってる…」これには錫もいしも驚いた。
「なになに…この展開!ちょっとぉ~…いしってば…ここにきて大逆転てこと!?もしかすると阿仁邪は味方?秘宝を返してもらえる?」
「だと良いのですが…こいつらは何を考えているのか分からんですけん」舞い上がっている錫とは違って、いしは冷静だった。
「バカな醜長に教えてやる。お前達もよく聞くがいい」阿仁邪は錫といしにもチラリと視線を向けた。「お前が知っている弟分の阿仁邪は、たった今私が取り込んでやった。窮屈だったが私は今まで此奴にずっと隠れていたのだ…」
「キサマァ…。い、いつから隠れていた?」
「黒の眩燿刀を渡した時からだ」
「ナニ…?黒の眩燿刀はあいつが拾ってきたのではないのか?」
「だからお前達狡狗はおめでたいのだ。そんな簡単に名刀が落ちていると思ったのか?」
「で、では……あ、う、うぅ」醜長は動揺を隠せない。
「お前達が黒の眩燿刀を探しているのを知って、わざとお前に渡してやったのだ」
「わ、わざとだと…?」
「そうだとも。バカな弟分に取り憑いた私は、黒の眩燿刀を拾ったとお前に持ちかけた。すべてはこっちの読みどおり事が運んだ。お前は黒の眩燿刀を使って醜長を無にしてこの国を支配し、白の国を奪おうと計画した。そして漸く秘宝も手に入った今…お前は用済みだ」
「キ、キサマ…いったいナニモノなのだ?」
「私は矢羽走彦…白の国を守る霊神だった」
「ほらほらいし…白の国の霊神だって。これは潜入捜査ってやつよ!」そうあってほしいという錫の強い願望が、都合の良い解釈を導き出す。
「白の国の霊体は、拗隠の国の霊気を取り込めない。故に私は長時間留まれば無になるのだが…。私はそうなる前に念だけの存在となって他の狡狗に遷り、気の遠くなる時間を此処で過ごしてきた…」
「お前はどうして此処へ来る必要があった?」醜長が尋ねた。
「騙されたのだ………天甦霊主に…」
「えっ!?今天甦霊主って言った?〝自称神様〟…?」
「その昔、白の国と拗隠の国との戦の折、天甦霊主は自分の持つ秘宝を使って拗隠の国の抜け穴を塞ぎ、戦を終結させてくれと頼んできた。塞いだ後は必ず助けに行くからと…。そして帰ってきたらお前は英雄だと…。私は言われるまま、白の国を助けるべくここへ来たのだ…」
「なのに助けには来なかったのだな?」醜長が尋ねた。
「私は自分の使命を全うした。だが待てど暮らせど助けは来なかった…。考えてみたら助け出す方法などあるわけがない…。最初から騙すつもりで私を送り込んだのだ」
「いし…なんだか私の思ってる筋書きと違ってる…」錫は残念そうに囁いた。いしにできることは、錫の手の甲をペロペロと舐めてやることくらいだ。
「私は誓った!復讐してやると…必ず白の国を奪ってやると…。お前達狡狗は、そのための捨て駒にすぎなかったのだ」錫の淡い期待は崩れ去った。
「チクショウめが…」土壇場で形勢が変わってしまった醜長は地団駄踏んで悔しがったが、もう後の祭りだった。
「お前のような奴が永く栄華を誇ることなど所詮無理なのだ。消えて無くなれ」
「ぐぁ~…皆のモノ、謀反だ。阿仁邪が寝返った!引っ捕らえた奴にはたんまり礼をやる。早く奴をなんとかせい」
「いし…なんだか戦国ドラマみたいになってきたよ…」。「たしかにです…」
醜長の一声で千体の狡狗がどっと集ってきた。「見ろ!これがオレ様の実力だ…」
「ならば本物の実力かどうか、目の前でハッキリさせてやろう…」矢羽走彦は黒の眩燿刀をちらつかせながら集まった狡狗達に告げた。「ここにお前達が恐れていた短刀がある。今からこれは私のモノだ!…醜長を助けたい奴はそっちへ行け。私に従うモノはこちらへ来るがよい」忽ち狡狗は一カ所に集まった。だが醜長側にはたったの一体もいなかった。「分かったか?お前の実力などこんなもんだ…」
──「矢羽走彦…。見た目は阿仁邪でも、さっきと全然霊力が違っている…。いったい何者だろう?」
「さぁ、私がこの手で無にしてやる。ありがたく思え」矢羽走彦は素早く醜長に近づくと、黒の眩燿刀をその懐に突き刺した。だがそれよりも一瞬早く、醜長は腰を下ろしていた岩から遠くに移動した。
「以外に早い…あの狡狗…」一発で勝負が決まったと思った錫は驚いた。矢羽走彦はそれでも慌てず、醜長に視線を合わせることなく、黒の眩燿刀を素早く投げつけた。その刃先は今度こそ醜長の胸元に食い込んだ。
「バ、バカな…投げるとは…」醜長はそれだけ言い残すと、たちまち玉子大の炭のような黒い塊と化した。
「見ましたかご主人様──あのように短刀を投げるのは危険なのです…もし失敗したら相手に渡ってしまいますけん。奴は自分の腕によほど自信があったのでしょう…。あの矢羽走彦という霊神──狡狗のような狡賢いだけの単細胞ではありません…」
「うん……私もそう思う…」矢羽走彦に冴えた智慧と底知れぬ霊力を感じ取った錫も、狡狗とは違った恐怖心を抱いた。
「さて…」矢羽走彦は醜長の死骸ともいえる黒い塊を無下に蹴飛ばすと、その傍らに転がった天の秘宝を大事そうに拾い上げ、さっきまで醜長の座っていた岩にどっしりと腰を下ろした。
「秘宝を渡したんだから早く浩子とおじいちゃんを返して?」
「まあそう慌てるな…。お互いこの秘宝を巡って随分苦労したのだから、じっくり拝もうではないか…」
「はぁ!?…あんたがなんの苦労をしたの?私達の行動をこそこそ嗅ぎ回ってただけじゃないの」それを聞いて矢羽走彦は落ち着いた口調で返答した。
「なんの情報もない私が秘宝を手にするにはどうすればいいと思う…?並外れた霊力を備えた奴を探し出すことだけだ…」
「…それでおじいちゃんを?」
「そうだ…。奴が秘宝を持っていると確信していたのだが…全くその気配がない。奴は秘宝のことを知っているだけだと察した私は、次に現れたお前に期待した。てっきりお前が秘宝を持っているとばかり思っていたが、やはり秘宝の気が感じられない…。まさか天と地に分けて霊気を消していたとはな…」
「醜長は秘宝のことを最初から知っていたのか?」今度はいしが質問した。
「いいや。醜長に秘宝のことを焚き付けたのは私だ。バカな狡狗は誘導してやるとそのとおりに動く…。まるで自分が指揮を執っているかのようにな…」
「結局醜長もお前に踊らされていただけか…」
「偶然にせよ白の国への抜け穴が見つかった…。白の国まで行けば人間界にも行ける…。その人間界ではまさに秘宝の完成が間近だった。私にとって秘宝を手に入れて白の国に攻め入る絶好のチャンスではないか!」
「でもどうしてぎりぎりまで姿を隠して醜長を騙していたの?」
「抜け穴が存在する今、拗隠の国にも白の国の密使がいないとは限らない…。秘宝を探し出すまでは、このやり方が最善だった…」
「いし…みっしって何?」。「スパイのようなもんですけん」。「あ~!」
「さぁ、ともに拝もうではないか…天と地が生み出した大いなる副産物を!」
「人から盗んでおいていい気なモンだわ…」天の秘宝の底部分の中心には杖を差し込む筒状の穴があった。矢羽走彦はその穴に杖の根本をゆっくりと差し込んでいった。──────しかし、何も起こらなかった。
「お前……騙したのか?」口調は極めて落ち着いていたが、その目は錫が震え上がるほどの怒りに満ちていた。
「だ、ダマしてなんかないわ…」
「ならばなぜ何も起きない?秘宝を見つけ出せなくて、適当なモノをよこしたのか?」
「違うわ…これが本物のはずよ!」
「…お前は約束を破った。じっくり無になるがいい…仲間と一緒にな…」錫は憤怒した矢羽走彦の言葉など耳に入ってこなかった。それよりも絶対の自信を持っていた天と地の秘宝が本物ではなかったことに大きなショックを受けていた。
──「違っていた?……えっ?……秘宝は…これじゃないの?」
「お前達、此奴らを引っ捕らえろ!」その言葉に錫は反射的に周りをぐるりを見渡した。千体を超す狡狗が錫といしを囲んでいる。
「いし…私が奴らを誘導するからあんたは逃げなさい」
「ご主人様、それはできませんです!」
「これは主人の命令よ…言うことを聞きなさい。命令が聞けないなら、私はあんたを永遠に家来だと認めないわ!」
「ですがご主人様…」
「大丈夫!絶対に死んだりしないから…あっ、今は死んでるのか…きひひ」わざとおちゃらけて見せる錫の態度が、いしには逆に辛かった。
「分かったです。分かったですけん…ご主人様」その言葉に錫はにっこりと微笑んでみせた。けれど次の瞬間真顔に戻った。
「絶対に逃げ切りなさい…いし!」厳しくも優しい口調でいしに告げるのだった。
別れを惜しんでいる余裕はなかった。錫はいしから遠ざかるように動き回りながら狡狗の追撃をかわした。
いしは逃げると約束したものの、たかが狛犬一匹を逃がすために我が命を顧みず駆け回ってくれている主人を見て、いたたまれない気持ちになった。だがここで逃げなければ、逆に主人の深い情愛を無駄にすることになる。主人を放って逃げている自分に嫌悪しながらただただ駆け抜けていった。いしにとって数の少なくなった狡狗を躱して走り抜けるのは容易いことだ。これも主人が身を挺して狡狗を引きつけてくれているおかげだと思うと、いしの心は張り裂けそうだった。
Ⅳ
──「いしは無事に逃げ切っただろうか…?」錫は狡狗から身をかわしながらも、そのことが頭から離れなかった。逃げても逃げても追ってくる狡狗に対して、切りがないと思っていた矢先のことだ──。
「やめろ、お前達」矢羽走彦が一声かけた。狡狗は一斉に動きを止め、矢羽走彦に道を空けた。
「お前が逃げ出した理由は察しがつく…。心配せんでも、あの狛は逃げていったわ」顔色一つ変えず矢羽走彦を睨んでいた錫だったが、内心それを聞いてホッとした。「たかが狛犬一匹に目の色を変えることもあるまい…。それより忘れるなよ…お前には人質がいるということを。それ以上暴れるようなら今すぐ奴らを無にしてやる」
「………………分かったわよ…」
「そうだ、それがお前のためだ。ついて来い…」錫は黙って矢羽走彦の後に従った。「結局お前は役立たずだったな….秘宝さえ手に入れれば、私は白の国を落とせたはずだった…。しかし考えようによってはこれで良かったのかもしれん。お前が秘宝を見つけられなかったということは、こっちも脅かされる心配がないということだ…」
「悔しいけどそのとおりよ。正直なところ、ここまで来たら秘宝を完成させたかったわ…」
「それは残念だったな。…さてと、ここがお前の本当の墓場だ…」着いた先は智信枝栄と虎が捕らえられている牢獄だった。
「最後に情けをくれてやる。お前の大好きな爺さんと一緒に叶わなかった願いを悔やみながら無になるがいい」矢羽走彦は錫の腕を掴むと、虎が捕らえられている牢へ押し込んだ。
「あっ!」錫は慌てて外に出ようとしたが、まるでアクリルの水槽に〝ドゴン〟とぶつかったような感覚で止まった。
「その膜は絶対に霊気を通さない…。このガラクタを虚しく抱きしめながら無になっていく感覚を味わうがいい…」矢羽走彦は荒っぽく天と地の秘宝を──いや、天と地の秘宝だと信じていたモノを牢の中に放り投げた。
錫は情けない思いでその二つを拾い上げ、胸にしっかり抱きしめて肩を振るわせた。
「泣いているのか…?」形を保てないほど弱った魂は優しく錫に話しかけた。
「えっ!?…おじいちゃん?…おじいちゃんなの?」
「錫なのか…?」
「やっぱりおじいちゃんなのね!?」
「いいや…私は香神虎だ。お前の知っているおじいちゃんは天翔虎慈之尊のことだ。わしは正真正銘の香神虎だ」
「じゃ、私が知っているおじいちゃんはどこなの?」
「あの方は無になってしまった…私を助けるために…。それもほんの少し前のことだ…」錫は驚きはしたものの、まず話を聞きたかった。
「あのねおじいちゃん…私、何がどうなってるのか分かっていないの…」
「これからゆっくり話してやる…まぁそこへ座れ…」ブヨブヨした丸い固まりになってはいるが僅かな霊気を感じる。その傍らに座った錫は、なんとも言いようのない安らぎを感じた。
「私が無になるのも時間の問題だ。それまでに私が知っているすべてをお前に聞かせてやらねばな…」いずれ自分も此処で無になってゆくのだろうが、〝どうせなら秘宝の在処を聞いてから無になりたい〟──錫はそう思った。
「私はもともとゴミソとして修行をしていた身だった。高宮ハルに恋をしつつも真面目に生きてきた。人にはない霊能力を持っていたこと以外は、ごく普通の人間として…」
──「やっぱりお婆さんに恋をしていたんだね…」
「それから次に自分の記憶として残っているのは…この牢で目覚め、以来何年も虎慈様に守られて暮らしていたということだけだ…」
「…お、終わり?」
「私の記憶の話はこれで終わりだ…」
「え~~~……?」
「だが…私は牢中でたくさんの話を聞いた…。虎慈様からな…」
「良かった!本当に終わったらどうしようかと思ったわ」錫は戯けて焦った振りをしてみせた。なぜだか虎が笑っているように思えた。
「この牢で目を覚ました時、一体の霊神が私を包み込んでくれていた。その霊神はこう言った…〝私のせいでお前は死んだ…許してくれ〟とな…。そして、ここに幽閉されるまでのことをすべて語ってくれたのだ…」
──「おじいちゃんの謎が明らかになる」錫は期待に胸が躍った―─。
○
天翔虎慈之尊は人間界に行く準備を調えていた。
白の国で特に高い霊力を秘めた四柱は〝白の四天王〟と呼ばれ、名実ともに優れた霊神として崇められていた。なかでも天翔虎慈尊は、通称 虎慈尊あるいは虎慈様と呼ばれて親しまれ、その信頼は白の四天王の中でも抜きん出て厚かった。
虎慈尊が特に目をかけていたのが、同じ白の四天王の中でもまだ若い錫雅尊だった。誠実で正義感が強く心根の優しい錫雅尊に、虎慈尊は絶対的な信頼を寄せていた。
白の国では、やがて人間界で完成する秘宝を見つけ出し守り抜ける霊神を選任していた。その役を買って出たのが錫雅尊だった。虎慈尊は過酷な人間界に修行を兼ねて行こうとする錫雅尊を心配したが、錫雅尊の決心は堅かった。そこで虎慈尊は、前もって人間界に入り、後に生まれてくる錫雅尊を守る役目を請け負った。こうした役目を担うことは、とても稀なことだった。
人間界に入ると、先ず一番に憑依する人間を決めなければならない。虎慈尊は早くもその標的を決めていた。香神虎という人間で、類い稀なる霊力を身につけていることと、性格が穏やかで同じ虎と名が付いているので親しみが沸いたからだ。
そして──これは虎に憑依した後に知って驚いたことだが、虎が恋している女性高宮ハルに、他とは違う霊気を感じた。よくよく調べてみると、彼女の中に領巾が隠されていたのだ。それは即ち高宮ハルに須勢理毘売が宿っていることを意味する。この事実を知った虎慈尊は、この領巾がいつか錫雅尊の役に立つかもしれない。この時すでにそう思っていたのだった。
虎慈尊はそれまでの虎の記憶を覗きつつ、完全に虎に成りきっていた。ただ虎慈尊には時間がなかった。
──「子供を産んでくれさえすれば誰でもいい…。一刻も早く結婚しなければ…」虎慈尊の結婚願望は、我が子として錫雅尊の魂を迎え入れるため以外の何ものでもなかった。それが錫雅尊より早く人間界に降り立った真の目的だったからだ。けれども一番身近な高宮ハルは恋より修行。どうやら脈はなさそうだと察した虎慈尊は、一人で山を下りることにした。ハルには〝神から天啓を得て、聖霊師として生きてゆくことになったので山を下りる〟と告げて、彼女を誘うことはしなかった。もしもその時、〝一緒に山を下りよう〟と声をかけていたら──あるいはハルは修行よりも恋を選んでいたかもしれない。そうなっていれば二人の運命はもちろん、二人を取り巻く人々の運命も変わっていただろう。たった一つの分かれ道が人生を大きく左右する。〝運命〟は〝運命〟と違い、くるくると変化してゆく万華鏡なのだ。
虎慈尊にとって恵まれていたのは、茜ミツという女性と出会えたことだ。彼女は香神虎を愛し、聖霊師としての生業を理解していた。何より若くて元気なミツは、錫雅尊を産んでくれるにはうってつけの女性だった。しかも結婚前にミツは妊娠した。結婚したが子供ができないとなれば取り返しのつかないことになる。先に目的を果たせたのだから、虎慈尊にとってこれほど安心なことはなかった。
ところがここで大誤算が生じる。ミツに宿っている魂が、錫雅尊ではないと白の国から報告を受けたのだ。このことに虎慈尊はすっかり意気消沈してしまう。もし錫雅尊がこのタイミングで生まれてきていれば、ちょうど十八歳になる頃に秘宝が満年を迎えることなっていた。その時が来たれば、錫雅尊に付きっきりで霊力を養わせ、秘宝を手に入れて守らせようと虎慈尊は楽しみにしていたのだった。
ミツが懐妊を迎える少し前、白の国でも錫雅尊は人間界に降り立つ準備を調えていた。だがいよいよ出発の段になって狡狗がどっと攻め込んできた。一時的に抜け穴が広がったのだろう。この危機を放置したまま人間界に降りて良いものかと錫雅尊は悩んだ。しかし人間界では虎慈尊が自分を待っている。錫雅尊は苦渋の選択を強いられた。悩みに悩んだ末、〝このまま放ってはおけない〟そう答えを出した錫雅尊は白の国に留まった。
この非常事態を虎慈尊も受け入れざるを得なかった。開いた抜け穴が早めに小さくなれば、錫雅尊を第二子として迎えようと淡い期待を抱いていた。ところがそれは甘い考えだった。待てども待てども抜け穴は小さくならず、元に戻るまで数年を要してしまったのだ。それでも、今から錫雅尊を迎えようとした虎慈尊だったが、悲しいかなミツが懐妊することはなかった。泣く泣く我が子として錫雅尊を迎えることを諦めた虎慈尊は、一人娘の鈴子にすべてを託すことにした。早く大人になって良い伴侶を見つけ、元気な子を産んでほしいと願っていた虎慈尊にとって、鈴子が成人するまでの時間は気が遠くなるほど長かった。それだけに漸く思惑どおり事が運んだ時は嬉しかった。鈴子に錫雅尊の魂が宿ったのだ。
性別は問題ではない。予てから決めていた〝錫〟という名を付け、その子が十八歳になるのをひたすら待ち続けるのが虎慈尊の使命だった。
話が後先になるが、虎慈尊が三輪山を訪れ、躍起になって秘宝を探し出していたのは、ちょうど鈴子が田中一と交際していた頃だ。つまりその頃に天地の秘宝は満年を迎えていたことになる。
本来ならこの時点で錫雅尊は人間として十八歳を迎えており、虎慈尊の助けを受けながら秘宝を探し出していたに違いなかった。
結果的には虎慈尊が一人で秘宝を見つけ出し、その秘宝を誰にも分からぬよう天と地に分けて隠したのだが、最後は狡狗によって虎慈尊自身の霊気を嗅ぎつけられ捕らえられたのだった。
その際、香神虎の魂をそのままにして、自分だけが捕まることも考えた。だが香神虎が何十年にも渡る自分の人生を知らぬまま意識を戻されて、果たして尋常でいられるかどうかを考えるとあまりにも残酷に思えてならなかった。
どのみち生きていても残り少ない人生だ。ならば香神虎の魂をできるところまで守ってやろうと決めた虎慈尊は、いよいよ狡狗に捕まる折、香神虎の魂を自分が取り込んだのだった──。
「……これが私自身も知らなかった驚愕の真実だ…」
「おじいちゃんは正真正銘の香神虎だけど、私を知らないってこと?」
「あぁ…。私の遺伝子が受け継がれている鈴子も錫も私の記憶にはない…」
「私が知ってるおじいちゃんはどうして無になってしまったの?」
「さっきも話したとおり、虎慈様は私を守るために無になったのだよ…」虎の魂は時折ポニョポニョと動きながら錫の質問に答えた。「虎慈様は長く人間界に身を潜めていたので霊力も鈍っていた。そのため狡狗と最後まで戦り合うことはできないと判断し、ほとんど無抵抗のまま奴らから魂を抜かれ、ここに連れて来られた」
「突然死に見えたのはそのためだったのね…」
「捕縛された虎慈様は秘宝を出せと何度も責められたが、決して口を割ることはしなかった。そのうち狡狗も秘宝の持ち主が本当に虎慈様なのかどうかを疑い始め、他に特殊な霊力を持った人間が現れるのを待つようになったのだ」
「それで十八歳になった私の霊気を狡狗が嗅ぎつけたってことか…。そうとして、一つ分からない事があるの。人間界に居ると霊力は鈍るの?私は逆に霊力が強くなるんだけど…?」
「そこには憑依する者と、人間として生まれ変わる者との違いがある。白の国の霊神が人間に憑依し続けると年々に霊力は弱まる…。だが生まれ変わったとなると、年齢に関係なく鍛えれば鍛えるほど霊力は強くなるというのだ」
「私の霊力が強まっていくのは、錫雅の生まれ変わりだからなのね…」
「私が一番に疑問を抱いたのは、虎慈様が秘宝を探し出したならば、どうしてその秘宝をさっさと白の国に持ち帰らなかったのかということだった…」
「たしかにそうよね…。見つけたなら何も私に託す必要なんてないもの…」
「そこには秘宝熟成の秘密があったのだ」
「秘宝………熟成?」
「岩から取り出したばかりの秘宝は、充分力を発揮することができない。そこで産声をあげた秘宝を何年も寝かし続ける…。それは秘宝を生み出した天地の中でのみ可能だ」
「つまり人間界でしか熟成されないってこと?」
「そういうことだ。熟成させる年月に決まりはないが、最低十年…できればそれ以上は寝かしておくのが理想らしい…」
「生まれ変わった魂の方が、秘宝を守るには適してるってことね…」
「人間に生まれ変わった錫雅尊に秘宝を守らせたかった理由がそれだ」
「ふ~ん…そういうことか」
「話を本筋に戻そう…。私達はこの牢に長い時間閉じ込められた。虎慈様は私が無にならぬよう、自分の霊気をずっと私に与え続けてくださった…。だから今も私は辛うじて無にならずにすんでいる。あの方が私より早く無になったのは、私を命がけで守ってくれたからなのだ…」それを聞いた錫は、目を潤ませて自分の未熟さを悔やんだ。
「ごめんなさいおじいちゃん…。私がしっかりしていれば、助けてあげられたかも知れないのに…」
「お前に罪はない。自分を責めることはないぞ…」
「……うん、ありがとうおじいちゃん」
「お前は私にも〝おじいちゃん〟と呼んでくれるのかい?」
「だって、おじいちゃんは香神虎だよ。おじいちゃんがいなければ、お母さんも私も生まれてこなかったわ…」虎は初めて出会った錫に、言いようのない愛おしさを覚えた。そこには理屈を超えた血を分けた関係があるのだと虎は感じていた。
「おじい様…教えてほしいのです…」錫は畏まって虎に尋ねた。
「なんだね…改まって…」
「天と地の秘宝は何に遷したの?」
「そのことか…」虎は暫く沈黙した。「それだけは虎慈様も教えてはくれなかった…」
「えっ!?聞いていないの…?」錫はガックリとうなだれてしまった。「結局私は何も解らないままここで無になってしまうのかぁ…」虎は〝諦めるな〟と錫を励ましてやりたかった。しかしそれはあまりにも空虚な言葉で、とても口には出せなかった。この牢に限っては、抜け出せる可能性などないのだ。
「秘宝を何に遷したかは知らんが、せめて夢のからくりを教えてやろう」
「あっ…うん!」錫はそれでも充分だった。
「虎慈様は念を送ってお前に夢を見させていた。そうして短歌の意味が紐解けるヒントを与えていたようだ」
「そうだったんだ…。でも一つ謎が解けると同じ夢は見なかったの。…どうしておじいちゃんは牢中で私の状況を把握できたのかしら?」
「虎慈様は狡狗の情報にいつも耳を傾けて、お前の動きを察していた。そして最後の夢をお前に送った後、私を包み込んだまま無になられた。…本当に少し前のことだ…」
「そうまでして秘宝のことを教えてくれていたのに…私はこの有様…」
「いいや…お前はよく頑張った…。願わくばお前をここから出してやりたい…」
「ありがとう、おじいちゃん…。ねぇ…この牢が絶対通さないものは霊気だけよね?」
「ああ、他のものはなんでも通す」それを確かめてから錫はニッコリ笑って叫んだ。
「聞いてたんでしょ、浩子!?」その問いかけに、少しだけ間を空けて返事が返ってきた。
「ごめんなさい…。でも聞いてたんじゃなくて聞こえてきたの…」
「虎慈様が無になってしまわれたなんて…。我々四天王の中で最も強く勇敢な方だったのに…」智信枝栄は隣の牢から悲しげに呟いた。
「我々四天王!?ということは浩子が四天王の一人…。そうすると、おじいちゃんに錫雅と…あと一人いるのよね?」
「えぇ…行方不明の霊神がね…。スンと私は白の四天王の中でも特に若いの…といっても人間界からみれば気の遠くなるような年だけど…。そして虎慈様ともう一人〝照陽龍社王尊〟は遥かに年が上だった…」
「ま、また舌を噛みそうな名前だね…」
「ふふふ…普段は〝龍社王〟と呼ばれていたわ。虎慈様より年は上だったけど、その実力は〝霊力・知力・品格〟どれ一つ取っても虎慈様には敵わなかった…」
「それが行方不明になった理由…?」
「それは分からない。私が四天王になったばかりの頃、いつの間にか忽然と姿を消したの…」
「無にされたとか?」
「それは考えられない…。あれほどの霊神を無にする強い霊気を発したなら、誰かがその気を感じているはずだもの」
「そうなのかぁ…」
それから暫く沈黙があった。「ねぇスン……。あなたのおじい様は間もなく無になるわ…。私達も何年かすれば無になる運命よ。けれど…けれどあなたの肉体はそう長くは持たない…。だから今のうちに大事なことを伝えておきたいの…」
「な、何?」錫はそれを聞くと、本当にすべてが終わってしまう気がして恐かった。けれどもそんな錫の思いをよそに、智信枝栄は思いの丈を伝え始めた。
「錫雅様…この智信枝栄、あなた様を心から尊敬しておりました。お姿は見えずとも、こうしてあなた様のすぐ側で無になれるならば本望でございます。そして…そして…私が無になりましても、あなた様を愛するこの心は…この愛だけは決して消えたりはいたしません!」正直錫はこの告白に戸惑いを感じた。だが何十年、いや──もしかすると何百年越しかの恋を、本当は本来の錫雅尊に告白したかったに違いないと、智信枝栄の心中を察するのだった。
「これでもう思い残すことはありません……錫雅美妙王尊様」
「そなたの思い──確かに受け止めた。けれども…そのような大切な告白をこのような場所でさせてしまった私を許してほしい…」それが乙女心を痛いほど理解できる錫のせめてもの言葉だった。
「いいえ…こんなことでもなければ、あなた様に恋心を告白するなど永遠になかったでしょう…。このような機会を与えてもらえたことを逆に感謝しています…」錫は智信枝栄に霊神としての風格を感じた。
Ⅴ
香神虎の魂は、もう返答することさえ難しくなっていた。無になるのも時間の問題だが、錫はそれを黙って見守ることしかしてやれなかった。自分も虎慈尊のように、霊気を分け与えようとしたのだが、錫の魂は人間に生まれ変わって存在しているため、霊気を分け与えることができないと智信枝栄に教えられた。
錫は天と地の秘宝だと思い込んでいた二つを抱えて、また一人涙を流した。二人の祖父を助けられなかったのも、浩子を助けられなかったのも、すべて自分のせいだと自らの未熟さを責めた。情けなく歯がゆい、辛く悔しい。複雑に絡み合う感情を抑える術が見つからなかった。更に暗く寂しい牢獄という化け物は、錫の精神を暗鬱の世界へと容赦なく引きずり込もうとしていた。そのまま気持ちを委ねれば、どれほど心が軽くなるだろうかと思った。けれど、いしの安否や親への思い、自分を取り巻くすべての者達を失望させる結果となってしまったことを考えると、安易に自分だけ楽になることが、いかに狡い責任逃れなのかと言い聞かせて自制するのだった。その心の強さが芽吹いた時、錫は一つ悟ることができた。
──「絶対に逃げ出せないこの牢獄…。でもそれは誰が決めたの?自分がダメと諦めたその時から本当にダメになるのよ。たとえ…たとえこの牢獄が絶対に逃げ出せない牢獄だったとしても、私が諦めない限り絶対にはならないんだ」自らの概念が生み出した〝諦め〟を取り払うと、忘れかけていた希望と勇気が湧いてきた。
──「この狭い牢獄で、私が今やるべきことはなんだろう…?」錫は手にしていた二つの秘宝を合わせて〝錫杖〟にすると、〝ギュッ〟と抱きしめた。
「私がやるべきことは…本物の秘宝を探すことより他にない。そしてその手がかりは…おじいちゃんが残してくれた夢の記憶だけ。秘宝が手に入ろうが入るまいがそんなことは関係ない…。秘宝の正体をはっきりさせることが今の私の使命!」言葉に出して自分に発破をかけた錫は、どこで秘宝を取り違えたのかを今一度考え始めた──。
老いたる身 支えし足は頼りなく
孫と娘で力みなぎる
──「どう考えても孫は〝錫〟、娘は〝杖〟のはずだ。何度も見た夢がそう答えを導き出してくれた…」堂々巡りだったが、錫は諦めずに二つの秘宝に辿り着くまでの過程を、繰り返し繰り返し思い返してみた。
最初に見た夢は机の引き出しにプレゼントが隠されている夢だった。そこから写真立てを見つけたことで同じ夢は見なくなったが、替わりに扉の夢が始まる。一番最後の夢でも虎は扉のことを気にしていたけれど、扉の謎が解けたのならその二つを正しく合わせろと教えてくれた。最初は本の扉から行き着いた〝領巾〟が秘宝だと勘違いしていたから、先に見つけていた〝杖〟と合わせても何も起こりはしなかった…。扉の謎を振り出しに戻して調べていると、今度は神前の扉に行き着いた。扉の中には天の秘宝の在処を記したメッセージが隠してあったので、今度こそ夢に見ている扉がこの扉に違いないと確信した。
そして先に見つけていた〝杖〟の夢に至っては、最後に見た夢以外はずっと登場し続けている。だが、それについては何の不思議もない。それまで杖は見つかっていなかったのだし、見つかった途端、夢に見なくなったということは、〝杖〟が正しい物だったという何よりの証だ。
──「本当に間違っている…?いいや…間違ってるから今ここに本物の秘宝がないんだ…」それからまた錫は何回となく思い返してみた。それでも新しい何かが見つかるわけではなかった。
「おじいちゃん…錫は絶対に諦めません。だから何が間違いなのか気づかせてください」錫は机の引き出しから見つけた虎の写真の顔を思い浮かべながら祈った。穴が空くほど幾度も見た錫と二人で写っている写真だ。背景、着ている服、顔の表情、すべてが瞼に焼き付けている。
──「おじいちゃん…何が間違っているの?…ねぇ、おじいちゃん…」
「あっっっっ!」閃きはいつも一瞬だ────。
「最後の夢はおやつのアメ玉から始まった。その後、御扉から《飴は遺品にある》と書かれたメモが見つかった。〝飴〟は〝天の秘宝〟を意味していると解いて全てがスッキリと収まった。だから重要なのはアメ玉というキーワードであって、その続きの会話は、たわいないやり取りだと思っていたわ…。──〝干し柿を食べさせておくれ………必ずだぞ〟──生前おじいちゃんは干し柿が大好きだったから、それも相まってこのやり取りにメッセージ性を感じなかった。けれども写真が…あの写真が…なんの変哲もないこの夢の意味を教えてくれた…」隣の牢では一人きりの智信枝栄が、一言も口を挟むことなく錫を見守り続けていた。




