第十八章──行方
行方
Ⅰ
狡狗は白の国の住人に片っ端から取り憑いていた。しかも一体の魂に数体の狡狗が取り憑き霊気を吸いつくす卑劣な手段だ。そうやって徐々に白の国を侵略するつもりでいるらしい。
「うろついてる狡狗だけでもすごい数ね…」錫はブルッと身震いした。
「スン…奴らこっちに気づいたわよ…。一斉に襲って来るから気をつけて…」智信枝栄がそう言い終わる前に、狡狗がどんどん群がって来た。
「いやぁぁぁ~~……来ないで来ないでぇ~~」錫は慌てて智信枝栄の背中に隠れたが、たちまちぐるりと囲まれてしまい、後ろから丸見えの状態だ。
「うぅ~~…コワいのですぅ~…」完全に尻込みしている。
「しっかりして!ほら…狡狗の方がビビッてる」錫達の霊力が欲しいものの、その力があまりにも強すぎて、狡狗はそれ以上近づけないでいた。
「行くわよスン…」智信枝栄は手の平に霊気を溜めると、狡狗目がけてその霊気を放った。十体ほどの狡狗が一度に吹き飛ばされて、ドロドロとした塊になった。
「ひゃ~…浩子やるぅ~!」感心している錫をよそに、智信枝栄はもう次の霊気を溜め込んでいた。
「スンも晶晶白露を使って早く加勢して」
「わ、分かった」錫がぎごちなく晶晶白露を振り上げようとした時いしが叫んだ。
「ご主人様、敵の数に惑わされんでください。日頃の鍛錬を思い出して戦ってください」
「うん…いし、ありがとう!」精神を統一させた錫は、晶晶白露を逆手に持つと、狡狗の懐まで素早く間合いを詰め、次々と斬りつけた。
錫はリスのような俊敏さに自分でも驚いた。刃にうたれた狡狗は邪身玉となって転がっていく。ざっと千体を倒して漸く周りに狡狗がいなくなったのも束の間、智信枝栄は錫に容赦なく言った。
「スン、もう一頑張りするのよ。さぁ、集鬼鈴を一振りして!」
「ほ、本気で言ってる?…狡狗が群がってくるよ?」錫は半泣きだ。
「白の国の一大事なの…民達を助けるのよ。さぁ早く!」
「う、うん…」智信枝栄に押されて、錫は集鬼鈴を出現させると左手に握って大きく一振りした。
シュウィ─ン…ウィ─ン…ゥィ───。錫の霊力が強くなったせいだろうか──集鬼鈴の音色は以前より遥かに美しく響いた。その余韻を楽しむ間もなく、それまで白の国の民達に取り憑いていた狡狗が一斉に飛び出して向かってきた。
「うわぁ~!さっきよりわんさかだよぉ~」
「頼んだわよ、スン」智信枝栄は錫を気づかいながらも霊気を溜め込んだ。必死で民を守ろうとする智信枝栄の姿を見て、錫も意を決して狡狗の群に切り込んでいった。晶晶白露の刃に狡狗は次々と邪身玉に封印されていく。しかし中には、晶晶白露を簡単に躱してしまう厄介な狡狗もいた。
「ジジジ…オレさまはこいつらとは違うぞ」一筋縄ではいかないその狡狗は、不敵な笑みを浮かべ、いつの間に取り出したのか、青白く不気味に光る鞭を手にしていた。
「キサマにこの鞭を見舞ってやろうジジジ」狡狗の振り上げた鞭は唸りを上げて錫に襲いかかった。錫が斜め後ろに高く体を躱すと、鞭は虚しく空を切った。
「このワイヤーアクション、やっぱり最高!」錫は宙に浮いたまま喜んでいる。
「キサマがその気ならアイツを狙ってやる」狡狗は標的を智信枝栄に変えた。
「浩子、危ないっ!」大声で叫んだが、智信枝栄は攻撃の手を緩めない。背後にいる狡狗は容赦なく鞭を振り上げた。
「浩子ぉ──!」錫はもう一度大声で叫んだ。それでも智信枝栄は体を躱そうとしない。万事休す──錫がそう思った瞬間、智信枝栄は溜め込んでいた霊気を鞭に投げつけた。互いにぶつかり合った霊気は相殺され、鞭は智信枝栄に当たる寸前で消滅した。
「すっごーい!浩子ってば振り向きもしないで………カッコイイ~!」
「感心していないで早く狡狗を退治して!」
「そうだった…」宙に浮いていた錫は、すかさず晶晶白露を握り直すと、狡狗に向かって急降下し、そのまま突き刺そうとした。だがこれもヒラリと躱された。それから何度か試みたが、どうしても刃を突き刺せない。けれども錫はあることに気づいた。
──「おや…?こいつ必ず左に体を躱してる…。左手に短刀を持ってる私には不利なんだ…──よしっ!」
錫はあえて狡狗の正面に立つと、両手を組んだ形で晶晶白露の刃を下に向けて握り、右手と左手のどちらが主導権なのかを分からなくした。その状態のまま頭上高く晶晶白露を振り上げると、狡狗に間合いを詰めていった。錫の目論見どおり狡狗が体を左に躱すと、錫は透かさずを右手で晶晶白露を握り、勢いよく振り下ろした。一旦は空を切った晶晶白露だったが、錫が体を右に移動しつつ、そのまま右手を真横に伸ばすと、今度は狡狗の胸元を確実に捕らえた。
「キサマ…」苦しむ狡狗を眩い光が容赦なく包み込む。ところがあと一歩──邪身玉と化す寸前で狡狗は光を弾き飛ばした。
「力不足か…」錫は霊力の未熟さを認めざるを得なかった。
「ジジジ…この勝負はお預けだ…狶狶様の名を覚えておくがいい…」狡狗が逃げるように立ち去った後、錫は自分の失態を智信枝栄に詫びた。
「スンが謝ることないわ。それより私はこのまま奥に進んで、もう一暴れしてくるから、スンは一足先に帰ってちょうだい」
「えっ!?…私も行くよ」
「スンはこれ以上は駄目よ…。その代わりいしをお供にさせてもらっていいかしら?」いしは錫の目を見て無言のまま頷いた。
「決まりね!心配しないで…この国では私も存分に力を発揮できるから」
「うん…そうだね。いし、浩子を頼んだわよ」錫は後ろ髪を引かれる思いで一人帰路に就いたのだった──。
Ⅱ
部屋に戻った錫は、すぐさま死んだように眠っている自分の肉体に霊体を重ねた。
「あぁ~…体が重い…」ポツリと呟いた。
遠い遠い異国から帰ったばかりだが、のんびりしてはいられない。浩子達が帰って来るまでに、短歌と夢とをヒントに、もう一つの秘宝を探し出したいところだ。
鈴子からもらった杖を手に〝あんたのお友達は何処にいるんだろうね…〟と呟きながら、非力な自分を歯がゆく感じている錫だった。
「錫…まだ寝てるのかい?」ドア越しに声をかけたのはミツだった。
「うん…ちょっと待って…」今の今まで寝ていたそぶりで錫はドアを開けた。
「おはよう。あんた元気なのかい?」
「おはようおばあちゃん。元気だよ…どうして?」
「夜中にも来たんだよ。だけどいっこうに返事はないし、鍵が掛かっているから入れないし…体調が悪いのかと思って心配してたんだよ…」
「そ、そう…疲れて熟睡してたんだな…きっと…」錫は鍵を掛けておいて正解だったと胸を撫で下ろした。「それで…どうして夜中に?」錫はミツの腕を掴んで、部屋に誘いながら尋ねた。
「実はね、うちの人は亡くなる前に鈴子に杖を渡しているんだよ…」
「……………?それで終わり?」
「終わりだよ…あれれ…あんまり嬉しい情報じゃなかったかね…?」
「おばあちゃん──これ…」錫は杖をミツの目の前に差し出した。
「おや…これはどうしたことだろうね?」
「ゆうべお母さんから貰ったの…」
「おやまぁ、思い出すのが少し遅かったようだね、ふっふっふ…」
「ねぇ、おばあちゃん…」
「なんだねぇ…いつも明るい錫がそんなにしょぼくれてさ」
「私は何もかも周りの人達に頼ってばかり…。それに自分で探し出した物なんて一つもない…。集鬼鈴は気障りお婆さんの言われるままにしていたら出てきた道具。いしだってお婆さんなしでは出会えなかった…。晶晶白露が自由に出せるようになったのもお婆さんに教えてもらった修行の成果。領巾だって須勢理毘売様から貰った物だし、この杖だって…」
「頼れる人が周りにいるのはありがたいことじゃないか?素直に喜びなさい」
「でも…」
「あんたが一生懸命だから、みんなも力を貸してくれるんだよ…。教えてもらうことは悪いことかい?みんなが支えてくれるのが、そんなに情けないことかい?」
「そ、そうは思わないけど…」
「大事なことは、そのことを忘れないことじゃないかね?あんたは修行も兼ねてこの世に生まれて来たと〝自称神様〟が教えてくれたんだろ?多くの人達に育てられて錫が成長した時、その人達に…いいや、もっともっとたくさんの人達にご恩返しをすることが錫の役目──〝自称神様〟のいう修行とはそういうことじゃないのかね?」
「…いいんだよね?みんなに支えてもらって…教えてもらって…それでいいんだよね?」
「いいんだよ、それでいいんだ!──虎さんは娘の鈴子に付けるはずだった名前をやめて、わざわざあんたに与えたんだよ。それは錫雅尊を意味する名前──錫が錫雅尊の生まれ変わりだからなんだろ?錫…もっと胸を張りなさい!」
「ありがとうおばあちゃん…大好きだよ!」ミツは錫にとって歩むべき方向性を示してくれる指針でもあった。
「私も錫が大好きさ」ミツが優しく体を抱きしめてやると、錫はうっすらと涙を浮かべた。そうして安心した錫は、ミツの懐で深い眠りに落ちていった。
○
「錫…おいしいか?」
「うん!アメちゃんだいすき!おじいちゃんにもあげる」
「いらんよ。おじいちゃんの好きなおやつは干し柿だ…ははは」
「え~…?へんなの…」
「ははは…後で食べさせておくれ…必ずだぞ」そう言って虎は錫の頭を優しく撫でた。
「そんなの売ってないもん…」
「売ってなくても、ちゃ~んと干してあるんだよ」錫は虎のおやつのことより飴玉に夢中だ。
「ところで錫…扉の中のプレゼントをなかなか渡してやれないな…」
「もう貰ったよ!」今まで幼かったはずの錫は、いきなり十八歳に成長していた。
「本当か?…もしそうなら二つを正しく合わせることだ…」
「二つを正しく…?──おじいちゃん答えが解ったわ」
「錫…元気でな…」
「おじいちゃん…おじいちゃん、どこに行くの…待って…」初めて虎は杖をつくことなく、錫に背を向けて去っていった。
○
──「また夢を…」汗で背中が湿っている。ミツの姿もなく、どうやら何時間も眠っていたようだ。
「疲れてたのかな…?でも答えが解ったわ」急いでキッチンに行き、冷蔵庫から冷えた炭酸ソーダを取り出して目が血走るまで喉に流し込んだ。頭と体が〝シャキッ〟とすると、また部屋に戻って杖を床の上に置いた。
「とうとう秘宝が完成する!」錫は精神を集中させて領巾を取り出すと、大きく深呼吸して逸る気持ちを抑えた。
「ここからが問題…。おじいちゃんは〝二つを正しく合わせろ〟と言った…。その二つとは〝杖〟と〝領巾〟の他にない。一つは質量のある杖…もう一つは物体のない領巾。この二つを同じ条件で合わせることが…すなわち二つを正しく合わせること…。それには物体である杖から中身を取り出してやればいい…」初めての試みだったが、錫は苦心することなく杖の中身を取り出し、質量のない杖を作り出した。言わば杖の魂だ。
「やったぁ~、錫ちゃん天才!」一人で大喜びしているがまだ終わりではない。いよいよ杖と領巾とを合わせる段になって、急に体が震え出した。「ドッカーンもビリビリもないよね…?コワイなぁ…」けれどこのまま放っておくわけにもいかない。「よし!香神錫…イッちゃいますぅ~!」怯えているわりには軽いかけ声で杖と領巾とを合わせてみた──。
「…………あれ?へんだなぁ…」変化がない。振ったり叩いたりと、いろいろ試してみたが、少しの霊気さえ感じられなかった。さっきまでの元気はどこへやら。またしても錫は自信喪失だ。バンザイして手をぶらぶらさせていたが、何を思ったのか〝すっく〟と立ち上がり部屋から飛び出して行った。
「こうなったら〝困った時の神頼み〟」錫は神前の広間へと向かった。龍門は外出中のようだ。これ幸いと神前に座り込むと声を出して願い始めた。
「〝自称神様〟…お久しぶりです。香神錫です…あっ、いえ…錫雅です」神頼みというより挨拶をしているようだ。
「あのぉ~…見つけろと言われている秘宝が見つかりません…。何かヒントがありませんか?どうかご利益をください。ねっ、このとおり!」錫は両手を擦りつけて願ってみた。まるで禁止されている外泊を許してもらおうと、親を必死に説得しているように見える。
それからずいぶん願ってみたが〝自称神様〟から返事などない。仕方なく錫はトボトボと部屋に戻りベッドにへたり込んだ。その瞬間、何かに思い当たって再びドタドタと広間に戻って行った。
「どうして気づかなかったんだろう」自分の注意力の散漫さを情けなく思いながらも、今度こそ間違いないと大きな期待を抱いた。
「絶対これだ!間違いない…」錫は神前の正面に設えてある御扉の前に立った。「大晦日に掃除した時も全く気づかなかった。こんなに目立っているのに…。そう…これは〝自称神様〟のご利益に違いない。〝自称神様~〟ありがとう!」錫が大声でお礼を言ったその時だ。
「聞こえますか…?」
「えっ、誰!?〝自称神様〟…?」
「聞こえますか?ご主人様…わたくしです…」
「…いし…いしね?どこ?どこにいるの?」
「今ご主人様のところへ戻っている途中です。もうすぐ着きますけん」
「そうなのぉ?いし、もう一つの秘宝の在処が分かったから早く戻って」
「はい…戻りましたです!」
「はやっっっ!」いしはもう錫の足下にちょこんと座っていた。狡狗と戦っていたせいで、傷を負い霊気が弱まっている。
「あんた大丈夫?……それに浩子…浩子は?」
「ご…ご主人様…それが……………」
「どうしたの?」いつもと違ういしの態度に錫の顔色が変わった。
Ⅲ
「オレ様の言ったとおりだろう?どんなに勇猛でも多勢に無勢では勝ち目がないのだ…ギシシ」大きな黒岩のイスにどっかりと座って狡狗はニヤついた。
「さすが醜長様…。で、こいつをどうします?」
「もう一つの牢に入れておけ。使いっ走りの狛があの女を連れて来るまではな…」
「へい!しかし一人で戦おうなんて…こいつもバカですね?ヒヒ…」
「身のほど知らずとはこいつのことだ…」特殊な霊気を纏った縄で縛られた智信枝栄は、無言のまま狡狗を睨みつけた。
「こいつめ…なんて憎たらしい目だ──おい、鞭をよこせ…」ガバッと立ち上がると、脇に立っていた小柄な狡狗に命令した。
「醜長様、こいつはもうくたばりかけてますぜ…これ以上叩いたら無になります。そうなったら都合が悪くないですか?」
「……ちっ……助かったな?」醜長は仕方なく、また腰を下ろした。
「さっさと無にしなさい。どうせ他人の魂など、なんとも思っていないのでしょう?」朦朧とした意識の中で、智信枝栄は自分の信念を貫いた。
「オレさまは寛大だからもう暫く生かしておいてやる。何しろお前は宝物をおびき寄せる餌だからなぁ」醜長は不敵な笑みを浮かべた。そのねちっこい喋り方と、下から上へ舐めるような視線に智信枝栄はゾッとした。
「お友達が来るまで牢でおねんねしてろ。隣の牢には先客もおるわ。だがこの牢では余計なことは考えないことだ…ギシシシ」
智信枝栄が牢の前まで連れて来ささると、小間使いの狡狗は言った。
「これはただの岩穴じゃねえ。格子の代わりの薄い膜は内側からの霊気を一切通さない優れものだ…ニニニ」狡狗はそれだけ伝えると智信枝栄の背中を強く押した。いきなり押された智信枝栄は、岩穴の奥へと転がった。膜は岩全体を覆っているらしいが、どれほどの優れものなのかは分からない。試しに外に出てみようとしたが、まるでアクリルガラスに〝バシン〟とぶつかったような感覚で、どうすることもできなかった。
「ダメか…」智信枝栄はじたばたせずに座り込んだ。すると隣の牢から気配を感じた。
──「霊気は通さないけど、念は通じる…」そう気づいた智信枝栄は、早くも隣の牢の先客に念を送っていた。
「私は智信枝栄…あなたは?」返答はない。もう少し強い念を送ってみることにした。「あなたは虎慈様ですよね…?」すると微かに反応があった。
「ち…ぃ…が…」
──「聞こえた…。はっきりは聞き取れなかったけど〝ちがう〟って聞こえたような…」それから何度か念を送ってみたが、隣の牢から返事が返ってくることはなかった。
Ⅳ
白の国から戻ったいしは、錫に智信枝栄のことを説明した。
「ご主人様と別れてから、智信枝栄殿は一人で奥へと向かわれました。狡狗は次々と白の国に送りこまれるので後を絶ちません。さすがに智信枝栄殿の霊力が衰えたところに、厄介な狡狗が二体同時に現れて鞭を食らってしまわれました。わたしくもなんとか食い止めようとしたのですが、力が及ばず助けることができませんでした。何度も鞭に打たれ抵抗できなくなった智信枝栄殿は奴らに捕らえられ、そのまま拗隠の国に…。ご主人様…いしは役立たずで情けない狛犬ですけん…」
「あんただってひどく傷ついているじゃない…。自分を責めちゃダメだよ…」錫に慰められたいしだが、今度ばかりは、なかなか立ち直ることができそうになかった。
「そして…狡狗が智信枝栄殿を連れ去る時〝こいつを助けたければ、もう一人の仲間に宝物を持って来るよう伝えろ〟そうわたくしに言い残したのです…」
「もう一人の仲間──つまり私だね…」
「こんなことを伝えるために…わたくしはのこのこ戻って来たのです…」自分が許せないいしは、頭を垂れたまま上げようとはしなかった。
「………………。行くわよ…いし……拗隠の国へ!」
「ご主人様…それでは奴らの思う壺ですけん」
「浩子をこのまま放っておけるわけないでしょ!?」
「そ、それはそうですが…しかし」
「それに、あそこにはおじいちゃんだって捕らえられているの…」
「ご主人様…」勇み足なのは分かっている。正義感の強さは錫雅尊そのものだといしは思えてならなかった。「分かりました。ご主人様…参りましょう…」主人の身を案じて躊躇していたいしだったが、自分が忠誠を誓った主人を信じて最後まで就いてゆくのもまた忠誠心だと思った。それに今拗隠の国に行くことがどれほど無謀なことかを伝えたところで、それを聞き入れるような主人ではないことも、いしはよく分かっていた。
「けど出発前に一つだけしておくことがある…。いし…とうとう見つけたの──やっぱりあったのよ…他にも扉が…ほら、ここにね!」今までのシリアスな雰囲気は何処へやら──錫は得意気に神前の御扉を指さした。
「さすがご主人様。いしは信じておりましたですけん」戯けた調子の錫を見て、確信があるのだろうといしは見て取った。
「ちょうど今はパパが居ないの…。そっと開けてみるわね…」錫は御扉に近づくと、引っ掛けてあった鍵金具をくるりと回して外し、向かって右側の扉に両手をかけた。
「い、いくわよ…」小さい頃、母親の使っていた口紅を使ってみたくて、化粧台の引き出しをドキドキしながら開けた感覚によく似ていた。
恐々とゆっくり扉を引くと、木と木が擦れ合って〝ギギギギギー〟と、広間全体にきしんだ音が響き渡る。これが神事ならば神々しくありがたいところだが、今の錫にとっては迷惑な音でしかなかった。
片方の扉を完全に開けきると、もう片方の扉も同じようにゆっくりと開いていった。そうやって二つの扉は両方とも外側を向く形で完全に開かれた。すぐさま中を覗けると思っていた錫だったが、手前には御簾がかかっていて、そう易々とは拝ませてもらえない。それが一段と錫の鼓動を高鳴らせるのだった。錫は御簾を両手でくるくると向こう側に巻き上げ、上部の左右に付いている〝しの字〟の形をした二つの釣金具に、巻き上げた御簾が落ちないよう引っ掛けた。
「いし…中を覗いてみるよ…」扉は錫の頭とほぼ同じ高さにある。錫はそのまま頭を突っ込んで、薄暗い扉の中を覗き込んでみた。「もう一つ小さな社がある。これにも扉があるわ…」
「ご主人様…開けてみるのですか?」
「もちろん!こうなったらなんだってやるわよ」躊躇せず社の小さな扉を開けてみると、中には長方形の紙が納まっていた。手に取ってみると半紙を折りたたんだものだった。
「これはご神体というやつでしょうかね…?」
「うん…。開けても罰なんか当たらないよね…?」そう言いつつ、もう半分以上開けている。「…あっ!いしこれ見て!」包みの中にはメモ用紙が一枚入っていた。
錫へ
飴は遺品にある
虎
──「おじいちゃんのメモだ…。夢にも飴…このメモにも飴──遺品から探すものは飴…?浩子は二つに分けた秘宝をどんな物にでも移せると言ってたけど──まさか飴がもう一つの秘宝?…あめ…あめ………いし行くよ!」錫は急にメモ用紙をポケットに突っ込むと、その場を元どおりにしてドタバタと出て行った。
Ⅴ
屋根裏の物置にはダンボールが山のように積んであった。
「錫ちゃん閃いちゃった!あの夢はやっぱりメッセージだったのよ。〝飴〟は〝天〟に掛けているに違いない。そうすると、先に手に入れた杖が〝地〟だったということよ」
「なるほど──〝天は遺品にある〟ですね。つまり秘宝は、おじい様の遺品が入ったこのダンボールの中に…」
「そうね…ってちょっと待ってよ。遺品ったって相当の数だよ。この中からどうやってお目当てのモノを見つけるの?」
「ご主人様、差し出がましいですが方法は二つあります」
「許す!いし、端的に述べよ!」錫は左の人差し指をピンと立てて、わざと偉そうな物言いをした。
「はい、では…。一つはご主人様が夢と短歌の謎を完全に解き明かすことです。もう一つは遺品の一つ一つに杖を引っ付けてみることです…」
「じゃ、答えは簡単──後者だね」笑って即答した。
「わかりました。いしはご主人様の言われるままに…」確かに錫の選んだ答えは正解だといしは思った。けれどもはっきり〝私もそれがいいです〟と答えるのは、まるで〝錫では謎を解くのが困難だ〟と言っているようで気が咎めた。もちろんいしにそんな気持ちは毛頭なかったが、錫の自尊心を傷つけまいとするいしの紳士的な対応だった。けれど錫もそんな細やかないしの思いに気づいていて愛おしいと感じていた。
「そうと決まったら部屋から杖を持ってこないと…」引っ掻き回したダンボールをそのままに、錫といしは部屋へと急いだ。
錫といしが一歩部屋に入るなり、二人は同時にあることに気づいた。
「いし…おかしな気配がしない?」。「やはりご主人様も…?」
「これってまさか…」。「そのまさかですよ…ご主人様…」
「狡狗…?」。「はい、間違いありませんですけん」
「でも姿が見えない…」。「もう立ち去った後でしょう…」
「…奴は何をしに現れたんだろう…?」錫は何かを考えていたが、突然部屋の真ん中に置いてあった杖を手に取ると顔面が蒼白になり、その場でへなへなとへたり込んでしまった。
「ご主人様…ど、どうなさったのです…?」あまりの錫の消沈ぶりにいしの方が戸惑った。
「いし……わ、私…取り返しのつかない過ちを…」
「ご主人様…だ、大丈夫ですか?」いしは訳が分からずオロオロするばかりだ。
「盗まれたのよ…」
「えっ!?」錫のただならぬ態度に、何が盗まれたのかは察しがついた。
「私は天然で単純な女なのよ…。注意力も散漫だし、ドジでマヌケよ…」
「ご、ご主人様…そんなに自分を責めてはなりませんですけん…」
「だって…〝自称神様〟に秘宝を守るのが私の使命だって言われていたのよ。なのに…こんなに簡単に盗まれるなんて…」錫はほとほと自分が情けなかった。「…見ていし…この杖を…。死んでしまっているわ…。さっき杖の中身を抜き出して、領巾と引っ付け合わせてみたの…。でもそれが失敗だったと分かった私は、杖の中身をほったらかしてそのまま部屋を出て行ったのよ…」
「ご主人様が中身と仰っておられるのは物魂と呼ばれるものです。人の魂と同じで、物に宿っている魂なのです。狡狗はご主人様が居なくなったのを見計らって、杖の魂をかっさらって行ったのでしょう」
「どうすればいいんだろう…。ねぇいし…どうすれば?」
「選択肢は無くなりました。一刻も早く遺品の中から〝天〟の秘宝を見つけ出して拗隠の国に行き、智信枝栄殿とおじい様を解放してもらうのです」
「そ、それって秘宝を渡すってこと…?」
「仕方がありません…人質と交換なのですから…」
「敵に秘宝が渡れば、白の国が滅びるかもしれないんだよ?」
「背に腹は替えられません。あの方達を見殺しにはできんですけん…」
「あ~…私はやっぱりバカよ。秘宝を見つけたとしても敵に渡さないといけないなんて…」
「ご主人様…」いしは落ち込む錫を見ていられない。
「いし…悪いけど暫く一人にしてくれる?今から〝天〟の秘宝を見つけ出して、明日必ず浩子とおじいちゃんを助けに行くよ!」錫の強がりは、いしの心を突き刺すばかりだ。
──「ご主人様のご心痛……いしは気の毒でならんですけん…」いしは何もできない自分を歯がゆく感じつつ、錫の前から姿を消した。
錫は部屋のカーテンを閉めて灯りを消した。雑念が入らないように両耳にやわらかい耳栓を詰めると、床に座って目を閉じた。
そうして精神を落ち着かせると一から整理し始めた──。
老いたる身 支えし足は頼りなく
孫と娘で力みなぎる
──「お母さんも私も、おじいちゃんの杖代わりになっていた。そういう意味では〝孫と娘で力みなぎる〟というのは納得できる。そして夢では、おじいちゃんはお母さんに杖を預け、現実でもおじいちゃんは亡くなる前にお母さんに杖を預けていた。杖の話はなぞなぞでも登場することから考えると、まず秘宝の一つが杖なのは間違いはない。でもそこからが問題…。この短歌からもう一つの秘宝をどうやって見つけ出せっていうの…?」眉間に深いシワをよせて、〝天〟の秘宝を見つける取っかかりがないかを考えたが早くも躓いていた。。
──「そうだ…どうして孫と娘なんだろう?孫や娘じゃダメなんだろうか…?そう言えば杖が見つかったと浩子に話をした時、たしかあの子はこう言ってたわ『娘や孫が支えてくれて力がみなぎる…即ち二人が杖代わりってことだね』と…。私もその時はさらっと聞き流したけど、あれは浩子の解釈だ。実は〝と〟と〝や〟の違いには深い意味があるのかもしれない。…つまり〝孫や娘〟なら、どちらか一方でも構わない解釈になる。だけど〝孫と娘〟なら、両方が揃って初めて力がみなぎるということだ。つまり〝孫と娘〟は〝何かと何か〟──即ち〝天と地〟を意味してるんじゃないのかなぁ?」
「ふぅ~…」息を吐いて肩の力を抜くと、錫は再び頭を回転させ始めた。
──「ややこしいのはこっから…。今まで意識してなかったけど、〝と〟に焦点を合わせてみると、〝孫〟〝娘〟がはっきり浮き彫りになる。〝孫と娘〟は一括りじゃなくて別々だと考えたらいいんだ。まず一つ目のキーワードは〝娘〟。…夢でも現実でも、おじいちゃんは〝娘〟であるお母さんに杖を預けたことから考えて〝娘〟=〝杖〟と当てはめていい。そしてもう一つのキーワードは〝孫〟…これは私だ。私は夢でも現実でもおじいちゃんから預かった物はない…。そうなると〝孫〟に当てはまる答えは今のところ〝X〟ということだ…」
「スゴ~い!私ってば学者みたいなこと考えてる!」自分に感心している錫だ。
──「そこで〝X〟を埋めるもう一つのヒントは夢の中の〝扉〟…。はじめはてっきり本の扉から探し当てた領巾が秘宝だと思ったけど、杖と領巾を合わせても秘宝は完成しなかった。一旦振り出しには戻ったものの、ご神前で〝自称神様〟に願ったおかげで、夢が示す本当の扉は神前の御扉だと気づいた。調べてみるとその扉の中から〝飴は遺品にある〟と書かれたおじいちゃん直筆のメモが見つかったことで、神前の御扉こそが夢の示す扉だという裏付けにもなった。これでもう一つの秘宝は、おじいちゃんの遺品の中にあるとハッキリしたわけよね…。そこで最初に見つかった地の秘宝である〝杖〟を、遺品の一つ一つに引っ付けてみて霊気がよみがえれば、それが天の秘宝〝X〟だということになる──はずだった。でも私の不注意のせいで大事な杖を盗まれ、計画はおじゃんになってしまった…。もしこのやり方が秘宝〝X〟を探し当てる唯一の方法だったとしたら万事休すということになる──だけど…」錫は大きく吸った息をゆっくりと吐き出して精神を整えた。
「…だけどおじいちゃんのことだ。必ずそれぞれの秘宝を独自で見つけ出せるヒントを残してくれているはず。そもそも杖に遺品を一つ一つを引っ付けて見つけ出そうとするやり方がインチキ臭いもん…」ならばどうやって数多くの遺品の中から、たった一つの秘宝〝X〟を見つけ出せるのか?錫は今一度夢のことを考えてみた。
「夢で私は飴玉をなめていた…。御扉から〝飴は遺品にある〟と書かれた紙切れが見つかったことで、飴が夢に出てきた辻褄は合う。わざわざ〝天〟を〝飴〟としたのは邪悪なモノに悟られないためのカムフラージュ…それは分かる。そして干し柿のやりとり──おじいちゃんは飴玉なんか食べなかったし、干し柿や干し芋は大好きだったからなんの不思議もない…」繰り返し繰り返し考えてみたが、虎の数多くの遺品から、秘宝を見つけ出すには至らなかった。
「…ダメだぁ~!」錫は音を上げてベッドにドスンと寝そべった。
もう白々と夜が明けかけている──。
「いしぃ!?……あれ?…遠くに行ってるのかなぁ?」錫は集鬼鈴を取り出し軽く一振りした。心地よい鈴の音が辺りに響き渡ると、いしがすぐさま戻ってきた。
「お呼びですね、ご主人様!」いしは大きな尻尾をちぎれんばかりに振って嬉しそうだ。「ですが…ご主人様があまり歓迎したくない奴らも集まって来ましたです…」
「へっ!?」錫が少し霊力を高めると、部屋にわんさか見たくないモノが集まっていた。「ぐぇ~!いしぃ~…なんとかしてよぉ~」
「お任せください!」いしが自分の霊力を一気に高めて円を描きながら走り回ると、たちまち霊達は退散した。
「ありがとういし。あ~あぁ……やっぱり凹むわ…所詮これが私…」
「ご主人様、もっと自信を持ってくださいませ」
「だって…今だにいしを頼って霊を追い払ってもらっている始末…。一晩寝ないで考えた秘宝の在処も探し当てることができないで完全に袋小路…。これが私なのよ…」
「ご主人様、そんなに自分を責めないでください…」
「本当のことよ…。おばあちゃんは〝胸を張りなさい〟って私を励ましてくれた。おじいちゃんが私に〝錫〟と名付けたのは私が錫雅尊の生まれ変わりだからだって…。確かにそうかもしれない…。でもやっぱり私は錫雅尊じゃない…。いしが知ってる錫雅尊はこんな情けないやつじゃないでしょ…?」
「…………………」いしはどう返答すればよいか分からなかった。
「ほら…いしだってやっぱりそう思ってる。おじいちゃんは私に過大な期待をしすぎたのよ。私はダメ錫よ…」いしは錫を慰めてやりたかったが、良い言葉が見つからず右往左往するばかりだ。
「くぁ──っ!……全部吐き出したらスッキリしちゃったぁ!」さっきとは打って変わってあっけらかんとした物言いだ。表情もやけに清々しい。
「そ、それは良かったです…ご主人様…」いしとしては錫が元気になってくれて喜ばしいことこの上ない。だが〝この気持ちの切り替えは、男には分からない女性特有の心理だ〟と内心思った。
「秘宝は見つけられなかったけど、私は予定どおり浩子とおじいちゃんを助けに行くよ。だけどその前に少しだけ寝る…霊気を蓄えておいて出発したいから」そう言ってベッドに寝そべった錫は、祖父と二人で写っている写真を暫く見ていたが、そのまま静かに目を閉じた。
錫雅尊は正義感に溢れていて、多少無謀なことでも正義のためならそれを遂行する性格だった。もちろん偶然なのだが、錫もそういう性格を持ち合わせていて、いしは嬉しい半面、気が気ではなかった。
──「秘宝を手みやげにせずして、ご主人様はどうやって人質を解放してもらうつもりだろう?まさか闇雲に斬り込んでいくような無謀な事を考えておられるのでは…?」例えそうだったとして、今の錫に拗隠の国に行くなと止めても、絶対に聞き入れてはくれないことをいしはよく分かっていた。とにかく今はジタバタしても仕方ないと思ったいしは、錫の足下でくるりと丸くなって寝そべり、主人の目覚めを待つことにした。
それから五分と経たないうちに錫は何を思ったのか、いきなり〝がばっ〟とベッドから跳ね起きると、ぽとりぽとりと歩いてドアノブに手をかけ、首だけ振り向くと、満面の笑みを浮かべていしに告げた。
「おいでいし──秘宝を見つけたわ!」




