第十六章──秘宝Ⅰ
秘宝──Ⅰ
Ⅰ
人間界に帰る道中、信枝は片時も錫から離れようとしなかった。白龍の大きな背中に乗っても、まるでバイクの後部座席に乗っているかのように、錫の腰に両手を回して体をピッタリとくっつけていた。
「信枝殿…そんなに引っつかなくても…」
「でも恐くって…うふっ。錫雅様に掴まっているとすごく安心ですぅ」対応に困った錫は、助け船を出してくれと智信枝栄をチラリと見た。けれど智信枝栄はクスクス笑っているだけで、助ける気など毛頭なさそうだ。横を見るといしまで笑っている──。錫が無言で睨みつけると、いしは頭を下げてしんなりした。
やがて一行は元の場所に戻って来た。錫は一息も吐かず、祠の中へと入って行った。
「私が生き返ったら錫雅様とはお別れ?…ならばこのままの方が…」
「ま…またすぐに会えますよ信枝殿…」。「ホントに?絶対ですか?」
「や、約束します…」。「キャ──、うれしい~!」
──「…すぐに会えるのはウソじゃないよ…。ただし錫としてだけど…」錫は信枝を騙しているようで後ろめたかったが、今はそんなことを言ってはいられない。仮死状態になっている信枝の体の前で、首に巻いていた領巾を手に持ちかえると、教わった呪文を唱え始めた。その儀式を信枝自身も見ているのが滑稽だ。
「一二三四五六七八九十 布留部 由良由良止 布留部」間違えずに言えた──果たして信枝の魂は肉体に吸い込まれるように収まり、途端に信枝の顔色に赤みがさした。
「すごーい!信枝が生き返った!」
「間に合って良かった…。さぁ、スンも早く肉体に戻って。信枝が起きる前に何事もなかったようにしておかないと」
「そうね………ってどうやって戻るの?」
「もう…ふふっ。戻ろうと意識しながら肉体に重なるだけよ」
「なんだ…簡単だね…。あれっ!?私の姿が錫に戻ってる…。あっ、浩子もだよ…」
「人間界ではスンの姿になるわ。でも意識していれば錫雅様の姿も可能よ。…そんなことよりも、早く自分の体に…」
「うん!」錫は横たわっている自分の肉体を覗き込んだ。水面に映った自分を見ているようだ。そのままゆっくりと自分の肉体に魂をゆだねると〝ズシッ〟と体の重みを感じた。次の瞬間、錫はクリッとした大きな眼で辺りを見渡していた。「…やっぱり少々重くても体がある方が安心するわ」
「そうでしょうね…」浩子の肉体に戻った智信枝栄が言った。
「…結局スンは信枝を助けたわね…。〝恐い目にあっても助けてあげないわよぉ~〟って言ってたのに…ふふふっ」
「きゃは!そうだった。信枝ちゃん…私に助けられたって知ったらショックだぞ…ホ~レホ~レ〝ツンツン、ツンツン〟」錫は眠っているの信枝のほっぺたを突っついてからかった。
「そうね…これは二人の秘密…ふふふ」信枝を挟んで、二人はやっと心から笑えた。
「そうだスン、信枝が目を覚ますまで三輪山のことを伝えておくわ」
「うんうん、伝えて伝えて!」
「この山の磐座で何か気づいたことはなかった?」
「えっ?突然そう言われても…」
「辺津磐座の夫婦岩を始めとして、他にも対の岩がたくさんあったでしょう?」
「あ~っ…そのことなら東田も言ってた。それって意味のあることなの?」
「あの対の岩々はね──秘宝を抜き取った跡なの」
「へっ!?──なんだかよく分からないけど驚いた」
「天甦霊主様がスンに秘宝だと伝えている代物はね──天地の賜り物なのよ」
「天地…?賜り物…?あ~…お願い…イヌでもサルでも錫でも理解できる説明をしてよぉ~」浩子はクスッと笑って頷いた。
白の国は、邪魔する者さえいなければ、穏やかで平和な理想郷。それに比べて人間界は意味のない争いが絶えず、肉体的な苦痛もある厳しい場所だ。それゆえに魂の修行場とされている。そんな人間界だが、白の国では絶対に不可能なものを創り出すことができる──〝生命〟だ。天が与える大いなる力を地がどっしりと受け止め、その恩恵の中でたくさんの生命が生み出され──そして育まれる。そんな天地が持つ偉大な力の中には不必要な力も混じっている。その力が徐々に集まって新たなる物を生み出す。それこそが秘宝なのだ。
「つまり副産物よ。もっと砕いて言えば──そう…豆腐を作る過程でおからができるようなものかしら…ふふっ」
「うんうん…それ分かりやすい」
「人間界には無用のその力は…なぜだかここ三輪山に集まり、大きな岩々がそれを吸収する。三輪山にある対の磐座は、どれも元は一個の岩だったの。そこに天の力と地の力が長い年月をかけて少しずつ吸収され、機が熟すと秘宝として形を変えるのよ。だけど…秘宝は取り出した瞬間から強い霊気を発するため、取り出す前に細工をしなければならないの。そうしなければ即座にその気を嗅ぎつけて争奪になる虞があるからよ。その細工とは二つに分けること…たったそれだけ。正と負、陽と陰、+と-、男と女にね。私たちはそれを〝天と地〟とに分けると言っているわ」
「どうやって分けるの?」
「それはね、最初の話に戻るのよ…。岩を二つに割るの。そうすればどちらかの岩に〝天の力〟、もう片方の岩に〝地の力〟が分かれて納まるわ」
「…ってことは、対だった岩は、どれも秘宝を取り出した跡ってこと…?」
「そうよ。岩にはいっぱい引っ掻いた跡があったでしょ?あれは岩の割れやすい場所を探した痕跡なの。その場所を霊気で叩き割るのよ」
「霊気で叩き割る…?そんなことができるの…?」
「霊気の力を侮ってはダメよ。奥津磐座は岩の頭が丸くくり抜かれたような形で割れていたでしょう?あれだって秘宝を取り出した跡だったのよ」
「だんだん分かってきたわ!で…割った後はどうやって持って帰るの?」
「核心を突いてきたわね。岩を二つに…つまり天と地とに分けて、それを何かに移すの」
「何かって?お決まりの物があるの?」
「何にもないわ…。左右の靴下とか、フォークとナイフとか、鉛筆と消しゴムとか…。もちろん関連がない物でも、二つあれば大丈夫よ」
「電池とミカンとかでも?」
「それでも大丈夫!でもね、一度岩から移した秘宝は二度と移し替えができないの…。だから食べ物みたいに腐敗する物には移さないわ」
「あっ…なるほどね!」
「そして一番大事なこと。それは…」浩子は祠の中央にある岩を指さして言った。「この対の岩の割れ口をよく見て…とても新しいでしょ?スンのおじい様が秘宝を取り出した跡よ…」錫は胸の高鳴りを抑えられなかった。
「もしかして…それが…おじいちゃんが三輪山を訪れた本当の理由?…おばあちゃんの言ってたとおり、おじいちゃんは物見遊山に来たんじゃなかった…」
「問題なのは…移した二つの秘宝をどこかに隠したまま亡くなったってこと」
「…見つける術はないの?」
「あるはずよ!必ず秘宝の在処を伝えるヒントをあのお方は残しているはず…」浩子が虎のことを〝あのお方〟と呼んだので、錫はなんとなく違和感を覚えたが、また話が脱線しそうだったので今は尋ねるのを堪えた。
「私の頭では謎を解けそうもないわ…」
「そんなことありませんご主人様。ここまで辿り着いただけでも大したもんですけん」久々にいしの登場だ。
「そうよ。なんでも気になるネバっこい性格だからこそ、ここまで辿り着いたのよ」
「………それ…素直に喜んでいいのかなぁ…?」
「もちろんよ、ふふふ…。スンは必ず秘宝を探し当てると信じているわ。実はさっき狡狗からスゴい情報を得たの…。もしかするとそっちの筋から秘宝を見つけられるかも…」
「え―─!どんな情報なの!?」
その時だ―─
「な…に?騒がしいなぁ…」信枝が目を覚ました。自ずと話は中断だ。
「信枝大丈夫?」ポワッとしている信枝を覗き込んで錫が声をかけた。
「あっ…私の錫雅さまぁ~!」錫が視界に入るなり、信枝はいきなり抱きついた。
「ぐぇ~っ…信枝やめなさいって…。ひろこぉ~どうなってるの?私錫よね?」錫は信枝に抱きつかれて慌てるばかりだ。
「大丈夫…一時的な記憶の混乱よ」冷や汗をかいていた錫だったが、浩子の落ち着いた態度に安心した。〝ぼーっ〟としている信枝に、浩子が冷たい水筒の水を飲ませてやると、頭がシャキッとしたようだ。
「…私どうしたんだっけ?…そうか、あのとき浩子と一緒に転がり落ちて…」そう呟いて信枝は二人と視線を合わせた。
「あっ、浩子…無事だったんだね?スンも来てくれたの?…二人ともありがとう」今度は信枝がスンと呼んでくれたので、錫は胸を撫で下ろした。
「ところで錫雅様はどこ?」
―─「ゲ―─ッ!うっっそ~…」安心したのは一瞬だった。
「だ、だれ…錫雅様って…?信枝ちゃんは悪い夢でも見ていたのかなぁ~?」
「あっはっははは…夢なんかじゃないわよ。死んだ私を助けてくださったの…錫雅様が…。あ~あぁ…生き返るんじゃなかった…」かなり重症だ。錫と浩子は呆れて目を合わせた。
「死んだ信枝を錫雅様っていう人が助けてくれたってわけ?」
「そうだよ。スン…あんたが錫雅様と会ったらシビれて一目惚れするよ…」
「そりゃど~~~もぉ…」まともに取り合わず、さらりと流すのが得策だ。
「錫雅様…愛しの錫雅様…」信枝の恋の炎は燃え盛っていた―─。
Ⅱ
錫たちは旅行プランどおり、奈良のホテルにもう一泊してから帰路に就いた。
帰宅した錫は、ミツと鈴子に〝詳しい報告は明日する〟と伝えて部屋に入ったが、正直鈴子に話すのは気が重かった。
浩子とは次の日曜日、錫の家でゆっくり話をすることになった。狡狗から仕入れた情報とやらが気になって仕方ない錫は、せめて電話で教えてくれと浩子に頼んだが、電話だと電波を通して聞かれる可能性があるのだと言われビックリして諦めた。
「ねぇ、いし…そこに居る?」
「はい、いしはここに居りますです」錫のベッドの下に、子犬ほどの大きさになったいしが伏せていた。
「鞭で打たれたところ…相当痛むでしょう?」
「だ、大丈夫ですけん、これくらいの痛み…」
「薬を塗ってあげることもできなくてごめんね…」
「ご主人様…なんとお優しい…うぅ…」いしは顔をクシャクシャにして泣いている。「霊体のわたくしは霊気で治癒されます。ですが、ご主人様のお心で痛みが吹っ飛びました」
「またぁ…いしったらぁ…。それにしてもさぁ…須勢理毘売様があの気障りのお婆さんだったとはねぇ…。厳密には別の魂だけど、私にとっては一緒みたいなもんよ」
「わたくしも少しの間、あの貴婦人と一緒に暮らしておりましたが、なんと丁寧で上品でお優しい方だろうと感心したものですはい」
「…本当に良かったのかなぁ…?こんな貴重な宝物をもらっちゃって…」錫は左の手に領巾を取り出して呟いた。
「あの貴婦人は…ご主人様をお気に召しておいでなのです…」いしはまだ何かを言いたそうだったが、それは飲み込んだ。
「ス──…ス──…」錫の寝息が聞こえてきた。
「お疲れですね…ご主人様…。口には出されませんが、どれほどの重圧がかかっているか…いしには分かっているつもりです…」さっきいしは〝須勢理毘売が大事な宝物を譲るということは、それだけ大きな願いを錫にかけているのだ〟と伝えたかった。けれどもその言葉が、錫に更なる重圧をかけると思うと言えなかった。それは重い荷物を投げ出しもせず、健気に歩き続けているあどけない少女への、いしのせめてもの思いやりだった。
その夜はぐっすり休んだはずの錫だったが、目覚めはスッキリしなかった。ベッドから体を起こし、胡座をかいてボーっとしている錫に、心配していしが声をかけた。
「ご主人様、なにかありましたか?」
「夢よ…また夢を見たの…」錫は胡座をかいたまま、両手で自分の太股を意味もなくパンパンと軽く叩くと、いしにその夢を話し始めた。
最初はまたいつもの虎のなぞなぞで幕を開ける。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足で歩くものはなんだ?」
「そのなぞなぞもう覚えたよ…。生まれた時は赤ちゃんがハイハイするから四本足、大人の時は二本足、年を取ったら杖をつくから三本足──だから答えは人間」
「正解。では答えを当てた錫にプレゼントをやろうなぁ」
「ホント?今日は錫の誕生日だから?」
「あぁそうだ…内緒だが扉の中に仕舞ってあるんだ。十八歳の誕生日に渡そうと思ってなぁ…」
「おじいちゃん…私は今日でやっと十二歳だよ…」
「えっ?そりゃまだ早すぎる…」虎は寂しげに首を振るといつもの台詞を口にした。
「錫や…お母さんを呼んでくれ?」錫は言われるまま鈴子を呼んだ。
「鈴子、少し休みたい…」鈴子はニッコリ笑って手を差し伸べた。
「これは用無しだ…お前が持っていてくれ」杖を鈴子に渡し、虎は手を添えてもらって部屋を出て行こうとした。
「どこへ行くの…?ここがおじいちゃんの部屋だってば…」錫が大きな声で呼び戻そうとしても、虎が振り返ることはなかった──。
「同じ夢ですね…。何が腑に落ちないのですか?」
「おばあちゃんは、夢での場面が新しくなるのは、答えが見つかって、次のメッセージを伝えているんじゃないかって…そう教えてくれたでしょ?扉の夢では、本の扉を手がかりに領巾に辿り着いて一件落着したはずよね…?」錫がそこまで話すと、いしは立ち上がって目をパッチリと開き、後ろ向きに宙返りした。
「なるほど!解決したはずの扉の夢がまた現れたのでスッキリしないのですね?」
「そう、そうなのよ!厄介なのはこれが夢ってこと…。夢は所詮夢だもん…。今までの夢はメッセージでも、今度は私が勝手に見ている夢かもしれない…」
「それは…なんとも言えんですけん…」いしは伏って、あごを地面につけた。
「もしこの夢がメッセージだったとしたら…そしてそれを無視してしまったら…謎は解けないままになる。それを考えると恐いのよ」
「では答えは簡単です。無駄だとしても、メッセージかも知れないと思いを定めて追求してみるべきですけん」
「そうよね…それが堅実よね?ありがとういし…おかげで気持ちがすっかりしたわ」
「あっ…は、はい…ども」錫に礼を言われたいしは、前足で顔を隠しながら照れていた。
Ⅲ
待ち遠しかった日曜日──錫は早朝から落ち着かなかった。浩子が狡狗から何を入手したのか──その情報が気になって仕方ない。とりあえず朝食を済ませたものの、浩子との約束の二時にはほど遠い。なんの意味もなく机の引き出しの整理をしてみたり、さほど伸びてもいない爪を切ってみたりしたが、それでも間が持てず退屈だった。
幸いにも二つ三つ鈴子から家の手伝いを頼まれて、ちょうどよい時間潰しになったが、いつもの錫なら、なんやかんやと理由を付けて逃げ回っているところだ。ようやく手伝いを終えて一息吐いた頃には時計も正午を回り、昼食の時間になっていた。
休みなく喋ってくれているテレビのニュースを中心に家族全員が食卓を囲んでいると、いきなり興味深い速報が飛び込んできた。
《奈良県連続通り魔犯逮捕の一報が今入ってきました。繰り返します──連続通り魔犯逮捕の…》
「とうとう捕まったか…。いつまでも悪いことはできんよな」龍門が昼食の天ぷらうどんをすすりながら呟いた。そんな龍門をよそに、女三人は互いにチラリと目を合わせて惚けていた。
〇
三輪山から帰宅した次の日、錫は旅行中の出来事をミツと鈴子に打ち明けた。覚悟はしていたが、案の定鈴子にはこっぴどく叱られた。
「通り魔に殺されたって…いったいどういうこと!?」いつもは至って冷静な鈴子も、この時ばかりは落ち着いていられなかったようだ。
「だから違うってば…。通り魔に憑依していた奴が…」
「同じことです!」よくありがちだが、一旦こうなると親は最後まで子供の話を聞こうとしない。
「まあまあ…。前にも話したけど、この子は守られているから大丈夫だよ」
「…分かりました…今回だけは目を瞑ります。でもこんな危ないことをするなら二度とどこにも行かせませんからね」ミツが鈴子を宥めてくれたので、その場はなんとか治まった。錫はかなり説教されたが、娘を心配して叱ってくれたことを嬉しくも感じていた。
〇
「犯人は東田利馬っていう大学院生らしいぞ…」龍門はニュースに囓りつきだ。テーブルの下でもいしがのんびりと伏せたままニュースを聞いていた。
「どうやら東田は一時的に頭が変になって暴れ回ったんでしょうね…。憑物の霊力が強いと、そいつが抜け出した後、頭が錯乱することがありますけん」いしの説明が聞こえたのは、もちろん錫とミツだけだ。
《犯人の東田利馬は犯行は認めているものの、『最初はむしゃくしゃしてやった。三輪山で意識を無くしてから何があったか憶えていない…気が付いたらナイフを振り回していた。何かに取り憑かれてやった』と意味不明なことを口にしてるようで、警察ではこれから詳しく取り調べる…》
「おい…こいつ三輪山に行ってるぞ…。錫はニヤピンだったのかもな…?」
──「いいえパパ………ホールインワンだったわよ!」
Ⅳ
浩子が約束の時間に遅れることなどまずない。この日も錫の家に着いたのは、二時五分前だった。錫の部屋に浩子が入って間もなく、ミツがコーヒーとお菓子を運んできてくれた。
「いらっしゃい浩子ちゃん。まぁ、お菓子でもおあがり。ミツ特製、名付けて〝カリッカリかりんとう〟だよ!」
「わ~!おばあさま、ありがとう。良ければ一緒に話をしませんか?」
「いいのかい私まで?」
「えぇ、かえってその方が良いかもしれません…」
「私はこの日をどんなに待っていたことか…。さぁ浩子…早く早くぅ~」
「ちょっと錫、コーヒーぐらいゆっくり飲ませておやりよ…せっかちだねぇ」
「うふふ…スンは待ちきれないわよね。じゃ頂きながら話すわ」
「そうこなくっちゃ!」一人盛り上がっている錫だ。
浩子はコーヒーを片手に、ミツ特製のカリッカリかりんとうを食べてみた。その名のとおり〝カリカリッ〟とした歯ごたえを楽しんでいると、やがて黒糖のまろやかな甘さととゴマの風味が口いっぱいに広がって後を引く。浩子はもう一つかりんとうを手でつまみ上げると、幸せそうに口にほおばってから話を始めた──。
「ねぇスン…狡狗が〝あいつがお前のじじいか〟と言ったのを憶えてる?」
「うん、もちろんよ」錫の返事を確認した浩子は、今度はミツに目を向けて話を続けた。
「そのあと狡狗はこう言ったんです…〝お前を捕らえて奴に宝物の在処を吐かせる〟って…」錫はそれも憶えている体で〝うんうん〟と頷いた。
「それではっきりしたんです。あの方は捕らえられているんだと…」
「それはもしかして、うちの人のことかい?」浩子は黙ったままゆっくりと頷いた。ミツは眉をピクリと動かしただけで、至って冷静だった。だが錫は──。
「お、おじいちゃん!?」いつもの如く天井まで飛び上がらんばかりの驚きようだ。
「そうよ…。完成間近だった秘宝を狡狗が虎視眈々と狙っていたのは確か──そして秘宝はスンのおじいさまが計画どおり誰よりも先に手に入れた。けれど、狡狗がそのことに気づいたとは考えにくいの…。なぜなら前にも話したとおり、秘宝は取り出す時に二つに分けられて、完全に霊気を消し去っているからよ…。では狡狗はどうしてあの方を狙ったのか?それはあの方の霊気が尋常ではないからなの。奴らにとって我々の霊気は悍しく感じる…その霊気を唯一の手がかりに秘宝に辿り着こうとした。つまり、それほどの霊気を持っている者こそが秘宝を守っているに違いない──奴らはそう考えたのよ。もともと鼻の利く狡狗は時間をかけてあの方を探し出し秘宝を奪おうとした。徐々に追い詰められていったあの方は、万が一に備えて私にスンのことを託した。といってもあの方が直接訪ねて来たわけではなく、私に強い念を送ってそのことを伝えたの。…今考えたらそれが仇となったのかもしれない。強い念は狡狗にますます居場所を知らせる結果になったのかも…。とにかくあの方は追い詰められてそして…」
「気障りの婆さんのように死を選んだ…?」錫が自分の考えを話してみた。
「ううん…。私も初めはあのお方が自殺を図ったのかと思った。だけどそれにしては魂の行方が全く分からない。なにより死因は自殺ではなく突然死…。それで次に何者かに無にされてしまったのではないかと考えた。もし無にされたのなら魂の行方が分からなくなったことも説明がつく…」
「だけど、もしおじいちゃんを無にしたら秘宝の在処を聞き出せないでしょ?」
「そのとおりよ!狡狗は秘宝が天と地に分けられて霊気を消されていることを、その時点では知らなかった。だからあの方を捕まえたものの秘宝がないと分かると、持ち主が別にいると激怒して、あの方を無にしてしまったのだと──私は勝手にそう思っていたわ…」
「けど…うちの人は無にされたんではなく囚われていた…そういうことだね?」
「はい!のちのち何かに利用できると考えたのかも知れません」
「じゃ…!おじいちゃんは生きているの!?」
「もちろん肉体がないから現世には戻れないわ。でも魂は無くなっていなかった……スンのおじい様はまだ存在しているのよ」
「どこに…!?おじいちゃんはどこに囚われてるの!?」
「おそらく拗隠の国よ。そうだとすると、それほど時間がないかも…。いずれは霊気を失い本当に無になってしまう…」
「それほどって…どれほどの時間しかないの?」
「三ヶ月なのか半年なのか…あるいは一年か…それは私にも分からない」
「それじゃ、手遅れにならないうちに助けに行こう!?」
「事はそれほど簡単じゃないの。私は拗隠の国がどんな国なのか知らないし、どこにあの方が囚われているのかも知らない…。それに…一番肝心な秘宝がまだ見つかっていない…。実はね、今度の秘宝はあらゆる霊力を封印する特性があると天甦霊主様は見ているの。拗隠の国に行くなら秘宝を手中にしてからの方が望ましいわ」
「そうなんだね…。それで秘宝だけど…封印する特性ってスゴいの?」
「えぇ…万が一、邪悪な者に渡れば私たちの霊力を封じ込められてしまう…。そうなれば白の国を奪われるかもしれないわ」
「それは大変だ…。早く秘宝を見つけて、おじいちゃんを助け出さないと…」
「本当は…秘宝より先に、あの方を助け出したいんだけどね…」智信枝栄の本音だった。
「浩子ちゃんはうちの人のことを〝あの方〟って言うわねぇ?」
「それ、私も前から気になってた」錫も興味深げに身を乗り出した。
「あの方の本当の名は〝天翔虎慈之尊〟」
「えっ!?──あまがえるが…くらいつく…?」
「ふふっ…天翔虎慈之尊…またを天翔虎慈之尊。普段は〝虎慈様〟と…」
「極端に短っ!──で…おじいちゃんも偉い人だったの…?」
「それはもう!あの方は野獣のような強さを武器に、縦横無尽に白の国を翔け巡っておいででした。しかしその反面、お心は慈悲深くお優しい方だったのです。故にいつしか天翔虎慈之尊と呼ばれるようになったと伺っております」
「…やはりただの人じゃなかったんだ!今までボヤけてたものが、だんだんはっきりしてきた。後は…」そう言いながら錫は自分の机の引き出しを開けた。そこには浩子から貰った写真立てが二つあった。錫は虎と二人で写っているそれを手に取ると静かに言った。
「…いよいよ謎を解明しないといけない時期が来たような気がする」写真立ての留め具を外して写真を取り出すと、錫は二人に写真の裏の短歌を見せた。
老いたる身 支えし足は頼りなく
孫と娘で力みなぎる
「この短歌が秘宝の隠し場所を握る鍵かもね…」浩子がポツリと呟いた。
Ⅴ
拗隠の国は悪心を持つ狡狗の棲む不快な国だ。薄暗い空間には、絶えず澱んだ靄が立ち込めている。その靄こそが悪心──つまり邪心・悪心そのものであり、狡狗達の言わば栄養源だ。憎しみや恨み、私利私欲が生み出す犯罪などがそれに当たる。
人間界に生じた悪心は本来不要なものなので、その世界から排出される。しかし悲しいかな人間は至る所でこの悪心を絶えず出し続けている生き物なのだ。そうやって人間界からどんどん生み出される悪心は、どこをどう辿って行くのか──拗隠の国に流れ着き、また新たな狡狗を生み出していく。そうしてみると狡狗は人間の邪心・悪心が造り出す負の産物と言えるかも知れない。
〇
鋭く尖った黒い岩々が点在しているだけの拗隠の国。その中で一番高い岩山の頂にその狡狗は棲んでいた。
「醜長様、孫をネタに脅しても口を割りません。奴は本当に知らないのでは?」
「生意気な奴めが…。オレさまがいたぶって口を割らせてやる…」
「へい。しかしなんですね…霊気だけを封じ込める霊具があるとは驚きでした」
「前の醜長はお宝が大好きだったからな…ギシシシ」
「ヒヒヒ…兄貴が前の醜長を無にさせて、自分が醜長の地位を得た賜物で…」
「そうよ…今やオレ様はこの国の主──お前にも№2の地位を与えてやったんだ…ありがたく思え」
二体の狡狗が話しながら移動した先には牢があった。それは大きく突起した岩に二㍍四方の穴がぽっかり空いている自然の牢で、中は比較的広い横穴になっていた。その牢の入り口も含め、内側全面はシャボンのような薄い膜に被われていて、それが霊気を内側から完全に遮断していた。
「こんな膜一枚で外に出られないなんてなぁ~…」薄い膜を恐々と突きながら阿仁邪は首をかしげた。
「こいつは絶対に霊気を外に出さない優れものよ。ゆえに霊気でできている魂は何があっても出られん…全く恐い霊具だ…。おや…奴はどこだ…?」中を覗き込んだ醜長が阿仁邪に聞いた。
「どこって、あそこですよ…真ん中で蛍みたいに青っ白く光ってるやつ…」
「あのプニプニしたゼリーみたいなやつかぁ?お前はバカか!あんなになっちまって喋れるわけないだろうが」
「ダメですかね…?じゃ、どうします…?」
「放っておけ…こいつはもう利用価値がなさそうだ…。お宝は別の線から探す。お前がしてやられたあの人間の女からな…」
「でもあの女は宝のことは知らないと言ってましたぜ…」
「頭を使え頭を!あの女は今躍起になって宝を探している。ぴったり張り付いておいて、宝を見つけ出したら透かさず奪うのよ。名付けて〝見つけ出すまで泳がしておこう作戦〟よ」
「なるほど!〝見つけ出すまで泳がしておこう作戦〟ですか…さすが醜長様だ。あっ、そうそう、一番大事な報告を忘れておりました…。実は抜け穴が再び大きくなったようですヒヒヒ」
「この大バカモン!そんな大事なことを言い忘れてたのか!?」
「すみません…ついつい」
「だがこれで手下どもをどんどん送り出せるな…ギシシ…」
Ⅵ
錫の携帯電話が鳴った。「あっ、信枝からだ…。はい私…うん…大丈夫だよ…先客がいるけどね。…分かった…待ってるね」
「信枝が来るのね!?」
「うん!先客がいるって言ったら、どうせ浩子でしょって…。聞いてもらいたい話があるらしいの。浩子もいるなら好都合だって…。とにかく短歌の話は一旦中断ね」
「さてさて…客人とあんた達のために、もう一杯ずつコーヒーを淹れてくるかね…」ミツはいそいそと部屋を出て行った。
それから十五分後、信枝は錫の部屋でホットコーヒーを片手に〝かりっかりかりんとう〟をほおばりながら話をしていた。
「えっ、なんですって!?──幽体離脱!?」
「そう…幽体離脱よ…ゆうたいりだつ…」
「そんなこと…食べながらサラッと言う…?」錫は呆れながら呟いた。
「ねぇ信枝、具体的に教えてくれる?」浩子は至って冷静だ。
「最初は天井から自分を見下ろしている夢をみていると思ったの…。だけど次の日も体から抜け出して天井から自分を見たとき、これは夢じゃなくて現実だと確信したわ。それで今度は起きている時に、自分の魂が肉体から抜け出すイメージをしてみたの。そしたら…なんと本当に抜け出せちゃったのよ、スゴいでしょ!?」
「スゴすぎて恐いわよ!」錫は〝ムンクの叫び〟よろしく両方の手の平を頬に押し当てて気味悪がった。
「どうやらあの時のことが引き金になっているみたい…」
「あ、あの時って…信枝が気を失った…?」錫が恐る恐る尋ねた。
「そう…あの時…。やっぱりあれは気を失ってたんじゃなくて、本当に死んでたのよ」信枝は恐がるどころか、嬉しそうに目を輝かせている。この辺りから錫は嫌な予感がしていた。できればこの話はここで終わってほしかった。だがそんな錫の願いも、信枝の次の一言で虚しく消えた。
「ということは…錫雅様は夢の中の人じゃなかったってこと!」
──「出た~~~!やっぱりそうくる…」
「だ、だけど…幽体離脱なんて…現実にはあり得ないでしょ…?」
「私ね、何度も何度も試してみたの。おかげで今では自由自在に幽体離脱ができるのよ。一度死んでしまったことで、魂が抜け出しやすくなったんだと思う…」そのとおりだった。一度脱臼すると癖なるのと同じで、信枝の魂は、肉体から離れてしまったことで、離脱しやすくなったのだった。
「これで錫雅様にいつでも会えるようになるかも…」信枝の頭の中は、寝ても覚めても錫雅尊でいっぱいだった。




